故国では評価の低いダ・ポンテ
モーツァルト年にちなんで、彼のオペラのリブレットを書いたダ・ポンテの作品集が出版される(コリエレ・デッラ・セーラ、1月29日)。
ダ・ポンテと言えば、ヴィーンのハプスブルクの宮廷、ヨーゼフ2世のもと、宮廷詩人となり、モーツァルトやサリエリのオペラの台本を書いたことが知られているが、それ以外は案外知られていない。
生まれたのは、1749年、チェネンダ(現在のヴィットリオ・ヴェネト)で、その時の名はエンマヌエル・コネリアーノ。父はユダヤ人の皮なめし職人であった。1763年カトリックに改宗し、洗礼を授けてくれた司教の氏名をもらい、ポルトグルアーロに移り、セミナリオで学ぶ。
1773年司祭に叙階される。1774年ラテン語と雄弁術の教師となり、ルソーに触発された論文を書く。1779年ヴェネツィアに移り、詩人となる。
1780年ドレスデンに移り、宮廷のために書く。1781年、メタスタージオが亡くなる数ヶ月前に、ヴィーンに移り、宮廷詩人としてオペラの台本を書く。『フィガロの結婚』(1786)、『ドン・ジョヴァンニ』、『コジ・ファン・トゥッテ』(1790)は三大傑作である。
1792年、ヴィーンから追放される。ロンドンで、本屋と印刷業を営み、イタリア文学の古典、アリオストやタッソを広める。
1805-38年、アメリカに渡り、ニューヨークとフィラデルフィアで、靴直しや食料雑貨商を営み、その後、ニューヨークのコロンビア・カレッジでイタリア語の教授となる。
1821年に、イタリア語の古典、ダンテやペトラルカを普及する目的でマンハッタン・アカデミーを創設する。1838年、ニューヨークで死去。
今回、出版されるのは彼の選詩集で、編者はLorenzo della Cha’、出版社は Il Polifilo。これまで、イタリアの詩華集にダ・ポンテはほとんど収められなかった。
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