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2006年2月11日 (土)

カポレットの大敗

第一次世界大戦においてイタリアは、最初は中立の立場をとっていたが、1915年に英・仏・露の側について参戦した。だが、装備において劣るイタリア軍は、1917年10月、ドイツ・オーストリア軍にカポレットで大敗する。カポレットからの大敗走についての本が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、2月4日)。

これまでの歴史家は、一般に、第一次大戦は、前線と後方、軍隊と市民の生活が截然と分かれていた最後の戦争であると規定してきた。

ところが、Daniele Ceschinの新著『カポレットの亡命者ー第一次大戦時のイタリアの難民』(Laterza,2006)によると、カポレットの敗北で逃げてきた人がいたのは、その直接の後方だけではなくて、ミラノ、フィレンツェ、トリノ、ボローニャそしてローマ、ナポリ、はてはプーリアやカラーブリア、シチリアの集落にまであったという。

ミラノ市およびミラノ県だけで、5万人が避難してきたというのだ。

カポレット(現在のスロヴェニアに位置する)からずっとドイツ・オーストリア軍がイタリアの中に攻め寄せてきたわけだが、それを避けて、イタリア東北部から、中部、南部に人が押し寄せてきたわけである。

中部や南部では、地元民が数百、数千という集落に、避難民が数十、数百と流れてきたというから比率としては相当なものだ。

カポレットから1年後のヴィットリオ・ヴェネトでの勝利まで、まさにイタリアでは国内難民が大量に発生し、多くの町では文字通りその難民と共存しなければならなかったのである。

学校や修道院、ホテルや倉庫などが収容するために利用されたが、半数以上の人があふれ、家を借りねばならなかったわけだが、法外な値段を要求されることもあったという。

オルランド内閣は、戦争中のことゆえ、その避難民たちを「一つで分割できぬイタリアの英雄」として扱ったが、実際の彼らの出くわした状況はそれにはほど遠かった。

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