マルチンクスの謎(1)
ポール・マルチンクスのヴァティカンでの業績についての続きである(コリエレ・デッラ・セーラ、2月22日)。
アンブロージョ銀行が財政破綻し、その頭取であったロベルト・カルヴィがロンドンで死体で発見されたのは、1982年夏のことであった。
1兆8000億リラ(約9億ユーロ、1260億円)というアンブロージョ銀行から引き出された巨額な金は、直接また間接にヴァティカンの銀行 Ior(Istituto Opere di religione)あるいはヴァティカンの銀行に指定された機関へ消えたといわれている。
当時の財務大臣ニーノ・アンドレアッタは、教会と教皇に Ior の責任を認め、手段を講じるよう求めた。イタリア共和国の国益に忠実だったアンドレアッタの行為は、高くつき、彼は長らくキリスト教民主党でほされてしまった。
教会は、Iorの責任を認めることは決してなかった(もっとも長きにわたる論争ののち、アンブロージョ銀行から出て行った金額のほんの一部、2億5千万ドルを返済したが)。そして、1980年代半ばに、イタリアの司法当局がマルチンクスの逮捕を要求したときにも、彼を擁護しつづけた。
ヴァティカンの壁、外交特権の壁は厚く、マルチンクスは、スキャンダルから、たっぷり7年後まで、Iorの責任者をつとめたのち、教皇のもとを去ったのである。マルチンクスとカルヴィは「神の銀行家」と呼ばれたが、マルチンクスは1989年に舞台を去ったのである。
教会は教会なりに、このつけを払い、マルチンクスを枢機卿にすることはなく、ネヴァダ州の砂漠に引きこもらせることになった。その後は、アメリカで彼の好きなゴルフをしていたという。
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