イタリアの南部問題
ジュゼッペ・ガラッソの新著『南部問題から南部の開かれた課題へ』(Piero Lacaita editore)が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、1月28日)。
ジュゼッペ・ガラッソの以前にもイタリアの南部が抱える諸問題を取り上げた人は少なくない。
ジュスティーノ・フォルトゥナート(1848-1932)は、リソルジメント(国家統一運動)が南部の孤立状態を破壊したが、それから数十年たっても、南部は「イタリアの病い」のままだ、と考えた。彼は南部の発展は、農業構造の改革にかかっていると考えた。
ガエターノ・サルヴェーミニ(1873-1957)によれば、イタリア南部は、北部の資本主義と南部の大土地所有制(ラティフォンディスモ)の不埒な結託の犠牲者である。
マンリオ・ロッシ・ドーリア(1905-1988)は、南部問題は、まず、「良き政府」と市民社会全体の再生の問題だと考えた。
以上の三人は、本格的な南部問題についての論客であるが、今回その新著を取り上げるガラッソはそうではない。
ヴェネツィアのビエンナーレの監修をつとめたり、文化財省の次官であったりした経歴をもつ、ヨーロッパ現代史家である。
ガラッソは、南部問題は、解決されたわけではないのに、イタリア人全体の関心の外に置かれてしまったと感じている。この問題を語る人は二つに分かれて、一方は、問題が今や解決しつつあると考え、もう一方は、解決不能と考えているようだ。
楽観的な人は、近年のデータをあげる。輸出の好調、中小企業の増加、農業の進展、「プーリア州の小さな奇跡」、カターニャの技術特区、犯罪組織との闘いにおける検察側のいくつかの勝利など。
悲観的な人は、南部に背を向け、他のことを語るのみ。
ガラッソは、楽観的でも悲観的でもない。データで語る。ロンバルディア州やヴェネト州は、単独で、南部すべてを集めたより多くの価値を生み出している。
南部の諸州は、イタリア人口の3分の1を擁しているが、映画、劇場、音楽に使われる費用は、国全体の18%にすぎない。
ヴェネト州のホテルは2000軒以上あるが、南部全体では3200軒にすぎない。
南部問題を国家の指導者たちはどう考えたのだろう?
カブールは、自由が、南部社会の眠れるエネルギーを呼び覚ますだろうと信じていた。
20世紀初頭の南部主義者たちは、移民によって、労働市場のしこりが解消し(人余りが解決し)、南部の発展に役立つだろうと期待した。
20世紀初頭に首相であったジュゼッペ・ザナルデッリは、バジリカータ州を旅した後、特別法が効果的だと信じた。
1919-20年に首相であったフランチェスコ・サヴェリオ・ニッティは、大規模な工業化を推奨した。
ドン・ストゥルツォは、南部にはより大きな独立性が必要だと主張した。
ムッソリーニは、ナポリを工業都市にし、植民地が南部の農民の土地不足問題を解決すると信じた。
グイド・ドルソ、マンリオ・ロッシ・ドーリア、ダニーロ・ドルチその他の人々は、南部問題は何よりも、「良い政府」と市民社会の復興の問題と考えた。
第二次大戦後のエコノミストたちは、農業改革や、インフラ整備や発展の中心地を頼りにした。
ところがこうした処方箋はどれもがうまくいかなかった。南部の病いは治らなかったのである。
追記:以前にも紹介したが、北村暁夫著『ナポリのマラドーナーーイタリアにおける「南」とは何か』はイタリアの南部問題を考えるための好著で、特に二章の「言説としての南イタリア」には、上で紹介された南部主義者の主張が、短いながらも引用を伴って、ほぼ時代順に位置づけられている。
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