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2006年2月28日 (火)

マルチンクスの謎(2)

マルチンクスの業績のさらに続きである(コリエレ・デッラ・セーラ、2月22日)。

イタリアでは、マルチンクスの名前は、戦後の最も不安定な政情と結びついている。フリーメーソンの支部P2の策略やいくつかの組織への経済的乗っ取りなどである。それにマフィアの犯罪が絡んでおり、多くの死者も出ている。しかし、これらの事件の全貌が、明るみに出ることはなかった。

カルヴィやミケーレ・シンドナといった銀行家は「消されて」しまったが、少しばかり事情を知るものは沈黙を選んだ。

というわけで、マルチンクスに対する疑惑は、晴らされることも、証明されることもなかった。

しかし彼に対する疑惑は、銀行の財政破綻をめぐるものだけではない。ジョヴァンニ・パオロ1世の謎の死についてだ。アルビーノ・ルチャーニ教皇は、教皇在位わずか33日で急死した。1978年9月29日の未明に亡くなっていたのだが、医師団は心臓麻痺と発表した。しかし近年、出版された本の中にはマルチンクスと当時国務長官であったヴィヨー枢機卿を告発するものもある。

つまり、この二人が、ヴァティカンの財政を徹底的に改革しようとしたジョヴァンニ・パオロ1世を亡きものにするよう企んだ、というわけである。

イタリアにとってこの時期は、非常に困難な時代であった。アンブロジャーノ銀行を隠れ蓑にして、リーチョ・ジェッリによって導かれたフリーメーソンP2は、国家機関の中枢に入り込もうとし、コリエレ・デッラ・セーラも(当時はリッツォリ家が支配していたのだが)征服しようとした。

1982年に銀行が財政破綻し、カルヴィの死体がロンドンで発見される。この財政破綻とIORの関係は、裁判で争われた。特にAmbrogio Overseas に関するものは、20年以上続き、検察は世界中から何十人もの証言を集めたが、マルチンクスのものを聞くことは出来なかった。

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2006年2月27日 (月)

マルチンクスの謎(1)

ポール・マルチンクスのヴァティカンでの業績についての続きである(コリエレ・デッラ・セーラ、2月22日)。

アンブロージョ銀行が財政破綻し、その頭取であったロベルト・カルヴィがロンドンで死体で発見されたのは、1982年夏のことであった。

1兆8000億リラ(約9億ユーロ、1260億円)というアンブロージョ銀行から引き出された巨額な金は、直接また間接にヴァティカンの銀行 Ior(Istituto Opere di religione)あるいはヴァティカンの銀行に指定された機関へ消えたといわれている。

当時の財務大臣ニーノ・アンドレアッタは、教会と教皇に Ior の責任を認め、手段を講じるよう求めた。イタリア共和国の国益に忠実だったアンドレアッタの行為は、高くつき、彼は長らくキリスト教民主党でほされてしまった。

教会は、Iorの責任を認めることは決してなかった(もっとも長きにわたる論争ののち、アンブロージョ銀行から出て行った金額のほんの一部、2億5千万ドルを返済したが)。そして、1980年代半ばに、イタリアの司法当局がマルチンクスの逮捕を要求したときにも、彼を擁護しつづけた。

ヴァティカンの壁、外交特権の壁は厚く、マルチンクスは、スキャンダルから、たっぷり7年後まで、Iorの責任者をつとめたのち、教皇のもとを去ったのである。マルチンクスとカルヴィは「神の銀行家」と呼ばれたが、マルチンクスは1989年に舞台を去ったのである。

教会は教会なりに、このつけを払い、マルチンクスを枢機卿にすることはなく、ネヴァダ州の砂漠に引きこもらせることになった。その後は、アメリカで彼の好きなゴルフをしていたという。

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2006年2月26日 (日)

教皇庁の銀行家、マルチンクス死去

ポール・マルチンクスが死んだ。彼は、カトリック教会の歴史において最も力を持ったアメリカ人で、17年間(1971-89)に渡り、ヴァティカンの財政を牛耳っていた(コリエレ・デッラ・セーラ、2月22日)。

ポール・マルチンクスは、アンブロージョ銀行(総裁カルヴィがロンドンの橋で首つり死体で発見されたが、自殺か他殺かは議論が分かれている)事件に関して、イタリアの捜査当局やマスコミは、もっとも接触したがっていたが、彼の「真実」を明かすことなく、この世を去ってしまった。

彼は、アリゾナ州の砂漠地帯のSun Cityの質素な家で亡くなった。84歳。長らく、そこに隠遁していたのだという。 

マルチンクス猊下は、1970年代および80年代に起こった経済的・政治的事件において、ミケーレ・シンドナやロベルト・カルヴィとの密接な関係があったといわれる。彼はヴァティカンの銀行Istituto Opere di religione (Ior)の総裁(presidente) であったのだが、Iorとアンブロージョ銀行の財政的破綻には、密接な関係があったと言われている。

マルチンクスは、Iorの金庫を「空にした」と非難されているが、その疑問に答えることはなかった。おそらくは、ポーランドの連帯と、ニカラグアのコントラを援助するために使われたのだろう。

マルチンクスが教皇庁に入ったのは、1969年で、1981年には司教になっているが、つねにジョヴァンニ・パオロ2世によって保護されてきたのである。

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2006年2月25日 (土)

刑務所の展覧会

ミラノのトリエンナーレを会場に、刑務所をテーマにした展覧会が2月23日ー3月19日まで、催される(コリエレ・デッラ・セーラ、2月22日)。

イタリアには、2005年12月31日現在で、59,523人の囚人がいる。1990年には、36,300人であった。囚人の53,6%は、25ー39歳。

イタリアの刑務所の収容人員の定員は41,470人なので、現在の状態は、過密状態である。ヨーロッパでは、ギリシア、ハンガリーに次ぐ、刑務所内人口密度である。

収監されたもののうち、判決が確定したものは、37,861人で、残りの21,662人は被告であり、そのうちの56,9%は、裁判の判決を待っている。

囚人のうち女性は、2523人。44人が3歳未満の子供と暮らしている。子供の人数は、45人。2005年6月30日時点で、妊娠していた女性は、38人。

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トッティ、骨折

イタリア、サッカーリーグ・セリエAのフランチェスコ・トッティが、エンポリ戦で、左足を大きくひねり腓骨を折り、靱帯を損傷した。全治2-3ヶ月(コリエレ・デッラ・セーラ、2月20日、22日)。

ローマのキャプテン、トッティは、後ろから来たエンポリのヴァニーリにタックルされ、左足を大きくひねりながら倒れた。腓骨(頸骨のわきにある細い骨、perone)を折り、3時間の手術をうけた。

ローマはこの日10連勝をなしとげたが、これは大記録である。1931-32年、ユーヴェ、1950-51年、ミラン、1963-64年、ボローニャのみが成し遂げた快挙なのである。

トッティの夫人イラリー・ブラージによると、たくさんのお見舞いのメッセージを受け取り、その中には中東からのものもあったという。トッティは以前に、イラクが平和になったら、イラクの子供たちにサッカーを教えたいと言っていた。トッティの入院した病院の取材には、アルジャジーラ・テレビも来ていたという。

今シーズンのセリエA出場は不可能だが、ワールド・カップには快復して出場をめざすとのこと。

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2006年2月24日 (金)

中道右派の内紛

イタリアの中道右派(CDL)の内部で、北部同盟とベルルスコーニの対立が激しさを増し、北部同盟が離脱するかどうかを論じはじめた(コリエレ・デッラ・セーラ、2月20日)。

北部同盟のカルデローリは、問題行動(マホメットの戯画のついたTシャツを着ていることをテレビでワイシャツのボタンをはずして誇示した)を起こし、国内のみならず、リビアの領事館襲撃などの事件が発生し、ベルルスコーニ首相は、カルデローリに大臣辞職を求めた。

ベルルスコーニ首相の言動に対し、北部同盟のもう一人の大臣ロベルト・マローニが怒り、党首のボッシもわれわれは独自に選挙を戦うことも出来ると言い出した。

ベルルスコーニは、カルデローリに対する対処はすべてボッシと相談して決めたことだとしている。

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リビアでイタリア領事館襲撃される

リビアのベンガジにあるイタリア領事館が、民衆に襲撃され、警官隊が発砲し、11人の死者が出た(コリエレ・デッラ・セーラ、2月20日)。

リビアの民衆は、2月17日(金)、マホメットの戯画とそれに絡んだイタリアのカルデローリ大臣の発言に抗議して、イタリア領事館を襲撃したのである。それに対し、警官隊が発砲し、11人の死者が出た。

2月19日(日)の葬儀には、500人の民衆が集まり、その一部は再びイタリア領事館を攻撃し、三色旗(イタリア国旗)が焼かれた。

歴史的に見ると、1911-12年にイタリアはリビアと戦争をし、植民地化した。イタリア占領下にあった1911-43年に激しい闘争を経験したのち、1970年に、リビアはイタリア人住民を追放した。

その後も繰り返し、リビア政府は、イタリア政府に対し、植民地時代に対する賠償請求を繰り返してきた。2004年にベルルスコーニ首相とカダフィ大佐の間で合意が結ばれ、関係は改善したが、すべての問題が解決されたわけではない。

経済関係は密接で、リビアが輸入する相手国として最大なのがイタリア(26%)であるのだが、イタリアは、ガスや石油(イタリアの必要量の30%)を大量に輸入しているので、65億ユーロの貿易赤字となっている。

リビアでは、ENI(イタリア炭化水素公社)をはじめとして、約50のイタリアの会社が活動をしている。トリポリに795人、ベンガジに73人のイタリア人が生活している。ちなみに、1936年には、約11万人がリビアにいたそうである。

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2006年2月23日 (木)

イタリアと観光

イタリアの観光が2005年は前年度に比べ、1,7%増加したことが明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、2月18日)。

世界の観光では、もっとも観光客が多いのは、フランス。次いで、スペイン、アメリカ、中国と続き、イタリアは世界5位である。

2005年にイタリアを訪問した観光客は、3700万人。前年度と比較すると1,7%の増加。2006年は、2-2,5%の増加を見込んでいる。

めざましいのは、アグリトゥーリズモ(農村観光)の増加で、今や8億ユーロ(1120億円)を動かすビジネスに成長している。1999年から2004年の間に、アグリトゥーリズモを営む事業所も8500から13000へと53%も増加している。

アグリトゥーリズモは、農村の活性化をめざして考えられたビジネスで、農家が家を改造して、ホテルというか民宿として接客業を営み、さらに事業所によっては、料理教室を営んだり、乗馬教室を営んだりし、それによって現金収入の増加を得るものである。

大都市で、普段ストレスの多い生活を送っている人たちは、イタリアの農村地帯で、のんびりとしたリズム、自然に恵まれた環境で時間を過ごすことで、癒され、英気を養うことができるのだろう。

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イタリアとノーベル文学賞

スウェーデンのノーベル・アカデミーに近いエンリコ・ティオッツォがノーベル賞選定の舞台裏を語った(コリエレ・デッラ・セーラ、2月17日)。

彼によると、「わが国(イタリア)は、文化にせよ政治にせよ、まったく間違っている。ストックホルムにおけるイタリアのイメージは、歪められているし、矛盾したものとなっている」

ティオッツォは、最も非難すべきなのは、スウェーデンには、ひとつもイタリア文学の講座が大学にないことだ、と指摘している。

この点に関しては、イタリアの外務大臣、文科大臣の責任が重いとしている。大使館やイタリア文化会館(大使館の文化部)を通じて、圧力をかけるべきだというのだ。

さらに、イタリアがこれまでノーベル文学賞を6人輩出しているのは、偶然によるところが大きい。6人とは、ジョズエ・カルドゥッチ(1906、詩人)、グラツィア・デレッダ(1916、小説家)、ルイジ・ピランデッロ(1934、劇作家・小説家)、サルヴァトーレ・クァジーモド(1959、詩人)、エウジェーニオ・モンターレ(1975、詩人)、ダリオ・フォ(1997、劇作家)である。

ティオッツォによると、1921年から81年、60年の長きにわたって、Anders Osterling(Oはウムラウトが上に付く)という人が委員にいて、その人がイタリア文学を愛し、かつ、クァジーモドとモンターレの詩作品のスウェーデン語への翻訳者であるという幸運にめぐまれたから、受賞者がこれだけ出たのだ。

Osterlingがいなかったら、イタリアのノーベル文学賞受賞者はカルドゥッチで止まっていたかもしれない、というのだ。

イタリアの側は、長年にわたって、無名の人を推薦してきた。例にあがっているのは、アンジェロ・デ・グベルナティス、サルヴァトーレ・ファリーナ、ドーラ・メレガーリ、ロベルト・ブラッコであるが、決して有名とはいえないし、文学史でも高い評価を与えられてはいないと言ってよいだろう。

それに対し、ダンヌンツィオ、パスコリ、ヴェルガ、カプアーナ、デ・ロベルト、パヴェーゼ、ヴィットリーニ、ガッダのように海外でも知られている作家・詩人が推薦されてこなかったのである。

オリンピックではないが、力のある候補者を推薦しなければ、レースで勝つことはむずかしい、ということだろうか。

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フィアット、10年ぶりにヒット

フィアットの新車グランデ・プントが、2006年1月ヨーロッパでもっとも売れた車であることが判明した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月17日)。

初代のプントは、1993年に発売され、600万台を発売した。

グランデ・プントは、2005年に発売されたが、この1月、西ヨーロッパで、もっとも売れた車となった。月間最多販売となったのは、フィアット車では10年ぶりのこと。

1月に西ヨーロッパで新車登録されたフィアット車は10万台で、去年より19,8%の増加。特にドイツでは、67%の増加で、市場占有率が2,6%となった。スペインでは、30%の増加。

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ネオファシストの主張

アレッサンドラ・ムッソリーニ(あのムッソリーニの孫娘)の政治的盟友で、ベルルスコーニ、フィーニ、カジーニから与党の候補者リストに入れるわけにはいかない、と拒絶されたティルゲルとフィオーリの政治信条が明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、2月17日)。

二人とも、ネオファシストであるが、それぞれ別のグループを率いている。

アドリアーノ・ティルゲルが率いるのは、Fronte sociale nazionale (国家社会戦線)で、その政治的プログラムは、反米である。共産主義は「いまや死んだ」。「アメリカ中心のグローバル帝国主義」が、真の「人類の敵」である。イタリアの政党は、左翼民主(党)から国民同盟まで、「占領的アメリカへの協力者」に過ぎない、としている。

ロベルト・フィオーレが率いるのは、Forza Nuova(新しい力)。政治的プログラムは、移民の阻止。シェルバ法の廃止(ファシスト党の再建)とマンチーノ法(人種的憎悪を教唆することを禁じている)の廃止である。

ティルゲルは、われわれ無しでは、2%を失うことになる、と言うのだが・・・

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2006年2月22日 (水)

カルデローリ大臣のTシャツ

制度改革・分権大臣のロベルト・カルデローリは、2月15日放映のテレビ番組で、Yシャツのボタンをはずして、マホメットの戯画つきのTシャツを着ていることを誇示した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月17日)。

カルデローリ大臣の行為は、アラブ社会にも反響を呼び、エジプトの新聞Al Ahramは「無礼で、受け入れがたい」とし、サウジアラビアの新聞Al Watanも強い調子で非難している。

ベルルスコーニやフィーニから自制を求められているが、大衆は自分と同じように考えているとして、カルデローリには反省の様子が見えない。

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4つの世論調査

総選挙を4月に控え、各種世論調査の結果が出てきたが、一社のもののみが、ベルルスコーニがわずかながら有利と出ている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月17日)。

TNSabacus によると、L'Unione (中道左派)が51,0%。La Casa delle Liberta(CDL,中道右派)が47%で、その差は4ポイント。その他が2%。この調査は、Sky tg 24(テレビニュース局)の委嘱により、2006年、2月14日に実施。電話インタビューにより、1000人が対象。

SWGによると、L’Unioneが51,6%、CDLが47,3%。その差は、4,3ポイント。その他は、1,1%。この調査は、週刊誌L'Espressoの委嘱。2月10日に実施。電話調査で1000人が対象。

ISPOによる調査では、L'Unioneが51,5%、CDLが47,5%、その差は4ポイント。その他は、1、0%。コリエレ・デッラ・セーラが委嘱。2月9日、10日に実施。1602人に面接。

以上の3つの調査は、どれも似た結果である。

PSBによる調査。L'Unioneが48,2%。CDLが48,4%。この調査でのみ、中道右派の方が支持率がわずかではあるが高い。差は、0,2ポイント。その他は、3,4%。フォルツァ・イタリア(ベルルスコーニの政党)が委嘱。2月7日から2月9日に実施。電話インタビューで、1920人を対象。

上の三社はイタリアの会社で、最後の一社のみがアメリカの会社である。

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調子の狂った銅メダル

男子リュージュ二人乗りで、イタリア選手は銅メダルを獲得したが、その喜びもつかの間、イタリア国歌を知らないとの選手の発言が波紋を呼んでいる(コリエレ・デッラ・セーラ、2月16日)。

銅メダルを獲得したのは、ゲルハルト・プランケシュタイナー、オズワルト・ヘーゼルリーダー組。

記者が、「もし金メダルを獲っていたら、授賞式で、チャンピ大統領の希望通りに、イタリア国歌(Inno di Mameli)を歌いますか?」と尋ねたのに対し、36歳の森林警備隊員プランケシュタイナーは、「なんだって?」。記者がもう一度「Inno di Mameli  を歌っていたでしょうか?」それに対し、プランケシュタイナーは、明らかにドイツなまりのイタリア語で、「そんな歌(canzone)知らないよ」と答えてしまったのだ。

その場にいた何十人もの人は、驚愕した。国家の軍隊の一部に所属する、アルトアディジェ出身のイタリア人スポーツ選手が、イタリア共和国国歌を歌(canzone)といい、知らないと言ったのである。

この一部始終は、テレビでイタリア中に流れてしまった。その後、彼の代理人の発表で、彼のメッセージが伝えられた。「自分は誓って、国歌を知っている。自分はイタリア人である。誤解が生じたのは、イタリア語の能力が完璧でなかったからだ」。

アルト・アディジェは、母語がドイツ語の住民が多数派であり彼もそうであることは、名前からも判る。地名に関しても、この地域では町が二つの名前を持っている。イタリア風とオーストリア風の別々の名前があるのだ。この地域のこと自体もアディジェ川上流域という意味で、イタリア側はアルト・アディジェというが、オーストリア側が南ティロルというのである。

それだけに、オーストリア政府が南ティロルのドイツ語住民を保護しなければと言えば、イタリア政府は神経質になるし、この地域のスポーツ選手が国歌をないがしろにしたとも受け取れるような発言をすると、波紋を呼ぶのである。

一般的に言えば、サッカーのイタリア代表チームでも、歌うはずの時にちゃんと国歌を歌っている選手は半分以下のように見える。

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2006年2月21日 (火)

小児性愛者と化学的去勢

イタリアのある小児性愛者が、化学的去勢を自ら望んでいる(コリエレ・デッラ・セーラ、2月16日)。

この小児性愛者は、ナターレ・テルツォという60歳の男性で、20人の子供に害をなした。

しかし、刑務所では模範囚であった。彼は自分が怪物なのではなくて、病気なのだという。だから、治療してほしいと自ら「化学的去勢」を望んでいる。自分の欲望を、自分でコントロールすることは不可能なのだ。

自分がしたことが悪いことだというのは自覚しているのである。しかし、このままでは、刑務所から出るとまた同じことを繰り返すだろうというのだ。夢にまで見るという。

こうした人にありがちだが、彼自身が少年の時には、性的被害にあっている。家族にも恵まれず、父親は彼を虐待した。

「化学的去勢」に関しては、性的犯罪者を対象に、ロベルト・カルデローリ大臣が昨年提案をしている。

海外の例では、アメリカでは、カリフォルニア州、フロリダ州、モンタナ州ですでに実施している。

フランスでは、2005年から試験的に開始。48人の患者、元受刑者を対象に、24ヶ月の予定で継続中である。

デンマークでは、外科的去勢に代わるものとして1973年に導入された。化学的去勢を受けたものは、早めに釈放される。ノルウェーでも試験中。

ドイツでは、性欲を抑制する治療が1969年以来、実施されているが、25歳以上で、医学的鑑定をへたもののみを対象としている。

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ネオファシスト、候補者リストから排除される

アレッサンドラ・ムッソリーニに近いネオファシストが、中道右派の候補者リストからはずされた(コリエレ・デッラ・セーラ、2月16日)。

はずされたのは、アドリアーノ・ティルゲルとロベルト・フィオーレ。ベルルスコーニに対してネオファシストの二人を候補者リストにいれることにNOをつきつけたのは、国民同盟のフィーニとUDC(キリスト教民主連合)のカジーニであった。

もともとが、ネオファシスト系のMSIを脱皮させて国民同盟に生まれ変わらせたフィーニの方が、清濁併せのむベルルスコーニよりも、ネオファシストに対して厳しいのが興味深いところだ。

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リチェオへの進学率、増加する

イタリアの高校進学に関して、リチェオ(普通高校)に進学するものが増加し、工業高校や職業高校に進学する生徒が減少している(コリエレ・デッラ・セーラ、2月15日)。

イタリアの学校は、小学校5年、中学校3年、高校5年なので、日本の学校制度とぴったり一致するわけではない。

日本の普通科に相当するものとしては、一昔前には、リチェオ・クラシコ(古典すなわち文系高校)とリチェオ・シェンティフィコ(理系高校)があり、大学進学コースであった。

その後、リチェオ・リングイスティコ(語学高校)ができ、今のベルルスコーニ政権になって、さらに、liceo delle scienze umane (人文科学高校)、liceo artistico (美術高校)、liceo economico (経済高校)、liceo coreutico-musicale(舞踏・音楽高校)、liceo tecnologico (技術高校)と全部で8種類になった。

職業系は大きく二つある。Istituto tecnicoとIstituto professionaleである。Istituto tecnicoは理系職業学校とか工業専門学校とも訳されるが、工業高校なのである。ここを出て就職する生徒もいるし、大学に進学する生徒もいる。

Istituto professionaleはまさに職業学校で、ホテルの専門学校とか料理の専門学校などがある。なかには、フェラーリがもともと作り、今は国立となっている職業学校もある。プロの職業人を養成する学校である。

さて、1995/96年には、Istituto tecnicoに進学する者が40,3%だったのが、2000/01年には、37,5%となり、2005/06年は33,6%と下がっている。

Istituto professionale は1995/96年には21,9%だったのが、2000/01年には、26,5%と上昇し、2005/06年には、23,1%と下降した。

Liceoは1995/96年が34%、2000/01年も34%だったのが、2005/06年には39,4%に上昇したのである。

Liceoを卒業した生徒の92%は、大学に入学する。

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2006年2月20日 (月)

ゼグラーの金メダル

リュージュでアルミン・ゼグラーが金メダルを取った。彼は、金メダルを、故ジョヴァンニ・アニェッリに捧げると言って、アニェッリ家の礼拝堂にまいった(コリエレ・デッラ・セーラ、2月14日)。

オリンピックがトリノで開催されるにあたっては、ジョヴァンニ・アニェッリが尽力したと言われており、ゼグラーはそれに敬意を表したのである。

フィアットの若き後継者ジョン・エルカンの質問に答えてゼグラーは、リュージュですべっている時には、「何も見ない。感覚ですべてを判断している」とのこと。

また、ゼグラーは、今までに獲得したメダルは、すべてベッドの中にいれてあるという。ベッドが半開きになるようになっていて、そこにしまい込んであるのだ。

アニェッリ家でのパーティの最中に、マラネッロ(フェラーリの本拠地)のルーカ・ディ・モンテツェーモロから電話があり、ゼグラーは、1000分の1秒を競う仲間として招待された。

ゼグラーの競技は、950万人のイタリア人がテレビで見た。視聴率38%であったとのこと。

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イタリアの銀行業界、次の一手は?

イタリアの銀行業界は、次の一手が注目されている。Unipolによる株式公開買い付けは失敗に終わったものの、銀行の再編の必要性は変わっていないと考えられているからだ(コリエレ・エコノミーア:コリエレ・デッラ・セーラの付録、2月13日)。

ユーロの導入により、ヨーロッパの市場統合は進みつつある。イタリアの銀行が、国内市場だけでなくて、ヨーロッパ市場に進出するためには、それなりの体力・資本力が必要だとされている。

合併のプレーヤーとして、候補にあがっているのは、Capitalia、Banca Intesa,  Monte dei Paschi di Siena, Sanpaoloの4銀行である。

4銀行の合併の組み合わせは、6つあるわけだが、最有力の組み合わせとされているのは、CapitaliaとBanca Intesa,すなわちローマとミラノの銀行の合併が最有力視されている。

日本でも、○○銀行と××銀行が合併して△△銀行になるということはおなじみであるが、Banca Intesaも、1998年にCariplo銀行とAmbrovenetoが合併し、そこに2001年にイタリア商業銀行(Banca Commerciale italiana)が一緒になって出来たものなのだ。それがさらに合併先をさがしているわけである。

ヨーロッパの他の国では、上位5行の市場占有率が高い。イギリスでは、上位5行で、77%。オランダおよびベルギーでは88%。フランスでは74%、スペインでは59%。ドイツは29%で例外的に低い。

イタリアでは、上述の4行に、Unicredito を加えても、36%にしかならない。Unicreditoは現在、東ヨーロッパに進出していて、あまりイタリア国内市場に関心がないので、合併の候補からはずされている。

ヨーロッパの5大銀行は、Cre’dit Agricole(フランス),HSBC(イギリス)、ドイツ銀行(ドイツ)、BNPパリバ(フランス)、ING(オランダ、保険会社)であるが、上位5行のヨーロッパ市場の占有率は、22%に過ぎない。ということは、今のうちなら、イタリアの銀行にもヨーロッパ市場に進出するチャンスがあるということなのだろう。

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2006年2月19日 (日)

ガリバルディの映画化

ガリバルディの映画化が、監督アウレリオ・グリマルディ、主演マウリツィオ・アイエッロで企画されている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月11日)。

グリマルディ監督には『パゾリーニ・スキャンダル』がある。

ガリバルディはリソルジメントの英雄だけあって、これまでにもたびたび映画化されている。

『赤シャツ(Camicie Rosse)』(1952)ゴッフレード・アレッサンドリーニ監督、ラフ・ヴァッローネ、アンナ・マニャーニ主演。これは、個人的には機会があれば是非見てみたい。ヴァッローネは渋くていいし、マニャーニについては、『無防備都市』や『マンマ・ローマ』などその存在感の強さについてはここで言うまでもないだろう。

『ガリバルディ』(1972)。フランコ・ロッシ監督、マウリツィオ・メルリ主演。

『将軍(Il generale)』(1987)。ジジ・マーニ監督。フランコ・ネロ主演。あのマカロニ・ウェスタンの俳優が、という面白さがあるのだろうか。

『二つの世界の英雄ガリバルディ(Garibaldi Eroe dei Due Mondi)』 (2004)ジャイメ・モンジャルディン監督。Thiago Lacerda主演。

グリマルディ監督の作品は、まだ主演女優が決定していないのだが、とりあえずのタイトルは『アニータ』で、これはもちろん、ガリバルディの妻の名前。アニータはブラジル人であったので、ブラジル人女優を起用したいようだ。

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15州が、地方分権に関し国民投票を要求

昨年11月に上院を通過した連邦主義的な地方分権案(devolutionと呼ばれる)に関し、15の州が国民投票を要求した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月11日)。

改革案の内容の主なものは、

1,首相が大臣を任命し、罷免する。また、下院の解散を要求できる。

2.大統領は、大臣の任命・罷免ができなくなる。大統領になる資格が50歳以上から40歳以上へと下がる。

3.下院議員の数が630人から500人へ。上院は連邦上院となり、315人から252人へ。完全な両院制ではなくなる。

4.州は、保健、学校および地方警察に関し、排他的な権利を有するようになる。

この改革案に対し、15の州から国民投票の要求がなされ、すでに20万人分の署名が破毀院(最高裁)に提出された。国民投票には最低50万人の署名が必要だが、署名は70万人に達する見込みとのこと。

国民投票は6月25日になされるもようである。

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2006年2月18日 (土)

ベルルスコーニ、「自分より業績が多いのはナポレオンだけ」

ベルルスコーニ首相は、「自分より成し遂げたことが多いのは、ナポレオンのみだ」と主張した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月11日)。

さらに首相は、「私のほうが、たしかに背が高い」こともつけえ加えた。首相は、背が低いことを気にしていると言われ、風刺画でもそこを誇張して描かれることが多い。

これは、テレビ番組収録の中で、ジャーナリストのエンリコ・メンターナを相手に語ったもの。

メンターナが総選挙で負けたらどうするかとの質問には、「考慮すべきでない仮定」だとしたうえで、「建設的な反対をするため、国会にとどまる」とした。

また、「中道左派が勝ったとしたら、本当のリーダーは(プローディではなくて)ダレーマになるだろう」との考えも示した。

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ドン・アンドレア、聖人に

トルコで殺された神父ドン・アンドレアの葬儀がローマのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ教会で行われたが、その席上、ルイーニ枢機卿が、故人は福者、聖人に列せられる資格のあることを確信すると述べた(コリエレ・デッラ・セーラ、2月11日)。

ドン・アンドレア・サントーロは、2月5日にトルコで殺されたが、殉職した神父として、列福のプロセスが開始されることがルイーニ枢機卿によって明らかにされた。「教会で定められた法律と時間を尊重しましょう。しかし今から、私は心の中で、ドン・アンドレアの犠牲は、殉教者としての要素をすべて満たしていると確信しています」。

このおごそかな宣言は、葬儀に集まった約3000人の人に、最初は、軽い驚きを与えた。が、それはすぐに、長い拍手へと変わった。

「正しいご認識だわ」と88歳になるドン・アンドレアの母マリエッタはつぶやいた。彼女は、すでに死体安置所で、息子の死体の前で、殺人を犯した若いトルコ人を許す決意をした。

葬儀には、上院・下院議長、元大統領スカルファロ、野党からはルテッリ、プローディ、マステッラ、ローマ市長ヴェルトローニなどが出席した。

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2006年2月17日 (金)

リーチョ・ジェッリの資料

フリーメーソンの組織P2のメンバーだったリーチョ・ジェッリの所有していた資料がピストイアで公開される(コリエレ・デッラ・セーラ、2月10日)。

ジェッリの保管していた文書は、10万点におよぶ。その中には、ヒトラーの書簡やナポレオンの書いたものもあるという。

トルクヮート・タッソが1583年に書いたもの、カリオストロの1743年の手紙、ガリバルディの手紙、ヴェルディやプッチーニの書いたもの、マンゾーニの手紙などもある。

もっとも多いのは、フリーメーソンの組織P2に関する資料である。ジェッリは1981年までP2のマエストロであったという。

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イタリアの放送監督機関、Mediaset に罰金

イタリアの放送監督規制機関であるAgcomは、民放のMediaset に公平を欠く放送をしたとして罰金を科した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月10日)。

Agcomは、Autorita’ per le garanzie delle comunicazioniの略で、放送の政治的・社会的多元主義を保障する機関である。

今回、Agcomは民放のRete4というチャンネル(ベルルスコーニ一族が所有するメディアセットというマスメディアグループの一局)に15万ユーロの罰金を科した。2月4日の‘Literi tutti’という番組で、イレーネ・ピヴェッティの司会により、番組全体で首相ベルルスコーニを扱ったのである。その番組は、翌日、再放送された。

二週間前にも、チャンピ大統領は、Par Condicio(メディアにおける与党と野党の平等な扱い)のルールをすぐに発効させるべきだと言っていたのだが、平等ところか、まったく首相によって独占状態の番組が放送されたわけである。

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イタリアと冬季オリンピック

イタリアが冬のオリンピックでこれまでにとったメダルは80年間で、90個である(コリエレ・デッラ・セーラ、2月9日)。

冬季オリンピックが始ったのは、何をもって始ったとするかで異なったものとなる。(夏季)オリンピックに、現在冬季オリンピックで実施されている競技が加わったのは1908年で、フィギュア・スケートがはいった。

さらに1920年にホッケーが加わった。

1924年には、冬季オリンピックを独立したものにしようということで、シャモニーで試験的に第一回の冬季オリンピックが開催された。

1924年から今日(トリノ・オリンピック含まず)まで、イタリアは、80年間に、31個の金メダル、31個の銀メダル、28個の銅メダルを獲得している。合計90個のメダルである。ちなみに日本は、金8、銀10、銅13で合計31個のメダル。

冬季オリンピックで最多のメダルを獲得しているのは、ノルウェーで、金95、銀91,銅73!!!で、それに続くのは、ソ連、アメリカ、ドイツ、オーストリア、フィンランド、東ドイツ、スウェーデン、スイスとのこと。

イタリアが好成績をおさめてきたのは、アルペン・スキー(金12、銀8、銅7)、クロスカントリー(金7,銀11,銅11)、リュージュ(金7,銀4,銅3)。

ボブスレーも良いが男子のみ(金4,銀4,銅3)

イタリアが苦手とする種目は、カーリング、ノルディック複合、ホッケーである。

追記:イタリアの得意競技をノルディックと訳してしまいましたが、管理人の不注意で、クロスカントリーと訳すべきでした(イタリア語は lo sci di fondo). ノルディックでは、ジャンプも含まれてしまうことが判り、クロスカントリーと訂正しました。

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2006年2月16日 (木)

イタリア人よりスペイン人の方がラテン・ラヴァーか?

Sifo Research and Consulting というスウェーデンの会社が行った調査によると、ヨーロッパで最もキスをするのは、スペイン人であるようだ(コリエレ・デッラ・セーラ、2月9日)。

この調査は、スペイン、イタリア、フランス、スウェーデンの男女5429人を対象としたもの。

それによると、一日に10回以上キスをする男の割合は、イギリス人は1%、イタリア人は7%、スペイン人は44%で、スペイン人の数字は圧倒的だ。

また、肉付きの良い唇が魅力的かどうかを尋ねたところ、スペイン人男性は、「はい」が72%に対し、イタリア人は50%に達しなかった。

これをエロスの危機と捉える人もいるし、イタリア人はしばしば頬に軽くキスをするので、その方が衛生的と考える人もいる。

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2006年2月15日 (水)

リッチャレッリ、ピッポ・バウドと復縁か?

ソプラノ歌手カーティア・リッチャレッリは、離別していた元夫でタレントのピッポ・バウドに、メディアを通じ秋波を送っている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月8日)。

リッチャレッリとバウドは、1985年に結婚したが、その関係は約20年間たった2004年に終わりを迎えた。

リッチャレッリによると、離別に至る数年は、互いに無関心で、口もきかなかった。しかし、離れて冷静になって、考え直したということのようだ。

彼女は、「彼とともに年をとれれば嬉しい」と述べている。

離婚に至る訴訟の過程では、敵意をむきだしにして、インポテンツァなどへの言及もあったというが、それでも復縁はなるのだろうか。

一番最近に二人が電話をしたのは、クリスマスの挨拶と、誕生日のお祝いだという。リッチャレッリ:「私の誕生日は、1月16日なの。結婚記念日の2日前なのよ」

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2006年2月14日 (火)

シチリアで1万8千人の不規則雇用

シチリアで1万8千人の不規則雇用が生まれる。州および県が中心になって雇用するもので、地元では歓迎されている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月8日)。

これは、5年間という年限を決めて、1ヶ月900ユーロ(12万6千円)で、週24時間労働。ただし、今、効力を発生したものの、次の総選挙および地方選挙まで有効ということで、次の総選挙はもう目の前の4月9日なのである。つまりこれを継続するかどうかは、次の政権次第ということなのだろう。

1万8千人の県別の内訳は次の通り

アグリジェント 1923人
カルタニセッタ 482人
カターニャ   1472人
エンナ      739人
メッシーナ   3038人
パレルモ    5045人
ラグーザ     853人
シラクーサ    707人
トラーパニ   1741人

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Unipol の株価上昇

Unipolの株価が上昇した。これまで買い占めてきたBnl銀行の株式をフランスのBnpパリバ銀行に譲渡し、大幅な譲渡益を得た(コリエレ・デッラ・セーラ、2月7日)。

UnipolはBnl銀行の株式を買い占め、株式公開買い付けをしようとしていたわけだが、イタリア中央銀行から許可がおりず、結局、その株式をパリバ銀行に譲渡することになった。そこで、6,98%の株価上昇の恩恵をこうむることになった。

こうして、Unipolは手元に大量の資金(30億ユーロ以上)を得ることもあって、Unipolの株価は上昇した。市場からは、Unipolが、次の一手として、どこを買収するのか、どこと提携するのかが注目されている。

有力なシナリオの一つはモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行(MPS)との提携を強化することだ。そして、Banca Popolare Italiana(イタリア国民銀行)を共同で、獲得することである。

ただし、モンテ・デイ・パスキの方は、UnipolがパリバへBnlを売却するにあたって、パリバが Finsoeという投資会社の4,5%を所有することになるのに不快感をしめしている。FinsoeはUnipolの32%を持つ大株主である。Finsoeに対する最大の出資者は、Coop系の持ち株会社Holmoで51%を持っている。

Unipolとパリバの話し合いで、HolmoがFinsoeの4,5%をパリバに売ることになり、そうするとパリバはFinsoeの理事会にポストを持つことになる。モンテ・デイ・パスキのジュゼッペ・ムッサーリもFinsoeの会長カンパイーニも、勝手にそんなことを決められては、ということでUnipolに説明を求めている。MPSとUnipolの関係がどうなるのかは、予断をゆるさない。

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Olimpia とHopa 離別か

Olimpiaを中心としたシンジケート(証券引受団)の契約が切れる(コリエレ・デッラ・セーラ、2月7日)。

Olimpiaはテレコムの18%を支配する巨額な資金を動かす会社であるが、Pirelli(タイヤ会社)系である。ピレッリがOlimpiaの57、7%を支配している。その他、ベネトン家がOlimpiano16,8%を所有している。あとはEdizione Holdingが16,8%、Banca IntesaとUniCreditoが4,7%ずつ、となっている。

このシンジケートは、Pirelli,Edizione Holding, Banca Intesa, UniCredit によって2003年に締結されたが、2006年5月8日に期限が切れる。

Hopaはブレーシャの投資会社であるが、HopaはOlimpiaの16%を持っている。このシンジケートが切れたあとは、Olimpiaが買い戻すかもしれない。

また、HopaとOlimpiaは、Holinvestという会社に共同出資していて、Hopaが80,1%、Olimpiaが19,9%の割合だが、Holinvestはテレコムの3,7%を所有している。この関係も清算されるのかもしれない。

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2006年2月12日 (日)

イスラム世界のキリスト教徒

トルコで殺されたアンドレア・サントーロ神父に関し、ヴァティカンは、「主のために、自らの血を注いだ」司祭として誇りに思うとしている。アラブを中心としたイスラム教徒の世界にキリスト教徒がどれくらいいるのかが紹介されている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月6日)。

モロッコ キリスト教徒0,5% カトリックは2万4千人

アルジェリア キリスト教徒0,5% カトリックは数百人

チュニジア キリスト教徒0,2% 教会数は12

リビア キリスト教徒1,7% トリポリに司教がいる

エジプト キリスト教徒8-16% 大多数はコプト教徒

スーダン キリスト教徒44,7% カトリックは400万人   南部で宣教師が働く

トルコ キリスト教徒0,5% 洗礼を受けたカトリックは           3万3千人

シリア キリスト教徒7% 大多数はギリシャ正教徒 カトリックは41万人

レバノン キリスト教徒34-41% 大多数はマロン教徒とギリシア正教徒

パレスティナ キリスト教徒1,1-2,4% 大多数はギリシア正教徒とカトリック

ヨルダン キリスト教徒3-4% 大多数はカトリックとギリシア正教徒 教会と伝道会がある

サウジアラビア キリスト教徒4,8%

イエメン キリスト教徒0,15% アデンに三つの教会

オマーン キリスト教徒3,8% 2つの教会

アラブ首長国連邦 キリスト教徒7,3% 24の教会

カタール キリスト教徒 1,5% 5月にドーハに6教会の   建立が決定された

イラク キリスト教徒2,7ー3,5% 大多数はネストリウス派、カトリック教会もある

イラン キリスト教徒0,1-0,6% 大多数はアルメニア人

アフガニスタン キリスト教徒0,01% 数百人

パキスタン キリスト教徒 2,5% カトリックは120万人

バングラデッシュ キリスト教徒0,8%

インドネシア キリスト教徒13% カトリックは6-7百万人       

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トルコで、イタリア人神父殺される

トルコのトラブソンで、その町唯一のカトリック教会の司祭がミサの直後に、ピストルで撃たれ、死亡した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月6日)。

犠牲になったのは、アンドレア・サントーロという58歳のイタリア人神父。キリスト教とイスラム教の対話を促進しようとして「中東の窓」(Finestra per il Medio Oriente)というホームページも作った人だった。

ミサの直後、祭壇の前で、神父を二発の銃弾が襲った。一人のイタリア人女性と二人のトルコ人の目撃証言によると、犯人は16,7歳の少年で、アラーの名を唱えて逃げていったという。

トラブソンの警察はすでに少年の名を把握し、行方を追っている。

宣教師が殺された例は、1944年からだと100人を越えており、2000年からだと18人にのぼるという。

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風刺漫画とヴァティカンと風刺漫画家

イタリアでも、マホメットの風刺漫画とそれに対する抗議活動に関し、様々な立場からの言及が出てきた(コリエレ・デッラ・セーラ、2月5日)。

チャンピ大統領は、自由を行使するときには、責任の感覚を喚起すべきだと言った。なぜなら、表現の自由とともに宗教の自由もあるからだ。

ヴァティカンは、あれらの風刺画は「容認しがたい挑発」であるとし、また一方で、それに責任のない機関や国家への「激しい」反応も、「同様に嘆かわしい」としている。

外務大臣のフィーニは、表現の自由と神の冒涜の境界は、非常に微妙であることに注意を払わねばならないとしている。

風刺画家たちの意見は割れている。スタイーノは醜悪だが、出版すべきという意見。ジャンネッリは、「良識が勝つべきだ。あれらの風刺画はイスラム教徒の宗教的感情を害することを認めねばならない」との立場。

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2006年2月11日 (土)

カポレットの大敗

第一次世界大戦においてイタリアは、最初は中立の立場をとっていたが、1915年に英・仏・露の側について参戦した。だが、装備において劣るイタリア軍は、1917年10月、ドイツ・オーストリア軍にカポレットで大敗する。カポレットからの大敗走についての本が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、2月4日)。

これまでの歴史家は、一般に、第一次大戦は、前線と後方、軍隊と市民の生活が截然と分かれていた最後の戦争であると規定してきた。

ところが、Daniele Ceschinの新著『カポレットの亡命者ー第一次大戦時のイタリアの難民』(Laterza,2006)によると、カポレットの敗北で逃げてきた人がいたのは、その直接の後方だけではなくて、ミラノ、フィレンツェ、トリノ、ボローニャそしてローマ、ナポリ、はてはプーリアやカラーブリア、シチリアの集落にまであったという。

ミラノ市およびミラノ県だけで、5万人が避難してきたというのだ。

カポレット(現在のスロヴェニアに位置する)からずっとドイツ・オーストリア軍がイタリアの中に攻め寄せてきたわけだが、それを避けて、イタリア東北部から、中部、南部に人が押し寄せてきたわけである。

中部や南部では、地元民が数百、数千という集落に、避難民が数十、数百と流れてきたというから比率としては相当なものだ。

カポレットから1年後のヴィットリオ・ヴェネトでの勝利まで、まさにイタリアでは国内難民が大量に発生し、多くの町では文字通りその難民と共存しなければならなかったのである。

学校や修道院、ホテルや倉庫などが収容するために利用されたが、半数以上の人があふれ、家を借りねばならなかったわけだが、法外な値段を要求されることもあったという。

オルランド内閣は、戦争中のことゆえ、その避難民たちを「一つで分割できぬイタリアの英雄」として扱ったが、実際の彼らの出くわした状況はそれにはほど遠かった。

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2006年2月10日 (金)

Unipol, Bnl の株式をBnpパリバに売却

保険会社Unipolはこれまで買い占めてきた国民労働銀行(BNL)の株式を、フランスのBNPパリバ銀行に売却する(コリエレ・デッラ・セーラ、2月4日)。

イタリア中央銀行からのBNLに対する公開株式買い付けに対する最終的なNoをうけて、パリバ銀行への売却が決まった。

BNPパリバ銀行は、フランス第一の銀行であり、ヨーロッパでも第一級のレベルという。

BNPパリバは、Unipolおよびその仲間が買い集めたBNL銀行の48%の株式を、1株2,925ユーロで買い取る。これは、スペインのビルバオ銀行が計画していたBNLに対する公開買い付け金額2,7ユーロ(実際にはこの買い付けはまだ開始されていなかったわけだが)よりも高い。

Unipolの新会長ピエルルイージ・ステファニーニはこの結果に満足している。

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ロマーノ・ムッソリーニ死去

ベニート・ムッソリーニの生存していた最後の子供ロマーノ・ムッソリーニが死んだ。79歳であった(コリエレ・デッラ・セーラ、2月4日)。

ロマーノの運転手ドメニコ・ベンナルドによると、先月にはプレダッピオに行き、父ベニートと母ラケーレの墓参りをしたという。

ロマーノはチェット・ベイカーとも競演した世界的なジャズ・ピアニストで、一月前には、ニュー・オーリンズでコンサートを開いたし、今月も戻る予定だったという。また絵も描いたようだ。

他の兄弟姉妹も楽器に興味があったようで、エッダはチェロを、兄ヴィットリオはバンジョーを弾き、ブルーノはトロンバを吹いた。

ロマーノは、政治からは遠ざかったままで、ネオファシスト政党のMSI(イタリア社会運動党)の党員にも一度もならなかった。

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2006年2月 9日 (木)

イタリアで『俳句大全』出版される

イタリアで俳句の本格的な本が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、2月3日)。

《Il grande libro degli haiku》(『俳句大全』とでも訳せるだろう)(Irena Storace編、1516ページ、Castelvecchi、2005)という本で、松尾芭蕉から蕪村、一茶だけでなく、20世紀の荻原井泉水、村上鬼城、金子兜太にいたるまで掲載されているというから本格的なものだ。

同じく2005年に、《Il romitaggio della dimora illusoria-Il sentiero deell'Oku》(「幻住庵の記」と「奥の細道」であろう)がSEという出版社から出ている。

英米文学では、Eliotや特にPoundが俳句の影響を受けて短い詩を書いた(イマジズム)のだが、イタリアではザンゾットが俳句の影響を受けているという。

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ガウッチ、ペルージャから大金を不正に引き出す?

サッカー・チーム、ペルージャの元オーナー、ルチャーノ・ガウッチがチームから大金(1億ユーロ前後と見積もられている)を引き出した疑惑がもたれている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月3日)。

ガウッチといえば、中田やブラージをはじめ、優秀な選手を早めに見抜き、ローマやユヴェントゥスといった大きなチームに高値で売って儲ける辣腕経営者として名をはせていたが、その取引きで、選手には裏金で支払ったのではないか、などの疑惑がもたれている。

ガウッチの息子たちと兄弟は逮捕され、取り調べを受けている。

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ナチス、ファシズムのシンボル使用で11人告発

サッカーのセリエAローマ対リヴォルノの試合(1月29日)で、ローマの応援団の一部がナチスやファシズムのシンボルを描いた旗、反ユダヤ主義の横断幕を掲げたが、それに対し11人が告発された。

11人は、"Tradizione e Distinzione (伝統と区別)”という極右団体に所属していて、その団体はForza Nuovaというアレッサンドラ・ムッソリーニの影響下にある団体と結びついているとされる。

ピザーヌ内務大臣の見解では、彼らは、ローマの熱烈なファンというよりは、政治組織の一員なのである。

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元検察官の立候補

1990年代の汚職捜査作戦Mani puliteを指揮した元検察官ジェラルド・ダンブロージョを左翼民主(党)が、上院議員候補として担ぎ出したことが話題を呼んでいる(コリエレ・デッラ・セーラ、2月3日、2月4日)。

ベルルスコーニ首相は総選挙が近づいたこともあって、左翼民主(党)攻撃を強めているが、ダンブロージョの立候補をもって、「赤い検察官」のいる証拠と息巻いている。

ただし、数の多寡の違いはあるものの、中道左派からのみでなく、中道右派にも、裁判官・検察官出身の国会議員は少なくない。

1994年から現在のところで比較すると、中道左派の場合、元裁判官・検察官で、選挙区で選ばれた議員、20名。比例選挙区などで直接選ばれていない議員、18名。

同じく中道右派は、選挙区で選ばれた議員、17名(そのうち2名は中道左派に移った)。比例選挙区などで直接選ばれていない議員、4名である。

しかし彼の立候補は、中道左派陣営にも波紋を拡げている。社会民主党のボゼッリは言葉を失うと言い、共産主義再建党のベルティノッティも驚きを隠せぬ様子だ。

ダンブロージョは検察を引退して3年が経過しており、今回の騒ぎは、ディ・ピエトロ(彼も検察から国会に転じた)と並んで Mani Pulite 作戦のシンボルだったダンブロージョの存在の大きさを示しているとも言えよう。

訂正:社会党のボゼッリと書いてしまいましたが、社会民主党のボゼッリと訂正します。

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2006年2月 8日 (水)

ロッシ、素早い上達

モトGPの王者ヴァレンティーノ・ロッシは、スペインのヴァレンシアでF1の走行テストに参加し、タイムをみるみる間に縮めた(コリエレ・デッラ・セーラ、2月2日)。

ロッシは、フェラーリの旧型車F2004V10にのって51周した。フェラーリの新型は、ルール変更に伴い、V8になる。

ロッシは、慎重に出発し(前日は、路面の悪条件もあって、20秒走っただけで、コースから飛び出しリタイア)、タイヤはインターミディエイトを履いた。路面がすっかり乾ききっていなかったからだ。

最初は1周1分25秒340。このタイムはよろしくない。シューマッハのスタートは1分13秒850。

しかしそこからどんどんとタイムを縮めていった。最後は、シューマッハが1分11秒831でその日の三位。アロンソが1分11秒219、バトンが1分11秒327である。ロッシは1分12秒856であり、シューマッハからほぼ1秒遅れ。

これを見たベテラン・ドライバー(パイロット)の感想。ジャック・ヴィルヌーヴは、「バイクをやめて、われわれの仲間入りすべきだ」

ロッシの乗った車は、前述のように、シューマッハのと同一タイプでないので、それがロッシのタイムにとって有利であったかどうかは微妙なところだ。

同じ車での比較が出来る機会を期待したいところである。

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2006年2月 7日 (火)

悪魔崇拝のカルトに有罪

悪魔崇拝のカルト「悪魔の獣」のメンバー全員に有罪がくだった(コリエレ・デッラ・セーラ、2月1日)。

彼らが有罪になるまでにはいろいろな事件が起こっている。1998年1月には、ファビオとキアーラが惨殺されている。彼らの行方は6年間、謎であったのだ。

2004年にはマリアンジェラ・ペッツォッタが殺された。遺体の顔面は激しく損傷していたという。

メンバーの一人アンドレア・ボンターデは、ボスのニコラ・サポーネから命ぜられ、自動車に乗って、時速180キロで壁にぶつかり自殺している。

ニコラ・サポーネは無期懲役に、その他のメンバーは懲役24-26年が言い渡された。

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ローマのウルトラ

サッカーのセリエAの人気チーム、ローマが一部の過激なファン(ウルトラ)のために、処分を受けることになった(コリエレ・デッラ・セーラ、1月31日、2月1日)。

ローマの一部の極右のファンが、ストゥディオ・オリンピコでの試合で、ゴール裏(クルヴァ)に、鉤十字や、ケルト十字(○に十字を交差したもの)などファシズムやナチズムのシンボルを表わした旗や反ユダヤ的スローガンをかかげた旗を掲げた。

ローマの過激なファンの中には、かつては左派も右派もいたようだが、それが何とかまとまって応援を展開していた。それが、分裂騒動などをへて、1990年代により暴力的なグループに主導権が移ってしまったようだ。

今回の騒動に対し、警察トップのジャンニ・デ・ジャンナーロは、すべての県警察本部長に、警戒を強め、重大な事故(スタジアム場外も含む)が発生した場合には試合を中止するよう呼びかけた。

ローマは処分をうけ、カリアリとの試合は、どちらの地元でもない場所で、観客無しで行うこととなった。

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2006年2月 6日 (月)

フィアット、自動車部門、黒字に

フィアットの2005年最終四半期が黒字になった。4年ぶりのことである(コリエレ・デッラ・セーラ、1月31日)。

2005年通年では、2億8100万ユーロの赤字であるが、これも、2004年の5億4100万ユーロから大幅に改善している。

最終四半期は2100万ユーロの黒字。

中道左派のリーダー、プローディはイタリア経済全体にとって良いニュースだと歓迎している。

労働・社会政策大臣のロベルト・マローニは、ポジティヴなデータであると認めている。

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バザーリア法見直しのポイント

バザーリア法の見直し案が、厚生委員会で審議される。特に鬱病患者の治療体制が問題とされている(コリエレ・デッラ・セーラ、1月31日)。

バザーリア法(180号法)は、フランコ・バザーリアが推進した法律で、精神病棟を閉鎖し、患者はコミュニティの中で生活しながら、治療を続けるという体制づくりを目指したもので、1978年5月13日に成立した。

現在、問題になっているのは、鬱病患者で、イタリアには200万人以上いると言われている。しかしながら、10人に1人しか公的機関で専門的な治療を受けていない。だから、診断が2-3年遅れてしまうのである。

推定では、50万人の患者は、家庭医の診療を受けている。

今回の委員会では、家族の会、ボランティア、医師、厚生大臣ストラーチェの意見が聴取された。

今日の公的サービスは、もっぱら統合失調症や深刻な精神病に向けられており、鬱病への対処を強化するのが喫緊の課題である、というのが報告書の趣旨である。

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政治家の麻薬体験

フィーニ副首相が、かつて麻薬体験があるとテレビ番組で告白したことが反響を呼んでいる。フィーニ副首相は、先日、麻薬取締りを強化する法律を提案し、上院で可決したばかりだから、なおさらのことである(コリエレ・デッラ・セーラ、1月31日)。

ジャンフランコ・フィーニ副首相は、RAI3のテレビ番組で、ファビオ・ファツィオのインタビューに答えて、かつてキューバでマリファナ(またはハシシュ)のタバコを吸ったことがあると明らかにした。

これをきっかけに他の政治家にも麻薬体験の有無に関する質問がなされたが、国民連盟のヴィヴィアーナ・ベッカロッシはたとえ、あっても言わない、との回答。フォルツァ・イタリアのガエターノ・ペコレッラは、1968年に、まわりの連中同様にためしたことがあると述べた。

また、下院議長のフェルディナンド・カジーニは、1971年(35年前)に、16歳のとき、友達と一緒に、草原の上で吸ったことがあると告白した。

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ピレッリ、映画に進出

タイヤ・メーカーのピレッリが映画製作に進出する(コリエレ・デッラ・セーラ、1月30日)。

ピレッリはタイヤの他に、女性を派手にフィーチャーしたカレンダーを作っていることで有名だが、今度は映画製作に乗り出した。

最初の映画のタイトルは《The Cal》。主演は、ジョン・マルコヴィッチとモデルのナオミ・キャンベル。監督は《キング・アーサー》のアントワーヌ・フォークワ(フークワ)。

ローマやヴァティカンを舞台にしており、善と悪の闘いがテーマであるらしい。

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2006年2月 5日 (日)

ミラノ市長予備選の結果

ミラノ市長予備選の結果が明らかになった。主要政党の支持を得たフェッランテの圧勝であった(コリエレ・デッラ・セーラ、1月30日)。

中道左派の中で、ミラノ市長選の候補者を決める予備選は、四人の候補者がいたが、勝利をおさめたのは、ブルーノ・フェッランテ。彼は、左翼民主(党)、マルゲリータ等の主要政党の支持があった。

投票者は約8万人。4万1千票開票時点で、ブルーノ・フェッランテの得票率は、67,6%。ノーベル賞作家のダリオ・フォは、23,6%。環境保護主義者のミリー・モラッティが5,6%。経済学者のダヴィデ・コッリトーレが2,1%。

これで、ミラノの市長選は事実上、中道右派のレティツィア・モラッティと中道左派のブルーノ・フェッランテの一騎打ちということになる。

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ベルルスコーニ、貞潔の誓い

イタリアのベルルスコーニ首相は、総選挙の投票日4月8日まで、純潔?を守ると誓った(コリエレ・デッラ・セーラ、1月30日)。

何かに誓願をするため、貞潔の誓いをたてるというのは、カトリックの聖職者を想起させる身振りであるが、日常のベルルスコーニ首相のイメージとはほど遠いものである。これも、一つの選挙キャンペーンなのであろうが、カトリック票がねらいなのだろうか?

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故国では評価の低いダ・ポンテ

モーツァルト年にちなんで、彼のオペラのリブレットを書いたダ・ポンテの作品集が出版される(コリエレ・デッラ・セーラ、1月29日)。

ダ・ポンテと言えば、ヴィーンのハプスブルクの宮廷、ヨーゼフ2世のもと、宮廷詩人となり、モーツァルトやサリエリのオペラの台本を書いたことが知られているが、それ以外は案外知られていない。

生まれたのは、1749年、チェネンダ(現在のヴィットリオ・ヴェネト)で、その時の名はエンマヌエル・コネリアーノ。父はユダヤ人の皮なめし職人であった。1763年カトリックに改宗し、洗礼を授けてくれた司教の氏名をもらい、ポルトグルアーロに移り、セミナリオで学ぶ。 

1773年司祭に叙階される。1774年ラテン語と雄弁術の教師となり、ルソーに触発された論文を書く。1779年ヴェネツィアに移り、詩人となる。

1780年ドレスデンに移り、宮廷のために書く。1781年、メタスタージオが亡くなる数ヶ月前に、ヴィーンに移り、宮廷詩人としてオペラの台本を書く。『フィガロの結婚』(1786)、『ドン・ジョヴァンニ』、『コジ・ファン・トゥッテ』(1790)は三大傑作である。

1792年、ヴィーンから追放される。ロンドンで、本屋と印刷業を営み、イタリア文学の古典、アリオストやタッソを広める。

1805-38年、アメリカに渡り、ニューヨークとフィラデルフィアで、靴直しや食料雑貨商を営み、その後、ニューヨークのコロンビア・カレッジでイタリア語の教授となる。

1821年に、イタリア語の古典、ダンテやペトラルカを普及する目的でマンハッタン・アカデミーを創設する。1838年、ニューヨークで死去。

今回、出版されるのは彼の選詩集で、編者はLorenzo della Cha’、出版社は Il Polifilo。これまで、イタリアの詩華集にダ・ポンテはほとんど収められなかった。

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2006年2月 4日 (土)

信仰のない結婚

教皇ベネデット16世は、増加する結婚無効の申し立てに対し、信仰のない結婚を無効にするという新たな方策をとることになるようだ(コリエレ・デッラ・セーラ、1月29日)。

カトリックの場合、教会で結婚式を挙げると、原則として離婚できない。結婚が神に誓った秘蹟の一つであるからだ。そのため、事実上の離婚に相当するのは、もともとその結婚が何らかの事由で無効であったという訴えを教皇庁控訴院(Sacra Rota)に対して起こし、それが認められるということであった。

そういった結婚無効の訴えは、年々増加している。1995年には未解決の訴えが840件であったものが、1997年には、890件、2000年には1022件、2001年には1055件、2003年には1063件、2004年には1054件となっている。

2004年の1054件のうち、623件はイタリア国内のもので、299件はラツィオ州のものだという。

この累積し、増加する婚姻無効の訴えを解決する理論を、教皇は準備中とのこと。それは、去年の7月にヴァル・ダオスタで教区司祭が唱えた前例があるのだが、当事者たちは、教会で結婚したが、それは伝統にのっとってそうしたのであり、本当に信仰があったわけではなかった、その後、信仰に目覚め、秘蹟から疎外されていると感じるようになった、という理屈である。

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ダリオ・フォ、ミラノ市長予備選に出馬

ノーベル賞劇作家兼俳優のダリオ・フォがミラノ市長の予備選に出馬する(コリエレ・デッラ・セーラ、1月29日)。

この予備選は、中道左派の中で行われる予備選で、立候補者は4人。

ダヴィデ・コッリトーレは経済学者。ブルーノ・フェランテは、元県知事で、左翼民主(党)やマルゲリータの支持がある。ダリオ・フォは共産主義再建党の支持を得、「私は穏健派ではない」というスローガンを掲げる。

ミリー・モラッティは環境保護派だが、レティツィア・モラッティ(公教育大臣で、中道右派のミラノ市長候補!)とは義理の姉妹。

4人は予備選への投票を呼びかけたが、昨年の全国的な予備選の時のようなブームはむずかしいだろう。去年の10月16日には、10万1千人強のミラノ市民が参加している。

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ミラノとボルツァーノのボランティア

イタリアを寒波が襲った。イタリア北部に雪が降ったのだが、雪かきをするボランティアの数はミラノとボルツァーノではまったく異なることが判明した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月29日)。

ボルツァーノ県はオーストリアと国境を接する南ティロルの山がちな地帯であるが、人口は45万人、市民生活保護のボランティアは1万5千人。ということは、30人に1人の割合でボランティアがいる。

一方、ミラノはヨーロッパを代表する大都市の一つであるが、人口130万人、ボランティアは150人。8700人に1人の割合である。

ミラノのボランティア関連の評議員グイド・マンカも、「われわれの組織の規模は小さい。その上、ボランティアの半数以下しか要請に応えてくれなかった」と認めている。

除雪作業員の募集公示に関しては応募はゼロだった。時給6ユーロ(840円)にもかかわらずである。

ミラノのボランティアは、病院や学校の出入り口の雪かきをした。バイパスで立ち往生してしまった自動車運転手には、暖かい紅茶や毛布を配った。しかしこうした作業に参加したのは、潜在的に参加可能な150人のうち50人に過ぎなかった。

大都市の社会学的問題を指摘する人もいる。トリノの市長セルジョ・キャンパリーノは、「ボランティアが足りないのは、大都市では、自分もその一員なのだという感覚を失っているからでもある」と述べている。

マルゲリータ党のミラノ支部代表アンドレア・ファンツァーゴは、「もっと重大なことが起きたら、大変な困難に直面する。市民感覚の欠如?市民にその重要性を伝えるのは、政治の責任ですね」と答えた。

ボルツァーノはヨーロッパでも最も整備が進んだ所である。13の私設無線を通じ、地震、洪水、火事、薬品や放射線事故に対する警戒警報を流せる仕組みが整っている。雪などものの数ではない。日常茶飯事というわけである。

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イタリアの南部問題

ジュゼッペ・ガラッソの新著『南部問題から南部の開かれた課題へ』(Piero Lacaita editore)が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、1月28日)。

ジュゼッペ・ガラッソの以前にもイタリアの南部が抱える諸問題を取り上げた人は少なくない。

ジュスティーノ・フォルトゥナート(1848-1932)は、リソルジメント(国家統一運動)が南部の孤立状態を破壊したが、それから数十年たっても、南部は「イタリアの病い」のままだ、と考えた。彼は南部の発展は、農業構造の改革にかかっていると考えた。

ガエターノ・サルヴェーミニ(1873-1957)によれば、イタリア南部は、北部の資本主義と南部の大土地所有制(ラティフォンディスモ)の不埒な結託の犠牲者である。

マンリオ・ロッシ・ドーリア(1905-1988)は、南部問題は、まず、「良き政府」と市民社会全体の再生の問題だと考えた。

以上の三人は、本格的な南部問題についての論客であるが、今回その新著を取り上げるガラッソはそうではない。

ヴェネツィアのビエンナーレの監修をつとめたり、文化財省の次官であったりした経歴をもつ、ヨーロッパ現代史家である。

ガラッソは、南部問題は、解決されたわけではないのに、イタリア人全体の関心の外に置かれてしまったと感じている。この問題を語る人は二つに分かれて、一方は、問題が今や解決しつつあると考え、もう一方は、解決不能と考えているようだ。

楽観的な人は、近年のデータをあげる。輸出の好調、中小企業の増加、農業の進展、「プーリア州の小さな奇跡」、カターニャの技術特区、犯罪組織との闘いにおける検察側のいくつかの勝利など。

悲観的な人は、南部に背を向け、他のことを語るのみ。

ガラッソは、楽観的でも悲観的でもない。データで語る。ロンバルディア州やヴェネト州は、単独で、南部すべてを集めたより多くの価値を生み出している。

南部の諸州は、イタリア人口の3分の1を擁しているが、映画、劇場、音楽に使われる費用は、国全体の18%にすぎない。

ヴェネト州のホテルは2000軒以上あるが、南部全体では3200軒にすぎない。

南部問題を国家の指導者たちはどう考えたのだろう?

カブールは、自由が、南部社会の眠れるエネルギーを呼び覚ますだろうと信じていた。

20世紀初頭の南部主義者たちは、移民によって、労働市場のしこりが解消し(人余りが解決し)、南部の発展に役立つだろうと期待した。

20世紀初頭に首相であったジュゼッペ・ザナルデッリは、バジリカータ州を旅した後、特別法が効果的だと信じた。

1919-20年に首相であったフランチェスコ・サヴェリオ・ニッティは、大規模な工業化を推奨した。

ドン・ストゥルツォは、南部にはより大きな独立性が必要だと主張した。

ムッソリーニは、ナポリを工業都市にし、植民地が南部の農民の土地不足問題を解決すると信じた。

グイド・ドルソ、マンリオ・ロッシ・ドーリア、ダニーロ・ドルチその他の人々は、南部問題は何よりも、「良い政府」と市民社会の復興の問題と考えた。

第二次大戦後のエコノミストたちは、農業改革や、インフラ整備や発展の中心地を頼りにした。

ところがこうした処方箋はどれもがうまくいかなかった。南部の病いは治らなかったのである。

追記:以前にも紹介したが、北村暁夫著『ナポリのマラドーナーーイタリアにおける「南」とは何か』はイタリアの南部問題を考えるための好著で、特に二章の「言説としての南イタリア」には、上で紹介された南部主義者の主張が、短いながらも引用を伴って、ほぼ時代順に位置づけられている。

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2006年2月 3日 (金)

イタリア人とイギリス人の昼食時間

イタリア人とイギリス人の昼食時間の調査が実施された。昼食は、どちらの場合も短時間になる傾向が顕著だ(コリエレ・デッラ・セーラ、1月28日)。

イギリスの場合、6ヶ月前の調査では、平均26分だったものが、今回の調査では19分46秒となり、どんどん短くなっている。

しかしイタリアでも、昼食の短時間化は、急速に進んでいる。15年前には、平均1時間53分であったものが、現在は約30分に過ぎない。短くなった理由は、調理時間が迅速化したり、仕事場に簡単な調理場を作る人が出てきたからという。

また、以前より多くのイタリア人が、仕事のため昼食を外で食べるようになっている(以前は、昼食のために家に帰る人が多かった)。約220万人が、恒常的にバールやリストランテで食事をしている。

昼食を外で食べる場合の内訳は、次の通り。(合計が100パーセントを越えるので、重複回答を認めていると思われる、以下の質問項目も同じ)。

バール: 29%

ピッツェリア(ピザ屋): 25%

リストランテ: 22%

トラットリア(家族経営の食堂ーなかにはトラットリアという名前で高級レストランもありますが): 19%

メンサ(学校や職場の食堂): 15%

何を食べるか、については次の通り。

コースで食べる: 38%

パニーノ(丸形パンのサンドイッチ):33%

パスタ: 20%

肉または魚と付け合わせ: 16%

サラダ: 12%

食事時の飲み物は次の通り。

ミネラル・ウォーター:78%

エスプレッソ: 23%

ワイン:     20%

ノン・アルコール飲料: 18%

ビール: 15%

また、1993年には、家での食事と外での食事に使う費用の比率は、74,2%対25,8%であったものが、現在は、69,1%対30,9%になっている。予想では、20年後には、50%対50%になっているだろうとのこと。

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2006年2月 2日 (木)

世論調査

支持政党を調べる世論調査が実施された。1603人を対象とし、回答率は85パーセント。誤差2,5%(コリエレ・デッラ・セーラ、1月28日)。

質問は、「明日総選挙があるとしたら、どの党にいれますか?」というもの。

まず中道右派

フォルツァ・イタリア 20,5%

国民同盟   12,5%

キリスト教民主同盟 6%

北部同盟        4%

その他の中道右派  4%

中道右派の合計  47%

中道左派は、というと

左翼民主(党)   23%

マルゲリータ    9,5%

共産主義再建党 8,5%

緑の党        2%

価値あるイタリア党(ディ・ピエトロが率いる)2%

握り拳のバラ党(急進自由社会主義)1,5% 

その他の中道左派    5%

中道左派の合計   51,9%

また、「2006年の選挙ではどこが勝つと思いますか?」という質問には、

中道右派 30%

中道左派 48%

その他   1%

わからない 21%

また、首相シルヴィオ・ベルルスコーニに対する評価を10点で尋ね、6-10をポジティヴ、1-5をネガティヴとすると、

ポジティヴ 37%

ネガティヴ 61%

わからない 2%

となっている。

全体としては、中道左派有利であるが、先月の調査と比較すると、中道右派が追い上げつつある。

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政治家と学歴

ベルルスコーニが、中道左派に対して、学歴で挑んだ。左派のある者は大学を卒業していない、と言い放ったのである(コリエレ・デッラ・セーラ、1月28日)。

学歴が政治にとってどれほどの意味を持つかは別として、ベルルスコーニはご自分の法学における学士号がご自慢なのである。

中道左派ロマーノ・プローディは、少しもひけをとらない。ミラノ・カトリック大での法学士号は手始めである。ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスで研鑽を積み、プローディは25年間大学で教鞭をとった。ボローニャ大、ハーヴァード大、スタンフォード・リサーチ・インスティテュートなど。

ここで苦い思いをするかもしれないのは、左翼民主(党)のダレーマで、彼はピサのノルマーレ(高等師範学校)で卒論の前にやめてしまった。

マルゲリータのルテッリはコッスッタと同様、高校卒業で終えている。

ヴェルトローニは映画学校卒業。

プレスティジャーコモは外国語高校卒業。ストラーチェは理系高校卒業。フォッリーニは、文系(古典)高校卒業。

下院議長のカジーニは、法学部卒業、上院議長のペーラは、文学部卒業、大臣では、ピザヌは農学部、フィーニは心理学、モラッティは政治学、ジョヴァナルディは法学部で指導教授がジュリアーノ・アマート(元首相)。

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コンソルテとアメリカ大使

保険会社Unipolの元会長コンソルテは、BNL銀行の買収に成功したら、その一部は、駐伊アメリカ大使に行くと言っていたことが明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、1月27日)。

ただし、このアメリカ大使が、現大使なのか前大使なのかは明らかではない。

さらに、昨年7月23日の電話(当局に盗聴されている)では、「CIAを知りたい」と言っており、それはまさにアメリカの秘密情報員と知り合いになりたいという意味だという。

Unipolは、Coopや左翼民主(党)と関連が深いので、何故アメリカ大使なのか、CIAなのか、謎は深い。

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2006年2月 1日 (水)

イタリア、麻薬の規制強化

イタリアで麻薬の取締りを強化する法案が上院を通過し、下院にかけられる(コリエレ・デッラ・セーラ、1月27日)。

この法案によると、麻薬にソフト・ドラッグとハード・ドラッグの区別がなくなる。ヘロイン、大麻、コカイン、LSD、エクスタシーどれもが麻薬というくくりになる。

ただし、マリファナの巻きたばこ一本で刑務所に入れるというつもりはないのだが、法案では「個人的使用」については触れられていない。それについては、保健省の通達で規定する予定で、予想では、

 10-20本の巻きたばこ

 4-6回分のコカイン

 8袋のヘロイン

 3-4錠のエクスタシー

となる模様。

これを越えている場合、売人としてであれ、消費者としてであれ、罰せられる。

売人の場合、懲役6-20年。罰金2万6千から26万ユーロ。個人的使用の目的でなく、買ったり、保有するものもこれに同じ。

消費者は、運転免許の取り消しから、パスポートの停止、再犯の場合には、週に二回警察に出頭の義務まである。

ただし、懲役6年以下の薬物中毒者には、刑務所にかわる選択肢も認められる。公的サービスのもとで、または認証された私立の施設で、治療プログラムをうける。公益になる労働、自宅監禁。

私立の施設というのは、Sert(Servizio tossicodipendenze)と呼ばれるもので、ある種のコミュニティーを作って、薬物中毒者の更生をはかっている。このような施設はイタリアに約500あるという。

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