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2006年1月 3日 (火)

第二ヴァティカン公会議をめぐる二つの立場

第二ヴァティカン公会議をめぐってはいまだに二つの相反する立場があるが、教皇ベネデット16世は、公会議を受け止める困難さを認めつつ、現在との連続性をも表明した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月23日)。

第二ヴァティカン公会議は、ローマ・カトリック教会にとって、ある意味では、革命的であった。公会議についてあらましを辿ってみよう。

1959年1月25日、ジョヴァンニ23世は、第二ヴァティカン公会議の招集を宣言した。これは、世界の変化を前にして、教会に対しあらたな展望を求めた教皇の意図によるものであった。

1962年10月11日、教皇はサン・ピエトロで正式に第二ヴァティカン公会議を開いた。4回の会期に、将来の教皇3人が加わっていた。司教アルビーノ・ルチャーニ(後のヨハネ・パオロ1世)、カロル・ヴォイティワ(後のヨハネ・パオロ2世)、若き神学者ジョゼフ・ラッツィンガー(現教皇)である。

ローマでの会議には、世界中から2856人の神父が集まり、16の公文書を発布した。すなわち、4つの憲章とそれに基づいた9つの教令(decreto) (「司教司牧教令」、「司祭養成教令」など)、3つの宣言(「キリスト教教育宣言」「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」など)である。

ジョヴァンニ23世は1963年6月3日死去した。公会議は、彼の後継者パオロ6世に受け継がれ、公式には、1965年12月8日に閉会した。

この会議は、教会のあり方を根本から考え直し、現代化するという目的であったため、一方で驚きと感激、他方で当惑、反発を招き、その対立は今に及んでいるようだ。

公会議が終わって40年が経過したところで、教皇ラッツィンガーは、公会議の受容(受け入れと適応)には困難が伴うと認めつつも、改革の考え方には、継続すべきところもあり、決して断絶とは言えないと論じたのである。

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