カラマンドレイとファシズム下の民事裁判
第二次大戦中レジスタンス運動のリーダーの一人であったピエロ・カラマンドレイが、ファシズム下で民事訴訟法改訂(改悪)に関わっていたことが新たに問題視されている(コリエレ・デッラ・セーラ、1月25,26日)。
この論争は、カラマンドレイの『レジスタンスの男たちと都市』の復刊がきっかけである。
カラマンドレイ(1889-1956)は、法律家、政治家で、1940年の民事訴訟法の改正に関わった。その法律は時の法務大臣ディーノ・グランディが署名した。
カラマンドレイの法律の文案作成への関わりが、単に技術的なものであったのかは議論が分かれている。
バーリ大教授(民事訴訟法)のフランコ・チプリアーニによると、1940年の民事訴訟法は、すぐれてファシスト的であった。被告・原告の権利を削減し、裁判官の自由裁量権が非常に大きく、(256条によると)証人の逮捕すらできたのだ。
この改悪の結果は破滅的なものだったという。こういったことに、カラマンドレイは責任があったのだろうか。むしろ、改悪を最小限にとどめるべく尽力したという意見もある。
カラマンドレイは1943年になって、抵抗運動に身を投じることになるが、武装闘争には常に懐疑的であったようだ。
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