ムッソリーニの婿チャーノ
セルジョ・ロマーノが読者の手紙に答えて、ムッソリーニの婿であり、外相であったガレアッツォ・チャーノについて評している(コリエレ・デッラ・セーラ、1月17日)。
チャーノは外相の時代、日記をつけていた(Rizzoliの文庫本で読むことが出来る)。日記によると、1939年8月にナチス・ドイツのリッベントロップ外相とザルツブルクで会談し、ドイツが戦争に突き進むことを確信した。もともとはチャーノは親独派であったのだが、このころから反独派に変わっていく。
その後、チャーノ(ムッソリーニの娘エッダの夫でもある)は、ムッソリーニに戦争に介入すべきでないと説いた。
チャーノの友人でリヴォルノの《テレグラフォ》というチャーノ一家の新聞の編集者ジョヴァンニ・アンサルドによると、チャーノは次第に、後世に外相としてよりも、慧眼の備忘録作者として記憶されることを望むようになった。
知的で、見栄っ張りで、高慢でもあったチャーノは、彼の「秘密の日記」のことがローマ中で話題だと警告すると、ご満悦であったというのだ。
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