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2006年1月18日 (水)

鉄の男爵、リカーソリ

セルジョ・ロマーノが読者の質問に答えて、イタリア第二代の首相、ベッティーノ・リカーソリについて解説している(コリエレ・デッラ・セーラ、1月12日)。

リカーソリは、同時代人には、「鉄の男爵」と呼ばれたが、二面性を持っていた。一方で、封建領主で、旧体制のもとで自分の農場から収入を得ていた。

他方で、近代主義者で、ヨーロッパ農業の発展を注意深く見守り、彼の領地ブローリオ(シエナ郊外にある)に、効率化を進めるあらゆる革新を取り込もうとした。

自分の信念にもとづき、新国家イタリアの中央集権につくした。カヴールの死後、首相となり、マルコ・ミンゲッティが意図していた市町村に独立性を持たせる計画を退けた。

旧両シチリア王国の総督を廃した。行政制度を統一した。ローマ教会に対しても積極的に働きかけた。信仰あついカトリックであったが、教皇領から世俗的権力を取り上げ、教会を精神的に解放した。

また君主制支持者であったが、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の政治介入とは衝突した。

ジョヴァンニ・スパドリーニが書いているように、「トスカーナの保守派(リカーソリ)は、リソルジメントを書く歴史家が考えるより、リグーリアの革命家(マッツィーニ)に近い。両者は、出発点はまったく異なるが、権力につくことを使命であり聖職であると考え、国家を、根本的に道徳的な発想で支えられた一種の宗教的コミュニティーであるとみなした。イタリアの政治的再生を、イタリア人の宗教革命の条件と見なした・・・」。

リカーソリは1809年3月9日フィレンツェ生まれ、1861-62年に首相をつとめ、1880年10月23日にブローリオで亡くなった。

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