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2006年1月 4日 (水)

コッリーナ、沈黙を破る

サッカー界で最も評判の高い審判であったピエルルイージ・コッリーナが4ヶ月の沈黙を破った(コリエレ・デッラ・セーラ、12月24日)。

コッリーナは2005年2月に45歳になってイタリア・サッカー協会の定める定年に達していたが、同協会は、特例で一年延長を認めることにした。ところが、コッリーナが、ACミランのスポンサーであるオペル社と、スポンサー契約を結んだことが問題視され、コッリーナは審判活動をすっぱりやめてしまったのである。

コッリーナは1960年2月13日生まれ。経済と商学で学位をとり、1991年以来、ヴィアレッジョに住む。妻ジャンナと娘が二人(フランチェスカ・ロマーナとカロリーナ)。

審判活動を開始したのは、1977年。1983年には、23歳で、全国レベルの試合の審判となる。その後、1988年には、セリエCに登場。セリエAへのデビューは1991年12月15日のヴェローナ対アスコリ戦(1ー0)。最後の試合は、コッパ・イターリア(イタリア杯)で、2005年8月21日、パヴィーア対バーリ(5-6)。ただし、12月には、国連をサポートするための特別ゲームで審判をつとめた。

この4ヶ月は、彼にとって一生のように長かったと述べている。自分が何でも勝手にできると考えている、と言われたことが一番つらかった、自分をよく知るものはそんな人間ではないと判っている、とも。

これまでの一番良い思い出は、ワールド・カップの決勝戦で横浜で審判をつとめたこと!で、最悪の思い出は、24歳の時、脱毛症の一種のため、20日間で髪をすっかり失ってしまったこと。そのため、もう審判は出来ないと考えた人もいた。つるつるの審判は、州レベルの試合にもいなかった。2ヶ月活動を停止させられ、ラティーナ(ラツィオ州の都市)から再開した。人々の反応を確かめたかったのだ。

余暇の出来た現在は、バスケットを見たり、MP3プレーヤーをポケットに入れて、ヒップ・ホップやR&Bを聞いているという。しかしそればかりではなく、トッレ・デル・ラーゴで開かれるプッチーニ音楽祭のオペラにも行く。エロス・ラマッツォッティやエルトン・ジョンのコンサートにも行ったことがある。

コッリーナの活躍とともに、審判のイメージ、地位が向上したことは間違いないだろう。

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