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2006年1月31日 (火)

シャイーの手綱さばき

シャイーの『リゴレット』はスカラ座で好評のうちに迎えられた(コリエレ・デッラ・セーラ、1月26日)。

演出のデフロ、舞台装置のフィリジェリオはいつもと同じである。6年ぶりのリッカルド・シャイーをミラノの聴衆は暖かく迎え入れた。

シャイーはアクート(高音)を復活させただけでなく、アリアで、細部までコントロールしようとはしなかった。多くのことを歌手の判断にゆだねた。アクセント、音色、カデンツァの形と長さなどである。

歌手をすみずみまでコントロールするのか、自発性を重視するかという問題で、シャイーは後者でいくということなのだろう。シャイーの選択は、現代の歌手、指揮者、演出家の力関係からいうと望ましい解毒剤になると思う。つまり、1950年代、60年代と較べてみると、現代は、指揮者、演出家のコントロールが強すぎる場合が目につくのである。

ソプラノのアンドレア・ロストに対しては不満をいだいた人がいた模様。

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カラマンドレイとファシズム下の民事裁判

第二次大戦中レジスタンス運動のリーダーの一人であったピエロ・カラマンドレイが、ファシズム下で民事訴訟法改訂(改悪)に関わっていたことが新たに問題視されている(コリエレ・デッラ・セーラ、1月25,26日)。

この論争は、カラマンドレイの『レジスタンスの男たちと都市』の復刊がきっかけである。

カラマンドレイ(1889-1956)は、法律家、政治家で、1940年の民事訴訟法の改正に関わった。その法律は時の法務大臣ディーノ・グランディが署名した。

カラマンドレイの法律の文案作成への関わりが、単に技術的なものであったのかは議論が分かれている。

バーリ大教授(民事訴訟法)のフランコ・チプリアーニによると、1940年の民事訴訟法は、すぐれてファシスト的であった。被告・原告の権利を削減し、裁判官の自由裁量権が非常に大きく、(256条によると)証人の逮捕すらできたのだ。

この改悪の結果は破滅的なものだったという。こういったことに、カラマンドレイは責任があったのだろうか。むしろ、改悪を最小限にとどめるべく尽力したという意見もある。

カラマンドレイは1943年になって、抵抗運動に身を投じることになるが、武装闘争には常に懐疑的であったようだ。

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正当防衛の範囲、広がる

イタリアで、正当防衛の範囲を拡げる法案が通過した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月25日)。

刑法52条に12行が付加された。具体的には、家にいたり職場にいるときに、襲われたり、脅迫されたりした場合、(合法的に所有する)武器で応戦してよいとするものだ。場合によっては相手を殺してしまうこともありうる。

これまであった「過剰防衛」が消える。

この法案、賛成244票、反対175票で通過した。

中道左派は、アメリカの西部(劇)のようだとして、反対している。

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2006年1月30日 (月)

イタリアのホールディング

イタリアのホールディングは、必ずしも親会社的な持ち株会社ではないようだ。Hopaという持ち株会社とOlimpiaという持ち株会社の契約が2月8日に切れるのだが、その関係は複雑である(コリエレ・デッラ・セーラ、1月24日)。

日本では、ホールディング(ズ)というと、親会社的な意味で、子会社の大半の株を所有している持ち株会社であることが多いのだが、Olimpiaという持ち株会社は、イタリアの電話会社Telecom Italiaの株式の18%を所有している。大株主には違いないが、親会社というのとは違う。むしろ現在、日本で話題になっている投資事業組合(ただし、こちらは情報開示がまるで少ない)のような性格をもっているのではないかと思われる。

Hopaという持ち株会社は、Olimpiaの共同経営者で、その16%を所有している。Hopaとピレッリ、ベネトン、Olimpia および複数の銀行の間で結ばれた契約が、2月8日で切れる。

ここにもう一つ別の持ち株会社 Holinvest があり、これもHopa,ピレッリ、ベネトンや銀行とつながっていて、Telecomの3,6%の株式を所有している。Hopaはこの会社に、いくつかの会社の株式を売ることも可能であるという。

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修道士、修道女を襲う

フランチェスコ会修道士のフェデーレ・ビシェリア神父が、修道女から性的暴行のかどで訴えられ逮捕された(コリエレ・デッラ・セーラ、1月24日)。

フェデーレ神父は、貧者、移民、売春婦、シングルマザーなど社会的弱者のために尽くしてきたコセンツァの有名な神父であった。

だが、この68歳の神父は、彼が働くフランチェスコ会の憩いの場の事務員アントニオ・ガウディオと共犯で、40歳の修道女を襲ったとされる。

告発によると、犠牲者は、他に3人の女性がおり、二人のイタリア人と一人の外国人である。ただし、この3人は、申告していないので、検察官はこの件に関しては、犯罪事実として通告することができない。

神父は、「すべて作りごとで、自分はイエスのように迫害されている」と述べている。

事件は、修道女がローマに帰り、女子修道院長に会ってすべてを語り、修道院長が警察に告発した。

神父を支持する人も多く、拘置所にはフェデーレ神父を支持する人が100人ほど集まった。

フェデーレ神父は、13歳で、修道会に入り、哲学と神学を学び、1964年に修道士となった。

フェデーレ神父は、コセンツァに「フランチェスコ会の憩いの場」を創設した。そこでは、毎日、貧しい人に60食を提供し、宿泊の場所を30人に提供し、総合診療所では100人以上の人が診療を受けている。

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飛行機のメンテナンス

飛行機のメンテナンスについての囲み記事があったので紹介する(コリエレ・デッラ・セーラ、1月23日)。

1.飛行前ーーー各飛行の前に毎回やること

 整備日誌に記された損傷をチェック

 胴体の塗りをチェック

 着陸装置、ブレーキのチェック

 エンジンの損傷のチェック

 燃料のサンプル・チェック

 ドア・ロックのチェック

整備士は、機長と連絡し、エンジンの着火をチェック

 2.飛行後ーー毎回の飛行後に実施。飛行前のチェックに加えて次のことを行う。

 飛行士のキャビンをチェック

 乗客キャビン(入り口や非常口をふくむ)をチェック

3.トランジット時ーー飛行後のチェックの代わりに実施。

  エンジン・オイル、必要であれば補給する

  ライト、アンテナ、フィルター、荷物、緊急装備

  エンジンの外側のチェック。

4.デイリー・チェックーー停止が3時間以上ある場合、夜に行う。24-36時間ごとに行う。

5.ウィークリー・チェックーー7日毎(168時間)で、おそくとも192時間を越えずに行う。

その他に定期点検が三つ

チェックA:

 450,500,あるいは650飛行時間ごとに実施。24時間で、400以上の点検を行う

チェックB: 

 Boeing747の場合、1950飛行時間毎に実施。4日で、30人が交代で点検する。

チェックC:

 3500~5400飛行時間毎に実施。8-15日間かかる。

チェックD:

 18000~26000飛行時間毎に実施。35日から2ヶ月かかる。

 現在アリタリアの整備士は、3500人。各機体は、一週間に5つの異なった検査を受ける。

 2004年から2005年にかけて、1440人の整備士が余剰人員とされた。以前は、約5000人の整備士がいたのである。  

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ベルルスコーニ、大統領に二週間の国会会期延長を求める

ベルルスコーニ首相は、チャンピ大統領に、二週間の国会の会期延長を求めたが、まだ両者の合意には至っていない(コリエレ・デッラ・セーラ、1月23日)。

両者の会談は、率直に行われたが、合意には至っていないとのこと。

ベルルスコーニ首相が会期の延長を求めているのは、一審で無罪判決を受けた被告に対しては控訴できないとする法律の見直しをする時間が欲しいためのようだ。

ちなみに現在の議員の任期(立法期間)は、2001年5月29日に開始された。

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2006年1月28日 (土)

ムッソリーニの息子、重体

ムッソリーニの息子ロマーノが重体でローマの病院に入院している(コリエレ・デッラ・セーラ、1月22日)。

ロマーノは、ベニト・ムッソリーニとラケーレの間に出来た4番目の子で1927年生まれ。ジャズの世界に生き、デューク・エリントンの友人でもあった。

ロマーノの最初の夫人が、アンナ・マリア・シコローネで、彼女はソフィア・ローレンの姉妹。アンナ・マリアとの間に二人の娘アレッサンドラとエリザベッタがいるが、アレッサンドラ(ソフィア・ローレンの姪)は、元国会議員で、現在はEU議会議員である。アレッサンドラは、もともとは、国民同盟の重要メンバーだったが、離反して Alternativa sociale のリーダーとなっている。

ロマーノは政治には関わらなかったが、娘の一人は、深く関わっているわけである。

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アリタリア航空の危機

アリタリア航空のストライキが三日目に入り、21日の19時半の時点で66便が欠航している。政府が介入することになりそうだ(コリエレ・デッラ・セーラ、1月22日)。

アリタリア・グループは11の会社からなり、そこで約2万人の従業員が働いている。176機の航空機を擁し、2つのハブ空港、フィウミチーノ(ローマ郊外)とマルペンサ(ミラノ郊外)を持つ。

2005年前半の乗客は、1150万人。毎週1309便が国内便、1144便がヨーロッパ便、254便が大陸間移動の便である。

今回のストライキは、パイロットや客室乗務員ではなくて、機体のメンテナンスを担当する整備員らが中心である。

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2006年1月27日 (金)

フィーニ副首相、ディ・カーニオに忠告

イタリアのサッカー協会の懲罰委員会は、ローマ式敬礼をサッカー場でし続け、問題視されてからも反省のないパオロ・ディ・カーニオに対する懲罰委員会を開いている(コリエレ・デッラ・セーラ、1月21日)。

副首相のジャンフランコ・フィーニは、個人的忠告として、「政治は、スタジアムやスポーツから遠ければ遠いほど、すべての人にとって良いと思う」と述べた。

これは、テレビでジャーナリストのインタビューに答えたもの。さらに「サッカー選手は、スポーツ選手なのであり、政治的情熱は、自分のうちにしまっておくべきだ。でないと、青少年の良識に悪影響を与えてしまう」とも述べた。

フィーニの所属する国民同盟は、その前身はイタリア社会運動というファシスト系の政党であったものを、1995年にフィーニが保守政党に脱皮したものであり、今回のフィーニの忠告も、逆戻りはありえないことを示しているともいえよう。

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チャンピ大統領、ウィーン訪問をキャンセル

チャンピ大統領が、予定されていたヴィーン訪問をキャンセルした。公式には、総選挙の日程と近すぎるためとされているが、オーストリアの憲法改正案が影を落としているようだ(コリエレ・デッラ・セーラ、1月21日)。

オーストリアは憲法改正の準備をしており、現在は、議会で議論されている。そのなかで、オーストリアは南チロル(アルト・アディジェ)地方で、ドイツ語をしゃべる人たちの保護に言及しているらしい。

トレンティーノ・アルトアディジェ州は、オーストリアとイタリアの国境にあるが、ここは南側のトレンティーノ県はまだしも、北側のアルト・アディジェ県は、ドイツ語圏の色彩が強い。

実際、ここは特別州で、基本的資料を囲み記事に従って紹介すると、

面積: 13,619平方キロメートル

人口: 96万2464人

市町村(イタリアではすべてコムーネ):399

言語: ドイツ語69%

     イタリア語27%

     ラディーノ(ラディン語:ロマンス語の一つ)4%

ヨーロッパは地続きであるから、珍しくはないのだが、このあたりは、第一次大戦後にオーストリア領土から、イタリア領土に変わったので、こういった問題がある。

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チャンピ、司法改革法を議会に送り返す

チャンピ大統領は、ペコレッラ法(一審で無罪になった者に対し控訴できないとする法案)の法案に署名せず、明らかな憲法違反があるとして、議会に送りかえした(コリエレ・デッラ・セーラ、1月21日)。

チャンピ大統領のNOは6ページにわたるもの。法案を下院に送り返し、法案の書き直しを要求した。野党のリーダー、ロマーノ・プローディは、法案は深く再検討されねばならない、と歓迎した。

しかしベルルスコーニ首相は、国会の会期を延長してでも、法案を修正し、これを通したい構え。

もともとの会期は1月29日までで、総選挙は4月9日の予定である。

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2006年1月26日 (木)

シャイー、スカラ座に帰る

指揮者リッカルド・シャイーが7年ぶりにスカラ座に、『リゴレット』で帰ってきた(コリエレ・デッラ・セーラ、1月20日)。

シャイーがスカラ座を振るのは、1999年の『セビリアの理髪師』以来という。

今回の『リゴレット』は、ムーティ指揮、ジルベルト・デフロ演出のものの再演で、キャストもほぼ同じ。リゴレットはレオ・ヌッチで変わらず。ジルダは、アンドレア・ロスト。マントヴァ公爵は、マルセロ・アルヴァレス。

最も目立つ変更は、acuto (高音)が帰ってきたことだ。『リゴレット』だけではないが、オペラのレパートリーでは、劇場の習慣として、クライマックスの部分などで、作曲家が楽譜に記した音よりも1オクターブ高い音で歌う習慣がある。これは、ソプラノであれ、テノールであれ、バリトンであれそうである。

シャイーは劇場の習慣にのっとり、アクートを復活するという。タイトル・ロールのリゴレットを歌うレオ・ヌッチは、400回もリゴレットを演じたのだが、「自分としては、高音を歌いう方が好きだ。しかしムーティには、高音を削除するよう頼まれた時には、絶対的敬意を示した。高音に反対したショルティの場合も同じだった。私は劇場では規律を愛するのです」とのこと。

シャイーは、客演は好きではなく、スカラ座への帰還は、いわば自分の家に帰ってきたようなものだと感じている。総監督のリスナーの期待通り、2006-7年のシーズンは、シャイーとゼッフィレッリの『アイーダ』で開幕だという。新しいコンセプトの『アイーダ』になるとのこと。2008年には、プッチーニ死後150年を記念して、『マノン・レスコー』を振ることが決まっている。

劇場で演奏を聴くと、アクートがないと拍子抜けすることがある。もちろん、演奏全体の流れや構成、役作りなどが絡んでいるから、それだけを楽しみにしているということはないのであるが、歌手の見せ場の一つであることは間違いない。1オクターブ高い方で歌うのが定着した曲は、それだけ高い音が聞き映えがするということではないだろうか。

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コンソルテと諜報機関

左翼民主(党)の上院議員マッシモ・ブルッティが、首相府情報局の統括責任者を秘密委員会に喚問し、野党攻撃の疑惑を問いただした(コリエレ・デッラ・セーラ、1月20日)。

呼び出されたのは、Cesis(首相府情報局または情報治安部行政委員会)の書記長エミリオ・デル・メーゼである。

ブルッティ議員は、コンソルテと左翼民主党党首ファッシーノの電話が盗聴されていて、しかもその内容が Il Giornale紙で暴露されたことや、ベルルスコーニ首相が、コンソルテが銀行の株式買収をしていた時に、その銀行の大株主の一人と中道左派の幹部が会合していたと検事局に告発に行ったことなどが、総選挙を前にした野党攻撃ではないか、もしそれに情報機関が絡んでいるとしたら、重大な憲法違反であるという主張を展開したのである。

イタリアの情報機関にはSISDEとSISMIの二つがあり、その二機関を統轄するのが、CESISである。

SISDEは、Il Servizio per le informazioni e la sicureezza demociratica の略で、民主治安情報部。内務大臣の管轄。職員は1300人。テロやマフィアを戦う。

SISMIは、Il Servizio per le informazioni e la sicurezza militare の略で、軍事治安情報部。防衛大臣の管轄。職員は2000人。スパイや軍事作戦に関わる。

CESISは、Il Comitato esecutivo per i serivizi informazioni e di sicurezza の略で、情報治安部行政委員会または終章府情報局。上記のニ機関の調整にあたる。職員は350人。首相が統括し、内閣官房長官ジャンニ・レッタが実際の任にあたり、その書記長がエミリオ・デル・メーゼで今回喚問されたわけである。

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メッシーナ海峡の橋

イタリアの半島部とシチリア島を渡す橋についてインタビューと資料が掲載されたので紹介しよう(コリエレ・デッラ・セーラ、1月19日)。

海峡をわたす橋は、2006年中に建設工事が開始され、6年間工事は続く予定である。工事には、延べ4万人の労働力が必要。建設費は、46億ユーロだが、インフレなどを考慮にいれると60億ユーロ(8400億円)になるだろうとのこと。

橋脚の間は、3300メートル、橋全体の長さは3666メートル。幅は60,4メートル。橋脚の柱の高さは382,6メートル。

通行は6車線。片道3車線で、早い、普通、緊急用となる。一時間に6000台の自動車が往来し、一日200本の電車が往来できる。

マグニチュード7,1の地震に耐えられる。風速216キロの風に耐えられる。

電車にとっては、(橋が出来ると)平均2時間の節約になる。自動車にとっては1時間の節約になる。

1998年に完成した明石大橋との比較も出ている。橋脚の径間はメッシーナ橋が3300メートルに対し明石は1911メートル。橋脚の柱の高さは、メッシーナが382,6メートルに対し、明石は297メートル。橋を吊る太いケーブルがメッシーナは4本に対し、明石は2本。ケーブルの直径がメッシーナ1,24メートル、明石1,12メートル。一本のケーブルあたり使用する鉄鋼がメッシーナ44352本、明石36830本。

ローマ・サピエンツァ大学のレアンドラ・ダントーネ教授は、橋だけに注目するのではなくて、交通網の一要素として捉えることが重要と説明している。

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2006年1月24日 (火)

イタリア人の宗教観・倫理観

イタリアの調査機関(シンクタンク)Eurispesがイタリア人の宗教観、倫理観について調査を行った。調査は、2005年12月22日から2006年1月5日に1070人を対象としたものである(コリエレ・デッラ・セーラ、1月18日)。

イタリア人のうち、神を信じる人は、87,8%。だが、3人に1人しか(とコリエレ紙の記者は書いているが、3人に1人もと日本人の立場からは言えるかもしれない)、毎週日曜日にミサに行かない。

100人に8人は、3回しか教会に行かない。洗礼と結婚と葬式である。

信者であっても、社会的にデリケートな問題に関しては、教会の教え・意見に従っていない。68,7%はPacs(連帯市民協約)に賛成である。また、65,7%は、離婚法に賛成である。62,5%は、不妊治療に賛成である。

同じく、信者の、中絶についての意見。母親の生命に危険がある場合、賛成が83,2%。胎児に奇形がある場合、72,9%。暴行による場合、65,1%。貧困の場合、23%。

安楽死については、44,6%が反対、41,9%が賛成。

54,3%の人が奇跡を信じている。

秘蹟のうち、もっとも重視されているのは、洗礼で、もっとも軽視されているのが告解(懺悔)。

信者で、離婚をした人にも、聖体拝領を認めるべきと考える人は、77,8%。教会の規則に合わない法律を支持する政治家には、聖体拝領を認めないのは正しくないと考える人は、66%。

教会に毎週行く人は、30,6%だが、週に数回行く人も6,2%いる。週に一回行ったり、行かなかったりの人は、23,7%。クリスマスや復活祭の時だけ行く人は29,8%。

政治的に見ると、右派の99%はカトリック。中道は91,7%がカトリック。左派は、61,7%。 

教会が社会・政治問題に介入しすぎだと考える人は、44,6%、適切と考える人は、48,8%。

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選挙戦の取り決め

イタリアの総選挙を控え、中道左派グループの中で、選挙戦をどう仕切るのかのあらましが取り決められた(コリエレ・デッラ・セーラ、1月18日)。

これによると、まず候補者名簿であるが、もうじき任期のきれる現下院議員が217名。そのうち、202名を左翼民主(DS)(61%)とマルゲリータ(39%)で分ける。つまり左翼民主の書記長ファッシーノは125名を割り振り、マルゲリータのリーダー、ルテッリが77名を割り振る。残りの15名をプローディが割り振ることになりそうだ。

また、下院の27の選挙区のうち、14地区は、左翼民主およびマルゲリータが名簿筆頭となり、13地区ではプローディにそれが任される。

ここからも判るように、中道左派は、集団指導体制なのである。

選挙戦の予算に関しては、プローディは、350万ユーロ(4億9千万円)を使うことができるようになった。

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2006年1月23日 (月)

バザーリア法とその見直し

イタリア研究会(1月19日)で、水野雅文氏の「イタリア精神医療の光と陰」という報告を聞いた。バザーリア法とその実践についての講演で、イタリアでは年末にバザーリア法の見直しが提起されたところである(コリエレ・デッラ・セーラ、2005年12月29日)。

水野氏の話は、論理明晰で、図表を効果的に用い、ところどころにソフトなユーモアをはさんで少しも退屈せず、それどころか大いにこちらの知的関心を刺激するもので、これまでの研究会の例会(といっても僕が出席できたものに限るわけだが)の中で、もっとも出席者からの質問が多かった。

フランコ・バザーリア(1924-1980)らの運動によって、イタリアでは、1978年5月13日に、精神病棟を閉じる法律(180号法)が制定された。これによって患者は、町に出て、グループホームや自宅、通院などによってケアを受けることになった。

ただし、水野氏のお話によると、グループホームの整備などの進展に、非常に大きな地域差がある。そのため、実際には、すべての精神病棟が閉鎖されるのは、2000年の末になったとのこと。

こうした努力もあって、精神病患者の平均入院日数は、日本が333日であるのに対し、イタリアでは、18,5日と桁違いに少ない。

また、イタリアでは、原則として家庭医を通じてから、病院へ行くのだが、精神病は例外で、家庭医をとばして、直接病院で治療を受けることが出来るのだという。

昨年末に、保健相のフランチェスコ・ストラーチェは、精神病患者を抱える家庭を支えるため、バザーリア法を見直したいと発言したのである。

野党の元保健相ロジ・ビンディは、法律を改正するよりも、法律にのっとって、ケアの体制を整えることが重要だと反論している。

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2006年1月22日 (日)

Unipol と野村

野村ホールディングスは、UnipolによるBNLの株式買い占めを支持してきたが、イタリア中央銀行の拒否を受けて別の道もともに探っているもよう(コリエレ・デッラ・セーラ、1月17日)。

もともと野村ホールディングス(12月31日の当ブログでは、野村證券としたが、イタリア語にはNomuraとしかなく、野村グループには持株会社である野村ホールディングスが存在し、ヨーロッパにはNomura Europe Holdingsとして、現地法人もある。現地法人のなかには Nomura Bank を名乗るものもある。ここでは暫定的に野村ホールディングスとする。詳しくはhttp://www.nomuraholdings.com/jp/company/を参照してください)は、この取引に、単なるパートナーとして参加したのではなく、安定的株主となる意図で参加していた。野村としては、イタリア本格的進出への足場とするつもりであったようだ。

野村の幹部は、Unipolに招かれて、拡大戦略をともに研究した。ボローニャにUnipolの新たなナンバー1とナンバー2となったピエルルイージ・ステファニーニとヴァネス・ガランティ、Finsoe(持ち株会社)のクラウディオ・レヴォラート、Holmoのマリオ・ズッケッリが集まったのである。

今のところは、スペインの銀行Bbvaがどう出るかを待つしかないようだ。

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教皇の回勅

教皇ベネデット16世が発する回勅の内容の一部が明らかになってきた。信仰なき愛は、商品に堕するという警告を含んだものであるようだ。全文は近日中に発表される模様(コリエレ・デッラ・セーラ、1月17日)。

回勅は、教皇が全世界の司教に向かって発する手紙であるが、現教皇にとっては最初の回勅となる。40頁ほどの比較的短いもので、原語はドイツ語である。

この中で、教皇は、聖ヨハネの手紙、「親しきものたちよ、もし神が私たちを愛するなら、われらも互いに愛し合わねばならない・・・神は愛である、愛のなかにある者は、神の中におり、神がその者のなかに宿っている」を引用している。

愛にもいろいろあるわけだが、その区別が囲み記事にある。エロスは、愛に関する異教のコンセプトであり、アガペは、信仰に基づいた愛である。この区別は古代ギリシアから来ているのだっが、古代ギリシアにはいくつかの愛の形の区別があった。

philia というのは、友人間の愛。eros は性的愛。agape  は無条件の愛で、しばしば宗教的な意味合いをもつ。福音書で使われているのがアガペなのも、偶然ではないわけだ。

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イタリアの拡大ファミリー

イタリアでも離婚、再婚が次第に増えるにつれ、拡大ファミリー(ステップ・ファミリー)が増加している(コリエレ・デッラ・セーラ、1月17日)。

アメリカでは、結婚した100組のうち、43組が離婚する。再婚するもののうち、65%は、前の結婚で出来た子供を連れて再婚する。こうして拡大ファミリー(ステップ・ファミリー)が形成される。

イタリアでは、ISTAT(政府中央統計局)の調査によると、2003年の離婚数は、43856件。2002年に比べ、4,8%の増加。別居は、81744件(イタリアは別居期間を経ないと、離婚ができない)。

再婚したカップルによる家庭は、2003年で、72万4千。すなわち、二人のうち、どちらかが再婚という家庭である。これはイタリア全体の夫婦の5%にあたる。

Istatによると、前の結婚からの連れ子のいるカップル、いわゆる拡大家族は、2003年時点で、約40万家庭。そのうち82,3%は、女性の側の子供で、19,6%は、男性の側の子供だという。(合計が100パーセントを越えているのは、両方の側が子供を連れて再婚した場合があるからであろう)。

公教育大臣のレティツィア・モラッティ女史も、4人の子供のうち、2人は夫の前夫人との間の子供である。うまくやっていくコツは、皆同じように愛すること、とのこと。

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ムッソリーニの婿チャーノ

セルジョ・ロマーノが読者の手紙に答えて、ムッソリーニの婿であり、外相であったガレアッツォ・チャーノについて評している(コリエレ・デッラ・セーラ、1月17日)。

チャーノは外相の時代、日記をつけていた(Rizzoliの文庫本で読むことが出来る)。日記によると、1939年8月にナチス・ドイツのリッベントロップ外相とザルツブルクで会談し、ドイツが戦争に突き進むことを確信した。もともとはチャーノは親独派であったのだが、このころから反独派に変わっていく。

その後、チャーノ(ムッソリーニの娘エッダの夫でもある)は、ムッソリーニに戦争に介入すべきでないと説いた。

チャーノの友人でリヴォルノの《テレグラフォ》というチャーノ一家の新聞の編集者ジョヴァンニ・アンサルドによると、チャーノは次第に、後世に外相としてよりも、慧眼の備忘録作者として記憶されることを望むようになった。

知的で、見栄っ張りで、高慢でもあったチャーノは、彼の「秘密の日記」のことがローマ中で話題だと警告すると、ご満悦であったというのだ。

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プローディ、民主党の立ち上げを再び呼びかける

中道左派 Unione のリーダー、ロマーノ・プローディは、民主党 (Partito democratico)をすぐに立ち上げるよう呼びかけた(コリエレ・デッラ・セーラ、1月16日)。

これに対し、左翼民主(党)のピエロ・ファッシーノやマルゲリータのフランチェスコ・ルテッリといった仲間は、戸惑いをみせ、今はその時ではないとしている。しかしながら、4月の選挙が近づくにつれ、中道左派が一つにまとまらなければ、有権者に訴える力が弱まってしまうだろう。

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2006年1月21日 (土)

中絶法擁護のデモ

ミラノで、中絶法(194号法)の変更に反対するデモがおこなわれ、20万人(ミラノ警察によると10万人)が集まった(コリエレ・デッラ・セーラ、1月15日)。

1970年代に獲得された権利として、生む生まないを選択する権利を保障するものとして194号法は、象徴的な意味合いを持っている。

先日、妊娠を理由にオリンピックを棄権することにした滑降のイゾルデ・コストナー(フィギュア・スケートのコストナーの従姉妹)は、自分は、ヴァーチャルにこのデモに参加しているとのべ、賛同の意を示した。イゾルデ・コストナーの母になることを優先した選択は、プロ・ライフの模範のように受け取られる可能性もあり、実際、カトリック系の雑誌《Avvenire》の社説で模範的と讃えられただけに、意外の感がある。しかし、コストナーは、女性の抱えている事情は、人によってそれぞれ異なるのであり、中絶を選ぶ人には、自分とは異なる重い事情があるに違いないと述べている。

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Eメール依存症

イタリア人のEメール利用者は増えている。ある調査によると、4人に3人はメールなしではやっていけないと言い、5人に1人は依存症だと言う(コリエレ・デッラ・セーラ、1月14日)。

Symantecに依頼されて行った調査によると、49%の人は、バランスのとれた人で、一日二回、朝と夕方にメールをチェックする人。21%は依存症で、一日に何度も開かずにはいられない人。

一方、10%は、必要に迫られてメールを使用してはいるが、出来れば避けたいと思っている人。6%は、打ちのめされた人で、メールにどう反応してよいかわからない人。質問に無回答だった人が14%。

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大統領、司法改革に疑問

チャンピ大統領は、上院を通過したペコレッラ法に疑問を呈した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月14日)。

一審で無罪判決を得た場合、控訴できないとするペコレッラ法は、上院を通過し、大統領の署名を待つ段階に入ったが、チャンピ大統領は、「近日中に」「深く勉強したい」とのべた。

三つの憲法に関わる疑問点があることを示唆したもよう。憲法の111条と112条に関わり、裁判の原告・被告の平等性、裁判期間のしかるべき長さ、検察官の刑事訴訟における義務などが論点となるらしい。

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2006年1月20日 (金)

イタリアの売春事情

前項とも関係するが、イタリアの売春事情について、囲み記事があるので、紹介しておこう(コリエレ・デッラ・セーラ、1月14日)。

イタリアの娼婦の数は、7万人。半数は、移民。約40%が未成年者。

娼婦の65%は、道路を働き場所としている。いわゆる立ちんぼである。29%は、ホテルを利用している。残りは、家で客を迎える。

娼婦の94%は女性である。5%は、性転換者。

年間のお客の数は、900万人(推定)。16%は軍人(最近まで、イタリアには徴兵制があった)。残りは、専門的職業人とサラリーマン、だそうです。

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売春と税金

ミラノの税務委員会は、売春の売り上げに対して、税金をかけられるかという案件に対し、本人の肉体を売っているものであり所得とは認められないという判断をくだした(コリエレ・デッラ・セーラ、1月14日)。

ここで対象となった女性は、過去の収入とそれを申告しなかったがゆえの追徴金として20万ユーロ(2800万円)の支払いを税務当局から求められていたのである。

くだんの女性は、ミラノの中心街に、130㎡のアパルタメントを所有し、近所にワンルームマンションを二つ、その他にコルシコに三部屋の住まいを二戸とバッジョに一戸を持っているという。

これはその女性が、20年以上に渡る「労苦」によって得たものであるが、税務当局の目にとまったのである。そして彼女がこの間、一度も、所得の申告をしていないことも判明した。ということは、これらの不動産を所有しているのに、一度も所得税を払っていないということになる。

ここで、《determinazione sintetica del reddito》という作業が始まる。つまり、彼女が所有している不動産から逆算して大体このくらいの収入があったろうと見積もるのである。

その結果、彼女は、1998年は、9万8千ユーロ、1999年は8万7千ユーロの税金を払いなさいということになった。

彼女はきっぱり断った。40歳を過ぎ、業界から引退し、戻る気もないという。払うお金もないというわけだ。そこで裁判がはじまった。

ここで問題になったのは、売春から得られた収入の性質で、この裁判では、合法的収入ともいえないし、非合法的収入ともいえない、という判断が出たのだ(非合法的に得た収入からは、税金をとることが出来る)。

売春についてのヨーロッパ各国の事情は、様々だ。非合法の国もあるし、オランダやドイツのように法的規制のもとに置かれている国もある。イタリアではメルリン法により1958年に、売春宿やそこから搾取することが禁じられた。個人での行為は違法ではないようだ。

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2006年1月19日 (木)

ベルルスコーニ、検察に左翼民主幹部を告発

ベルルスコーニ首相は突然、ローマの検事局に赴き、Unipolによる株式買い占めに関し、左翼民主(党)幹部の関わりを知っているとして告発した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月13日)。

ベルルスコーニ首相は、10日のテレビ番組「ポルタ・ア・パルタ」でも、「左派の幹部が、BNLの共同経営者に対し、Unipolに株式を譲渡するよう働きかけたことを知っている」と発言した。

12日は、ローマの検事局に赴き、左派の幹部とBNLの株主の「会合」について語った。二人の人物名とその情報源を提供したもよう。

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イタリア、司法改革

イタリアの裁判制度があらたまり、無罪判決が出たものに対して、上告は出来なくなる(コリエレ・デッラ・セーラ、1月12日)。

無罪判決が出た場合には、上訴、控訴できなくなる。控訴できるのは、検察の側からにせよ、被告の側からにせよ、有罪判決の場合のみということになる。

この法案は、上院を通過したが、与党の賛成多数で、中道左派からは強い批判があった。

いくつもの裁判を抱えているベルルスコーニ首相のための法律ではないか、という疑いをかけられているわけだが、法律の提案者ガエターノ・ペコレッラにとっては、裁判の迅速化、市民の権利の擁護のための法律とのことである。

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2006年1月18日 (水)

鉄の男爵、リカーソリ

セルジョ・ロマーノが読者の質問に答えて、イタリア第二代の首相、ベッティーノ・リカーソリについて解説している(コリエレ・デッラ・セーラ、1月12日)。

リカーソリは、同時代人には、「鉄の男爵」と呼ばれたが、二面性を持っていた。一方で、封建領主で、旧体制のもとで自分の農場から収入を得ていた。

他方で、近代主義者で、ヨーロッパ農業の発展を注意深く見守り、彼の領地ブローリオ(シエナ郊外にある)に、効率化を進めるあらゆる革新を取り込もうとした。

自分の信念にもとづき、新国家イタリアの中央集権につくした。カヴールの死後、首相となり、マルコ・ミンゲッティが意図していた市町村に独立性を持たせる計画を退けた。

旧両シチリア王国の総督を廃した。行政制度を統一した。ローマ教会に対しても積極的に働きかけた。信仰あついカトリックであったが、教皇領から世俗的権力を取り上げ、教会を精神的に解放した。

また君主制支持者であったが、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の政治介入とは衝突した。

ジョヴァンニ・スパドリーニが書いているように、「トスカーナの保守派(リカーソリ)は、リソルジメントを書く歴史家が考えるより、リグーリアの革命家(マッツィーニ)に近い。両者は、出発点はまったく異なるが、権力につくことを使命であり聖職であると考え、国家を、根本的に道徳的な発想で支えられた一種の宗教的コミュニティーであるとみなした。イタリアの政治的再生を、イタリア人の宗教革命の条件と見なした・・・」。

リカーソリは1809年3月9日フィレンツェ生まれ、1861-62年に首相をつとめ、1880年10月23日にブローリオで亡くなった。

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MPSとUnipol 接近か?

モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行(MPS)とUnipol(保険会社)の統合が、ありえないことではなくなってきた(コリエレ・デッラ・セーラ、1月12日)。

UnipolがBNLの株式買収をねらっている時には、ありえない筋書きとされていたことーー5年前に提案されたが、もう終わった筋書きとされていたモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行とUnipolの統合ーーが再び可能性を帯びてきた。

UnipolによるBNLの株式買い付けがイタリア中央銀行によって承認されなかったことにより情勢は変わった。また、最近MPSの持ち株を増加させているUnicoop Firenze のような協同組合関係者がこの案を支持している。Unicoop Tirrenoも同様である。

この案は、シエナ市、およびシエナ県、トスカーナ州も嫌っていないようだ。Unipol はCoop の支配する保険会社であり、MPSは左翼民主(党)の強い自治体が支配する銀行であるから体質に共通性はあるのだ。

しかしながら、MPSの合併相手としては、サン・パオロ銀行も候補として残っているようだ。

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2006年1月17日 (火)

MPSの重役にCoop関係者二人

モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行(MPS)の理事に、Coop関係者が二人はいることになった(コリエレ・デッラ・セーラ、1月11日)。

一人は、エミリオ・ニュッティの代わりとなる人。もう一人は、Unipolでコンソルテの副官、イヴァーノ・サッケッティの代わりとなる人である。

ニュッティが去ることは、MPSの8%所有にせまるHOPAを誰がリードするかに関わるが、ニュッティに代わるのは、MPSの副会長ステーファノ・ベッラヴェリアになるようだ。また、サッケッティの代わりにMPSの理事になるのは、Coop Centro Italia のジョルジョ・ラッジとなる模様。

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イタリア、喫煙者数が減少

シルキア法(公共での場所の禁煙をさだめた)から一年が経過し、喫煙者が50万人減少した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月11日)。

喫煙者で、禁煙を試みた者は21,9%。さまざまな禁止にうながされて禁煙を決意したもの7%。タバコの売り上げは5,7%減少。心筋梗塞が最も多い4州(ラツィオ、カンパーニャ、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア、ピエモンテ)で、心筋梗塞が7%減少した。

イタリアの喫煙者は、1122万人。14歳以上の喫煙者の割合は、22,3%(男28,5%、女16,6%)。1980年には、喫煙者の割合は、34,9%だった。

ちなみに、喫煙をやめたのは、男性より女性が多かった。シルキア法導入から3ヶ月の時点で、女性喫煙者は、17,4%から15,8%に減少した。

また、一日の喫煙本数が20本以上の人も、男性喫煙者は44,7%であるのに対し、女性喫煙者は、24,7%である。

意外なのは、結構、地方差があることで、

北西部 22,9%

北東部 21,5%

中部  24,3%

南部  20,0%

島部  21,7%

となっている。

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検察の捜査、99年のテレコム株買収に遡る

アントンヴェネタ銀行およびBNLをめぐる株式買収の捜査を担当しているミラノ検事局は、1999年のテレコム株買収に遡って資本の動きを調べている(コリエレ・デッラ・セーラ、1月11日)。

1999年に、テレコムの株式買い占めは開始された。オリヴェッティのボスとしてロベルト・コラニンノは虎の子のオムニテルを売却しつつ、テレコム株の買収に打って出たのだった。その仲間にブレーシャの実業家たちがいて、そのリーダーが、エミリオ・ニュッティだったのだ。

彼らは、2001年にピレッリ・グループに売り抜けて、25億ユーロ(3500億円)の売却益をあげた。

このたび、ミラノ検事局は、エミリオ・ニュッティから、1999年に遡って、株式買い占めや資本の動きについて捜査している模様。

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イタリア中央銀行、Unipolの公開株式買い付け許可せず

イタリア中央銀行の総局長ヴィンチェンツォ・デザリオ(新総裁マリオ・ドラーギが赴任するまで、臨時の最高責任者)は、UnipolによるBNL (Banca nazionale del lavoro) の公開株式買い付けを認めぬ決定をくだした(コリエレ・デッラ・セーラ、1月11日)。

もともとUnipolの元会長コンソルテの企画であったこの買収劇だが、もともとBNLの株式買い占めに興味のあったスペインのビルバオ銀行も、新たな公開株式交換を準備している。

ビルバオ銀行はBNLの約14,7%の株式を所有しており、仲間にGenerali(8,7%)、ディエゴ・デッラ・ヴァッレの持ち株会社Dorint(5%)がいる。

一方、Unipolの方は、ドイツ銀行、野村、Csfbがおり51%をすでに持っているという。

こうした状態でイタリア中央銀行の許可がおりないのは極めて異例のことだ。

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2006年1月16日 (月)

スカラ座の健闘

ムーティが去り、補助金が減らされた2005/2006年のスカラ座は、新総監督リスナーのもとで、観客を増やしている(コリエレ・デッラ・セーラ、1月10日)。

定期予約者も、11、139人から12,483人に増えている。定期予約も、最近はいろいろな形があって、従来の定期予約は、9つのオペラ公演+2つのバレエであったのだが、ミニ定期予約の場合、3つのオペラと1つのバレエ、週末定期予約の場合、4つのオペラと1つのバレエという具体に、いくつかの選択肢が用意されている。

切符の値段を上げることなしに、入場料収入は、9,1%増加したという。

リスナー新総監督にとって、ムーティが去り、補助金が劇的に3分の1も減らされたあとだけに、観客の反応はどうであるかは大いに気がかりなところであった。

正確な分析はまだであるが、切符売り場の情報によると、若い人が増えており、新たな定期予約者も多い。

公演回数も去年の年184日から225日に増加させる予定だ。

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ベルルスコーニの大節税

ベルルスコーニ首相およびその一族が支配するメディア企業のMediasetが1800ユーロの支払いにより、1997-2002年の追徴課税を免れる措置をとった(コリエレ・デッラ・セーラ、1月10日)。

これは2002年の289号法によるもので、過去の収入の修正を「簡素に総合的に申告」することによって、精算するものである。

その制度を利用して、首相およびその一族が支配する大企業Mediasetは1800ユーロで、1997年から2002年の修正申告を簡単に済ませたことになる。

これによって、達成された節税額は、野党側のダレーマやルテッリ、ペコラーロ・スカーニョによると数千万ユーロ(数十億円)に上ると算定されている。

マルゲリータ党の党首ルテッリは、「権力の座にあるときには、自分の利益でなく国の利益を守ったなどと言えるずうずうしい男はベルルスコーニだけだ」と非難している。

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新たな20世紀イタリア文学史

ローマ大学《La Sapienza》の教授ジュリオ・フェッローニがイタリア文学史の最終巻を出した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月9日)。

フェッローニの本は、《Storia e testi della letteratura italiana》という何巻にもわたるイタリア文学通史の最終巻である。イタリアでは、こういった大がかりなアンソロジーを兼ねた通史のイタリア文学史が何種類か出版されていて、高校や大学で教科書として用いられている。

フェッローニは、20世紀の巨匠として、エルサ・モランテ(小説家)とエウジェニオ・モンターレ(詩人)とエミリオ・ガッダ(小説家)をあげているが、この三人は以前から評価が高い。

従来の評価より高いのが、ダリオ・ベッレッツァ(詩人)、アントニオ・スクラーティ(小説家)、ルイジ・マレルバ(小説家)で、人気作家のスザンナ・タマーロやアレッサンドロ・バリッコはまったく無視されている。

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2006年1月14日 (土)

モトGPに赤信号

バイクのレースの最高峰、モトGPに赤信号がともっている。スポンサーが逃げ出しているのだ(コリエレ・デッラ・セーラ、1月5日)。

たとえば、Sito Ponsという25年以上続けていたチームがスポンサー、Camelが引き上げた後、別のスポンサーを見いだせないために撤退せざるをえないといった状況がある。Sito Ponsは2007年には復帰できるよう努力するとのこと。

他に引き上げるスポンサーには、テレフォニカ(1800万ユーロ)があり、Honda Gresini チームから引き上げて、四輪のF1のアロンソのスポンサーに専念する。

キャメル(1200万ユーロ)は、Sito Ponsから引き上げるが、ヴァレンティーノ・ロッシのいるヤマハのスポンサーになる模様。

ゴロワーズ(1200万ユーロ)はヤマハと決裂。

BMW(500万ユーロ)チームの他に、ポール・ポジション賞やセイフティー・カーを提供していたが、その提供をやめる。

その結果、去っていくライダーも多い。マックス・ビアッジ。アレックス・バロス(16シーズンの経歴)、カルロス・チェカ(11シーズン)、トロイ・ベイリス(Superbikeへ帰る)などである。

ビアッジやロッシと働き、今はカピロッシのマネージャをするカルロ・ペルナットが語るように、2007年にはロッシはF1に移ってしまう可能性が高いわけで、スポンサーとの関係も含めて、モトGPの新たな体制を構築する必要がありそうだ。

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2006年1月13日 (金)

ベルルスコーニは、コンソルテの仲間か?

日刊紙リベロが、ベルルスコーニは、Unipolの元会長コンソルテの仲間であると主張した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月8日)。

「リベロ」は、ジャーナリストのヴィットリオ・フェルトリ(元コリエレ・デッラ・セーラの記者)が主幹をつとめる日刊紙であるが、一面にモンタージュで、ベルルスコーニとコンソルテが微笑みあうような写真を掲載。

何故、ベルルスコーニはコンソルテの仲間とされているかというと、ベルルスコーニ一族が所有する FininvestとMediaset がブレーシャの実業家ニュッティの持ち株会社Hopaの株式をそれぞれ2,53%と2,73%持っているからだ。ニュッティは、オリヴェッティや、テレコムの株式買い占めで、コンソルテの以前からの仲間である。

というわけで、ベルルスコーニは間接的に、Unipolの株式買い占め仲間のなかにいることになるわけだ。

いずれにせよ、ベルルスコーニ(とその一族)のようにメディアをはじめとする企業群をもっている人が、政治しかも首相というレベルで権力を行使することには、制度的に問題がありそうだ。

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2006年1月12日 (木)

権力から遠いイタリアの女性

イギリスとイタリアの政治・経済での高い地位についている者の比率が比較されている(コリエレ・デッラ・セーラ、1月7日)。

Istat(政府中央統計局)のリンダ・ラウラ・サッバディーニによると、「イタリアでは、あらゆる部門で、10年前にくらべ女性が増えている。企業家、役職者ー特に、官公庁でー医長、校長、検察官、会計院委員長など。しかし、その成長が遅い」とのこと。

政治面では、

国会議員は、イギリスが19,7%が女性に対し、イタリア9,8%。

政府では、イギリスが27,8%が女性なのに対し、イタリアは8,3%。

企業で役員では、イギリスが7,5%が女性なのに対し、イタリアは2,6%。

ちなみに、日本の企業役員(上場企業)で、女性は0,6%だそうです。

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ポリーニのショパン夜想曲全集

マウリツィオ・ポリーニのCD「ショパン夜想曲全集」が、2005年10月に発売されたにもかかわらず、2005年クラッシク部門で最高の売り上げを記録した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月7日)。

ポリーニはそもそもワルシャワのショパン・コンクール優勝で世界的に名を知られるようになった人であり、ショパンをリサイタルでも演奏し、レコード録音もしていたが、何故か夜想曲のレコードは録音していなかった。

僕にとって個人的には、ポリーニの弾くショパンの練習曲というのは衝撃的なレコードであった。それまでの、サロン風のイメージを吹き飛ばし、アポロン的な彫琢を示す音楽は、ショパン像を大きく塗りかえた。

今回の夜想曲全集(遺作も含め19曲)は、ポリーニもまさに円熟味をまし、ショパン像も、ゆったりとした、甘い心地よさがあり、多くの人に愛好されることは疑いない。

ただし、ポリーニ自身は、(ショパンのピアノ音楽の素晴らしさは言うまでもないことだが)、去年、来日した折りのコンサートのプログラムで示しているように、20世紀の音楽(ノーノ、ブーレーズ、シュトックハウゼンなど)をもっともっと多くの聴衆に聴いてほしいと思っていることだろう。

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2006年1月11日 (水)

破毀院の判事、同性婚を祝う

破毀院(日本の最高裁判所に相当する)の判事、ジョヴァンニ・パロンバリーニが、1月14日に、同性の事実婚カップルに祝福の言葉を述べることが明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、1月7日)。

その日の参加は、5組のカップルで、ゲイ、レスビアンのほか、異性間のカップルもある。パロンバリーニ判事の祝福は、すぐさま法的な効力を持つわけではなくて、多分に象徴的な意味合いであるが、同時にフランスのPACS(連帯市民協約)のような法律をイタリアでも制定する必要性を訴えるものである。

ちなみに、他の欧米の同性婚はどうなっているか。

オランダでは、2001年、同性婚が認められた。養子もOKである。

スペインでは、2005年7月から世俗婚が同性のカップルにも適応されるようになった。

カナダでは、Civil Marriage Actによって2005年7月から同性婚が可能になった。

イギリスでは、2004年に Civil Partnership Actが通過し、最初の同性婚が2005年12月21日に祝われた(エルトン・ジョンがその一人であったため、大々的に報道された)。

パロンバリーニの行為に対しては、農林大臣のジャンニ・アレマンノ(国民同盟)が、最高裁の判事が、現在の法律を逸脱するようなデモンストレーションに参加すべきでないという不満の声をあげている。

p.s. azusa  さんのご指摘をうけ、市民契約婚を世俗婚に変更しました。宗教婚に対して民事婚という意味でした。ご指摘ありがとうございました。

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2006年1月10日 (火)

ムッソリーニを捕まえたパルティジャーノの死

ウルバーノ・ラッザロというパルティジャーノ(対独抵抗運動闘士、パルチザン)が死んだ。81歳であった(コリエレ・デッラ・セーラ、1月5日)。

ウルバーノ・ラッザロはパルティジャーノの時には「ビル」と呼ばれていたが、ドンゴ村からスイスへ向かって逃亡するムッソリーニを捕まえた人である。

1945年4月27日、第52部隊ガリバルディの「ビル」がムッソリーニを見逃さなかったのだ。障害物を置いてブロックした場所に、ムッソリーニを乗せた車は止まった。彼は、ドイツ軍の外套を着て、ドイツ軍の高射砲Flackを載せたトラックに乗り、スイスへの逃亡を狙っていた。

ムッソリーニはドンゴ村役場に連れて行かれたが、愛人のクラレッタ・ペタッチとその弟のマルチェッロも捕まった。

ムッソリーニの最後(処刑)については謎の部分が多いのだが、ラッザロは、1962年にピエロ・ルイージ・デッレ・ステッレ(パルチザン部隊の隊長、「ペドロ」と呼ばれた)と『ドンゴ:ムッソリーニの最後』という本を著わし、さらに、1993年に『ドンゴ、半世紀のうそ』という本を書いている。

ラッザロによれば、ムッソリーニとペタッチを殺したのは、「ヴァレリオ」大佐ではなくて、ルイージ・ロンゴであるという。ロンゴはその後、共産党の書記となる。

パルティジャーノ「ビル」によれば、ムッソリーニ統帥とペタッチは二度銃殺されたのだ。28日にボンザニーゴ村で処刑されたのは、16時10分ではなくて、12時半であった。

二人の遺体は、彼らが発見された場所に運ばれて、そこでまた銃で撃たれた。ラッザロの証言は、ムッソリーニとチャーチルの往復書簡が、コモ湖で押収された書類の中にあったことも確認している。

ラッザロがパルティジャーノになったのは、愛国心からであった。しかし同じ村の友人たちで、パルティジャーノになろうというものは彼一人であった。解放後(戦後)、ラッザロはいくども襲われたーー「多くの危険なことを知りすぎた」からである。

戦争が終わって、ラッザロは、Sip(ピエモンテ水力発電会社)で働いた。

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2006年1月 9日 (月)

イタリア労働総同盟とオペラ

ニコラ・ピオヴァーニ(ベニーニ監督の映画で音楽を担当)が、イタリア労働総同盟の結成100年を記念したオペラを制作中である(コリエレ・デッラ・セーラ、1月3日、なお1日と2日は休刊です)。

Cgil(イタリア労働総同盟)のためのオペラ。主題は、一世紀にわたる闘争、希望、より不平等でない世界実現のための責務。

台本はヴィンチェンツォ・チェラーミ、音楽はニコラ・ピオヴァーニ。4人のソリストとオーケストラ。2006年5月29日、ローマのアウディトリウムで初演。タイトルは、『100年のカンタータ(La cantata dei 100 anni)』。委嘱作品である。

 Cgilが結成されて100年なので、委嘱の意図は明白である。ピオヴァーニは、ベニーニの映画の音楽担当で知られているが、マフィアに暗殺されたジョヴァンニ・ファルコーネ判事を記念する音楽を書いているのだという。

 政治的オペラと定義してよいのか、という記者の質問に、定義の仕方次第だと応えている。「狭い意味でとれば、退屈そのものだろうが、広い意味でとれば、普遍的ということになる。誰でもブレヒトの『三文オペラ』を思い出すだろう。1928年に書かれたのだが、まるで今書かれたみたいだ。マッキー・メッサー(メックメッサー)なんて、まったくリクッチ(銀行株買い占め事件に登場している不動産業者ー管理人の註)みたいじゃない。政治的作品かって?いや、古典だね。古典は永遠だ」とのこと。

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『キスの運び屋』

ロベルト・ピウミーニの『キスの運び屋』(長野徹訳、PHP研究所)を読んだ。

 不思議な味わいの本である。ピウミーニの本は同じ訳者で『光草』(小峰書店)が出ており、こちらは児童文学書として扱われている。

 『キスの運び屋』のほうはというと、漢字にふりがなが振ってあるので、子供が読めるようにという配慮は明らかにあるのだが、帯にもあるように、ショート・ショートとしても読める。星新一的味わいもある。いや、星新一とどこが異なるかを味読する楽しみもあると言えよう。

 「アルチバルド・ヴァカンツァ氏のニュース」は、ある日、まったくニュースが無くなってしまうので、自分たちで、身のまわりのことを報道するのだが・・・という話。

 いかにもイタリアらしいのは、「サウル親方の靴」と「聖トニオのお助け」。「サウル親方の靴」では、親方のもとに残忍な隊長が来て、三足の靴を作るよう依頼する。一足目は、サラマンカ征服のため。二足目はある王女の心を手にするため。三足目は、地獄の底を歩くため。親方は、三足とも作るのだが・・・。

 「聖トニオのお助け」は、ある曲芸師が綱渡りをしている最中にスズメがバランスをとる棒の端にとまって立ち往生する。聖人に祈るのだが、聖人の救急センターの当番が聖トニオで、この人、性格は良いのだが、有能とは言えなくて・・・。

 タイトルになっている「キスの運び屋」は、戦場にいる伯爵のもとへ、召使いが奥方さまのキスを運ぶという話ですが・・・。

 気軽に、想像の世界に遊んでみたい人におすすめです。

 

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2006年1月 8日 (日)

イタリアの難民

ミラノの市長選に立候補を表明したレティツィア・モラッティが、移民のために家を建てる構想を発表した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月31日)。

ミラノのVia Leccoでは住む場所を失った移民・難民の問題が発生している。この問題の根本的解決として、移民・難民を対象とした住宅を建てるべきだというのが、モラッティの考えである。ミラノには、使用されていない国有地が、300万平方メートルもあり、それを利用すべきだということ。

現在、イタリアには、1万5千人の難民がおり、1000人あたり、0,27人の割合で、ヨーロッパでは最低という。ドイツが最高で、1000人あたり10人とのこと。

2004年には、国連によると、920万人の難民がいたという。

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イタリアのODA

イタリアのODAが米国を抜いた。といっても、吝嗇な方で抜いたという話(コリエレ・デッラ・セーラ、12月31日)。

イタリアの途上国へのODAは、国内総生産との比率が下がり続けている。1992年には、0,34%だったものが、2004年は0,15%、2005年は0,11%となる。

他のEU諸国は以下の通り。対国内総生産の比率(2004年)

ノルウェー 0,87%

ポルトガル 0,62%

フランス   0,42%

イギリス   0,36%

EU平均  0,35%

ドイツ   0,28%

アメリカ  0,16%

イタリア  0,15%

ちなみに、日本は0,19%である。

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ガスプロム社とイタリア

ロシアのガスプロム社とウクライナの関係が悪化して、イタリアもガス供給が危機に陥っている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月30日)。

ガスプロム社からENI(炭化水素公社と訳すが、民営化されている)に通告があった。ロシアとイタリアの間にウクライナがあるのであるから、両者の間にもめごとがあれば、イタリアへのガス供給は不安定なものとならざるをえないのである。

イタリア、ドイツ、フランスは、ロシアのガスを大量に輸入している。

イタリアの場合、ロシアから240億立方メートル/年輸入している。オランダおよびノルウェーからは160億立方メートル/年、アルジェリアからは200億立方メートル/年、リビアから80億立方メートル/年で、ロシアが最大の供給源だった。

当然、これからは、ロシア以外の供給源、備蓄に力を入れることになるだろう。

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Coop と Unipol の資本関係

Legacoop(全国協同組合共済連盟)が、Unipolの問題に対して、立ち上がり、大々的な介入をするようだ(コリエレ・デッラ・セーラ、12月31日)。

Unipolは保険会社であるのに、どうしてLegacoopが介入できるのか、ということに関し、資本関係が明らかにされたので以下に説明する。

Unipolには、優先株(配当や精算時に優先して配分されるが、通常は議決権のない株)と、普通株がある。優先株が38%、普通株が62%。優先株はすべて市場で売却され、普通株は、49,8%が市場で売却され、50,2%はFINSOEという持ち株会社が保有している。

FINSOEという持ち株会社は、全株式の32%を持っている最大の安定株主である。

FINSOEに誰が出資しているのか? 最大の出資者は、HOLMOという Coop系の持ち株会社で、HOLMOはFINSOEの51%を持っている。Gruppo MPS(モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行のグループ)が39%。HOPAが5%。Gruppo P&Vというベルギーの会社が3%、アメリカのJPモルガンが2%もっている。

FINSOEという持ち株会社の大株主は、HOLMOとGruppo MPSである(合わせて90%になる)。

HOLMOの大株主は誰か? Ariete 18,74%、Coop Adriatica 10,34%、Coop Lombaradia 4,12%、Unicoop Firenze 2,85%、以下、比率は不明ながら、Coop Nord-Est,Coop Estense,Coop Liguria,Nova Coop,Unicoop Tirreno, CoopFond, Unieco, Copmaとなり、以上でHOLMOの80%を持っているという。

ここで問題になっているのは、BNLに対する公開株式買い付けを、新総裁となったイタリア中央銀行のドラーギが、いつ認可するのかということと、トップとナンバー2が辞任したUnipolは、誰が来るのかということ。

コンソルテがつけた道筋は継承して、早くBNL買収を成功させたいという人と、最初からこの買収に反対だった人がいて、Coop関係者も一枚岩ではない。

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2006年1月 7日 (土)

ベルルスコーニ、出頭要請を無視

ベルルスコーニ首相は、昨年12月3日、ミラノ検事局から出頭要請があったのを無視していたことが明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、12月30日)。

これに対しベルルスコーニ首相は、1994年と同様の、自分に対する選挙妨害だ、としている。

ベルルスコーニ一族が所有するMediaset に対する捜査が開始されたのは2001年のこと。スイスからイタリアに、オフショアの企業にあてた二つの口座が送られてきた。

これはテレビの諸権利の売買に際し、間に入った会社を通じて、闇金づくりを目的としたものではないかとの嫌疑がもたれた。

粉飾決算、横領、脱税の容疑で、14人(その中にベルルスコーニとコンファロニエーリが含まれる)に対する告発がされた。

捜査の中では、ベルルスコーニの子供、ピエルシルヴィオとマリーナも取り調べをうけた。マネー・ローンダリングの疑いである。

他の捜査では、ベルルスコーニ首相も、証人の買収や偽証の疑いで、捜査対象となったという。

ベルルスコーニ首相は、こうしたスクープを報道したコリエレ・デッラ・セーラ紙に対しても怒りを露わにしている。

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マリオ・ドラーギ、新総裁に

イタリア中央銀行の新総裁にマリオ・ドラーギが選ばれた(12月30日、コリエレ・デッラ・セーラ)。

ドラーギは、初の任期つき総裁である。6年の任期で、一度だけ再任が可能。ドラーギは現在、ゴールドマンサックスの30人いる共同経営者(副社長、partner) の一人。閣議で承認をえて、イタリア中央銀行の上級委員会の承諾を得て、チャンピ大統領による指名を受けた。

この人選は、ヨーロッパ中央銀行のトリシェ総裁にも歓迎されているし、政界も左右両陣営から同意を得ている。

ドラーギは第9代のイタリア中央銀行総裁になる。初代は、1928年に指名されたボナルド・ストリンゲルだそうだ。これまで最年少で総裁に任命されたのは、ヴィンチェンツォ・アッゾリーニで、50歳であった。

マリオ・ドラーギは、ローマ生まれ、58歳。10年以上にわたり国庫省の総局長をつとめた。1990年代に展開された様々な民営化の立役者だった。株式公開買い付けに関する法には彼の名が冠されている。

1970年代に、奨学金を獲て、MITでモディリアーニ(のちノーベル賞)のもとで学ぶ。イタリア人でPh.Dをとった最初だという。

順風満帆に見えるエリート中のエリートに見えるが、家庭的には苦労もあったようだ。15歳でやはり銀行員だった父をなくす。ほどなくして、母も世を去る。ドラーギは、家長となって、弟妹の面倒を見る立場に立たねばならなかった。アンドレイーナは美術史家となり、1999年にローマで中世のフレスコ画を発見した。マルチェッロは、小さな企業を営んでいる。兄弟は、Massimiliano Massimo高校を卒業。イエズス会の営む高校で、イタリア経団連会長のルーカ・ディ・モンテツェーモロや、警察のトップ、ジャンニ・デ・ジェンナーロ、テレビ司会者のジャンカルロ・マガッリもその仲間。エリート校で、厳しい学校でもあったが、ドラーギは、ガリ勉というわけでもなく、バスケットのチームを作ったり、テニスを楽しんでいた。

家庭は、夫人セレーナと子供が二人フェデリーカとジャーコモ。セレーナ夫人はパドヴァの貴族の出で、先祖にビアンカ・カッペッロというフランチェスコ・デ・メディチの夫人がいるという。娘のフェデリーカは30歳で、バイオを学んだ後、MBAをニューヨークで取得したばかり。息子ジャーコモは27歳で、ミラノのボッコーニ大を卒業し、モルガン・スタンレーのトレーダーをしている。

ドラーギのこれまでの業績でもっとも顕著なのは、民営化で、1993年に民営化委員会の委員長に任命されている。そこで、高速道路、電話、銀行とあらゆる分野のものを民営化して、イタリア政府に1080億ドルの歳入をもたらした。

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2006年1月 6日 (金)

コンソルテ、辞任

ジョヴァンニ・コンソルテとイヴァーノ・サッケッティが Unipol を去ることになった(コリエレ・デッラ・セーラ、12月29日)。

二人は、この保険会社を業界で、20位から6位にまで引き上げた立役者でもあり、Bnlの株式買い占めを考え出した人たちでもある。

この決定は、Holmoの重役会議で、難産の末にたどりついたものである。

コンソルテは、1990年にUnipolの代表取締役となり、1996年からは会長をつとめている。彼は90年代半ば、この会社を財政的に建て直した。さらに遡れば、1989年に Unipol を上場させるのに成功している。そして、ロベルト・コラニンノとともにTelecomの公開株式買い付けに参加したのが、一連の株式買い占めのはじまりだった。

コンソルテが株式を買い占めようとしたBNLは、Unipolより約4倍も大きい。彼は、この大勝負のため、クレディ・スイス・ファースト・ボストンから、ドイツ銀行、野村にいたるまで大物プレーヤーを引き込むことに成功したのだったが、どこかでボタンの掛け違えがあったようだ。

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イタリアの銀盤のプリンセス

イタリアのフィギュア・スケート界のスターは、カロリーナ・コスナーで、オリンピックでの活躍が期待されている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月28日)。

カロリーナ・コスナーは、1987年2月8日、オルティセイ生まれ。オルティセイはイタリアの北部に広がるドロミティという山岳地帯にある小さな町だ。現在18歳で、オリンピック開幕の二日前に19歳になる。4歳のときからスケートを始めたそうだ。

彼女の従姉妹にイゾルデ・コスナーがいて、イゾルデはスーパー大回転で世界大会で二つの金メダル、オリンピックの滑降で銀メダルを獲得している。カロリーナはイゾルデからストレス解消法を教えてもらっている。

カロリーナは、2005年のモスクワでのグランプリで、女子シングルの部で、銅メダルを得た。

2006年のトリノ・オリンピックでは、イタリアの旗手に選ばれた。トリノで滑るときの音楽は、ヴィヴァルディの四季の《冬》とモリコーネの《The Mission》。

ちなみに彼女は、マルチリンガルで、ラディン語(ドロミティ地方やスイス南部、フリウリ地方で話されるロマンス語の一つ)、ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語が話せるそうです。

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2006年1月 5日 (木)

教皇選出とOpus Dei

昨年4月のコンクラーヴェに際し、現教皇選出の陰にOpus Dei という教団のキャンペーンがあった、とブラジルの枢機卿が明らかにした(コリエレ・デッラ・セーラ、12月28日)。

これは、ブラジルのリオデジャネイロの日刊紙《O Globo》の報じたニュースで、現教皇は、コンクラーヴェの始まる以前から自らが選ばれるように計画をたてたという。

「洗練された」キャンペーンで、4月18日に第一回投票のためシスティーナ礼拝堂に入ったときには、実質上、当選が確実であったという。

ラッツィンガー枢機卿(当時)は、教皇庁の主だった枢機卿、保守派、とくに Opus Dei の枢機卿の助けを得たとされる。

ラテン・アメリカでは、コロンビアのLopez Trujillo枢機卿、チリのMedina枢機卿の賛同を得たが、二人とも Opus Dei に近いという。

ヨーロッパ勢の中ではオーストリアのSchoenborn枢機卿が活発に動いたとのこと。

コンクラーヴェで教皇に選出されるには、投票の3分の2を獲得する必要があり、昨年4月の場合、117人の枢機卿が出席を認められたが、2人が健康上の理由で欠席したため、77票が必要だった。

ブラジルの枢機卿によると、第一回目の得票は、

ラッツィンガー 47票

ベルゴリオ(ブエノスアイレス) 10票

マルティーニ(ミラノの前大司教) 9票

以下省略。

第二回目は、

ラッツィンガー 65票

ベルゴリオ   35票

ソダーノ     4票

テッタマンツィ 2票

で、ソダーノとテッタマンツィはイタリア人の枢機卿だった。

第3回目は、

ラッツィンガー 72票

ベルゴリオ   40票

以下省略。

第4回で、ラッツィンガー枢機卿(当時)が、84票を獲得し、選出されたのである。

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コンソルテと左翼民主(党)

Unipol(保険会社)のコンソルテが、左翼民主(党)の経理部長ウーゴ・スポゼッティと電話をしており、その内容が明らかにされた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月28日)。

Unipol は協同組合が支配している保険会社であり、協同組合と左翼民主(党)は、関係が浅くない。

問題の電話は、2005年7月6日にコンソルテが、左翼民主(党)の経理責任者のウーゴ・スポゼッティにかけたもので、それが当局により盗聴されていた。内容は以下の通り。

コンソルテ「誰も、何も知らないんだ。いつものように君だけだ知っているのは。信頼してるのは君だけだから。彼らを説得したから、Unipolは取引をやれるだろう。これからファッシーノ(左翼民主の書記長)に電話をするが、細かいことは言わないよ・・・」 

ウーゴ・スポゼッティは、元上院議員で、元経済相次官、58歳、マルケ州出身だが現在はヴィテルボに住んでいる。

スポゼッティは、この電話の内容自体は、何もやましいことはないのに、繰り返し報道されることは、左翼民主(党)のイメージを貶めようとする意図が見えるし、今回の事件の核心から目をそらせるものだ、として反発している。

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Holmo と Legacoop と Unipol

UNIPOL の事件に対し、Legacoop(全国協同組合共済連盟)の会長ジュリアーノ・ポレッティが批判した(12月28日)。

Unipol という保険会社は、Coop(協同組合)と関係が深い。Coopの持ち株会社Holmoをはじめとする46の協同組合事業体が Unipol を支配しているのである。

Legacoopは協同組合が集まった全国協同組合共済連盟で、会員は735万人。一年で7,8%増加している。Legacoopを構成する事業体の数は、15300。この中には、スーパーマーケットのConadなども含まれる。Coop関係で働く人の数は、40万人。2004年の売り上げは、457億ユーロ(約6兆4千億円)で、2003年より5,1%の増加。

Legacoopの会長ポレッティは、株式公開買い付け自体は、合法的だが、個々人のふるまいについては、きちんと評価する必要がある、とくぎを刺した。

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2006年1月 4日 (水)

ニュッティとコンソルテ

ニュッティ(ブレーシャの財務家)とコンソルテ(Unipolの会長)の間での、資金のやりとりが取り調べの対象となっている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月28日)。

二人の関係は、1999年のオリヴェッティ株の買い占め(ニュッティと同盟者たちによる)の最終段階で、2001年にピレッリ(タイヤ・メーカー)に大量の株を譲渡した際に始った。

コンソルテは、ニュッティに感謝されて、500万ユーロをもらったらしい。これはUNIPOLの会長が、暗礁に乗り上げた交渉を軌道にのせ、価格を決定するのに果たした(と少なくともニュッテイには見えた)役割に対する謝礼だった。

しかし上述の状況をピレッリ側は否定し、オリヴェッティのすべての株は、4,175ユーロに固定されていたと主張している。

こうしたやり方で、コンソルティとその副会長であるサッケッティは、3000万から5000万ユーロをニュッティから受け取ったもよう。

しかも専門的助言という名目なのだ。Unipolの会長としてではなく、個人として、ニュッティの持ち株会社Hopaに貸し付けている。専門的助言に対しては、請求書なしで、《鉄壁》の株価操作で利益をあげる形で謝礼が支払われた、という疑いをもたれている。

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フィオラーニ対ニュッティ

アントンヴェネタ銀行に対する株式買い占めを考え出したのは、イタリア国民銀行のフィオラーニだったのかブレーシャの実業家エミリオ・ニュッティであったのか、互いの主張が食い違っている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月27日)。

フィオラーニとニュッティは、仕事仲間であり、友人でもあったのだが、現在は検察官への自供内容をめぐり対立している。

フィオラーニは、不正株価操作や共同謀議で告発されている。ニュッティは、アントンヴェネタ銀行事件をめぐり、不正株価操作の疑いで、4時間にわたり、クリスマス前に取り調べをうけた。

1999年に、ニュッティは、マントヴァの会計士コラニンノとともに、すべての株式公開買い付けの母とも言えるTelecomに対するそれを仕掛けた。500億ユーロに上る額であった。その仲間にフィオラーニもいたのだ。また、今回も登場している不動産業者ステーファノ・リクッチもすでにこの時参加していたのである。

2003年、ニュッティの持ち株会社 Fingruppo は、1998年末からフィオラーニが支配していたBplスイスの株9%を取得した。

さらに、ニュッティの《金庫》と呼ばれるようになる持ち株会社 Hopa はBpl Investimenti の1%を取得。また Hopaの重役には、ニュッティの他に、フィオラーニ、コンソルテ(UNIPOL)、リクッチ、フェデリーコ・インベルト(JPモルガン・イタリア代表)がいる。

かつての仲間が、今は、アントンヴェネタ銀行の株式買い占めの筋書きをどちらが書いたかで争っている。

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コッリーナ、沈黙を破る

サッカー界で最も評判の高い審判であったピエルルイージ・コッリーナが4ヶ月の沈黙を破った(コリエレ・デッラ・セーラ、12月24日)。

コッリーナは2005年2月に45歳になってイタリア・サッカー協会の定める定年に達していたが、同協会は、特例で一年延長を認めることにした。ところが、コッリーナが、ACミランのスポンサーであるオペル社と、スポンサー契約を結んだことが問題視され、コッリーナは審判活動をすっぱりやめてしまったのである。

コッリーナは1960年2月13日生まれ。経済と商学で学位をとり、1991年以来、ヴィアレッジョに住む。妻ジャンナと娘が二人(フランチェスカ・ロマーナとカロリーナ)。

審判活動を開始したのは、1977年。1983年には、23歳で、全国レベルの試合の審判となる。その後、1988年には、セリエCに登場。セリエAへのデビューは1991年12月15日のヴェローナ対アスコリ戦(1ー0)。最後の試合は、コッパ・イターリア(イタリア杯)で、2005年8月21日、パヴィーア対バーリ(5-6)。ただし、12月には、国連をサポートするための特別ゲームで審判をつとめた。

この4ヶ月は、彼にとって一生のように長かったと述べている。自分が何でも勝手にできると考えている、と言われたことが一番つらかった、自分をよく知るものはそんな人間ではないと判っている、とも。

これまでの一番良い思い出は、ワールド・カップの決勝戦で横浜で審判をつとめたこと!で、最悪の思い出は、24歳の時、脱毛症の一種のため、20日間で髪をすっかり失ってしまったこと。そのため、もう審判は出来ないと考えた人もいた。つるつるの審判は、州レベルの試合にもいなかった。2ヶ月活動を停止させられ、ラティーナ(ラツィオ州の都市)から再開した。人々の反応を確かめたかったのだ。

余暇の出来た現在は、バスケットを見たり、MP3プレーヤーをポケットに入れて、ヒップ・ホップやR&Bを聞いているという。しかしそればかりではなく、トッレ・デル・ラーゴで開かれるプッチーニ音楽祭のオペラにも行く。エロス・ラマッツォッティやエルトン・ジョンのコンサートにも行ったことがある。

コッリーナの活躍とともに、審判のイメージ、地位が向上したことは間違いないだろう。

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2006年1月 3日 (火)

Unipolとドイツ銀行の密約

証券取引委員会は、Unipolとドイツ銀行の間にBnlの株式買い占めに関し契約があることを明らかにし、株式公開買い付けの価格を2,70ユーロから、2,755ユーロに引き上げた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月24日)。

証券取引委員会によるこの一株当たりの引き上げは、それ自体としては、50億ユーロに上る取引に対し、800万ユーロ増加に過ぎないが、ドイツ銀行がイタリアの証券取引委員会(CONSOB)から指図を受けるのはこれまでなかったことだ。

ドイツ銀行とUnipolは、Unipolが仕掛ける株式公開買い付けにドイツ銀行は介入しない、他の競争相手によるものにも介入しないという契約を結んでいたらしい。

証券取引委員会は、国際的な照合を行って、Bnl株式をドイツ銀行が取得したときには、2,755ユーロで取得していることを突き止め、Unipolにもその条件で株式公開買い付けをしなさいと命じたことになる。これは、《best practice rule》を適応したものと証券取引委員会では説明している。

証券取引委員会は、こうして5ヶ月前に始った取り調べを終える。新たな買い付け価格およびドイツ銀行との合意事項は、Unipol側が作成中の補足事項に加えられる。

Unipolは手続きとして、イタリア中央銀行の認可を待つわけだが、イタリア中央銀行の新総裁にとっては、これが最初の注目を集める案件となるだろう。

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地上波デジタルのデコーダーと利害の衝突

競争・市場保護委員会(Autorita' Antitrust) は、地上波デジタルのデコーダに関し、ベルルスコーニ首相に対して取り調べを開始した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月23,24日)。

競争・市場保護委員会(会長アントニオ・カトリカラ)は、利害の衝突のおそれ有りという理由で、何人かの国会議員の指摘をうけ、地上波デジタルのデコーダに対する補助金に関し、調査を開始した。

デコーダを販売する会社の中に、ベルルスコーニ首相の弟パオロ・ベルルスコーニが会長の会社があるので、補助金をその会社に出すことになると、利害の衝突(conflitto d'interessi)のおそれがあるということだ。

補助金は、地上波アナログから地上波デジタルへ移行するためのもので、2004年には、1億1千万ユーロ、2005年も1億1千万ユーロ、2006年は1000万ユーロが支出される予定である。

ただし、支出されるのは、製造業者に対してではなく、それを取り付ける消費者に対してである。また、パオロ・ベルルスコーニの会社は、デコーダ業者としては、7,8番目のシェアであるという。

イタリアでは、地上波のアナログからデジタルへの移行を2006年に終了する予定であったが、2年ずらして、2008年に終了という予定になっている。

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第二ヴァティカン公会議をめぐる二つの立場

第二ヴァティカン公会議をめぐってはいまだに二つの相反する立場があるが、教皇ベネデット16世は、公会議を受け止める困難さを認めつつ、現在との連続性をも表明した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月23日)。

第二ヴァティカン公会議は、ローマ・カトリック教会にとって、ある意味では、革命的であった。公会議についてあらましを辿ってみよう。

1959年1月25日、ジョヴァンニ23世は、第二ヴァティカン公会議の招集を宣言した。これは、世界の変化を前にして、教会に対しあらたな展望を求めた教皇の意図によるものであった。

1962年10月11日、教皇はサン・ピエトロで正式に第二ヴァティカン公会議を開いた。4回の会期に、将来の教皇3人が加わっていた。司教アルビーノ・ルチャーニ(後のヨハネ・パオロ1世)、カロル・ヴォイティワ(後のヨハネ・パオロ2世)、若き神学者ジョゼフ・ラッツィンガー(現教皇)である。

ローマでの会議には、世界中から2856人の神父が集まり、16の公文書を発布した。すなわち、4つの憲章とそれに基づいた9つの教令(decreto) (「司教司牧教令」、「司祭養成教令」など)、3つの宣言(「キリスト教教育宣言」「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」など)である。

ジョヴァンニ23世は1963年6月3日死去した。公会議は、彼の後継者パオロ6世に受け継がれ、公式には、1965年12月8日に閉会した。

この会議は、教会のあり方を根本から考え直し、現代化するという目的であったため、一方で驚きと感激、他方で当惑、反発を招き、その対立は今に及んでいるようだ。

公会議が終わって40年が経過したところで、教皇ラッツィンガーは、公会議の受容(受け入れと適応)には困難が伴うと認めつつも、改革の考え方には、継続すべきところもあり、決して断絶とは言えないと論じたのである。

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2006年1月 2日 (月)

教皇のクリスマスの挨拶

クリスマスの挨拶に使用する言語が、新教皇は33言語に減った(コリエレ・デッラ・セーラ、12月27日)。

ベネデット16世のクリスマスの挨拶は、33言語であった。これは、前教皇ジョヴァンニ・パオロ2世の62言語から較べると、大幅に減っているが、実は、1970年代のパオロ6世は12言語であった。

ベネデット16世が選んだ言語には、トルコ語、エティオピアーエリトレア語、ヘブライ語、ロシア語、ヴェトナム語、朝鮮語があった。彼の母国語のドイツ語は、4番目で、英語の次、スペイン語の前であった。

ジョヴァンニ・パオロ2世は、2004年、つまり彼にとって最後のクリスマスでは、挨拶を62言語で行い、その中には、アラム語、マダガスカル語、ヒンドゥー語、タミール語、ブルンディ(アフリカ南部)語、ルワンダ語(kinyarwanda)、ウルドゥー語、マオリ語、サモア語などが入っていた。しかし最初からこれほど多かったわけではなく、最初のクリスマス、1979年には24言語であった。翌年33言語となり、1989年には53言語となって、最後の3年間は62言語にまで拡張したのだ。

それより以前のパオロ6世は、1976年のクリスマスには、12カ国語で挨拶をしたが、パオロ6世の在任中、彼の復活祭とクリスマスでの挨拶の使用言語は、最小が6言語、最大12言語の間を行き来していたという。

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銀行事件をめぐるとりあえずのまとめ(2)

イタリア銀行事件、まとめの続きであるが、Unipol(保険会社)をめぐるもので、こちらの方が、不明の点が多いが、事件をめぐる構造としては、BPIのそれと重なっている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月27日)。

昨年(2005年)3月、スペインのビルバオ銀行が、BNLに対し、株式交換による株式公開買い付け(Offerta di pubblico scambio) をしかけようとした。イタリア中央銀行総裁(当時)ファツィオは時間をかせいで、すぐに認可を与えなかった。

その間に、UnipolがBnlの株式を買い集め、7月に、株式公開買い付け(Offerta pubblica di acquisto=Opa)を、ビルバオ銀行よりも一株あたりの値段を高くして、しかけようとした。

ローマ検事局は、UnipolによるBnlの株式の買い集めおよび株式公開買い付けに、法令違反があるのではないかという説をたてた。

Unipolの会長と副会長のコンソルテとサッケッティが不正株価操作、市場操作、監視当局に対する妨害などの容疑で取り調べを受けた。

ローマの判事たちは、コンソルテもサッケッティも、長年にわたり、フィオラーニの顧客であったことを発見した。二人は、以前から持っていた口座を閉じて、新たな口座をフィオラーニの銀行で開き、担保なしで、400万ユーロ(5億6千万円)の融資をうけている。彼らは、それぞれ、取引のなかで、160万ユーロを短期間のうちに稼ぎ出している。

一応は、(1)アントンヴェネタをめぐるフィオラーニ一派と、(2)Unipolのコンソルテ一派の動きに分けて、整理をしているが、ここで両者はつながってくるのだ。

また、Unipolは、Coopなどの協同組合と間接的な関係があり、Coopは中道左派とくに左翼民主(党)とのつながりが密接なので、ダレーマやファッシーノの名前が何度かあがっているわけである。ただし、彼らが、コンソルテとどのような関わりを持っていたのか、いなかったのかは、明らかではない。

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銀行事件をめぐるとりあえずのまとめ(1)

イタリアの銀行株式買い占めをめぐる事件の中間報告的まとめを、(1)(2)にわけてしておきたい。連日、事件をめぐる報道は数ページにわたり、囲み記事的に何度かまとめがなされているからで、事件のまとめはほとんどが重複するのだが、捜査の進展とともに、少しずつ情報が付加されている。

それに加えて、まだ判明しないことも付記します。判明しないのは、容疑者の自供が進んでいない、捜査の進展がそこまでいっていない、という場合と、筆者のイタリア金融事情に関する知識および理解不足の場合があることをお断りいたします(コリエレ・デッラ・セーラ、12月27日)。

まず、(1)では、アントンヴェネタ銀行買収を目的としたBPI(イタリア国民銀行)の事件を振り返っておこう。

去年(2005年)の春、オランダのABN Amro 銀行が、アントンヴェネタ銀行に対し、株式公開買い付け(Opa) をしかけようとした。

そこへ、ジャンピエロ・フィオラーニとその仲間がやってきて、かなりの数のアントンヴェネタ株をかき集めた。

7月11日、イタリア中央銀行総裁(当時)のアントニオ・ファツィオが、フィオラーニに株式買い占めへの認可を与えたると電話で伝えた。認可に対して、イタリア中央銀行の2人の査察官は否定的な意見であったが、外部の顧問によってくつがえされてしまったのだ(この部分、新情報)。

7月25日、ミラノ検事局は、BPL-BPI(Banca popolare di Lodi が Banca popolare Italiana になった)およびその同盟者たちが集めた株式を押収した。

8月2日、フィオラーニ、ボーニ、リクッチとニュッティが職務執行を停止され、イタリア中央銀行は、アントンヴェネタ銀行に対する株式買い占めの認可を取り消した。

9月6日、フィオラーニは、業務横領で告発され、辞任した。

12月、フィオラーニは、横領とその他の違反のかどで逮捕された。

これがアントンヴェネタ銀行の株式買収をめぐるあらましだが、登場人物は、数多く、フィオラーニ(ローディの実業家)の周辺には、この事件よりずっと以前から、ブレーシャや北部の不動産業者や銀行家、実業家が集まって、株式買い占めなどで行動を共にして、利益をあげていたらしい。

それに政治家(特に、北部同盟やフォルツァ・イタリア)がどれくらい絡んでいたのか、一部の政治家の名前はあがっているものの、介入の度合など不明の点も多い。

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2006年1月 1日 (日)

銀行法の改正

イタリア下院で、銀行の基金の投票権が、2006年1月1日から30%に制限されるという法案が通過した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月22日)。

この条項にあてはまる大きな基金を持つ銀行は3つある。40-49%をもっているのが、フィレンツェ貯蓄銀行とジェノヴァ貯蓄銀行とモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行である。その中で、もっともやっかいな問題なのがシエナ銀行(しばしばMPSと略す)。

基金の側は、これが上院でも承認された場合、憲法裁判所に訴える予定である。

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