イタリアの銀行株式買い占めをめぐる事件の中間報告的まとめを、(1)(2)にわけてしておきたい。連日、事件をめぐる報道は数ページにわたり、囲み記事的に何度かまとめがなされているからで、事件のまとめはほとんどが重複するのだが、捜査の進展とともに、少しずつ情報が付加されている。
それに加えて、まだ判明しないことも付記します。判明しないのは、容疑者の自供が進んでいない、捜査の進展がそこまでいっていない、という場合と、筆者のイタリア金融事情に関する知識および理解不足の場合があることをお断りいたします(コリエレ・デッラ・セーラ、12月27日)。
まず、(1)では、アントンヴェネタ銀行買収を目的としたBPI(イタリア国民銀行)の事件を振り返っておこう。
去年(2005年)の春、オランダのABN Amro 銀行が、アントンヴェネタ銀行に対し、株式公開買い付け(Opa) をしかけようとした。
そこへ、ジャンピエロ・フィオラーニとその仲間がやってきて、かなりの数のアントンヴェネタ株をかき集めた。
7月11日、イタリア中央銀行総裁(当時)のアントニオ・ファツィオが、フィオラーニに株式買い占めへの認可を与えたると電話で伝えた。認可に対して、イタリア中央銀行の2人の査察官は否定的な意見であったが、外部の顧問によってくつがえされてしまったのだ(この部分、新情報)。
7月25日、ミラノ検事局は、BPL-BPI(Banca popolare di Lodi が Banca popolare Italiana になった)およびその同盟者たちが集めた株式を押収した。
8月2日、フィオラーニ、ボーニ、リクッチとニュッティが職務執行を停止され、イタリア中央銀行は、アントンヴェネタ銀行に対する株式買い占めの認可を取り消した。
9月6日、フィオラーニは、業務横領で告発され、辞任した。
12月、フィオラーニは、横領とその他の違反のかどで逮捕された。
これがアントンヴェネタ銀行の株式買収をめぐるあらましだが、登場人物は、数多く、フィオラーニ(ローディの実業家)の周辺には、この事件よりずっと以前から、ブレーシャや北部の不動産業者や銀行家、実業家が集まって、株式買い占めなどで行動を共にして、利益をあげていたらしい。
それに政治家(特に、北部同盟やフォルツァ・イタリア)がどれくらい絡んでいたのか、一部の政治家の名前はあがっているものの、介入の度合など不明の点も多い。
最近のコメント