「カルメンの白いスカーフ」
武谷なおみ『カルメンの白いスカーフ』(白水社)を読んだ。副題に「歌姫シミオナートとの40年」とあるように、武谷さんとシミオナートの交流を描いたもの。
シミオナートと言えば、イタリアオペラの黄金時代1940年代後半、50年代、60年代を代表するメゾ・ソプラノである。テノールのマリオ・デル・モナコ、バリトンのエットレ・バスティアニーニ、ソプラノのレナータ・テバルディとともに当時のNHKイタリア歌劇団として、日本人に本格的なイタリアオペラを体験させた偉大な存在である。
そして、上にあげたイタリア歌劇団をかざるスターたちのうち今もなお存命なのはシミオナートのみである。
武谷さんとシミオナートの日本での出会い、手紙の交換、4年半におよぶ留学生活でのシミオナート・フルゴーニ夫妻との交流。フルゴーニ医師というのが、また、プッチーニ、ムッソリーニ、共産党のトリアッティ、マルコーニとイタリア中の名士を診察した医師で、興味津々のエピソードが次々に出てくる。
僕にとって特に興味深く印象的だったのは、シミオナートが幼い時に母の故郷サルデーニャで過ごしたこと。また、サルデーニャ人の母の頑なさ(NOという言葉しかきいたことがないという)、厳しさ(子供を鞭でうつ)である。
幼ないときの場合によってはトラウマティックな経験は、彼女の芸術をときあかす一つの鍵であると思った。たとえば、『カヴァレリア・ルスティカーナ』で、未婚で誘惑され棄てられる女サントゥッツァを演じるとき、シミオナートは全身全霊で没入し、気がつくと、手に紫色のあざが出来てしまうという。計算を越えた迫真の演技だが、そういう激しいトランス状態に誰もが到達できるわけではあるまい。母から受け継いだ気質、そして母親という存在とのぶつかりあいがこんなところで意味をもっているのだろう。
また、シミオナートが抱いている現代のイタリア・オペラのあり方(指揮者や演出家の意図が優先される。歌手がじっくりと役作りをしない、などなど)への憤懣に、僕は深く感じ入った。偉大な歌手に、偉大な声に、すべてを圧倒される時代はもうこないのだろうか?
武谷さんは、シミオナートを語る語り部にいさぎよく徹している。音楽評論家めいたことはあまり言わない。これは一次資料であり、それをどう料理するのも後世の人間に託しているのであろう。
武谷さんが、シミオナートにインタビューしたビデオが20時間分あるという。ビデオでもDVDでもかまいません、是非、是非、拝見できる形で世に出してください。オペラ愛好家にとって、シミオナートのオペラに関する評言はまさに珠玉の価値を持つものなのです。
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