ジュゼッペ・カンパーリというドライバー
1920年代から30年代にかけて、ミッレ・ミリア(1000マイル自動車レース)で活躍したジュゼッペ・カンパーリというレーサーは、レースと同じくらいオペラが好きで歌手デビューもした(コリエレ・デッラ・セーラ、11月17日。新聞の遅配が続きふるいネタです)。
そもそもこのカンパーリというレーサー、アルファ・ロメオで活躍したのだが、アルファには輝かしい神話がある。
ヘンリー・フォードは、「わたしは、アルファ・ロメオが通るたびにいつも帽子をとるのです」と言ったというエピソードがある。最高のオマージュである。
1928年にカンパーリはAlfa 1500 6C Sport Spider でミッレ・ミリアに勝ったが、それがアルファ・ロメオのミッレ・ミリアでの初勝利で、これをもとにした市販車 1500 6C Super Sport を販売した。
エンツォ・フェラーリも書き残しているように、カンパーリは自動車レースとならんでオペラが好きだった。しかも両者の優先順位がつけられないほどだった。そして第三の情熱は、料理だった。
彼が結婚したのは、リーナ・カヴァッレーリという歌手だった。あるとき、彼はレースよりもオペラに夢中になって、ついには、ベルガモのドニゼッティ劇場に、『椿姫』でデビューしたのだ。
歌手として成功ではなかった。ある観客は、「車を走らせに行け!」と叫んだ。カンパーリは、「車を走らせに行けば、歌いに行けと言われ、歌えば、車を走らせに行けと言われる。いったい、私は、どうしたらよいのだ?」と答えたが、これは冗談で、レース場で彼を否定するものは誰もいなかった。
1920年代後半、アルファの生産台数は1000台強であったのに対し、イタリア全体の自動車生産は1万5000台であった。
1931年、カンパーリはモンツァで、8Cで勝利をおさめたが、世界大恐慌の影は忍び寄っていた。アルファの拡大はストップし、1933年、アルファは、IRI(産業復興公社)の管理下にはいる。
ジュゼッペ・カンパーリはその年に、モンツァのレース場で事故のため亡くなった。
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