チャーチルとディーノ・グランディ
ディーノ・グランディの未発表稿が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ)。
ディーノ・グランディは、ファシズム期のリーダーで、外務大臣(1929-1932)、イギリス大使(1932-1939)を勤めたが、1943年7月25日のファシスト大評議会に参加し、ムッソリーニを解任する投票をした。ファシストの復讐をおそれ8月には、イタリアを離れ、リスボンに落ち着く。
1944年末に、イギリスのDaily Expressの社長兼オーナーのウィリアム・ビーヴァブルック卿の密使が、グランディのところにやってくる。ファシズム崩壊について一連の記事を書いてほしいという依頼である。
ビーヴァブルック卿の後ろにはチャーチルがいた。12月半ばには、記事は書き上がっていたが、グランディはまだためらっていた。ロンドンから新たにDaily Express の外信部長のチャールズ・フォウリーがやってきて、記事に手をいれ、インタビューの形で新聞に掲載してしまう。
グランディは不満で、自分の書いたものの方がよいと考えていた。この中には、1941年時点で、既に、ムッソリーニを解任する計画があったことも記されている。
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