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2005年12月14日 (水)

教皇、不可知論と相対主義をしりぞける

教皇ベネデット16世は、お告げの祈り(Angelus)に際し、不可知論と相対主義をしりぞけ、それらが文化を支配すると、宗教の自由を、欺瞞的なやり方で妨害することになると警告を発した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月5日)。

ここで、教皇ラッツィンガーが警告を発している、「不可知論」と「相対主義」について、囲み記事にならい整理しておこう。

「不可知論」(Agnosticismo)は、ひらたく言えば、神がいるかいないかは、知り得ない、(だから、コミットできない)という立場である。この言葉が近代で使われ始めたのは、英語の agnostic  で、1869年に、自然学者のHuxley(小説家のA.Huxleyの祖父)で、ギリシア語の agnostos theos (知られざる神)から来ており、このギリシア語は聖パオロが使っているそうだ。

イタリア語には、1906年に入り、最初は厳密に科学的には証明されえないことは、認識不可能であり、いかなる判断をも下しえない、という意味で使われた。しかし時の経過とともに、宗教だけでなく、政治や社会に対しても、無関心な人(その態度)を示す言葉となってきている。

「相対主義」というのは、まさに、絶対的な真実という特権的な立場を排して、それぞれの考え方の価値を認めることである。この「相対主義」にベネデット16世は、かたくななまでに反対しているのである。

これに対し、哲学者のエマヌエーレ・セヴェリーノは、教皇に対する敬意を表しつつも、「不可知論」や「相対主義」が、宗教的自由をさまたげる、という考えを推し進めていくと、絶対主義国家や神権政治を求めることになってしまう、として困惑の表情を浮かべている。

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