コロンブスと中傷
コリエレ・デッラ・セーラでは、このところ毎週、7,9ユーロほど余計に出すと、伝記が買えるというサービスを展開しているが、今回はコロンブスの伝記で、それにちなみ彼に関するエピソードを紹介した記事が掲載された(コリエレ・デッラ・セーラ、12月13日)。
コロンブス、イタリア風にはクリストーフォロ・コロンボであるが、彼について確かに判っていることは、ジェノヴァ生まれということだけだ。
彼の生涯は、疑問、謎、中傷がいっぱいである。中傷の由来は、1511年から1536年にわたる訴訟で、クリストーフォロの子孫に対し、ピンソン兄弟(コロンボと一緒にアメリカに向かった)の子孫が起こしたものである。兄弟はそれぞれ「ニーニャ号」と「ピンタ号」を指揮し、コロンボは「サンタ・マリア号」を指揮して、三隻でアメリカ大陸に向かって行ったのである。それぞれは、自分こそが「大発見」の立役者だと主張したかったのである。
コロンボがユダヤ人なのではないかという伝説は、広範囲に広まっていた。というのも、彼がフィレンツェやジェノヴァの豊かなユダヤ人商人の支援をうけていたらしいからだ。研究者のなかには、ユダヤ系のJonaを文字通りイタリア語訳するとColombo(鳩)になるので、そこから来ていると考えた人もいたが、実際は捨て子などにしばしば付けられた名前だという。
コロンボと同じ都市に生まれた研究者パオロ・エミリオ・タヴィアーニによると、クリストーフォロ・コロンボは1451年にジェノヴァに生まれたが、祖父ジョヴァンニはラパッロから内陸にはいったモコネジ村の生まれ。農家であったが、中世ではユダヤ人は農家であったり、田舎に住むことはなかったという。クリストーフォロの父、ドメニコは、複数の家と土地を所有していたが、ユダヤ人の場合、たとえ改宗していても、不動産を所有することは出来なかったとのことだ。母スザンナも、ヤーコポ・フォンタナロッサという土地持ちの娘で、ユダヤ人ではなかった。
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