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2005年12月 7日 (水)

リンボ(辺獄)の消滅

リンボ(辺獄)の歴史は最終ページに入った。前教皇ジョヴァンニ・パオロ(ヨハネ・パオロ)2世により委託された国際神学委員会が結論を出そうとしている(コリエレ・デッラ・セーラ、11月29日)。

委託の内容は、「洗礼を受けずに死んだ子供の運命」についてで、今回の現教皇ベネデット16世への答申では、「辺獄」という仮定の存在が、抜け落ちることになるようだ。

そうなると、神の慈悲(misericordia)によって、無垢な子供たちの魂は救われることが保障される。

以上のことが神学上の議論になるのは、かつては、洗礼を受けずに死んだ子供やイエス・キリスト生誕以前に生まれた偉大な人々(当然、キリスト教徒としての洗礼を受けていない)は、天国にも行けず、地獄にもいかないで、辺獄というところに行くとされていたのだ。

ダンテの『神曲』の地獄篇第4歌にも、ウェルギリウスの上記のような説明を聞いたダンテが「それを聞いた時私の心はひどく痛んだ、というのは非常な価値ある人々が何人もこの辺獄(リンボ)の中でどちらつかずになっているのを知ったからだ」(地獄篇4歌45行)とある。

また、20世紀に入ってからも、ピオ10世の時にでたカテキズモ(カトリック要理)(1905年)には、「洗礼を受けずに死んだ子供たちは、リンボに行く。そこでは神の存在を喜ぶこともないし、苦しむこともない、というのも原罪を持ってはいるが、罪はそれだけなので、天国にも値しないが、まして、地獄や煉獄にも値しない」と書かれていたのである。

リンボ(辺獄)という考え方が整理されたのは、13世紀のことだそうだ。そこには、キリスト以前のイスラエルの父祖(アブラハム、ヤコブ等々)や洗礼前に亡くなった幼児がいるとされたのだが、ダンテはこの説を受け入れつつ、一部改変し、古代ギリシア・ローマの賢者をもここに組み込んだのだ。

現教皇は、ラッツィンガー枢機卿であった頃に、個人的見解と断りながらも、リンボはつねに「神学上の仮定に過ぎなかった」という考えを述べている。

それが、正式に神学者の会議で認められ、無垢のまま亡くなった子供たちは、神の慈悲にあずかることが、晴れてカトリック教会の正式見解となる見通しである。

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