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2005年12月31日 (土)

教皇の赤い帽子

教皇ベネデット16世が赤い帽子をかぶった。これは14世紀から17世紀によく見られたカマウロというビロード製の帽子で、このところのローマの寒さから身を守るためのものだ(コリエレ・デッラ・セーラ、12月22日)。

先日は、ローマでも零下2度まで気温が下がった。この帽子を最後にかぶっていた教皇は、ジョヴァンニ23世(1958-1963)である。

ラファエッロ描くところのレオーネ(レオ)10世もこれを被っている。レオーネ13世も使用していたが、彼とジョヴァンニ23世の間では使用されなくなっていたようだ。

カマウロという帽子の名前は、ラテン語の《camaleucum》、ギリシア語の《kamelauchion》から来ており、ラクダの皮の帽子という意味だったそうだ。

現教皇の被っているものは、赤い地がヴェルヴェットで、白い縁取りがオコジョである。ヴァティカン筋によると、この帽子を復活させたことに、特別な意味はなく、防寒のためとのことである。

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左派、意見の対立

ダレーマの銀行口座(船の代金のリース)をめぐり、左派内で意見の対立が起こっている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月22日)。

表面的には、左翼民主(党)の委員長ダレーマのヨット熱をめぐるものだが、その背後には、左翼民主(党)の執行部が、Coopの側から、銀行の株式買い占めにゴーサインを与えた、という問題がある。

左翼民主(党)の中には、ジャンフランコ・パスクィーノのように、1970年代のエンリーコ・ベルリングェルの時代を懐かしむものもいる。

一方、リヴィア・トゥルコのように、「私たちは偽善者の国にいるのです。どうして自転車への情熱は良くて、ヨットへの情熱はいけないの?」とする意見もある。

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司法省次官、盗聴漏洩を否定

逮捕されたフィオラーニは、疑惑をもたれ当局から盗聴されていたわけだが、途中で自分が盗聴されていたことを誰かから知らされる。この盗聴に関する情報をフィオラーニに漏洩したのが誰であるのかが問題になっているが、その候補にあげられていた司法省政務次官のジュスティツィア・ヴァレンティーノが否定した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月22日)。

ただし、ヴァレンティーノは、不動産業者のステーファノ・リクッチの友人であることは認めた。彼の弁護士であったが、次官になったときに、すべての訴訟から手を引いたという。リクッチは、フィオラーニと取引のあった不動産業者である。

ヴァレンティーノはリクッチの結婚式にも出席したという。ヴァレンティーノは国民同盟の同僚の支持をとりつけている。

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コンソルテと野村證券

UnipolによるBNLの株式買い占めの過程で、Unipolの会長ジョヴァンニ・コンソルテは、ファツィオイタリア中央銀行総裁(当時)との関係を利用して、野村證券を仲間に引きいれたらしい(コリエレ・デッラ・セーラ、12月22日)。

実際、野村證券は、BNLの株式の5%を獲得した。去る7月12日、コンソルテはファツィオ総裁の反応を伝える電話を受けている。ファツィオは野村の参加を非常に肯定的に捉えていたようだ。いや、興奮すらしていたらしい。

コンソルテが伝えるところによれば、ファツィオが求めたのは、(BNLの買収に成功したら)少なくとも最初は、銀行界の人間を会長にすえてほしい、ということだけだった。おそらくは、お気に入りのフィオラーニを想定してのことだったろう。

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権力者と芸術収集

イタリア商業連盟会長、ビッレの家には、美術館のようであった(コリエレ・デッラ・セーラ、12月21日)。

サヴォイア家(イタリアの旧王家)の風景画家のヴィットリオ・アメデオ・チニャローリの風景画や、ピラネージの版画、ヴェネツィアはブラーノ島のガラスのアンティーク、アンティークの置き時計、18世紀の家具、古代のアンフォラ壺などなど。

政治家や権勢家にとって、芸術を集めるのは、ステイタス・シンボル的な意味もあるようだ。

元首相のベッティーノ・クラクシは、未来派に詳しく、ジャーコモ・バッラやフォルトゥナート・デペーロの絵を持っていた。ジュリオ・アンドレオッティの右腕、フランコ・エヴァンジェリスティは、1930年代のマファイやシピオーネを所有していた。

前保健局長のドゥイリオ・ポッジョリーニは、1993年11月に100億リラ(約5-6億円)を押収された際、ジョルジョ・デ・キリコやグットゥーゾが何枚かあったという。

さらに大規模な押収は、クラクシに近かった財務家パルムシュテインの場合で、1994年11月に、中世のイコン、19世紀フランスの版画、そして、デ・キリコ、グットゥーゾ、ボテロの絵画が何十枚と押収された。

権力に近い人間がいつも不正な金で、芸術を手に入れているわけではない。

ファンファーニの親友であったピエトロ・カンピッリは素晴らしいデ・キリコやルノワールを持っていた。

社会党の元大臣だったジョヴァンニ・ピエラッチーニは生きているうちに、地元ヴィアレッジョの現代美術館に自分のコレクションを寄付してしまった。

(イタリア人は、汚い金も、正当な報酬も、美しいものに費やすんですね。)

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BPIにダレーマの口座

逮捕されたフィオラーニのBPI(イタリア国民銀行)に、左翼民主(党)のリーダー、マッシモ・ダレーマの口座があることが判明した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月21日)。

ダレーマは当座口座をBPIに持ち、それを通じて、彼のヨット、イカルス号の代金を分割払いしていた。銀行当局は、このリースの支払い以外に、資金の移動は無いことを明確にしている。

船の代金は、およそ80~90万ユーロ(1億1千ー2千万円)で、ダレーマの友人二人と分担しているという。

ダレーマのヨットは二台目なのだが、前のヨットと同じイカルス号という名である。名前を変えるのは縁起が悪いというのが、ダレーマ自身による説明。長さは18メートル32で幅4メートル90,16トン。表面積200㎡で、エンジンはヤンマーで145馬力。ダブルベッドは無いが、シングルで10人まで泊まれる。

ダレーマは二台目のヨットを買う資金の大半は一台目を売った代金であると説明している。彼は、昔からヨットに情熱を持っていたようだ。一台目のイカルスを買う資金は、彼の父親がウンブリアに家を残してくれて、それを売って、船を買ったのである。当時、一種のスキャンダルだったが、それは船の世界を知らない人の偏見なのだ、とダレーマ自身は語っている。

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イタリア中央銀行総裁、任期6年に

イタリア中央銀行総裁をめぐる規定の改正が提案された(コリエレ・デッラ・セーラ、12月21日)。

これまでの規定と、改訂案をそれぞれ紹介しよう。

これまでの規定によると、総裁の任命は、上級委員会の判断をまつ。決定は、出席者の3分の2以上の賛成による。指名および解任は、大統領令(国家元首令)による。総裁の任期は、世界で唯一であったらしいが、無期限で、年齢制限もなかった。権限は、絶大で、単独支配であった。銀行の買収、集中に関しては、イタリア中央銀行が排他的に権限を持っていた。

さて、改定案ではそれがどうなったか。指名と解任は、イタリア中央銀行の上級委員会の意見を聞いたうえで、政府に任されることになる。大統領が任命。任期は、6年で、一度だけ再任が認められうる。権限に関しては、集団的決定の要素を導入する。銀行の買収、集中に関しては、イタリア中央銀行のみでなく、独占禁止委員会(競争・市場保護委員会、Autorita’ Antitrust)の認可証を必要とする。

ヨーロッパ各国の中央銀行の規定はどうなっているのだろうか。これも囲み記事にある。

まず、ドイツ。総裁は大統領の任命。任期は5年で、68歳になるまで再任が可能。決定は多数決。

フランス。総裁は、閣議により指名される。任期は5年で、65歳まで再任が可能。決定は多数決。

スペイン。国王が、首相の提案に基づき、指名。任期は6年で、70歳まで再任が可能。決定は、多数決。

アメリカ。連邦準備理事会(FRB)議長は、大統領の指名され、上院で承認される。任期は4年で、年齢制限なく再任が可能。決定は、集団的。

ちなみに日本銀行では、総裁は、内閣によって、国会の同意のもとに指名。任期は5年で、再任は可能。新日銀法(1998年から)のもとでは、政策決定委員会で重要事項の決定を行う。http://www.boj.or.jp/wakaru/boj/law03.htmを参照してください。

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2005年12月30日 (金)

イタリアに新たな速度取締り機

イタリアの高速道路に新たな速度取り締まり機がお目見えする(コリエレ・デッラ・セーラ、12月20日)。

従来のものは、日本のオービスと同じように、瞬間的な最高速を測定するものであった。それが、制限速度をオーバーしていれば、違反ということになるわけだ。

今回の取り締まり機は、瞬間的ではなく、約10-25キロメートル離れたところに、二つのセンサーが地中に埋め込まれている。それぞれのセンサーの近くには、カメラが設置されている。二つ目のセンサーを通過した際に、平均時速が計算され、制限時速の5%以上上回っているものは罰せられるのだという。

これがA13(フェラーラ・オッキオベッロ)、A14(フォルリ・チェゼーナノルド)、A4(グルメッロ・セリアーテ、ヴェネツィア方向に設置)、A4(オスピタレット・ロヴァート、ミラノ方向に設置)と4カ所に設置される。

5%の許容範囲なので、制限時速が130キロのところは、136キロまで許容される。147キロまでは、罰金は35ユーロ(4900円)、178キロまでは、罰金143ユーロ(約2万円)と免許証の持ち点を2点減点、178キロ以上は、罰金357ユーロ(約5万円)と免許証10点減点。

設置された4カ所は、片道3車線で、事故や死亡率の高い箇所、霧の発生しやすい危険な場所とのこと。

これまで、フィアノ・ロマーノでは、3台に1台は、時速180キロで飛ばしていたし、トリーノ・ピアチェンツァ間では、平均時速は170キロであるという。そう、少なからぬイタリア人がスピード狂なのである。

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イタリア商業連盟会長宅、家宅捜索をうける

イタリア商業連盟(中小小売業者の団体)の会長、セルジョ・ビッレ宅が家宅捜索を受けた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月20日)。

ファツィオ総裁辞任を含む、銀行株の買い占めをめぐる不正な資金の捜査にからんでのもの。

ローマのヴェネツィア広場近くにあるビッレ商業連盟会長宅は、家宅捜索をうけ、著名画家の絵画、高級家具など200万ユーロ(2億8千万円)相当が押収された。

また、5つの銀行口座にある7000万ユーロ(98億円)が凍結された。また、商業連盟から与えられたビッレ会長が無制限に使用できるクレジット・カードも凍結された。

これに絡んで、他に15人が横領の容疑で取り調べを受けることになった。

その中には、商業連盟副会長、カルロ・サンガッリも含まれている。サンガッリは、ミラノ商工会議所の会長、1968ー1994年には下院議員をつとめている。

また、商業連盟のもう一人の副会長、フェッルッチョ・ダルダネッロも取り調べをうける。

彼らが取り調べを受けるのは、RCS(出版のグループ企業で、コリエレ・デッラ・セーラ紙もその一部をなす)をめぐる株式買い占め、およびその資金の流れについてである。

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ファツィオの後継候補者たち

ファツィオ総裁辞任をうけて、後継の候補に5人の名前があがっている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月20日)。

5人の名前と略歴を見ておこう。

マリオ・ドラーギは、1992年から2001年まで、財務省の総局長で、民営化や財政健全化に力をつくし、現在は、ゴールドマン・サックスの副会長。

ヴィットリオ・グリッリは、財務省総局長になりたて。アメリカのイェール大で教えていたこともある。

マリオ・モンティは、ボッコーニ大学の総長、ゴールドマン・サックスの特別顧問に任命されたばかり、元EU委員(1994-2004)。

トンマーゾ・パドア=スキオッパは、イタリア中央銀行の役職者であった。EU委員会で働いた経験を持ち、Consob(証券取引委員会)を率いた。1998-2005年、ヨーロッパ中央銀行の執行部。

アルベルト・クァドリオ・クルツィオは、ミラノ・カトリック大の教授。250以上の論文・著作物がある。

以上のうち、中道右派、中道左派ともに受けがよいのは、マリオ・ドラーギとのこと。

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ファツィオ総裁、辞任

第八代イタリア中央銀行総裁、アントニオ・ファツィオが、その職を辞した(12月20日、コリエレ・デッラ・セーラ)。

ファツィオ辞任関連の記事は、一面見出しの他、コリエレ・デッラ・セーラ紙の2面から12面(広告を除き)を埋め尽くしている。

ここでは、彼の経歴を紹介しよう。

アントニオ・ファツィオは、1936年、フロジノーネ県(ローマとナポリの間)アルヴィートで生まれた。1960年、ローマ大学経済学部卒業。1978年、マリア・クリスティーナと結婚、5人の子供にめぐまれる。

ちなみに、5人の子供の内訳は、男が1人、女が4人。男の子は、ジョヴァンニで、ミッレ・ミリア(クラシック・カーのレース)でキッコ・ニュッティの仲間である。4人の娘は、みなマリアで、マリア・エウジェーニア、マリア・キアーラ、マリア・ヴァレーリア、アンナ・マリーアという具合。

1960年、イタリア中央銀行の奨学金を得る。その後、1年間、アメリカで、フランコ・モディリアーニ(後年ノーベル賞を受賞)とともに学ぶ。

1966年、イタリア中央銀行に勤め、スピード出世。1980年には、中央局長となる。

1982年1月、理事会に入る。1993年、カルロ・アゼリオ・チャンピ(現大統領、前イタリア中央銀行総裁)が、首相に任命された時に、総裁となる。

そして2005年12月に辞任。

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2005年12月29日 (木)

ル・ゴフ、辺獄の次は煉獄が消滅するだろう、と語る

辺獄(リンボ)の存在が否定された後は、煉獄の存在が否定されるだろうと、中世の研究者ジャック・ル・ゴフが語った(コリエレ・デッラ・セーラ、12月19日)。

辺獄という言葉が最初に登場したのは、ピエトロ・ロンバルド(1160死亡)の神学なので、辺獄は1000年持たなかったことになる。

煉獄は、聖書にはっきりと言及されているわけではないが、それらしい考えが示唆されている所といえる。

ジャック・ル・ゴフは『煉獄の誕生』(法政大出版局)を著わしたことで知られるフランスの歴史家であるが、彼によると、「ある種の信仰内容は、ある一定の歴史的持続しかもたないが、それは厳密に言えば、公式の信仰とは関係がない」。辺獄は、「12世紀に、こうした考えが生まれ、すぐにスコラ哲学にとりあげられた」

ル・ゴフの強調するところによると、「キリスト教における来世は、最初は、天国と地獄しかなかった。この二カ所に加えて、どちらかというと暫定的な場所が三つ生まれた」。

「教会は、2つの辺獄があると考えていた。第一の辺獄は、旧約聖書にでてくる善なる人たちで、イエス・キリスト登場以前の人。しかし、イエスがこの世に生を受けたときに、辺獄にやってきて彼らを天国へ連れて行ってくれたので、ここは空っぽになった」。

「これに対し、もう一つの辺獄は、洗礼を受ける前に死んだ子供たちである。彼らの境遇には曖昧なところがあった。洗礼は受けていないのでえ、天国には行けなかった。個人的な罪は負うていない。私は、現代の神学者たちは、この困難な問題に正統的な解決を与えようとしているのだと思う」。(つまり、辺獄の存在を否定して、神の慈愛により、彼らが天国に導かれるという考えである)。

そして煉獄の問題である。「私は煉獄の存在も否定されると思う。歴史的にある一定期間に結びついたもので、12世紀に生まれ、今日消滅しつつあるのです。煉獄のように、一時的にとどまる場所というあの世の存在が、最終的なものとは思えません」とのこと。

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ファツィオ総裁とオプス・デイ

イタリア中央銀行総裁のファツィオは敬虔なカトリックであるが、「オプス・デイ」という聖職者および信徒の組織のメンバーではないと伝えられた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月19日)。

総裁がオプス・デイのメンバーではないか、という噂は以前からあったらしい。ファツィオ総裁の一家は、熱心なカトリックで、娘は、legionari di Cristo という組織の在俗の修道女となっている。

オプス・デイとは良好な関係を保っていたが、近年はほとんど行き来がないという。

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2005年12月28日 (水)

フィオラーニ、自供する

アントンヴェネタ銀行に対する株式公開買い付け事件で逮捕されたジャンピエロ・フィオラーニは10時間の取り調べをうけ、政界・財界の関係者の名前を口にした(コリエレ・デッラ・セーラ、12月19日)。

フィオラーニは、4,5人の名前をあげ、その中には「地位の高い者」や「政治家」もいたとのこと。それだけではなく、1996年以来、この種の事件の背後にいて、「銀行のイタリア性を擁護する」戦略をとる「スポンサー」たちの名前をあげたらしい。その第一がイタリア中央銀行総裁のアントニオ・ファツィオであったわけだ。

何人かの「地位の高い者」の名前はまったく新たに登場した名前であるらしい。というわけで、捜査は新たな展開を見せ、誰がこの「保護の網の目」の頂点にいたのか、というところが問題になっている。

また、フィオラーニは、7000万ユーロをシンガポールなどに移したこと、イタリアや海外にどんな口座、会社、不動産ー総額約2億ユーロ(280億円)ーを所有しているかを検察官に語った。

これらは、銀行に損害を与えつつ、組織的な「横領」によって形成したものもあるが、合法的に獲得したものも含んでおり、彼の所有物のすべてだという。

またフィオラーニは、エミリオ・ニュッティとのビジネスと「UNIPOLの仲間」についても語ったが、それがBNL問題とどう関わったかは不明。

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イタリア銀行総裁とUNIPOLの関係

ローマ検事局は、イタリア中央銀行に対し、総裁がUNIPOL(保険会社)の件に関し、誰と誰に会談したかの記録を求めた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月18日)。

そもそも今年の3月スペインのビルバオ銀行(Bbva)がBNLに対し、株式公開買い付けをしようとした。ファツィオ総裁はそれに対し許可をあたえる前にじっと待った。UNIPOLはその間に、BNLの株をかき集めた。

7月になって、今度はUNIPOLがBNLに対し、株式公開買い付けを求めたースペインの銀行よりも高い値段でーというのが、今回の捜査の背景である。

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2005年12月27日 (火)

Tangentopoli 2 か?

イタリア中央銀行総裁をまきこんだ、BPIによるアントンヴェネタ銀行株買い付けをめぐる事件は、政界にも拡がりをみせ、第二のTangentopoliかという議論がおこっている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月17日)。

90年代のMani Pulite(きれいな手)作戦にならって、ミラノ検事局の動きを Banche pulite(きれいな銀行)作戦という見出しがのっている。

ただし、今回のミラノ検事局の面々で、Mani Puliteのころからいるのは、フランチェスコ・グレーコのみ。ジェラルド・ダン・ダンブロージョに代わって検事局のボスとなったマンリオ・ミナーレも当時のメンバーではない。

一方、政界の反応は、国民同盟(AN)のラ・ルッサは、「当時とは、空気が違う。当時は dazione ambientali (賄賂の遠回しな言い方)が蔓延していた」というが、左翼民主(党)の委員長マッシモ・ダレーマは、「さあね」と含みを残す。

Mani Puliteの頃、辣腕をふるって現在は国会議員のディ・ピエトロは、ビジネスと政治の絡み合いは今もある、だから当時と現在の似た状況は存在するし、P2(イタリアのフリーメーソンの団体)の金融部は、まったく解体されていない、と述べている。

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トレモンティ経済相、ファツィオ総裁に辞任をもとめる

ジュリオ・トレモンティ経済相が、ミラノ検事局の取り調べがあったことをうけて、ファツィオイタリア中央銀行総裁の辞任をもとめた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月17日)。

トレモンティ経済相は、「持続しがたい状況から脱却するためには、総裁は一歩退くか、一歩前に進むことを決断すべきだ」と言い、事実上、アントニオ・ファツィオイタリア中央銀行総裁の辞任をうながした。

ベルルスコーニ首相は特別閣議を招集することとした。総裁自身は、「わたしは、常に法に従ってきた、やめない」と自己防衛した。

中道左派のリーダー、プローディは、政府の介入が遅すぎたと非難している。ヨーロッパ中央銀行総裁のトリシェは、「もし、ファツィオが高価な贈り物をもらったとしたら、倫理規範を犯したことになる」と述べた。

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留学は割に合わない?

ヨーロッパの留学制度にエラスムスという制度があるが、2004年の調査では、留学をした大学生と留学をしなかった大学生では、ほとんど就職率に差がないことが判明した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月16日)。

この調査は、35大学の14万人の大学生を対象としたもの。留学経験者の54,7%が就職をし、留学をしなかったものの53,4%が就職をしているので、その差はわずか1,3ポイントである。

卒業後5年の時点で比較した場合も、留学経験者が88,7%なのに対し、未経験者は86,7%である。イタリアの場合、特に中小企業が、留学経験を積極的には評価しないらしい。

そのせいか、イタリアの大学生の留学経験者は、2001年の19%から、2001年の11,3%に減少している。もっともこれは、大学生全体の母数が増えているのと、2000年に3年卒業の学科を増やしたので、3年課程の場合、時間的余裕がわずかしかないので、留学の余裕がない、ということも原因となっているようだ。

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2005年12月26日 (月)

Unipol の会長、取り調べをうける

Unipol(保険会社)の会長、ジョヴァンニ・コンソルテが、BNLの株式買い占めに関し、ローマ検事局の取り調べを受けた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月16日)。

これにからみ、イタリア中央銀行の監査官も長時間にわたり尋問をうけた。

株式市場の不正操作の疑いがあるとのことである。

コンソルテは、わずかな期間に160万ユーロを稼ぎ出している。

Unipol(保険会社)のナンバー・ワンとナンバーツーであるジョヴァンニ・コンソルテとイヴァーノ・サッケッティは、BPL(ローディ銀行)に2004年の末に口座を開いた。イタリア中央銀行の監査官によると、この口座には、不規則な(あやしげな)取引があったとのこと。

その後、コンソルテの得た利得は、あちらこちらと居場所を代えていき、もとの口座には、13万ユーロが残っているにすぎない。

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イタリア中央銀行総裁、捜査をうける

イタリア中央銀行総裁、アントニオ・ファツィオが、ミラノ検事局からインサイダー取引の容疑で、捜査をうけた。ローマ検事局は、Unipol(保険会社)のジョヴァンニ・コンソルテの取り調べに入った(コリエレ・デッラ・セーラ、12月16日)。

ミラノの検察官は、BPL(Banca Popolare di Lodi)のアントンヴェネタ銀行に対する株式公開買い付けをイタリア中央銀行が評価している最中に、ファツィオ総裁がその内部情報をフィオラーニ一派に流したとしている。

7月11日と12日の間の夜中に、ファツィオ総裁がフィオラーニに、アントンヴェネタに対する株式公開買い付けが認可になることを、翌朝おおやけになる前に知らせた、というもの。

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2005年12月25日 (日)

イタリアのユダヤ人学校

イタリアのユダヤ人学校で、新しい成績通知票が大変な不評をこうむっている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月15日)。

そもそもイタリアには6校のユダヤ人学校がある。ミラノに3校、ローマに1校、トリノに1校、トリエステに1校である。

これら6校の卒業証書は、文科大臣(公教育大臣)によって交付される卒業証書と同等の価値を持つと認められている。

今回の新しい成績通知表は、宗教の成績欄がカトリックしかなく、他の信仰の欄がないため、ユダヤ教徒を差別しているとして憤慨のたねになっている。

ローマのユダヤ人学校では、小学生から高校生まで900人の生徒が学んでいるが、校長のベネデット・カルッチ・ヴィテルビは、「以前は、宗教教育は、成績通知票とは別紙でした。我々も、ユダヤ文化の成績を別紙につけていたのです」と語る。宗教における少数派をないがしろにしているのではないか、という声もあがっている。

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中絶法の見直し

イタリアで中絶法の見直しが事実上始まった(コリエレ・デッラ・セーラ、12月15日)。

保健相のストラーチェは、「法律を修正する意図はない」と明言しているが、同時に、「1978年から2004年に400万件の中絶が行われており、その間生まれた子供は1450万人である。つまり、4人に1人、23%が中絶されたことになる。個人的には、おそるべき数字と考えている」とのこと。中絶に関する調査が始まることになる模様だ。

さらに、ストラーチェ大臣は、「中絶をする権利に異議申し立て」はしない、としている。中道左派は、この動きに反発を示し、左翼民主(党)の厚生福祉担当のリヴィア・トゥルコは、政府はイデオロギー的混乱を引き起こしていると非難している。

実際のデータを見てみよう。1978年から2003年にかけて、15歳から49歳の女性1000人あたりの中絶は、1979年から89年がやや高まりをみせたものの、1990年以降は、10人前後である。

国際的な比較では、15歳から44歳の女性1000人あたりのデータになるが以下の通り。

オランダ 6,5人

ドイツ   7,6人

フィンランド 10人

イタリア  11,4人

フランス  12,4人

イギリス  15,6人

ノルウェー 15,6人

スウェーデン 18,7人

アメリカ    22,9人

ハンガリー  34,7人

ブルガリア  51,3人

ロシア連邦  68,4人

ちなみに、日本の場合、統計が15歳から49歳の女性に対してであるが、2004年の統計で1000人あたり10,6である。

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Unipol による株式公開買い付け

Unipol(保険会社)の株式公開買い付け(OPA)に対する認定が手間取っている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月15日)。

Unipolは、保険会社で、この会社を率いるのが、ジョヴァンニ・コンソルテ。この会社、BNL(Banca Nazionale del Lavoro)の株式100%に対し、株式公開買い付け(OPA)を宣言し、保険業界の機構(Isvap)からは許可を得たのだが、イタリア証券取引委員会(Consob)とイタリア中央銀行からなかなか認可がおりないのだ。

一方、株式買い付けの対象となっているBNLの会長ルイージ・アベーテは、Unipolの買い付けに対し、敵対的である。

買い付けの認可が出るか出ないかは、関係者にとっては重大な問題である。Unipolとその仲間は、既にBNLの株式を51%取得しているのだが、許可が出ないとなると、30%以下になるまで株式を放出しなければならないからである。

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BPI 事件、政界を揺るがす

BPIの株価不正操作疑惑が、政界を揺るがしている。Tangentopoliの再来では、と怖れられてられているのだ(コリエレ・デッラ・セーラ、12月15日)。

イタリア国民銀行(BPI)のフィオラーニ逮捕にとどまらない拡がりを見せているこの事件、コリエレ・デッラ・セーラでは、一面の見出しのほか、2面から11面まで、広告をのぞき、すべてがBPI事件で埋まっている。

捜査の進展は、政界を揺るがしている。中道右派、中道左派を問わずにである。1990年代にイタリア政界に激震を走らせた Tangentopoli および Mani pulite (日本では何故か英訳でクリーン・ハンド作戦などと訳されていた)と呼ばれる汚職事件およびその捜査で、政界から逮捕者が続出したことを連想せずにはいられないようだ。

政界では、下院の左翼民主(党)の集まる部屋でも、逮捕されたフィオラーニの名が何度も、繰り返され、禁煙であるのも忘れて、神経質にポケットの中の煙草をさぐるものもいたという。

左翼民主(党)の書記長ファッシーノは、この問題にうんざりし、神経質にもなっているようで、記者に対し、「何も心配することなどない」と言い放っている。中道左派が気にしているのは、Unipol(保険会社)のジョヴァンニ・コンソルテが捜査対象となるかどうか、ということらしい。たとえ、捜査対象となった場合でも、それはあくまで、個人的なものであって、党とは無関係ということが確認されている。

一方、フィオラーニ事件で、捜査をうけた政治家はすべて中道右派である。こちらは、いっそう息苦しい雰囲気につつまれている。フォルツァ・イタリア党のある下院議員は、事情によく通じており、「フィオラーニは、もう15キロもやせたんだ」とか、「彼は、ぺらぺら、しゃべりまくっているぞ」と同僚議員に知らせている。

上院議員のカルロ・ヴィッツィーニは、「これは、選挙前の検察官からのクリスマス・プレゼントだな」。

北部同盟の連中は、肩をすくめてはいるが、心配そうに下院の廊下を行き来しているという。

ベルルスコーニは、自分は関係ないので不介入という立場のようだ。しかし、現在明らかになっているのは、「氷山の一角」という見方も示している。

しかしながら、フォルツァ・イタリア党のミケーレ・サポナーラのように「Tangentopoliとは違うよ。ディ・ピエトロもいないしね。(予審判事の)フォルレオを知ってるやつは、彼は優秀だが、少しひょうきんものだって言うじゃないか」という評価もある。

追記:Shibanoさんのご指摘をうけ、mani puliti(筆者の勘違いでした)を mani pulite と訂正いたしました。ご指摘ありがとうございました。

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2005年12月24日 (土)

BPL-BPIの不正の仕組

イタリア国民銀行(BPI)およびその前身のBPLの不正の仕組が明らかになってきた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月15日)。

イタリア中央銀行の監査官ロベルト・アンジェレッティが検察官に語ったところによると、ジャンニ・コンソルテとイヴァーノ・サッケッティの「不正な口座」があった。

二人は、以前からBplの顧客であった。彼らは自分の口座を閉じ、2004年12月に再び口座を開き、無担保で、400万ユーロの融資を受けた。彼らの取引きは、うり二つで、証券、売買の量、値段ーーStm,Alleannza, Generali, EnelやAutostrade で様々な性質の規則違反があった。

こうしてコンソルテとサッケッティは、それぞれ160万ユーロ(2億2400万円)の資本利得を得た。 

また別の監査官フェルディナンド・クティーノによると、2001年6月に、BPIの何人もの顧客と社員は、Kapmsの株を7~8ユーロで購入し、Barillaの公開株式買い付けに対して12,5ユーロで売り抜けた。この時、もっとも資本利得を得た(値上がり益を得た)のは、銀行間金融機構(Efibanca)の顧問アントニオ・アイエッロで、1600万ユーロを得た。Kamps株で、他に顕著な利益をあげたのは、Zoncada に関わっているボスキローリと、BPIの顧問のサヴォルディだが、サヴォルディとニュッティは子供同士が結婚している。

まさに濡れ手に粟である。

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フィオラーニと政治家

イタリア国民銀行(BPI)、その前身のBPL(Banca Popolare di Lodi)の株価不正操作の陰に、一群の政治家がいたとミラノの予審判事は発表した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月15日)。 

フィオラーニと政治家たちが電話で交わした会話は盗聴されていたのである。予審判事によると、銀行システムのイタリア性を守ることを宣言していた人たちは、その陰で、不正な利益をあげていた疑いがあるのだ。

この事件のあらましを復習しておこう。

2005年7月11日、イタリア中央銀行は、BPIにアントンヴェネタ銀行に対する公開株式買い付け(OPA)を承認した。

7月25日、ミラノ検事局は、BPIおよびエミリオ・ニュッティ、ロナーティ兄弟、ダニーロ・コッポラ、ステーファノ・リクッチの手元にあるアントンヴェネタ銀行株を押収した。

7月27日、イタリア証券取引委員会(Consob)は、アントンヴェネタ銀行に対する公開株式買い付けを、停止させた。

9月16日、ジャンピエロ・フィオラーニ、ローディ銀行グループの代表取締役を辞任。フィオラーニとともに、財務取締役のジャンフランコ・ボーニも去った。

10月11日、フィオラーニは、検察官エウジェーニオ・フスコとジュリア・ペロッティから取り調べをうけた。

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チャーチルとディーノ・グランディ

ディーノ・グランディの未発表稿が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ)。

ディーノ・グランディは、ファシズム期のリーダーで、外務大臣(1929-1932)、イギリス大使(1932-1939)を勤めたが、1943年7月25日のファシスト大評議会に参加し、ムッソリーニを解任する投票をした。ファシストの復讐をおそれ8月には、イタリアを離れ、リスボンに落ち着く。

1944年末に、イギリスのDaily Expressの社長兼オーナーのウィリアム・ビーヴァブルック卿の密使が、グランディのところにやってくる。ファシズム崩壊について一連の記事を書いてほしいという依頼である。

ビーヴァブルック卿の後ろにはチャーチルがいた。12月半ばには、記事は書き上がっていたが、グランディはまだためらっていた。ロンドンから新たにDaily Express の外信部長のチャールズ・フォウリーがやってきて、記事に手をいれ、インタビューの形で新聞に掲載してしまう。

グランディは不満で、自分の書いたものの方がよいと考えていた。この中には、1941年時点で、既に、ムッソリーニを解任する計画があったことも記されている。

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2005年12月23日 (金)

イタリア国民銀行のフィオラーニ逮捕

イタリア国民銀行(Banca Popolare Italiana、BPI)、もとのBanca Popolare di Lodi のナンバーワン、ジャンピエロ・フィオラーニが逮捕された(コリエレ・デッラ・セーラ、12月14日)。

逮捕されたのは、彼の他に4人。そのうち、2人は、同じ銀行の首脳でフィオラーニの協力者。80人が取り調べを受けている。

容疑は、アントンヴェネタ銀行の株式公開買い付けをめぐるもので、その情報を特定の顧客にだけながし、株価操作およびインサイダー・トライドをした疑いである。

この事件には、国レベルの政治家の名前もすでにあがっている。フォルツァ・イタリア党の上院議員で公共事業委員会の委員長ルイージ・グリッロとキリスト教民主同盟のイーヴォ・タロッリである。

また、フィオラーニは、イタリア中央銀行総裁のアントニオ・ファツィオと家族ぐるみで親しいつきあいをしていたことが、電話の盗聴によって明らかにされた。また、フィオラーニがファツィオの家族に、カルティエの時計、プラダのバッグ、シャンペンのドン・ペリニョンや宝飾品などをプレゼントしていたことも暴露された。しかしながら、これらはあからさまに評判を貶めるものではない、と記者は断っている。

ファツィオがフィオラーニに、アントンヴェネタ銀行の公開買い付け(OPA)を認めたことが、他の銀行との扱いにおいてフェアであったかどうかが問題となるであろう。

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コロンブスと中傷

コリエレ・デッラ・セーラでは、このところ毎週、7,9ユーロほど余計に出すと、伝記が買えるというサービスを展開しているが、今回はコロンブスの伝記で、それにちなみ彼に関するエピソードを紹介した記事が掲載された(コリエレ・デッラ・セーラ、12月13日)。

コロンブス、イタリア風にはクリストーフォロ・コロンボであるが、彼について確かに判っていることは、ジェノヴァ生まれということだけだ。

彼の生涯は、疑問、謎、中傷がいっぱいである。中傷の由来は、1511年から1536年にわたる訴訟で、クリストーフォロの子孫に対し、ピンソン兄弟(コロンボと一緒にアメリカに向かった)の子孫が起こしたものである。兄弟はそれぞれ「ニーニャ号」と「ピンタ号」を指揮し、コロンボは「サンタ・マリア号」を指揮して、三隻でアメリカ大陸に向かって行ったのである。それぞれは、自分こそが「大発見」の立役者だと主張したかったのである。

コロンボがユダヤ人なのではないかという伝説は、広範囲に広まっていた。というのも、彼がフィレンツェやジェノヴァの豊かなユダヤ人商人の支援をうけていたらしいからだ。研究者のなかには、ユダヤ系のJonaを文字通りイタリア語訳するとColombo(鳩)になるので、そこから来ていると考えた人もいたが、実際は捨て子などにしばしば付けられた名前だという。

コロンボと同じ都市に生まれた研究者パオロ・エミリオ・タヴィアーニによると、クリストーフォロ・コロンボは1451年にジェノヴァに生まれたが、祖父ジョヴァンニはラパッロから内陸にはいったモコネジ村の生まれ。農家であったが、中世ではユダヤ人は農家であったり、田舎に住むことはなかったという。クリストーフォロの父、ドメニコは、複数の家と土地を所有していたが、ユダヤ人の場合、たとえ改宗していても、不動産を所有することは出来なかったとのことだ。母スザンナも、ヤーコポ・フォンタナロッサという土地持ちの娘で、ユダヤ人ではなかった。

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「苦い米」の背景

イタリアで、かつて歌われていた田植え歌についてのエッセイ集が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、12月13日)。

イタリアの北部、特にポー河流域では、日本と同様に水田が存在する。量はそれほどでもないが、トスカーナ地方でも見られる。水田では、昔は、田植えや草刈りのため、mondina (田植え女)と呼ばれる女性労働者がいた。

1960年代の終わりに、突然、田植え女たちは消え去った。除草剤や農作業の機械化のためである。それまで、ヴェルチェッリ、ノヴァーラ、パヴィーア、ボローニャといった町の郊外の水田では、若い女性とあまり若くない女性が働いていた。

この仕事は、ほぼ独占的に女性の仕事で、しばらくの間(約40日間)家族のもとを離れて、農産物の倉庫のわら床の上に寝泊まりし、粗末な食事の時間をはさんで、一日11~13時間の重労働をしいられた。

女性たちを仕切るのは、「カポラーレ(もともと陸軍の伍長の意)」と呼ばれる男で、棍棒をもち、しばしば横柄であった。

仕事はきつく、賃金は安く、足は水の中につかり、背中を丸め、手を雑草の葉で切ることもあり、マラリアにかかる危険性もあった。

こうした状況では、反抗の動きが生まれることは自然であった。いくつもの連盟も生まれた。印象的なのは、過酷な労働条件のなかで、女性たちは、伝統的道徳への侵犯をなしとげた、つまり、家族にしばられる生活からの解放、祭りの日にダンスを楽しみ、自由(ときには性的な)を味わったということである。

さらに、田植え女たちは、音楽を楽しんだ。稲田での労苦は、コーラスで歌を歌うことで、和らげられた。水田に向かうときに歌うこともあれば、気晴らしのときに歌うこともあった。

歌の内容は、重労働・低賃金への抗議、稲田への旅路、離れたところにいる婚約者や夫、家にのこした母、家族との再会の切望など様々である。

こうした水田の女性たちをGaddaやVassalliは文学作品に描いているが、映画で有名なのは、デ・サンティス監督の『苦い米』(1949)で、シルヴァーナ・マンガノのはじける肢体がまぶしい。その他に映画では La risaia (水田)というマタラッツォ監督の1956年の作品があるようだ。

こうした水田の生活についての歴史、文学、人類学的考察、労働歌(CD付き)についてのエッセイ集が出版された。著者は、Frannco Castelli, Emilio Jona 他で、Senti le rane che che cantano. Canzoni e vissuti popolari della risaia (歌うかえるを聞け。水田の民衆の歌)というタイトルである。

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2005年12月22日 (木)

ディ・カニオのローマ式敬礼

セリエAのリヴォルノ対ラツィオの試合で、ラツィオの選手パオロ・ディ・カニオがローマ式敬礼をしたことが問題となっている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月12日、13日)。

ローマ式敬礼は、ナチスがやったように、右手を高くあげるものだが、ナチスやファシズムを想起させるものとして顰蹙をかっている。(詳しくはhttp://shibano.exblog.jpの12月21日および10月9日を参照してください)

ディ・カニオの場合、確信犯的であって、彼の左手には、DVXという入れ墨がある。DVX=DUX(ラテン語)=Duce(イタリア語)で、総帥すなわちムッソリーニのことである。彼の背中には、鷲(帝国のシンボル)の入れ墨がある。

彼は、「再犯」で、今年の1月6日にも、この仕草のため、1万ユーロ(約140万円)の罰金を支払っている。

しかし彼は今回も、「この敬礼をせずにはいられない。これは自分の民族への帰属を示すものだからだ」と主張している。

驚くべきことに、ディ・カニオがサッカーを引退した後には、政治家として担ぎ出すことを狙っている人もいるのだ。ラツィオ州の議長フランチェスコ・ストラーチェで、ストラーチェ自身は根っからのロマニスタ(ローマのファン)。政治に関心のない若者にも人気があるからというのだが・・・

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EU、イタリア銀行を訴える

EU委員会は、イタリア銀行を訴える訴訟手続きに入った(コリエレ・デッラ・セーラ、12月13日)。

訴訟の対象となるのは2件あるが、内容は同様のものである。すなわち、イタリアの銀行を海外の銀行が買収しようとしたときに、イタリア銀行(中央銀行)が不透明な動きをした、あるいは、妨害ととられる動きを示したという疑いをもたれている。

具体的には、オランダのAbnAmro銀行がイタリアのAntonveneta銀行を買収しようとしたとき、および、Banco Bilbao y Vizcaya がイタリアのBnl を買収しようとしたときに妨害した疑いである。

EUの条約の56条に、「メンバー国間の資本移動に対するすべての規制を禁止する」とあるのに抵触していることになるわけだ。

こうしたEUの動きに対し、イタリア政府は、イタリア銀行の改革に乗り出した。これまで任期のなかった総裁の任期を5年にすること、決定をより集団的に下すことなどが考えられている。

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2005年12月21日 (水)

アントンヴェネタ銀行買収をめぐる騒動

イタリアの準大手アントンヴェネタ銀行をめぐる買収をめぐり、ミラノ検察局をはじめ、EUも本格的調査にのりだした(コリエレ・デッラ・セーラ、12月13日)。

ミラノ検察局がこの件で注目しているのは三点ある。

1.偽りの情報を流すことによって、アントンヴェネタ銀行の株価を不正に操作したのではないか、という疑惑。

2.この株価操作を通じて、一群の顧客に儲けさせ、彼らがBPI(イタリア国民銀行)の首脳たちに儲けの一部(40%)を還元したのではないか、という疑惑。

3.儲けの横領をもくろみ、このグループは、不正により巨額の資金を稼ぎ出す組織と化していたのではないか、という疑惑。

このBPIのもと首脳がジャンピエロ・フィオラーニで、既に何度かの取り調べを受けている。

(これは、非常に大がかりかつ複雑な事件の一部であるようで関連の記事についても、理解できる限りお知らせする。)

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2005年12月20日 (火)

教皇とクリスマス

教皇ベネデット16世が、クリスマスの商業化を懸念し、プレゼピオを家庭に飾るよう呼びかけた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月12日)。

11日(日曜日)に例年通り、教皇は、ローマの子供たちがサン・ピエトロ広場に持ってくる赤ん坊イエスの人形に祝福を与えた。この赤ん坊イエスの人形は、プレゼピオの一部をなすのである。プレゼピオはキリスト生誕を模した一群の人形である。(追記:プレゼピオに関しては、12月12日の項を参照してください)。

クリスマスの商業化に関しては、前教皇もたびたび懸念を表明し、2002年には、プレゼピオの単純さを、広告のメーセージにあらわれるクリスマスのイメージと対比して称揚した。

今回のベネデット16世は、「今日の消費社会においては、この季節は、商業主義的『汚染』をこうむり、クリスマス本来の精神を変質させてしまう危険性がある」と警告している。

対抗策として、信者たちの家庭に、伝統にのっとって、プレゼピオを飾ることを呼びかけた。

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プローディ、マラソン走破!

ロマーノ・プローディがレッジョ・エミーリア市で開催されたマラソン大会に出場し、42キロを走りぬいた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月12日)。

プローディは1939年8月生まれで、66歳。ライバルの首相ベルルスコーニは69歳。

先日、デ・ベネデッティがコリエレ紙のインタビューで、50代のヴェルトローニやルテッリに中道右派のリーダーをまかせたら、という趣旨の発言をしたのに対し、プローディはこの初マラソン完走を、デ・ベネデッティに捧げるとした。「私は政治の世界へ来て10年、まだ赤ちゃん政治家です」とのこと。

プローディらしく、ペースも一定で、スパートなどなく走りぬいた。タイムは4時間21分。

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チャンピ大統領、85歳の誕生日

12月9日、チャンピ大統領は、85歳の誕生日を迎え、カッチュッコを食べて祝った(コリエレ・デッラ・セーラ、12月12日、10日と11日は休刊)。

カッチュッコというのは、チャンピ大統領の出身地リヴォルノの寄せ鍋風の魚スープである。このカッチュッコはリヴォルノ市民から大統領へのプレゼントであった。

大統領の誕生日とあって、各国首脳、プーチン大統領、アンゲラ・メルケル首相、ハインツ・フィッシャー大統領などから祝辞が届いた。さらには、教皇ベネデット16世からも祝電が届いた。

公式のものは別として、大統領が気に入ったのは、リヴォルノのレストラン「バルカローラ」の支配人ベッピーノ・マンチーニ(大統領一家の旧友)がローマへ出張してつくったカッチュッコであった。13種類の魚を食材として用意したという。

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2005年12月19日 (月)

3年制大学の就職率

導入時には様々な議論のあった3年課程の学科の卒業生の就職状況の初の本格的調査がCilea(Consorzio Interuniversitario Lombardo per la Elaborazione Automatica)によって実施されたコリエレ・デッラ・セーラ、12月9日)。

3年生の学科の卒業生が本格的に誕生したのは、2004年からである。今回の調査は、ロンバルディア州の主な6大学およびピサ大学と同じくピサの Scuola Speriore Sant'Anna の3500人の卒業生を対象にしたもの。

これらの大学で、4年生課程を卒業したもののうち、卒業後18ヶ月後の時点で、就職したものは、87,3%、求職中のもの12,7%である。

一方、3年生課程を卒業したものは、卒業後18ヶ月後の時点で、就職したもの88,6%、求職中のもの11,4%である。わずかながら、こちらの方が就職状況は良い。

全体を見ると、保健衛生学科(3年制)を卒業したものの就職率が97,3%と、すこぶるよい。これは4年制の保健衛生学科の98,4%にほんの少し劣るのみである。

逆に、結果が振るわなかったのは、工学系(3年制)で、75,3%にとどまっている。4年制の工学系は92,6%なのでその差は大きい。理学系でも、3年制卒業生が、69,4%に対し、4年制卒業生が87,1%でやはり大きな隔たりがある。工学系、理学系は、3年の課程で卒業せずに、さらに2年(旧制度の修士に相当)を加えて、「専門化」(specializzaaione)し、5年で出る人も少なくないようだ。

また、大学での課程と職種との一貫性に関して、3年制卒業生の60,7%が満足しているのに対し、4年制卒業生は、46,4%しか満足していない。

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イタリア管理職の収入

イタリアで会社の管理職の収入が、物価上昇率の三倍の勢いで増えている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月9日)。

イタリア人の収入(税込み)は次のようである。

平社員 2万7千~3万3千(ユーロ)

専門職 3万6千~4万7千

上級専門職 5万2千~6万2千

管理職 7万3千~10万5千

平社員ほど固定給の割合が大きく、管理職ほど小さい。平社員は固定給が、87,0%、専門職83,4%、上級専門職80,8%、管理職69,8%となっている。管理職の場合、可変的給与やベネフィットがそれぞれ11,4%と14,8%ある。

2004~2006年にかけての収入の増加は、平社員および専門職が4,4%、4%、4%に対し、管理職の場合、4,4%、5,1%、5,2%と最近の伸びが大きい。

この間の物価上昇率は、2004年、2,2%、2005年、2,1%(見込み)、2006年、1,7%(見込み)である。

ただし、これは、イタリアの多国籍企業をふくむ500の大企業での話である。

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2005年12月18日 (日)

イタリアの麻薬事情

イタリア政府は、コカイン中毒者を立ち直らせるためのセンターを18カ所つくることを決定し、100万ユーロを計上した、とパレルモで開かれた会議で発表した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月7日)。

イタリアで、15~34歳でエクスタシーを使用するものは0,7%で、ヨーロッパの中では消費量は下から三番目。

大麻になると、イタリアはヨーロッパで7番目の消費国で、15~34歳のうち12%が使用。

ヘロインは、ヨーロッパで12番目。15~34歳の0,6%が使用。

また、2,2%の人がコカインを用いており、それはイギリス、スペインについで、ヨーロッパで3番目である。特に若者の間で消費が増えており、この10年間で倍増したと言われている。

まさにそれに対処すべく18のセンターを作ることにしたわけだが、まだ具体的な場所は決定していない。センターは夜や土日も開くフレクシブルな時間制をとりたいとしている。

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スカラ座の新総監督リスナー

スカラ座の新総監督リスナーが、新シーズンを前に抱負を語った(コリエレ・デッラ・セーラ、12月6日)。

リスナーはフランス人であるが、ヨーロッパ人にままあるように、母方はハンガリー人で、父方はロシア人であるという複雑な家系である。

ミラノに移り住んで、彼はかつてトスカニーニが住んでいたのと同じパラッツォに住んでいる。家は、本とレコードで一杯とのこと。

夜寝る前には、イタリア語に浸るために、大声でダンテの『神曲』を読んでいるという。ただし、『神曲』はむつかしいので、フランス語との対訳本を使用中。

彼がミラノで悩んでいるのは、食事がおいしすぎること。7ヶ月で、5キロ太ってしまった、と嘆いている。

オーダー・メイドの服をつくる楽しみも覚え、「イタリアの職人芸に驚きは尽きない」と語っている。

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ヘンツェのオペラ

ヘンツェのオペラ『若い恋人たちへのエレジー』が、作曲家の80歳を記念してアンコーナで上演される(コリエレ・デッラ・セーラ、12月6日)。

『若い恋人たちへのエレジー』(伊:Elegia per giovani amanti,英:Elegy for Young Lovers)(1953)は、若き日のヘンツェ、第5作めのオペラ作品であった。台本は、W.H.オーデンとチェスター・コールマンで、詩人としては、オーデンは言うまでもなく世界的な詩人であるが、コールマンはむしろオーデンの恋人として見られてきた。

オーデンとコールマンは、これよりも前に、ストラヴィンスキーのためにオペラ『放蕩者のなりゆき』(1951)の台本をものしている。

ヘンツェの作品は1961年のシュヴェツィンゲン音楽祭のために書かれたものである。ヘンツェは20世紀のオペラ作家として、リヒャルト・シュトラウス、ベルク、ブリテン、プーランクに並ぶ存在と考えられている。

ヘンツェは1926年ドイツの生まれだが、戦後のドイツおよびドイツ社会に嫌気がさして、1953年からイスキア島に移住し、そこでオーデンに出会ったようだ。

オーデンはイギリス人だが、アメリカに帰化していた。1948年以来、夏休みには、イタリアのナポリ湾にうかぶイスキア島のフォーリオという町で過ごした。恋人のコールマンと一緒にである。イスキア島は、同性愛者にとっての隠れ家的な場所であったらしい。

ストーリーは、ミッテンホーファというエゴイスティックな詩人が、ヒルダという女性の幻想(40年前に新婚旅行の時に、山に向かったまま行方不明になった夫の声を聞くという幻想)を利用して・・・という芸術家の人生との関わりがまるでjそこからエキスを吸い取る吸血鬼のようだ、という話である。

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2005年12月17日 (土)

ジョヴァンニ・パオロ二世の列福に不同意の声

前教皇ジョヴァンニ・パオロ(ヨハネ・パオロ)2世の列福に不同意の声があがっている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月6日)。

前教皇ヴォイティワは、晩年、大変な人気で、「すぐに聖人に」という声も沸き起こっていた。が、聖人(santo)になる前には、福者(beato)にならねばならないわけだが、その福者にすることに反対の声があがっている。

反対したのは、神学者、著作家の13人で、ジョヴァンニ・パオロ2世の業績の負の側面をも明らかにするように呼びかけている。彼らは過激な論者ではなく、前教皇の平和への呼びかけや、教会の過去のあやまちを認めた勇気などを肯定的に評価している。

だが、否定的要素として、解放神学の断罪、性規範が過去の伝統の継承にすぎなかったこと、Ior(アンブロージョ銀行をめぐり、不透明な資金の動きをしたヴァティカンの金融担当組織)の資金操作への寛容さなどをあげている。

否定的要素としてあげられているのは7つのポイントで、上にあげたものの他には、聖職者の独身についての見直しがなかったこと、女性司祭の可能性を閉ざしていたことなどがあげられている。

この文書に署名したのは、前サン・パオロ修道院長ジョヴァンニ・フランツォーニ、ジュリオ・ジラルディ他11名である。

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TAVの行方

フランスのリヨンとイタリアのトリノを結ぶTAV(新幹線)の建設をめぐって、イタリアで激しい抗議運動が起こっているが、フランス側では異なった意見がでている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月6日)。

トリノとリヨンの間には、アルプス山脈がある。そこで、鉄道建設も、トリノ~ブルツォーロ間は、イタリア鉄道が担当し、ブルツォーロ~サン・ジャン・ドゥ・モリエンヌ(フランス)間はリヨン・トリノ鉄道が担当し、サン・ジャン・ドゥ・モリエンヌ~リヨンはフランス鉄道が担当するという具合に三分割されている。

この第二のイタリア・フランスをまたぐ区間が53キロメートルほどある。イタリア側では、新幹線建設に激しい反対運動が起こっているが、同じ自然保護派でも、フランス側の反応は微妙に異なっている。

フランス側は、自然環境を守るため、出来るだけトンネルを多くせよ、という主張はしているが、新幹線建設自体には、賛成なのだ。理由は明快で、物流の一日5000~6000台のトラックの排気ガスに悩んでおり、それが列車による輸送に代替されることを望んでいるというわけだ。

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2005年12月16日 (金)

プローディの提案

プローディが次期政権をとったあかつきには、事実婚を認め、イラクから撤退することを表明した。もちろん、来春の総選挙をみすえてのことである(コリエレ・デッラ・セーラ、12月6日)。

事実婚に関しては、フランスのようにPACSという言葉は用いず、登録や結婚式まがいのことはしない。が、結婚したカップルに認められている権利のいくつかを認める。

これは同性のカップルにも適用されることになる予定なので、ホモセクシュアルの団体のリーダー、アルフレード・マントヴァーノからも、プローディは「勇気がある」とお褒めの言葉をいただいた。

一方、イラクに関しては、イラクからの即時撤退を国会に提案すると明言した。

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舞台で死んだ女優

イレアーナ・ギオーネという女優が、舞台の上で亡くなった。74歳であった(コリエレ・デッラ・セーラ、12月5日)。

舞台上で亡くなった俳優には、有名な前例がいくつかある。モリエールは、最後の作品『病は気から』の四回目の公演中に気分が悪くなり倒れ、家に運ばれたが喀血し、その日の10時に亡くなった。

またシェイクスピア役者のエドマンド・キーン(1787-1833)は息子のチャールズと、『オセロ』を演じていて亡くなった。彼がオセロで息子がイヤーゴである。キーンは崩れ落ち、息子に自分が死ぬことを告げるようにとささやいた、という。

20世紀では、アメリカのコメディアン、ディック・ショーンが1987年に心臓病のため舞台でなくなっている。同年、ロシアのアンドレイ・ミロノフも同様の運命をたどっている。

音楽関係では、2001年にジュゼッペ・シノーポリがベルリンでオペラの指揮中(『アイーダ』の第三幕)に倒れ、亡くなったという衝撃的な事件が記憶に新しい。

俳優にとっては、舞台で死ぬことは、ある意味では役者冥利につきるらしく、ヴィットリオ・ガスマンは1992年に公的な場で、「舞台の上で死にたい」と明言している。

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2005年12月15日 (木)

ヴァイアグラ、売り上げ落ちる

アメリカではヴァイアグラおよびその類似品の売り上げが10%ほど落ちているが、イタリアは反対の傾向を示している(コリエレ・デッラ・セーラ、12月5日)。

2004年時点で、この手の薬は、Viagra,Cialis,Levitraの三種類があり、それぞれ製薬会社は、Pfizer,Eli Lilly, Bayer e Glaxo である。世界的な売り上げは、25億ドル。当初の売り上げ見込みは、ヴァイアグラだけで、45億ドルであったから、実績は見込みを大きく下回っている。

イタリアでの売り上げは、7000万ユーロ(約100億円)で、一方、アメリカ合衆国での売り上げは、3億ドル。1998年から2003年の間に、イタリアでは、2700万錠が売れた。

アメリカでは、売り上げが減少しているのだが、イタリアでは逆に増加の傾向を示しているのは、国民性の違いなのだろうか。ちなみに、イタリアでは一錠、9ユーロ(約1260円)で、以前にShibanoさんからコメントをいただいた1200-1500円と一致する。ただし、所得水準を考慮にいれると、イタリア人にとっての9ユーロは、相当高いと感じられるだろう。

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2005年12月14日 (水)

教皇、不可知論と相対主義をしりぞける

教皇ベネデット16世は、お告げの祈り(Angelus)に際し、不可知論と相対主義をしりぞけ、それらが文化を支配すると、宗教の自由を、欺瞞的なやり方で妨害することになると警告を発した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月5日)。

ここで、教皇ラッツィンガーが警告を発している、「不可知論」と「相対主義」について、囲み記事にならい整理しておこう。

「不可知論」(Agnosticismo)は、ひらたく言えば、神がいるかいないかは、知り得ない、(だから、コミットできない)という立場である。この言葉が近代で使われ始めたのは、英語の agnostic  で、1869年に、自然学者のHuxley(小説家のA.Huxleyの祖父)で、ギリシア語の agnostos theos (知られざる神)から来ており、このギリシア語は聖パオロが使っているそうだ。

イタリア語には、1906年に入り、最初は厳密に科学的には証明されえないことは、認識不可能であり、いかなる判断をも下しえない、という意味で使われた。しかし時の経過とともに、宗教だけでなく、政治や社会に対しても、無関心な人(その態度)を示す言葉となってきている。

「相対主義」というのは、まさに、絶対的な真実という特権的な立場を排して、それぞれの考え方の価値を認めることである。この「相対主義」にベネデット16世は、かたくななまでに反対しているのである。

これに対し、哲学者のエマヌエーレ・セヴェリーノは、教皇に対する敬意を表しつつも、「不可知論」や「相対主義」が、宗教的自由をさまたげる、という考えを推し進めていくと、絶対主義国家や神権政治を求めることになってしまう、として困惑の表情を浮かべている。

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2005年12月13日 (火)

エレナがクリスティアンになる

イタリアでちょっと変わった結婚式が執りおこなわれた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月4日)。

かつては友人、今は夫と妻。エーレナ・シッラ32歳とアルジャ・フラーティ35歳の、山あり谷あり、最後は目出度しのお話。

彼らの最初の出会いは20年以上前、ペスカーラでのこと。学校に通い、その後は、お互いそれぞれの道を歩んだ。仕事をし、結婚をし、家庭を持った。

二人とも結婚し、母親となった。突然、4年前、エーレナは性を転換し、10歳になる娘の提案でクリスティアンと名乗ることに。

彼(女)の心には、旧友のアルジャがいたが、彼女はすでに18歳の息子と10歳の娘の母だった。が、やがてシングルに。

こうして看護師のクリスティアンとジャーナリストのアルジャの二人は、結婚した。クリスティアンは「幸せです。より落ち着いた生活をしたい。もう何も隠していたくはない」と語った。アルジャは、「新たな旅を始めます。これまでより苦悩が少ないとよいのだけれど」と。

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2005年12月12日 (月)

イエスのいないプレゼピオ

ミラノの移民の多い小学校で、赤ん坊のイエスのいないプレゼピオが作られた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月3日)。

プレゼピオは、クリスマス近くに、イエス、聖母マリア、ヨゼフをかたどった人形を飾るもので、日本で言えば、ひな人形のようなもの。大きさも大小様々である。ただし、飾り始めは、馬小屋に聖母とヨゼフがいるだけで、12月25日になってから、赤ん坊のイエスをそこに加えたり、1月になってから、東方の三博士の人形を加えるといった風に時間経過とともに、セットの構成が変わっていく点が、日本のひな人形とは異なる。

ミラノのカドルナ小学校は、ミラノの西部にあるが、約40%が外人で、四人に一人がイスラム教徒であるという。この学校でも、プレゼピオを作ったわけだが、ただし、赤ん坊のイエスの代わりに鳩を置き、彗星の代わりに平和の言葉を書いた。

こうした形で、統合教育を試みているのである。この小学校の先生ルイーザ・カヴァッラーリは、「まったく変ではありません。コーランの中に、イエスは何度も引用されているのです。われわれの課題は、われわれの伝統を、押しつけることなく、理解し、解釈するのを助けることなのです」と述べている。

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クロアチア、イタリア人の不動産購入を禁止

クロアチアが、イタリア人の不動産購入を禁止し、イタリア政府はEUに抗議している(コリエレ・デッラ・セーラ、12月3日)。

ドイツ人やオーストリア人はO.K.だが、イタリア人は、家や不動産を買ってはいけない。クロアチアに「住んでいない」イタリア人はまったく駄目なのだ。ことは、クロアチア・イタリア政府間の問題となりつつある。さらにこの問題は、クロアチアのEU加盟を紛糾させることとなろう。

ローマの側では、クロアチア大統領スティエパン・メシッチおよびイボ・サナデル首相の立場を理解しがたいものと考えている。

最初は、イタリア側は、今年10月3日にクロアチアのEU加盟交渉が始れば、この問題は解消するだろうと考えていた。というのも、イタリア政府は、一貫して、クロアチアのEU加盟に賛成の立場をとってきたからだ。しかし事態はイタリアにとって改善していない。

このクロアチアの頑なな態度の背景には、ポーラやフィウメの帰属でイタリアともめたことがある。第二次大戦後、ポーラ、フィウメ、ザーラそしてトリエステ、ゴリツィアの一部がユーゴスラビアに帰属することに決まったとき、約35万人のイタリア人が、自らの家をすて、わずかな家財道具のみを持って、イタリア本土に送還されたという歴史的事件がある。1946年から47年にかけての出来事であった。

ただし、不動産市場の自由化は、クロアチアがEUに加盟するための5つの「重要必要条件」に入っている。

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2005年12月11日 (日)

Censis の調査

Censis(Centro studi investimenti sociali,  社会投資研究センター)のレポートが出た(コリエレ・デッラ・セーラ、12月3日)。

Censisは1964年に設立された民間の研究所。様々な報告書を毎年出している。この度出された「わが国の社会状況のレポート 39号2005」によると、イタリアは断片的にではあるが、景気が回復しつつある。

Censis の所長ジュゼッペ・デ・リータによれば、好景気の戸口にいる、ということだ。

国内総生産が増えていないようだが?と問われると、デ・リータは、「国内総生産は一種の神話です。まだはっきり認識され数値化されていない経済的能力がわが国にはあるのです」と答えている。つまり、イタリアの生産システムは、衰退しているのではなく、変容をとげつつあるのだ。変革するものが勝利を収める。

イタリアを牽引しているのは、バイオテクノロジーの会社やIT関係の会社で、バイオは15億ユーロの売り上げがあるし、ITは4年間に11%の成長をとげている。レジャー用船舶は、3年間に、46%の増加をみせた。食品産業は、ヨーロッパ第一である。

貧富の差は拡大している。もっとも豊かな10%の家庭が、全体の45%の富を所有している。人口の13,2%が貧困層である。

昨年の大学卒業者は、26万8821人で、前年より30,9%増加している。大学への資金も1999年から2003年の間に221,5%も増加している。

2万㎡以上のいわゆるショッピング・モールは、イタリアに131あって、一年間に12,9%の増加。

110万人の労働者が職場で性による差別にあっているとしているが、常識に反し、被害者の50,9%は男性であるという。

医師のうち、治療目的で、受精卵の生体幹細胞の利用に賛成のものは、90,5%にのぼる。一般世論の場合は、賛成が44%で、反対が41,4%。人間のクローン研究を推進に賛成の医師は、8,8%にすぎない。

さらに、デ・リータは、雑誌Economistのイタリア悲観論に反撃を加えているが、彼の立場を要約すると、イタリアは、民間セクター、中小企業が危機を脱し、成長へ向かいつつあるが、その足をひっぱっているのは公共部門で、政治、行政、官僚ということになる。

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FIAT復調の兆し

フィアット社の販売に復調の兆しが見られる。フィアット・ブランドの責任者、ルーカ・デ・メオによると、フィアット・グループ全体では二年ぶり、フィアット・ブランドでは三年ぶりの好業績という(コリエレ・デッラ・セーラ、12月2日)。

今年11月のイタリア国内での売り上げ(登録台数)は17万7千台で、昨年同期より、3,06%増。また、2006年度の見通しも良好で、230万台の売り上げ、今年度に較べ3%増を見込んでいる。

フィアット・グループの国内シェアも30,1%と去年の27,48%から回復した。新車販売も好調で、グランデ・プントのヨーロッパでの売り上げは6万台に達している。フランスでの販売も好調だ。

株価は、2%上昇し、7ユーロ台を回復した。ボローニャでのモーターショウでは、イタリア製ハマー、l’Oltre Fiatもお目見えするという。

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ダウン症のコンビ

ダウン症のコンビがテレビでちょっとしたドタバタを演じ、笑いをとったが、そのことが論議のたねになり、司会者は次回からダウン症コンビの登場を取りやめることにした(コリエレ・デッラ・セーラ、12月1日、2日)。

チャンネルは、カナレ5。マリア・デ・フィリッピの番組で、ダウン症のコンビ(男女)は、ラブ・コメディ風のどたばたを演じ、会場の笑いをとった(らしい)のだが、それをダウン症の人間を物笑いの種にしている、あるいはその危険性が大きいとして抗議の声が上がった。

抗議をしたのは、カルメン・ロトリという1981年に設立された「ダウン症者およびその親の会」(Agpd)の会長である。一方で、1958年に設立された「全国知的障害者の家庭協議会」の創設者で39歳のダウン症の娘を持つミンマ・パチーフィチは「私は放送を見て、涙がでるほど感動した」と述べている。

マリア・デ・フィリッピは、「物笑いの種」にする意図はまったくなかったと明言した上で、Agpdはダウン症者の家庭を代表しているのだから、自分は一歩引くことにした、と述べている。

ダウン症者の家族の意見は割れている。

デリケートな問題である。僕が見たなかで、ダウン症者が出演した最も楽しい映画は、ベニーニ主演・監督の『ジョニーの事情』である。

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2005年12月10日 (土)

父親の産休・育休

イタリアで父親が取る産休が徐々に増えている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月1日)。

フランスでは、約3分の2の父親が14日間の産休を取る。これは前ジョスパン政権のもとで2002年に実現したものだ。

世代別にみると、フランスの30-34歳の父親は75%が産休をとり、35-39歳では、60%が産休をとる。双子の場合、18日までとれるそうだ。ただし、この産休は子供の誕生から4ヶ月以内にとらねばならない。

イタリアには、こういうコンセプトの産休はない。ただし、母親に対する産休は進んでいて、子供の誕生から3ヶ月は家にいることが義務づけられている。

しかし、ヨーロッパでは、2000年にフィンランド首相リッポネン、イギリス首相ブレアーが産休をとったことで、男の産休も広まるきっかけとなった。

一方、イタリアでは1,6%の父親しか産休・育休をとっていない。そしてこれは、産休取得者の19,2%だという(つまり、2割は男がとって、8割は女がとっているということ)。また、このデータは公務員に関する者で、民間にはデータそのものがない。イタリアの産休・育休は前政権のプローディのもとで成立した。

イタリアの産休・育休制度は、やや複雑である。イタリアの父親も、母親と交代で、育休は7ヶ月までとれる。仕事を休む期間を分割することも可能である。子供が3歳になるまでの間にとった育休期間に対しては、収入の30%が保障される。それ以降は子供が8歳になるまで、育休をとることは可能だが、収入の保障はない。ただし、公務員の場合、最初の一ヶ月は、満額が保障される。

この法律が出来たときの大臣リヴィア・トゥルコは、「イタリアではいつもそうですが、法律は出来るのだけれど、奨励・助成がないのです。企業がこの法律に敵対的なのは知っています。だから良い実例からスタートしなければならないのです」と述べている。

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2005年12月 9日 (金)

化学的去勢の是非

イタリアで、強姦事件が続いて起こった(コリエレ・デッラ・セーラ、11月30日)。

まず11月23日、ボローニャで、路上で30歳の女性が襲われたが、通りがかった自動車は無視して通りすぎた。11月27日ラ・スペツィアで、女性看護師が仕事に行く道すがら、後をつけられ、襲われた。11月28日、ローマで、20歳のジプシーのバリスタ(バールでコーヒーを淹れる人)が、ジプシーに襲われた。11月19日、ミラノで、25歳のジプシーの娼婦が、アルバニア人の集団に襲われた。犯人は逮捕された。

上記の多くのものに、不法滞在者が関わっている。

改革担当大臣のロベルト・カルデローリは、このような性的犯罪者には、化学的去勢を検討すべきだと述べた。

野党の L'Unione からは反論が押し寄せている。

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中道左派の経済政策(2)ーフレクシキュリティ

中道左派の経済政策の中で、目を引くのが、デンマークをモデル化した考え方である。キーワードは、Flexicurity(フレクシキュリティ)、柔軟保障とでも訳すのだろうか(コリエレ・デッラ・セーラ、11月29日)。

デンマークのシステムでは、まず、解雇が非常に簡単なのだ。解雇の5日前に通告すればよい。そんなに突然解雇されたら途方にくれると思うが、失業補償が70%から90%あり、給付期間も最長では4年間におよぶ。

さらに解雇から3ヶ月以内に、労働関係のお役所が、その人にあわせた job plan つまり、再雇用の計画を用意してくれる。それに対し、労働者は、解雇からおそくとも一年以内に、仕事に応募するか、新たな仕事につくための訓練・教育につくと申し出なければならない。

これはつまり、企業が競争力を獲得するための柔軟性と、福祉国家が補助する労働者への保障が、結びついたものである。柔軟性と保障で、フレクシキュリティ、というわけだ。

これを推進しているのはデンマークなのだが、デンマークの例を中道左派は研究しているのである。中道左派にとっては、労働市場の諸問題(労働者は、市場の非正規雇用化を嘆いている)の解決をめざしてのことだ。

デンマークでは、男女ほとんど差がなく80%の人が働き、4人に1人は、毎年転職するという。

こういった研究結果はまもなく、グラムシ研究所のパオロ・ボリオーニ、ティツィアーノ・トレウ、チェーザレ・ダミアーノによってまとめられる。

デンマークの例は、アメリカの経済学者ジョゼフ・スティグリッツなどもアメリカ型の経済に対抗するモデルと考えている。

ただしイタリアとデンマークの主な違いが4つある。(1)イタリアの人口5700万に対し、デンマークは530万人。(2)国家財政の健全性(デンマーク)。(3)平均した教育程度の高さが再雇用を容易にしている(デンマーク)。(4)家庭や母親を支援する政策(デンマーク)

イタリアは、デンマークとのシステムの違いを認識しつつも、一歩一歩、始めなければいけないというのが、ボリオーニの考えである。

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中道左派の経済政策(1)

来春の総選挙をひかえ、中道左派の中から、何人かのエコノミストが経済政策について語りはじめた(コリエレ・デッラ・セーラ、11月28日)。

左翼民主の改革派のエコノミスト、ニコラ・ロッシは、より市場メカニズムを機能させ、国家財政により規律をもたらすことにより、経済をより自由化し、経済を成長させる道を開くと述べた。

現政権の場合、市場に関し、なんら意欲的な実験をしていないというのが彼の評価である。現政権は、企業の競争力を考えるときに、ただ一つのファクター、労働コストのことしか考えていない、というのだ。

それに対し、彼は、エネルギー、サービス、行政といった様々なものに働きかけねばならない、とする。労働市場の自由化をはかったビアジ法に関しても、「エイナウディの言葉をひきましょう。労働者の保護は、しばしば、生産性を高める一つの方法なのだ。」

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2005年12月 8日 (木)

ベニーニにカヴァリエーレ勲章

映画監督兼俳優のロベルト・ベニーニが、チャンピ大統領からカヴァリエーレ勲章を拝受した(コリエレ・デッラ・セーラ、11月29日)。

ベニーニがもらったのは、Cavaliere di Gran Croceでカヴァリエーレ(騎士)勲章の中でも格が高いものらしい。例によって、ベニーニは、チャンピに親しみをこめたしぐさで相対している。嬉しそうな赤ん坊のように満面に笑みを浮かべている。

チャンピ大統領もフランカ夫人もベニーニの映画が好きであることを隠そうとはしない。

他に、映画関係者では、社会派の俳優兼監督ミケーレ・プラーチドがグランデ・ウフィチャーレ勲章をもらった。ウフィチャーレは、コメンダトーレとカヴァリエーレの中間なんだそうです。

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2005年12月 7日 (水)

リンボ(辺獄)の消滅

リンボ(辺獄)の歴史は最終ページに入った。前教皇ジョヴァンニ・パオロ(ヨハネ・パオロ)2世により委託された国際神学委員会が結論を出そうとしている(コリエレ・デッラ・セーラ、11月29日)。

委託の内容は、「洗礼を受けずに死んだ子供の運命」についてで、今回の現教皇ベネデット16世への答申では、「辺獄」という仮定の存在が、抜け落ちることになるようだ。

そうなると、神の慈悲(misericordia)によって、無垢な子供たちの魂は救われることが保障される。

以上のことが神学上の議論になるのは、かつては、洗礼を受けずに死んだ子供やイエス・キリスト生誕以前に生まれた偉大な人々(当然、キリスト教徒としての洗礼を受けていない)は、天国にも行けず、地獄にもいかないで、辺獄というところに行くとされていたのだ。

ダンテの『神曲』の地獄篇第4歌にも、ウェルギリウスの上記のような説明を聞いたダンテが「それを聞いた時私の心はひどく痛んだ、というのは非常な価値ある人々が何人もこの辺獄(リンボ)の中でどちらつかずになっているのを知ったからだ」(地獄篇4歌45行)とある。

また、20世紀に入ってからも、ピオ10世の時にでたカテキズモ(カトリック要理)(1905年)には、「洗礼を受けずに死んだ子供たちは、リンボに行く。そこでは神の存在を喜ぶこともないし、苦しむこともない、というのも原罪を持ってはいるが、罪はそれだけなので、天国にも値しないが、まして、地獄や煉獄にも値しない」と書かれていたのである。

リンボ(辺獄)という考え方が整理されたのは、13世紀のことだそうだ。そこには、キリスト以前のイスラエルの父祖(アブラハム、ヤコブ等々)や洗礼前に亡くなった幼児がいるとされたのだが、ダンテはこの説を受け入れつつ、一部改変し、古代ギリシア・ローマの賢者をもここに組み込んだのだ。

現教皇は、ラッツィンガー枢機卿であった頃に、個人的見解と断りながらも、リンボはつねに「神学上の仮定に過ぎなかった」という考えを述べている。

それが、正式に神学者の会議で認められ、無垢のまま亡くなった子供たちは、神の慈悲にあずかることが、晴れてカトリック教会の正式見解となる見通しである。

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2005年12月 6日 (火)

ヴァイアグラ論争

ミラノの高齢者たち(70代)が、ヴァイアグラの政策的特別価格または無償配布をもとめたのに対し、ミラノの社会政策担当のティツィアーナ・マイオーロがそれを支持した一方、厚生大臣のストラーチェは激しくそれを拒絶した(コリエレ・デッラ・セーラ、11月28日)。

ストラーチェ大臣は、「自治体の費用で、バイアグラを配布することを考えるなんて、冗談みたいだ」と述べたが、マイオーロ女史は、「私にこの件を請願してきたひとたちは、すでに医学的な処方箋を持ち、使用もしている人です。端的に、薬の値段が高すぎると嘆いているのです」と反論。

さらに、「充ち足りて満足している人は、病気にかかりにくく、医学的にもコストがより低い」ことを付け加えている。

ちなみに、中道左派のリーダー、ロマノ・プローディは、「高齢者にヴァイアグラ?いいんじゃないですか」と答えた。

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カジーニの反乱

(NATO photo)

UDC(キリスト教民主連合)のピエル・フェルディナンド・カジーニがベルルスコーニに対し、中道右派のリーダーシップを求めて挑んだ(コリエレ・デッラ・セーラ、11月28日)。

カジーニは、下院議長であり、人気もある。ベルルスコーニと名指しはせずに、「イタリア人は、幻想や幻想を与える言説にうんざりしている」と現政権をバッサリ切り捨てた。

カジーニの代理人は、ベルルスコーニへの言及であることを否定したが、UDCのブッティリオーネは、「カジーニをわが国の指導者にしよう」と立場を明確にした。

ベルルスコーニの反応は素早く、「私に対する攻撃であり、裏切りだ」と怒りを露わにした。

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ボローニャのジョット

ボローニャで「ベルトランド・デル・ポッジェット時代のジョットと美術」という展覧会が、2005年12月3日から2006年3月28日まで催される(コリエレ・デッラ・セーラ、11月27日)。

1334年は、教皇ジョヴァンニ(ヨハネ)22世の亡くなる年だ。彼は、アヴィニヨンにあった教皇庁を、穏便にイタリアへ戻そうと考え、ローマではなくて、ボローニャに新たな教皇庁を建てようとして、1330年から立派な宮殿を建築させ、そこに当時最高の画家ジョットのフレスコや多翼祭壇画を描かせたりしたのだが、1334年に民衆の反乱が起こり、宮殿は略奪され、宝物は散逸してしまったのだが、いったんは所在が散り散りになってしまった美術品が一堂に会したのが今回の展覧会である。

この時代は、教皇派(グェルフィ)と皇帝派(ギベリーニ)の対立が激しい。ジョヴァンニ22世は、フランス王を刺激せずに、教皇庁を移動させたかった。そこで、まず1319年、ベルトラン・デュ・ピュジェ(フランス語よみ)すなわちベルトランド・デル・ポッジェット(イタリア語よみ)をイタリアに派遣し、皇帝派を駆逐してボローニャを首都とする教皇領国家を樹立しようとした。

しかしフランス人司教の存在、また高い税金、豪華な宮殿(palazzo di Porta Galliera-教皇庁になるはずだった)の建設は、イタリア人の憤激をかい、その反乱により、教皇庁をボローニャに遷都する試みは崩れ去ったのであった。

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2005年12月 4日 (日)

「カルメンの白いスカーフ」

武谷なおみ『カルメンの白いスカーフ』(白水社)を読んだ。副題に「歌姫シミオナートとの40年」とあるように、武谷さんとシミオナートの交流を描いたもの。

シミオナートと言えば、イタリアオペラの黄金時代1940年代後半、50年代、60年代を代表するメゾ・ソプラノである。テノールのマリオ・デル・モナコ、バリトンのエットレ・バスティアニーニ、ソプラノのレナータ・テバルディとともに当時のNHKイタリア歌劇団として、日本人に本格的なイタリアオペラを体験させた偉大な存在である。

そして、上にあげたイタリア歌劇団をかざるスターたちのうち今もなお存命なのはシミオナートのみである。

武谷さんとシミオナートの日本での出会い、手紙の交換、4年半におよぶ留学生活でのシミオナート・フルゴーニ夫妻との交流。フルゴーニ医師というのが、また、プッチーニ、ムッソリーニ、共産党のトリアッティ、マルコーニとイタリア中の名士を診察した医師で、興味津々のエピソードが次々に出てくる。

僕にとって特に興味深く印象的だったのは、シミオナートが幼い時に母の故郷サルデーニャで過ごしたこと。また、サルデーニャ人の母の頑なさ(NOという言葉しかきいたことがないという)、厳しさ(子供を鞭でうつ)である。

幼ないときの場合によってはトラウマティックな経験は、彼女の芸術をときあかす一つの鍵であると思った。たとえば、『カヴァレリア・ルスティカーナ』で、未婚で誘惑され棄てられる女サントゥッツァを演じるとき、シミオナートは全身全霊で没入し、気がつくと、手に紫色のあざが出来てしまうという。計算を越えた迫真の演技だが、そういう激しいトランス状態に誰もが到達できるわけではあるまい。母から受け継いだ気質、そして母親という存在とのぶつかりあいがこんなところで意味をもっているのだろう。

また、シミオナートが抱いている現代のイタリア・オペラのあり方(指揮者や演出家の意図が優先される。歌手がじっくりと役作りをしない、などなど)への憤懣に、僕は深く感じ入った。偉大な歌手に、偉大な声に、すべてを圧倒される時代はもうこないのだろうか?

武谷さんは、シミオナートを語る語り部にいさぎよく徹している。音楽評論家めいたことはあまり言わない。これは一次資料であり、それをどう料理するのも後世の人間に託しているのであろう。

武谷さんが、シミオナートにインタビューしたビデオが20時間分あるという。ビデオでもDVDでもかまいません、是非、是非、拝見できる形で世に出してください。オペラ愛好家にとって、シミオナートのオペラに関する評言はまさに珠玉の価値を持つものなのです。

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ルイーニ枢機卿、PACSに再反論

プローディが提唱しているフランス風のPACS(連帯市民協約)の導入に対し、ルイーニ枢機卿があらためて反論した(コリエレ・デッラ・セーラ、11月27日)。

ルイーニ枢機卿は、CEI(Conferenza Episcopale Italiana イタリア司教協議会)の会長であり、マスコミへの登場も多く、ヴァティカンのスポークスマン的立場の人と言ってよいだろう。

彼は、ローマ・カトリック大学で催された会議で、Pacs(連帯市民協約)や近年の生命科学技術に触れて、「最近、結婚制度を、他の結びつきや同棲と同一視することによって、弱体化する傾向が広まっている。その結果、結婚が、人間の愛の本性の表現および保障と見なされず、慣習や容易に改変可能な約束と見なされるようになってきている」と述べた。

クローンや遺伝子研究に関しても、「人間の再生産を合法的に助けることを越えて、人間をモルモット化したり、クローン化への不安を誘う展開が開かれつつある」と警鐘を鳴らした。

これに対し、再建共産党のファウスト・ベルティノッティは、「これは教会が、世俗化に直面する困難を示している」とし、緑の党のパオロ・チェントは、クローンや遺伝子操作に関する警鐘を評価した。

(なお、明日12月5日から三日ほど仕事の関係で、ブログ更新が困難となります。あらかじめご了承ください。)

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イタリア共産主義者党と鎌トンカチ

先日、イタリア共産主義者党の委員長アルマンド・コッスッタが党章の鎌トンカチ(鎌と槌)を放棄してもよい、とコリエレ・デッラ・セーラのインタビューで答えたのに対し、同党の書記オリヴィエーロ・ディリベルトは、そんな同意はないと苛立ちの声をあげた(コリエレ・デッラ・セーラ、11月27日)。

イタリア共産主義者党というのは、再建共産党からコッスッタ派が分かれて出来た党であるが、再建共産党というのは、イタリア共産党の大部分が左翼民主党と名を変えて再出発したときに、そこから分かれて出来た党である。

鎌と槌を放棄するかどうかは、党が独自路線を歩むか、それとも中道左派に加わって、その中で他党と連合を結成していくかとも密接に関わっているようだ。

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2005年12月 3日 (土)

「生協の白石さん」

「生協の白石さん」を読んだ。失礼を承知で言えば、この手の本は、立ち読みですませてしまうこともあるのだが、このところ、何かに癒されたいという願望が強くなっていて、買うというところまで踏み込んだのかもしれない。

結論から言えば、今の僕には良い買い物であった。承知のように、この本は、東京農工大の生協の「ひとことカード」のやりとりで、すべてが一ページ読み切りである。

なかなか白石さんのように、「愛は売っていないのですか?」とか「単位ください」とか「あなたを下さい。白石さん」といった様々なくせ球をふわっとつつむようにキャッチして、こちらの心をくすぐる答えをかえす柔らかい心を持てそうにもないな、と思いつつ、読んでいるうちに、こちらも、いつしか少しなごんだり、笑ったり、意外なところで胸をつかれたりもした。

(今日も、コリエレ・デッラ・セーラは到着しませんでした。念のため郵便局にも問い合せましたが、該当するものはないとのこと。思わず、ブログのたねが尽きたといらいらしたりしたのですが、イタリアとつきあうには、規則正しく効率的に事が運んだら、僥倖である、と思うような、おおらかな気持ちが必要ですね。白石さんを見習わなくちゃ)

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2005年12月 2日 (金)

ジュゼッペ・カンパーリというドライバー

1920年代から30年代にかけて、ミッレ・ミリア(1000マイル自動車レース)で活躍したジュゼッペ・カンパーリというレーサーは、レースと同じくらいオペラが好きで歌手デビューもした(コリエレ・デッラ・セーラ、11月17日。新聞の遅配が続きふるいネタです)。

そもそもこのカンパーリというレーサー、アルファ・ロメオで活躍したのだが、アルファには輝かしい神話がある。

ヘンリー・フォードは、「わたしは、アルファ・ロメオが通るたびにいつも帽子をとるのです」と言ったというエピソードがある。最高のオマージュである。

1928年にカンパーリはAlfa 1500 6C Sport Spider でミッレ・ミリアに勝ったが、それがアルファ・ロメオのミッレ・ミリアでの初勝利で、これをもとにした市販車 1500 6C Super Sport を販売した。

エンツォ・フェラーリも書き残しているように、カンパーリは自動車レースとならんでオペラが好きだった。しかも両者の優先順位がつけられないほどだった。そして第三の情熱は、料理だった。

彼が結婚したのは、リーナ・カヴァッレーリという歌手だった。あるとき、彼はレースよりもオペラに夢中になって、ついには、ベルガモのドニゼッティ劇場に、『椿姫』でデビューしたのだ。

歌手として成功ではなかった。ある観客は、「車を走らせに行け!」と叫んだ。カンパーリは、「車を走らせに行けば、歌いに行けと言われ、歌えば、車を走らせに行けと言われる。いったい、私は、どうしたらよいのだ?」と答えたが、これは冗談で、レース場で彼を否定するものは誰もいなかった。

1920年代後半、アルファの生産台数は1000台強であったのに対し、イタリア全体の自動車生産は1万5000台であった。

1931年、カンパーリはモンツァで、8Cで勝利をおさめたが、世界大恐慌の影は忍び寄っていた。アルファの拡大はストップし、1933年、アルファは、IRI(産業復興公社)の管理下にはいる。

ジュゼッペ・カンパーリはその年に、モンツァのレース場で事故のため亡くなった。

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2005年12月 1日 (木)

F1、エクルストンが売却

自動車レースF1を主催するSlecのワンマン・オーナー、バーニー・エクルストンは、イギリスのファンドCVC Capital Partnersに株式の75%を売却した(コリエレ・デッラ・セーラ、11月26日)。このために要した資金は、5億ユーロ。

これで一つの時代が終わった。現在75歳の准男爵エクルストンは、25年にわたってF1を支配してきた。

株式の移譲は行われたが、相変わらずエクルストンは、FOA(Formula One Management)の総監督にとどまる見通し。

この売却の背後には、2007年末に契約が切れた時点で、BMW,ダイムラークライスラー、ホンダ、トヨタ、ルノーが、今のままでは、新たなF1に代わるレースのための組織を作ると言っていることがある。

彼らは、F1の収益に対する取り分が少なすぎると主張しているのである。F1の収益は約8億ユーロであるが、自動車メーカーは、その75%を要求している。現在は25%しか受け取っていない。エクルストンは間をとって50%ではどうかという申し出をしている。

なおフェラーリは、2012年まですでに契約を結んでいる。

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教皇、学問観を語る

ローマ教皇ベネデット16世は、ミラノ・カトリック大学の始業式にむけて、学問のあるべき姿を説いた(コリエレ・デッラ・セーラ、11月26日)。

教皇は、カトリック大学は、「本当の合理性、現在支配的な合理性とは異なる合理性、すなわち超越的存在、神に対して開かれた理性にもとづいた地平で学問」をすべきであると説いた。

なぜなら、人間の意識の地平を、「実験を通じて証明できる」ものへと縮小してしまうことは出来ないからだ。しかもそういった考え方が現代哲学では重要な潮流となっていると憂慮している。

現教皇は神学者であり、この話題は以前から取り上げていた。4月18日には、長老格の枢機卿として、「相対主義の独裁」に反対を唱えているし、10月2日に開いた司教会議では、「公的生活から神を追放する」ことは、「寛容ではなくて、欺瞞である」と述べている。

つまり、ラッツィンガー枢機卿であった時から、現教皇ベネデット16世は、一貫して、現在の悪しき「実証主義」に疑念を呈しており、信仰と理性を合体させるべきだと考えているのである。

ちなみに、カトリック大学は、1921年にミラノに創設され、その時の学生数は100人であったが、現在は、5つの所在地にわたって4万人の学生が登録している。

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