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2005年11月 6日 (日)

アンジェラ・ゲオルギューのリサイタル

アンジェラ・ゲオルギューのリサイタルに行ってきた(11月5日、東京芸術劇場大ホール)。

芸術劇場は、数年前に、中島康晴(テノールでスカラ座等で活躍、今年はフェニーチェ座とともに来日、「真珠取り」を歌った)のリサイタルで来た。

その時は、ピアノ伴奏で、今回はオーケストラ伴奏である。今回、このホールが日本のホールとしては響きが芳醇で、残響が長いことに気がついた。

オーケストラピットを設定せず、舞台上にオケがいるため、序曲や間奏曲の演奏は、音が鳴り響いてよろしいのだが、ゲオルギューの伴奏の際には、時に、音が過剰となり、ゲオルギューの声がつぶされそうになることがあった。

指揮は、マルコ・グイダリーニ。オケはニース交響楽団。指揮者は、チェロ出身のせいか、弦楽器への目配りが行き届いていて、どちらかというと、管楽器の音色の変化への配慮は大まかなように聞こえた。

そのため、「コシ・ファン・トゥッテ」の序曲よりは、プッチーニの「マノン・レスコー」の間奏曲およびマスネの「タイスの瞑想曲」がよかった。とくに最後の曲は、ヴァイオリンが一丁であの有名なメロディーをかなでるが、チェロとコントラバスを厚く響かせているおかげで、センティメンタルな音楽に流れず、説得力の高い音楽を造形していた。

ゲオルギューは、ソプラノ歌手として、透明な高音と、薄くならずしっかり響く低音域を持ち、表情として叙情性を豊かに持っているので、今回メインであったプッチーニには向いていると思う。

僕は、以前に彼女の「椿姫」を観たがこれも美貌とあいまって素晴らしい出来だった。

この日の最初は、ジョルダーニの「カーロ・ミオ・ベン」で、次にヘンデルの「私を泣かせてください」。軽めの曲でスタートというところ。

間にプッチーニの間奏曲をはさみ、レオンカヴァッロの「道化師」の‘大空を晴れやかに’とプッチーニの「つばめ」の‘ドレッタの素晴らしい夢’。

休憩後は、カルメンの間奏曲の後、「カルメン」の‘ハバネラ’、プッチーニの「マノン・レスコー」の‘華やかに着飾っても’。後半は衣装が真っ赤なドレスに替わる。

マスネのタイスの瞑想曲のあと、プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」の‘私のお父さん’と「蝶々夫人」の‘ある晴れた日に’。どれも、女性の痛切な思いをせつせつと歌うという面が強く出ていた演奏であった。ジャンニ・スキッキやハバネラでは、軽みも出そうとしていたが、さらに軽やかな部分があってもよいかと思った。

アンコールが意外だった。まず、マイ・フェア・レディー。その後は、グレゴリューとかいう人の‘ムジカ’。最後は、‘グラナーダ’。‘グラナーダ’は楽譜を見ながらの歌唱だったので、自分の持ち歌というよりは、日本の観客へのサービスのつもりなのだろうか。ソプラノが‘グラナーダ’を歌うのははじめてきいたが、僕としてはヴェルディを一曲聴いてみたかった気もする。

ゲオルギューは、舞台姿の美しさもふくめて貴重なソプラノであると思う。良い仕事、良い舞台で、歌の熟成されんことを願うのみである。。

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コメント

高校のときの音楽の授業で「わたしのお父さん」とか「カーロ・ミオ・ベン」とか歌いました。今度ゼミのとき一緒に歌いましょ。

投稿: azusa | 2005年11月 7日 (月) 00時52分

そうですね。
一度、歌詞を説明しながら、レコードを聴いてみましょうか。

投稿: panterino | 2005年11月 7日 (月) 09時55分

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