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2005年11月10日 (木)

ムッソリーニの最後

左翼民主党のダレーマのムッソリーニに関する発言が、党内に波紋を呼んでいる(コリエレ・デッラ・セーラ、11月5日)。

ブルーノ・ヴェスパの本の出版を記事にした週刊誌「パノラーマ」から議論は始った。ムッソリーニは、パルティジャーニによって殺され、その死体は、愛人ペタッチの死体とともに、ミラノのロレート広場に逆さづりにされた。

ダレーマは、その歴史的事実を踏まえたうえで、「裁判にかけた方が、より公正であったかもしれない。イタリアの歴史の一部分を再構成することに同意しただろうし。」と言ったのである。たしかに、ムッソリーニとともに、消え去ってしまったり、わからなくなってしまったことは少なくないだろう。

これに対し、左翼民主党内から異論が続出したのである。「これは修正主義(revisionismo)に窓を開くようなもので、そこではすべての牛は灰色なのだ」(白・黒の区別がないという意味でしょうね)と言ったのは、ファミアーノ・クルチャネッリ。

これに対して、より冷静な人たちは、「修正主義が絶対的に悪いわけではない、というのも歴史研究に終わりはないからだ。しかし、まさにそれゆえに、研究者にまかせるべきで、政治家が口をはさむべきではない。政治家はその時々の状況に合わせて適応してしまうことがままあるから」とロレンツォ・フォルチェーリ。

ジャーナリストのジョルジョ・ボッカは、「ニュルンベルグ裁判は、歴史に対する裁判は出来ない、ということの証明になっている。勝者が敗者を裁いたのだ。独裁者の死は必然であった。裁判をやりたがっていたのは、アメリカおよびイギリスで、それはイタリア全体を断罪することになったろう。それこそ、われわれパルティジャーニが避けたかったことだ」と語っている。

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コメント

ダレーマの言い分はわかりますが、ボッカの主張のほうが歴史的には正しいでしょうね。ムッソリーニを裁判にかけるという選択は、おそらく1945年5月のイタリアには可能性として存在しなかったと思います。

戦後のイタリアの出発をスムーズに進めるためには、ムッソリーニには死んでもらわなくてはならない。たぶんそれがComitato di Liberazione Nazionaleに参加したすべての党派に共通した考え方だったように思います。

投稿: Shibano | 2005年11月10日 (木) 21時20分

はい。
コリエレ紙の記者が、ルーチョ・ヴィッラーリのような左派の学者も、Comitato di Liberazione Nazionale dell"Alta Italia(CLNAI)(北イタリア国民解放委員会)が、1945年4月28日に下した決定およびその処刑方法に関し疑問を呈しているが、との質問に、ボッカはこう答えています。

「歴史的観点からは、まったく馬鹿げている。それは革命とか、その結果を無視することになる。

まるで、(フランス革命で)ロベスピエールをギロチンにかけたのは誤りだったとか、ナチスの指導者たちを処刑したのが間違いだったというようなものだ。

その上、ムッソリーニの処刑は、1945年4月25日にCLNAI(北イタリア国民解放委員会)の出した宣言によって正当化されるんだ。その宣言の中で、CLNAIは、降伏しないものは、(戦時下での)略式裁判で裁くと告げているのだから」と。

ちなみに、ムッソリーニの孫娘で国会議員のアレッサンドラ・ムッソリーニは、ダレーマの発言を歓迎しています。

とくにダレーマが「ムッソリーニの殺害は、内戦の凶暴さの中で起こりうるたぐいのエピソードであるが、受け入れられるものとは考えられない」と言っている部分です。

逆に、この部分が、激しい反論をかき立てるもととなったのでしょうし、上のボッカのコメントにもつながっていくと思います。

投稿: panterino | 2005年11月11日 (金) 00時04分

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