レンゾ・デ・フェリーチェ通りがローマに
イタリアの歴史家レンゾ・デ・フェリーチェの名を冠した通りがローマに出来ることになった(コリエレ・デッラ・セーラ、11月11日、ちなみに11月10日と11月9日は休刊)。
デ・フェリーチェといえば、ファシズムの専門家で、1975年に出版した『ファシズムに関するインタビュー』と1995年の『赤と黒』が激烈な議論を呼び起こした。
デ・フェリーチェは1929年生まれ、1996年に亡くなっているが、コリエレ紙には、1988年に彼が授業に行くさいに、私服警官につきそわれている写真が載っている。
デ・フェリーチェのファシズムやムッソリーニ関する論考は、「ファシズム寄り」であると考えられ、左派からの激しい攻撃にさらされたらしい。
レヴィジョニズム(修正主義)のはしりということになるのだろうか。
このデ・フェリーチェの名をローマのある通り(どうも、ヴィッラ・アーダ公園のなかの道になるらしい)に冠することを決めたのは、ヴェルトローニ市長である。
ヴェルトローニといえば、ロマーノ・プローディとともに、1996年中道左派のウリーヴォ(オリーブの木)の立役者であるから、感慨深いものがある。
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