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2005年11月 2日 (水)

教皇庁と禁書

教皇庁の禁書目録(Indice)について、新刊がでた。Gigliola Fragnitoの≪Proibito capire. La Chiesa e il volgare nella prima eta' moderna≫である(コリエレ・デッラ・セーラ、10月21日)。

16世紀は激動の時代であった。日本も、戦国時代だが、ヨーロッパでも、マルチン・ルターの質問状に端を発した宗教改革運動と、それに対抗する対抗宗教改革(controriforma)の嵐が吹き荒れた。

フラニートの新著は、教皇庁の16世紀における戦略を読み解くものであるらしい。教皇庁の伝統的戦略は、ラテン語をはじめとする高度な知識は、聖職者および一部の貴族が独占する。そこから排除された民衆は、自分で信仰の内容についてあれこれ考えずに、教会の導きに従うというものであった。

それに対しルター派が、聖書を俗語に(ラテン語から)翻訳しようとすると、対抗宗教改革期の教皇たちはそれを妨げようとした。

彼らは、イタリア語に翻訳された聖書を、出来たての禁書目録に載せたばかりか、それを回収して、公衆の面前で、広場で、燃やしてしまったのだ。

UTETの百科事典によると、禁書目録は、1557年にパオロ6世の命令で出来、最後のものは、ピオ12世による1948年のものであるという。

禁書になったものは、多岐にわたり、Pietro Aretinoのエロティックな詩、マキャヴェッリの政治思想、ダンテの君主政体論、ボッカッチョの「デカメロン」、カスティリオーネの「宮廷人」、アリオストの「狂乱のオルランド」などなど。

ちなみに、16世紀には、三度、禁書目録が発行された。1558年のパオロ6世による厳しいもの、より穏やかになったトレント公会議のときのもの(1564年)、教皇クレメンス8世(イタリア語ではクレメンテ)による厳格なもの(1596年)がある。

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コメント

情報を一部の人で独占していた時代があったんですね。なんだか怖い気がします。

投稿: azusa | 2005年11月 2日 (水) 23時46分

そうですね。
だから、19世紀には、概してプロテスタント諸国は識字率が高くて、カトリック諸国は識字率が低かったんですよ。
イタリアの中では北が高くて、南が低い傾向がありました。
今はインターネットにより情報へのアクセスが開かれているように見えますが、情報操作ということもありますから、僕らもメディアリテラシーを高めていく必要がありますね。

投稿: panterino | 2005年11月 3日 (木) 01時05分

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