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2005年11月30日 (水)

太陽発電対原子力発電(2)

プローディの太陽発電推進の発言を受け、現政権の生産活動大臣スカヨーラが、原子力発電再開を唱えた(コリエレ・デッラ・セーラ、11月26日)。

プローディとスカヨーラの対立した意見の背後には、1987年の国民投票がある。前年のチェルノブイリ原発事故をうけこの時の投票で、イタリアは原子力発電を放棄したのだ。

スカヨーラは、カザッチャにあるENEA(ヨーロッパ原子力エネルギー庁)を視察し、実験段階の「核融合」施設を見学した。

スカヨーラによると、中道右派(POLO)の政策の中には、次期政権で、原子力発電の再開も選択肢として存在する。

スカヨーラは、フランスで計画中のいわゆる「第三世代原子炉」を視野に入れているもよう。この企画には、イタリアのENEL(イタリア電力公社)も加わっているのだ。

スカヨーラはプローディが推進しようとしている太陽エネルギーに対しては、「太陽発電では、イタリア中を発電パネルでおおっても、わが国が必要とする電力を保障できない」と皮肉たっぷり。

中道左派の環境担当エルメーテ・リアラッチは、太陽発電パネルの取り付けへの補助金に対しては、何千もの申し込みがあり、関心の高まりが見られたのに、実際に実施されたのは数百にすぎないと反論している。

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太陽発電対原子力発電(1)

L’Unioneのリーダー、ロマノ・プローディがエネルギー政策としてソーラー・パネルを推進すると言ったのに対し、現政権の生産活動大臣スカヨーラは、原子力発電の再開を主張した(コリエレ・デッラ・セーラ、11月24日、26日)。

プローディは、イタリアの環境保護団体レーガンビエンテの大会で、来春の選挙で勝利した場合のエネルギー政策について語った。これ一つですべて解決という手段は無いが、様々な方策があると言う。

その中には風力発電(「ただし広い野原で」)、太陽エネルギー(「ドイツのレベルに追いつくことを目標に」)がある。

というわけで、プローディは原子力エネルギーに関しては可能性を否定した(「少なくとも20年間、安全性が確保されるまでは」)

プローディによると、イタリアは省エネ政策において、非常に遅れている。

プローディの言葉は、レーガンビエンテでは高く評価され、それを受けて、緑の党のリーダー、ペコラーロ・スカーニョは、「L’unioneは太陽エネルギーへと向かう」と宣言した。

ヨーロッパにおける太陽発電(光発電)は次の通り       

 ドイツ     398     百万ワット                     

 オランダ    49

 スペイン    27

 イタリア    26

 フランス    22 

 オーストリア 17

 イギリス    5

 スウェーデン 4

 ちなみに世界では、

 日本     365

 アメリカ    96

 オーストラリア 26

 また、太陽熱利用の給湯器は、

 ドイツ     580万リットル

 ギリシア    280万リットル

 オーストリア 250万リットル

 フランス    67万リットル

 イタリア    55万リットル

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ベルルスコーニ、ドン・ストゥルツォを語る

ローマで、ドン・ストゥルツォを記念するプレートの序幕式で、ベルルスコーニ首相は、自分たちこそが、ドン・ストゥルツォの後継者であると語った(コリエレ・デッラ・セーラ、11月24日、23日分は到着せず)。

ドン・ストゥルツォは、シチリアのカルタジローネに1871年に生まれた司祭であり政治家。1959年没。1919年に人民党というカトリック政党を創設した。ファシズムに反対したため、亡命を余儀なくされ、1924年からロンドン、アメリカで過ごした。イタリアへ帰国したのは第二次大戦後の1946年。

ベルルスコーニ首相は、ドン・ストゥルツォが、行政の地方分権、州(地域)の自立性を唱えていたことをとらえ、自分たちがこの度、国会で通した地方分権案は、彼の考えと一致するのだと主張した。

そしてドン・ストゥルツォは我々同様(現代の地方分権案支持者)、フェデラリスト(連邦主義者)であったのだと述べた。

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2005年11月29日 (火)

イタリア、第二外国語が選択に

イタリアの中学校、高校ではこれまで英語以外にもう一つの外国語を学ぶことが必修だったが、このたびの「改革」で選択になった(コリエレ・デッラ・セーラ、11月22日)。

ほとんどの人が気が付かぬまに、10月12日から、53号法律の25条により、第二外国語が選択科目になった。

これで英語だけが必修(これは小学校1年生から)となるわけで、英語とイタリア語しかできないイタリア人がほとんどとなってよいのだろうか、という疑問および嘆きも聞かれる。

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2005年11月28日 (月)

ヴェネツィアの水没対策

ヴェネツィアといえば、地下水のくみ上げすぎによる地盤沈下、高潮時のサンマルコ広場の水没がたびたび話題になるが、このたびパドヴァ大学から新たな対策が示された(コリエレ・デッラ・セーラ、11月21日)。

そのプロジェクトは、次のようなものだ。まずヴェネツィアを中心として直径10キロの円を描く。その円周上に12の穴をあけて、チューブを埋め込む。チューブの直径は、25-30センチで、深さは700メートル。

なぜそんなことをするかと言えば、そのチューブには高潮の時に海水が注ぎ込まれ、その水はチューブを伝わって、地下700メートルの層へと達する。そこは水をすでに含んだ砂の層である。また、地下400-500メートルのところに水を通さない層がある。

つまり、チューブから地下700メートルへと注ぎ込まれた海水は、水を通さない上の層がふたのようになって、地面全体を押し上げることになる。

プロジェクト発案者によると、10年で、約25-30センチ、ヴェネツィアの地面を上昇させることになる計算だ。

これは、有名なモーゼ計画(外海からヴェネツィアに海水が入ってくる三カ所に巨大な人工の堰をつくる計画)の代わりとなるものではなく、補完するものだという。

このプロジェクトに対しては、地面が均等に上昇せずに、建物に被害を与えるのではないか、という懸念もしめされている。

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2005年11月27日 (日)

ヴェルサーチのメイド・イン・イタリー

服飾ブランドのヴェルサーチが made in Italy に関し、厳密な定義を持ち込むことを決定した(コリエレ・エコノミア=コリエレ・デッラ・セーラの付録、11月21日)。

近年は made in Italy というものの定義が曖昧になりかけていた。たとえば、イタリアで考え出されて、外国で製造されたものを含むかどうか。

ヴェルサーチは、このたび新しい厳密な定義を、自社のプリマ・リネア(ブランドの中の最高級のライン、有名ブランドは、若者向けなどに、より価格の安いセコンダ・リネアを持っている)に適応する。

来年1月から、タグには、Made in Italy  Manufactured and Certified by VERSACE と書かれるそうだ。

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イタリアの新幹線

イタリアでも、いくつかの新幹線(TAV)が建設あるいは検討中である(コリエレ・エコノミーア=コリエレ・デッラ・セーラの付録、11月21日。ちなみに、11月19日、20日のコリエレは届きませんでした。コリエレの一面右上のナンバーから考えて、発行はされたはずですが、イタリアからの郵便物が事故にあうことは稀にですが起こりえます)。

さて、イタリアの新幹線であるが、北から見ていこう。トリーノ・ミラーノ間のうち、トリーノ・ノヴァーラ間が2006年2月から開通予定。残りのノヴァーラ・ミラーノは、今日25%の進捗状態で、2009年完成予定。

ミラーノ・ヴェネツィア間はどうか。ミラーノ・ヴェローナ間が計画の仕上げ段階で、2006年中には着工にはいる。ヴェローナ・ヴェネツィア間は準備計画の同意を得る過程で、まだまだ。

ミラーノ・ジェノヴァは2006年中には着工の見通し。

ミラーノから南に向かうとミラーノ・ボローニャは70%以上出来上がっている。

ボローニャ・フィレンツェは、約80%の進捗で、28億8300万ユーロの工費。

フィレンツェ・ローマ間は、1978年以来、使用中であるが、新たな基準に適合するよう調整する必要がある。

ローマ・ナポリは全体では204キロあるが、12月から186キロの区間で運転を開始するとのことだ。

以上はイタリア国内であるが、もっと壮大な計画としては、ヨーロッパ全体を横断する Corridoio 5(ヨーロッパ回廊5)というものがあって、リスボン・キエフ間をつなぐものであるが、その一部がフランス・リヨンとイタリアのトリーノ間を結ぶ予定である。

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2005年11月26日 (土)

カンフォラの歴史書、ドイツで出版停止に

イタリアの歴史家ルチャーノ・カンフォラの『民主主義、あるイデオロギーの歴史』がドイツの出版社ベックと出版の契約まで交わしながら、内容を理由に出版停止の決定をくだしたことが、一つの事件となっている(コリエレ・デッラ・セーラ、11月18日)。

この「事件」はドイツでも各紙で取り上げられた。この本はフランスの著名な歴史家ジャック・ル・ゴフ監修のシリーズ「ヨーロッパを形成する」の一冊をなす予定だったもの。このシリーズには、各国の出版社、イタリアのLaterza, フランスのSeuil, イギリスのBlackwell, スペインのCritica,そしてドイツのBeckの五社が参加している。

出版社側は、カンフォラがスターリンの犯した犯罪的行為を軽視しているなどの理由をあげているが、カンフォラは反論している。

たとえば、ベックの編集責任者のDetlef Felken はカンフォラがナチスとソ連によるポーランド分割を「神話」と規定していると非難するが、カンフォラは、自分は、「今から振り返って、ポーランド分割を神話化するのは簡単だ」と書いたのだ、と弁明している。

また、Felken はカンフォラがソ連の憲法を肯定的に評価していることに強い疑問を感じているが、カンフォラによればソ連の憲法には素晴らしい点があったのだが、それが実際に適応されなかったのが問題なのだ、と反論している。

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イタリアの子供の日常生活

イタリアの子供の日常生活に関する統計がISTAT(政府中央統計局)から発表された(コリエレ・デッラ・セーラ、11月18日)。

現代っ子といえば、イタリアでもテレビの前でゲームというイメージがあるのだが、意外に伝統的おもちゃも健闘しているという結果がでた。

また、携帯電話に関しては、子供は携帯が好きで、大人顔負けに使いこなしているらしい。

調査対象となったのは、2万4千家庭の5万5千人の人。

3-5歳の子供では、88,4%の女の子がお人形を好み、73,5%の男の子が自動車や電車のおもちゃを好んでいる。またお絵かきは、女の子75,6%に対し、男の子67,7%、男の子は、ボール遊びが55,2%ある。

年齢が上がるとコンピュータ・ゲームの比重が高くなる。しかし6-10歳の男の子はの71,6%がボール遊びをし、テレビゲーム(ゲームボーイの類をふくむ)は二番手の65,2%。ポケモン・カードのようなカードゲームが50,3%。女の子は、71,7%がお人形。お絵かきが70,6%。テレビゲームは、38,7%。インターネットは、女子が54,5%に対し、男子51,9%。

ちょっと意外なのは、イタリアの子供は両親と遊ぶ時間は増えていること。特に母親と過ごす時間が長くなっている(家事に割く時間が短縮されているとのこと)。父親との時間も増える傾向にある。

また、余暇の過ごし方だが、友達と遊ぶ(最低週に一回)子が93,6%。映画に行く子は79%。劇場に行く子が30%。スポーツを観にいく子が42%。

11歳から17歳では、携帯電話を持つこの割合は、2000年の55,6%から2005年の83,6%へと上昇した。使用法も、話をするだけでなく、写真を撮ったり、ゲームをしたり、メーセージやヴィデオの交換など様々。

総じてイタリアの子供たちはたいへん活発で元気なのだが、南部の子供の10人に1人は一度も映画を見に行ったことがなく、過去1年間にスポーツをしたことがない、ということも明らかになった。

調査対象となった子供のうち、一人っ子は24,4%、二人兄弟・姉妹は52,9%、3人以上の兄弟・姉妹は22,7%。両親共働きが43,4%、父親が働き、母親が主婦という家庭が36,1%。

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ドナルド・キーンの『イル・トロヴァトーレ』論

ヴェルディ協会主催の講演会で、ドナルド・キーンさんの話を聞いた。ヴェルディのオペラ『イル・トロヴァトーレ』についてで、歌手や作品に対する考え方が、大変興味深かった(上野の東京文化会館、11月23日)。

キーンさんは1922年生まれで、83歳であるが、お元気で、語り口も軽妙洒脱、ところどころで会場からも笑い声があがっていた。

たとえば、『イル・トロヴァトーレ』は大変有名な作品ですが、台本はほんとにメチャクチャなんです、といった調子で、率直かつ核心をついた言葉が出てくるのだが、それは決して、名作といわれるもののあら探しをしようという挑戦的あるいは意地悪な態度という感じではなくて、キーンさんの率直な感想をあるがままに伝えているという感じで、まったく嫌味はない。お人柄の功と言うべきか。

さて、講演は、そもそもトロヴァトーレというのは、11世紀末に南仏にいた吟遊詩人のことだったが、この作品ではスペインが舞台であること。スペインはヴェルディにとってロマンティックな舞台であったことが指摘されたあと、主要登場人物ごとに、それを歌った歌手とそのレコードおよびDVDを聴かせたり、見せながらの解説という形で進んでいった。

最初は衛兵隊長フェランド(バス)。この人は、幕が開いた早々、人物の背景説明を兵士たちに説明する(つまり観客に語る)。先代のルーナ伯爵には、二人の子供がいたのだが、弟君をジプシーの老婆がみつめていて、伯爵は老婆が魔術をかけて弟君を病気にしたと思い、ジプシーを火あぶりにしてしまう。しかし弟君は行方不明になり、老婆の処刑場からは子供の骨がでてくる。

まあ、おどろおどろしい話である。これはDVDでホセ・ファン・ダムが歌うのを見た。1978年の映像で、ダムはなかなかの男前。その後、エツィオ・ピンツァのCDを聴いたのだが、これが素晴らしかった。1923年の録音だが、テンポは78年のものより速く、歌いまわしもキビキビとしていて、しかもセリフもこちらの方がよく聞き取れる。ダムが悪いのではなくて、ピンツァがずば抜けた名手なのだ。キーンさんは、ピンツァが20世紀の最もすぐれたバスであると紹介していた。

えっとも思ったが、これは他の歌手の紹介も考えると、キーンさんには、キーンさんのお好みのラインというか傾向がはっきりとあるのだと判った(それは趣味としてオペラを愛好すれば当然とも言えよう)。キーンさんは、商業ベースで音楽評をお書きになるのではないから、有名な歌手だから、売れている歌手だから評価する必要はまったくなく、ご自分の評価をストレートに開陳なさっているのだと思う。

ここからが主要登場人物の4人である。先代ルーナ伯爵の長子ルーナ伯爵(バリトン)は、レオノーラ(ソプラノ)に恋焦がれているが、レオノーラは吟遊詩人マンリーコ(テノール)に憧れているのだ。伯爵は、マンリーコに激しく嫉妬する。

レオノーラでは、紹介されたのは、まずマリア・カラス。カラスがそれまでのソプラノの役作りと比較し、格段にドラマティックな役柄を演技でも声でも表現したと評価。前時代の代表としてテトラッツィーニの1912年のレコードが紹介された。

たしかにテトラーツィー二の時代のソプラノは、彼女に限らずひゃらひゃらとしたコロラトゥーラで、カラス以降のドラマティックなソプラノの歌い方とはまったく別物である。声が震え、余計なビブラートが目につく、いや、耳につくかもしれない。しかし、僕は意外とこういう歌い方もきらいではない。

レオノーラのような強さが求められる役柄、そしてヴェルディの音楽はそれを求めていると思うが、たとえば、ドニゼッティの『ルチーア』などであると、音楽的内容からは、結構軽い声でひらひらと舞うような声で歌ってみたらと思わずにはいられない。ドラマティックな『ルチーア』も良いが、ひらひらとした声の軽やかな『ルチーア』も聴いてみたいのだ。

さて、次は、火あぶりにあった老ジプシーの娘アズチェーナ。シミオナートの声・歌唱は、言うことなし。絶品である。会場のため息に似たどよめきも、そう感じた人が多かったことを示していた。その後、ビョルリンク(マンリーコ)とブルーナ・カスターニャ(アズチェーナ)の二重唱を聴く。こちらは、1941年。

次のルーナ伯爵で、キーンさんの好みはさらに明確に示された。最初に紹介されたのはティッタ・ルッフォ。カルーソと同時代の巨匠であるが、カルーソが時代を考えると歌い回しが驚くほどモダンであるのに対し、ルッフォは立派な声ではあるが、ポルタメントをふくめ時代を感じさせる。キーンさんは、20世紀で最もすぐれたバリトンであると紹介していた。

次に紹介されたルーナは、ロシアのバリトンでリシツィアン(Lisitsian)とかいう歌手で、僕のしらない人。ロシア語で歌うルーナ伯爵ははじめて聴いた。クリーミィーな美声である。1948年の録音。キーンさんは、いたくご満悦。たしかに見事に朗々と響く声で、われたり、かすれてしまうことのない、クリーミーな声である。

次は、と期待したが、マンリーコに移っていく。うーん、そうか、と僕はここで気がついた。キーンさんは、奇を衒っているのではなく、本当に、リシツィアンの声が好きなのだ。自分が好きで高く評価しているものが、世間の人には知られていなかったり、不当に評価が低いと思えば、この人は素晴らしいと宣伝したくなるものだ。

マンリーコはまずドミンゴの1978年のDVD。若い時のドミンゴは、ホセ・クーラに意外と容貌が似ていると思った。

そしてもう一人のマンリーコはビョルリンク。最も名高いアリア「見よ、恐ろしい火を」である。ここで聴いたビョルリンクの声はカルーソに似ているなと思ったら、キーンさんが、カルーソの娘が自分の父の声に一番近いのは、ビョルリンクであると言ったというエピソードを紹介した。ビョルリンクも上から下まで均質でどこにも破綻のない美声である。

ビョルリンクは、イギリスでのオペラ・ファン投票でも史上最高のテノールと評価されたことがあり、英米系の人は、こういう声が好きなのだと思う。

つまり、英米系の人には英米系の人の偏差があって、その中でオペラ愛好家としてキーンさんのような趣味が形成されるのである。

日本のイタリア・オペラ愛好家の多くは、マンリーコなら必ずマリオ・デル・モナコを入れるだろうし、多くの人がフランコ・コレッリの名をあげるだろう。

また、ルーナ伯爵ときいて、エットレ・バスティアニーニをあげないということは信じられない気持ちがするに違いない。

しかし、それはある意味では、日本のオペラ・ファンの偏差なのだ。どこかでたしか柴田南雄氏が書いていたと思うが、日本のクラッシック・ファンは、本場物(つまり、イタリア・オペラならイタリア人が歌ったもの、ベートーヴェンの交響曲ならドイツ系の指揮者の振ったもの)を好む傾向が強いとのこと。

むしろ、いろんな国の批評を読んで、その偏差を味わい、楽しめばよいのではないだろうか。そんなことを考えさせてくれた講演会であった。

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2005年11月25日 (金)

トレモンティ、赤字削減を唱える

イタリアの財務相ジュリオ・トレモンティは、われわれにとっての優先課題は、赤字の削減だと述べた(コリエレ・デッラ・セーラ、11月18日)。

EUの見通しによると、来年2006年のイタリアの成長率は、1,5%の見込みで、ユーロ圏全体の成長率1,9%より低い。これは、国内市場が弱含みなのと、輸出が弱いためという。

またEUによると2005年のイタリアの累積赤字は国内総生産の108,6%になる見込みで、1995年以来減少しつづけてきた割合のはじめての増加になりそうだ。

2006年の累積増加は、108,3%になる見込み。

EU委員会の専門家によると、来年および再来年のイタリア経済の見通しは次の通り。

フランスよりは悪いが、2006年はドイツよりは良いだろう。穏やかな回復のきざしが、たとえば生産性において、見られるが、国際市場における競争力の喪失に歯止めをかけるにはいたっていない。

EU委員会が特に批判しているのは、厚生関係の予算の上限が守られていないことだ。

財政の規律への警告がEUから来ているというわけだ。

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2005年11月24日 (木)

ロッシの市場価値

バイクの世界で7度世界タイトルを取ったヴァレンティーノ・ロッシは、2007年以降、4輪の世界に移って、F1、フェラーリのパイロットになるのではないかと言われているが、ロッシをめぐるお金・マーケットにおける価値が論じられている(コリエレ・デッラ・セーラ、11月17日)。

雑誌フォーブズによるとロッシの年間収入(2004年6月ー2005年6月)の収入は、2280万ユーロ(約30億円)。そのうち18パーセントはマネージャーのジーボ・バディオーリのところへ行く。パパとママには、それぞれ10パーセント行くそうです!

CMにも良く出ていて、Rosso Alice(インターネット)、Nastro Azzurro(ビール)、Kera Koll(接着剤)、Agv(ヘルメット)、Safilo(メガネ)、Dainese(ライダー用ウェア)などで、660万ユーロの収入。

ミラノ・カトリック大学のスポーツ・マーケティングのアルベルト・アッチャーリ教授によると、ヴァレンティーノは、フェラーリにとって最良の投資だ、トッティとブッフォン(ゴールキーパー)を合わせたより価値がある、とのこと。

また、現代社会では、たとえばゴルフ選手はゴルフをやる人というだけでなく、その存在のありかた、服装、話し方が関心のまととなる。ヴァレンティーノは、メディアの注目の的なのだ。

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バリッコの新作

小説家アレッサンドロ・バリッコの新作 Questa Storia が出版される(コリエレ・デッラ・セーラ、11月17日)。

今度の小説は、第一次大戦のカポレットの戦い(1917)が話の中心にあるとのこと。

イタリアは、この敗北により、一万人の戦死者、三万人の負傷者を出した。

今度の小説は、バリッコとしては、はじめて出版社Fandangoから出るという。

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イタリア、14年ぶりの貿易赤字

イタリアの2005年9月の貿易赤字が14年ぶりの高水準であることがISTAT(政府中央統計局)の統計で明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、11月17日)。

最近のイタリアの貿易動向には良いニュースと悪いニュースがある。

良いニュースは、輸出が上向きはじめたこと。悪いニュースは、輸出の上向き具合が、他国に較べたり、輸入の上昇と較べると不十分であることだ。輸入の増加は、主として、原油価格の上昇による。

2005年の9月までのところで見ると、輸出は3,5%増加したのに対し、輸入は6,7%増加しているのだ。

EU諸国との貿易で見ると、内容はましで、去年に較べ輸出は1,2%の増加、輸入は1,4%の増加で、4億1200万ユーロの黒字。昨年は、7億600万ユーロの黒字。

ところが、世界全体との貿易となると、輸出は、5,5%の増加、輸入は9,2%の増加となってしまう。この主因は、原油価格の上昇なので、財務大臣のトレモンティによると、2006年の見通しは良いとのこと。

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2005年11月23日 (水)

イタリア、憲法改正の条件

イタリアの憲法改正が実現するかどうかは、国民投票にかかっている。与党グループと野党グループは敵対関係が露わになってきた(コリエレ・デッラ・セーラ、11月17日)。

来春の政治日程は山盛りである。国政選挙、地方選挙、大統領選挙そして憲法改正案国民投票。日程の調整をふくめ、さまざまな駆け引きが展開されよう。

憲法改正については憲法138条にあると囲み記事にあったが、やや端折っていてわかりにくいので、『解説 世界憲法集』(三省堂)より、第138条の全文を引用する。

第138条 〔憲法の改正、憲法的法律の手続き〕       ① 憲法改正法律およびその他の憲法的法律は、各議員において、少なくとも三ヶ月の期間をおいて引き続き二回の審議をもって議決される。そして、第二回目の表決においては、各議院の議員の絶対多数でもって可決される。        ② 前項の法律は、その公布後三ヶ月以内に、一議院の議員の五分の一、五〇万の有権者または五つの州議会からの要求があるときは、人民投票に付される。人民投票に付された法律は、有効投票の過半数で可決されない限り、審署されない。                            ③ 第一項の法律が、各議院の第二回目の表決において、その議院の三分の二の多数で可決されたときは、人民投票は行われない。

上院での可決は、305票(賛成170,反対132,棄権3)だから、賛成票は三分の二を越えていない。だから、③は当てはまらず、②があてはまることになる。

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イタリア、憲法改正案可決!

イタリア上院は、憲法改正案を賛成170票、反対132票で可決した。この案は、国民投票にかけられることになる(コリエレ・デッラ・セーラ、11月17日)。

この憲法改正案は様々な要素を含んでいるが、一番大きいのは、devolution(地方への権限委譲)であろう。

まず、国会の改革から見てみよう。下院の議員数は、630から500へ削減。上院は、315から252へ削減。

上院議員の被選挙権が40歳以上から25歳以上へと変わる。

首相の権限は強化され、大臣を任命、解任することができるようになる。下院の解散をもとめることが出来る。

大統領の被選挙権を50歳以上から40歳以上に下げる。大統領は、大臣の任命、解任する権利を失う。

州は、衛生、学校、州および地方警察に関し、独占的な行政権を持つ。

完全な二院制は消え、保留となった案件は、下院が審議する。

どれをとってみても、大変革であるが、州への権限委譲がもりこまれ、意気揚々としているのが北部同盟のウンベルト・ボッシ。長年の夢がかないそうだというので、病気療養中をおして、久々にローマにかけつけ一票を投じた。

ロマーノ・プローディは、激しく憲法修正案を非難。「イタリアの国益に反する」。

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ボローニャ歌劇場、開幕

ボローニャ歌劇場が11月18日開幕する(コリエレ・デッラ・セーラ、11月16日)。今シーズンは、2006年の5月24日まで。

演目は、『椿姫』、『アンドレア・シェニエ』、『セビリアの理髪師』、『トスカ』、『ナブッコ』といった定番のほか、『ウェスト・サイド・ストーリ』(これも有名なことは有名だがミュージカルをオペラ劇場で演じるわけだ)、『アルバのアスカーニオ』(モーツァルトだが、めったに上演されない)他となっている。

ちなみに、『ナブッコ』の演出がYOSHI OIDAとある。笈田ヨシというのは、ピーター・ブルックの劇団で活躍し、今は独立して映画に出たり(たとえば『ピーター・グリナウェイの枕草子』)、芝居の演出をしたりしている人です。

ボローニャ歌劇場は最近、興業面でも成功を収め、近年観客を15%増やしたという。

もともと1763年に創設され、1867年には、ヴェルディの『ドン・カルロ』初演(ただし、世界初演はフランスのパリ)、1871年にはヴァーグナーの『ローエングリン』のイタリア初演を果たした老舗かつ名門歌劇場である。

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モンツァ・サーキット、騒音で訴えられる

F1で有名なモンツァ・サーキットが騒音で訴えられ、敗訴した(コリエレ・デッラ・セーラ、11月16日)。

訴えたのは、サーキットのコースから500メートルのところに住む3家族で、サーキットの運営団体SIASとモンツァ市、ミラノ市を民事で訴えた。

F1の騒音はたしかにものすごく、120-140デシベルだという。サーキットに対する法律の規制では、昼間の平均が70デシベルとなっている。医学的観点からは、騒音がトラウマティックになるのは、83デシベルからと決められている。

さらに問題なのは、このサーキットが一年中、頻繁に使用されているということだ。

これに対し、モンツァの市長は、法律にはしたがうが、例外を37件もうけた。F1もその一つだ、と語っている。

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2万ユーロでイタリア人になれる?

イタリアで戸籍簿偽造で、100人以上が逮捕された(コリエレ・デッラ・セーラ、11月16日)。

ローマの戸籍役場を舞台にしたこの事件、ロム(ジプシー)がイタリア市民権を不正に獲得しようとしたもので、数十人のロムと、戸籍役場の役人の連携プレーによるものらしい。

15日早朝、警察は、4人の戸籍役場の役人(うち2人はすでに退職している)、3人の自治体警察官、数十人のロム、幾人かのローマの高齢者を逮捕。

この高齢者たちというのは、1000-2000ユーロをもらうかわりに、見知らぬ40代のロムを、役人のまえで「認知」したのである。つまり、何年も前につくった息子を今になって認知したというわけだ。そして、鼻薬(2万ユーロ!)をかがされた役人もこれを正式に認めたのである。

こうしてジプシーは、イタリア人の姓と、市民権を手に入れる。イタリア人になれば、本来は滞在許可の権利すらないのに、どうどうとパスポートを申請することができるというわけだ。

捜査によると、この不正2001年からなされていたらしい。

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2005年11月21日 (月)

ベルルスコーニ、自らを聖人にたとえる

ベルルスコーニは、マスコミからの集中砲火にたえている自分は聖人のようだと、述べた(コリエレ・デッラ・セーラ、11月16日)。

ミラノでの政治演説で、先日、すべての貧者に家を与えると言ったと報道されたことについて、そうではなくて、立ち退かされた者に家を与えるのだと言ったのだと、訂正した。

50万戸の家を建てて、立ち退かされた者たちを家主にする計画であるという。

さらに、ラジオを聞いても、新聞を開いても、自分を非難する言葉に出会い、まるで自分は聖人(この文脈だと、迫害されて殉教した聖者という意味だと思われる)のように感じるとのべた。

「さいわい、世の中には、鏡というものがあって、それを見ると、ちゃんとした人物がうつっていて安心するんだ」とのこと。

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チャンピ大統領の任期があと6ヶ月に

チャンピ大統領の任期があと6ヶ月になった。その最後の半年を semestre bianco というのだそうだ(コリエレ・デッラ・セーラ、11月15日)。

チャンピが大統領に選ばれたのが、1999年の5月15日。任期があと半年になると、大統領は、下院を解散することが出来なくなる。

問題は、新選挙法案を大統領が下院に差し戻した場合だが、ベルルスコーニは法案修正に応じないつもりらしい。

いざという場合には、4月9日に予定されている選挙を5月中旬以降にずらしてもよいと考えている。

というのも、チャンピ大統領の任期が2006年の5月13日または5月18日に切れるからだ。

一方、下院議員の任期は、2006年の5月30日までで、任期満了までの60日以内に選挙は行わなければならない。

ベルルスコーニは、比例代表制の新選挙法で選挙をすることで、一歩でも勝利に近づきたいのである。

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2005年11月20日 (日)

家庭コンサルタント

家庭コンサルタントを創設した時の大臣ティーナ・アンセルミ女史が取材に応じた(コリエレ・デッラ・セーラ、11月15日)。

イタリアの百科事典を調べたところ、イタリアの公衆衛生の中に、地方レベルでは、Unita' sanitarie locali (USL)という保健所というか保健省の地方支部のようなものがあって、その中に、家庭コンサルタント(Consultori familiari)は位置づけられている。

家庭コンサルタントの役割は、家庭や母親を支持することにある。

より具体的には、母親、父親になる準備の心理的・社会的支援、カップルや家庭の問題への支援とある。

特に強調されているのは、妊娠状態にある女性の支援である。妊娠した女性の権利について、また地域で妊娠した女性がうけられるサービスについて情報を提供することがあり、その中に特別に必要な場合には、妊娠中絶につながる情報の提供もふくまれると位置づけられている。

これに関する法律は1978年に出来たとのことで、その時の大臣がティーナ・アンセルミである。アンセルミは、今日この法律の施行には、予算措置が不足していると述べている。

つまり、自治体に委託されているため、自治体によって、充実度にかなりのへだたりがあるようだ。しかし、もちろん予算だけではなくて、文化というか意識の問題でもあって、この制度をどう機能させてよいか理解が不十分な地域もままあるという。

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ヴァティカンと生命倫理

ローマ教皇ベネデット16世とカミッロ・ルイーニ枢機卿が生命倫理についてメッセージを発した(コリエレ・デッラ・セーラ、11月15日)。

教皇は、教会は国家の世俗性を尊重するが、命の尊厳さは、受胎から自然死にいたるまでであると強調した。

これを受け、ルイーニ枢機卿はより具体的に、経口中絶薬Ru486の使用への懸念を表明した。

カトリック教会は、周知のように、一貫して、中絶や安楽死には反対の立場をとっている。

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2005年11月19日 (土)

妊娠中絶薬をめぐって

イタリアで、妊娠中絶薬Ru486の実験的使用をめぐって、政治家をふくむ論争がおこっている(コリエレ・デッラ・セーラ、11月13,14日)。

そもそもRu486とは、フランスで1980年代に開発された薬で、開発者はエティエンヌ・エミール・ボーリュ教授。最初の被験者は、ジュネーブの女性看護士で、1981年のことであった。

Ru486は、化学的に(外科的にではなく)妊娠を中絶させる薬である。成分は、ミフェプリストンで、ミフェプリストンとは、黄体ホルモン受容体阻害薬である。

つまり、受精卵が生き延びるためには、黄体ホルモンが必要なのだが、その薬は黄体ホルモンを受容するのを妨げるらしい。

Ru486は、妊娠から49日以内に服用されねばならず、効果は直接、受精卵に及ぶとのこと。

この薬、フランスでは、薬局で入手でき、イギリスでは、コンサルタントのもとで入手できる。スウェーデン、ドイツ、オーストリア、スペインで合法化されている。

イタリアでは、トリノのサンタンナ病院で、最初に使用された。この薬は、イタリアでは登録されていないので、婦人科のシルヴィオ・ヴィアーレ医師は、実験申請の道をとり、昨年9月から開始した。

それをストラーチェ厚生相がストップさせたが、11月7日実験を再開したというのが、イタリアでの騒ぎの発端である。

ストラーチェ大臣は、そこに「家庭コンサルタント consultore familiare」(これがどういうものか、筆者は残念ながら知りません)の改革をからめ、これをカトリック系の Movimento per la vita (いわゆるプロ・ライフ、中絶反対の立場です)のボランティアにやってもらおうという案を出した。

これは、中道右派やカトリック系の人たちからは多くの支持を得た。

しかし、さまざまな方向から反対も出ている。左翼民主主義者(旧左翼民主党)の厚生問題担当のリヴィア・トゥルコは、たった一つの団体に、大臣が公的サービスを委託するのは、聞いたことがない、と批判。

また、右派の中でも、女性議員、アレッサンドラ・ムッソリーニ女史は、「妊娠で悩んでいる人には、心理的支援が必要だ。心理的なテロリズムではない」と手厳しい。

この間、この薬の使用を認める州は、ピエモンテ、トスカーナ、リグーリアと増えている。ただしこれは、あくまでも病院の医師の管理のもとでの使用である。

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プローディ、ベルルスコーニを攻撃

プローディが、本格的ベルルスコーニ批判を開始したようだ(コリエレ・デッラ・セーラ、11月13日)。

前日、ベルルスコーニがすべての貧者に家を与えるという夢のような話をしたのを批判して、プローディは、「今のところ、お金もちから始めたんでしょう」と皮肉たっぷり。

また、景気に関しても、フィアットを例外として、持ち直している大企業は、市場を独占している企業ばかりだと厳しく指摘した。

すなわち、Enel(イタリア電力公社)、Telecom、Eni(イタリア炭化水素公社)、Autostrade、Mediaset(ベルルスコーニ所有の一群のテレビ局)である。

こうした独占的業界は、再編や監督強化の必要があると主張。

さらに、中国政策に関して、ドイツのシュレーダー政権は少なくとも7度代表団を率いて中国を訪れたのに、ベルルスコーニは一度もしていない、と論じた。

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2005年11月17日 (木)

プローディ、大連立にNO

来春に総選挙を控えたイタリアで、選挙後の大連立が論じられている(コリエレ・デッラ・セーラ、11月12日)。

財務大臣であるジュリオ・トレモンティは慎重に、UDC(キリスト教民主連合)の前党首マルコ・フォッリーニはより大胆に、選挙後の大連立を唱えている。これはドイツの政治状況に刺激を受けた発想といえよう。

これに対し、中道左派L’Unione のリーダー、プローディは、「イタリア政治では意味がない」と明確なNOを突きつけた。

さらに、「徐々に導入されてきた二大政治グループ制(bipolarismo)は、イタリア政治に安定をもたらした。ベルルスコーニもこれを5年間利用し、まずい統治ではあったが、誰も制度に異議はとなえなかった。今になって、選挙制度を(比例制に)変えることが、不安定さをもたらすことに気づいた人たちがいて、『選挙後に大連立をやろう』などと言っている。イタリア人をからかうのはやめてほしいですよ」とプローディ。

たしかに、イタリアでは二大政党制ではなくて、二大政党グループであって、中道右派も中道左派も、それぞれ複数の微妙に考え方の異なる政党から構成されており、けっして一枚岩とは言えない。

さらにその二大グループの大連立が出来るとしたら、国家がよほどの危機にさらされている場合ではないだろうか。

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2005年11月16日 (水)

ロッシ、再びフェラーリに挑戦

バイクレースの最高峰モトGPの王者ヴァレンティーノ・ロッシは、レース・シーズンを終え、火曜日、木曜日、金曜日と立て続けにフェラーリのレーシングマシーンに挑戦した(コリエレ・デッラ・セーラ、11月11日)。

しかし、この練習は、ごく一部の関係者以外はシャットアウトして、秘密裏に行われた。

それには、ビジネスがらみの話があって、ロッシはヤマハのバイクにのってチャンピオンになったわけだが、そちらのタバコのスポンサーは、フェラーリのタバコのスポンサー(マールボロです)と異なるから、おおっぴらにやるとまずいとのこと。

またヤマハのタイヤはミシュラン製だが、フェラーリのタイヤはブリジストン製ということもある。

ロッシによると、モトGPとF1の違いは、ブレーキのタイミングの差にあって、バイクはカーブの前でブレーキをかけるのに対し、F1では最大限ブレーキを遅めに踏むのだという。

ロッシはF2004にのってフィオラノ(フェラーリの工場近くの練習用コース)で一周58秒に近いタイムを出したのだが、これはシューマッハのコース・レコード55,999秒には及ばないものの、シューマッハもタイヤのテストなどをするときにはこのタイムに近いということで、相当に良いタイムと評価されている。

ロッシのヤマハとの契約は2007年までである。フェラーリにイタリア人パイロットをというのは、多くのイタリア人の夢なのである。夢は一歩実現に近づいた!?

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フォガッツァーロの『聖人』出版から百年

アントニオ・フォガッツァーロの『聖人 Il santo』が1905年に出版されて100年たった(コリエレ・デッラ・セーラ、11月11日)。

フォガッツァーロは、敬虔なカトリックだったが、出版(1905年11月5日)から半年もたたぬうちに彼の小説は、ヴァティカンの禁書目録に載ってしまう。

フォガッツァーロは自分の考えを弁護しなければならなくなったが、小説は非常な注目を集めたらしい。というのも、ピオ10世だけでなく、アメリカ大統領セオドア・ローズベルトもこの小説を読んだのだ。

わが国でも、鴎外がフォガッツァーロに言及しているし、漱石の蔵書にもフォガッツァーロの英訳があるという。

先年のイタリア映画大回顧で上映された1942年の『マロンブラ』も主人公が叔母の生まれ変わりと信じているという実に不思議な味わいの映画であったが、原作はフォガッツァーロであった。

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2005年11月15日 (火)

NPOにマネジメント導入の動き

イタリアのNPOでは最近、プロのマネージメントを導入する例が増えているという(コリエレ・デッラ・セーラ、11月11日)。

そもそも、イタリアには non profit の団体が23万5千もあるそうで、そこで働く人の数は、約400万人。そのうち、330万は、ボランティアや宗教団体関係者である。

こうした団体は往々にして社会的連帯の精神や善意のボランティアはいるのだが、運営や管理に長けていないことがある。

そこで、最近、会計もふくめて管理のプロをやとい効率的運営をはかる団体が増えている。これをイタリア語では、managerializzazione と呼ぶそうな。管理の効率化、あるいは管理化とでも訳すのだろうか。

こうしたマネージャー役、会計監査役としてNPOに参加しつつあるのは、比較的若い人で、実業界からの転職組と新卒者が多いようだ。

しかし、こうした有給の人は60万人にも満たない。まだこれからというところか。

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レンゾ・デ・フェリーチェ通りがローマに

イタリアの歴史家レンゾ・デ・フェリーチェの名を冠した通りがローマに出来ることになった(コリエレ・デッラ・セーラ、11月11日、ちなみに11月10日と11月9日は休刊)。

デ・フェリーチェといえば、ファシズムの専門家で、1975年に出版した『ファシズムに関するインタビュー』と1995年の『赤と黒』が激烈な議論を呼び起こした。

デ・フェリーチェは1929年生まれ、1996年に亡くなっているが、コリエレ紙には、1988年に彼が授業に行くさいに、私服警官につきそわれている写真が載っている。

デ・フェリーチェのファシズムやムッソリーニ関する論考は、「ファシズム寄り」であると考えられ、左派からの激しい攻撃にさらされたらしい。

レヴィジョニズム(修正主義)のはしりということになるのだろうか。

このデ・フェリーチェの名をローマのある通り(どうも、ヴィッラ・アーダ公園のなかの道になるらしい)に冠することを決めたのは、ヴェルトローニ市長である。

ヴェルトローニといえば、ロマーノ・プローディとともに、1996年中道左派のウリーヴォ(オリーブの木)の立役者であるから、感慨深いものがある。

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2005年11月14日 (月)

「ファシズムと文化」

田之倉稔著「ファシズムと文化」を読んだ。昨年出た本であったが、忙しさにまぎれて読みそこねていたのだが、読み出したら、一気に読んでしまった。

この本は歴史本の老舗、山川出版社が出している世界史リブレットというシリーズの一冊で、リブレットというだけあって、薄い。90ページである。そこが、その分野をちょっと本格的(形容矛盾のようだが、後述)に知りたいという場合にとても便利。

つまり、ほんとうに本格的に知ろうと思えば、分厚い専門書を何冊も読んだりすることになるのは経験上判っていることなのだが、それほどまでの意欲や必要に迫られてはいないが、なんだが、このあたり気になる、という分野で、断片的でなく、一つのパースペクティヴが欲しいというときに、リブレットの大きさはちょうどよい。

「ファシズムと文化」でも、本文は比較的大きな字で印刷され、各ページに頭注がついている。これは助かる。註が、章末や巻末に別になっていると、いちいち違うページを見るのが、電車なんかで読んでいると煩わしい、あるいは実際上不可能である場合も多い。

ほぼ各ページに関連の図版・写真が載っていて、具体的なイメージもつかみやすい。

内容について言えば、ファシズムとムッソリーニについてさらっとおさらいした後、未来派、ピランデッロ(このあたり、演劇人たる田之倉氏の面目躍如)とファシズムとの関係が解説される。特にピランデッロの場合、作者とファシズムの関係性の変化、オペラ化された作品、また体制に協力的だと思っていたピランデッロ自身が実は内務省情報局のブラックリストにのって監視されていたことなどが明らかにされる。

また、音楽愛好者でもあまり知らないと思われる「青春Giovinezza」にまつわるエピソードも貴重だ。漠然と、トスカニーニがファシスト政権と対立して、アメリカに行ってしまい政権崩壊までイタリアに帰らなかったのは知っていたが、Giovinezza 演奏拒否および殴打事件との関係は、僕は初めて知った。

オペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』の作者として有名なマスカーニが、ここまで深くファシスト政権とのつきあいがあったことも知らなかった。たしかに、普段われわれが手にとるCDやDVDの解説書には、作品自体、その作品の上演史、歌手の経歴などが主で、案外、作曲家にまつわるエピソードは書かれていないものなのだ。(いわゆる現代作曲家は、曲自体が、コンセプト性が高いものが多いので話が別)。

映画の話も大変興味深い。たいていの場合、イタリア映画の知識は、日本では、ネオレアリズモからなのだが、戦後のネオレアリズモの芽が、ムッソリーニの創設したチネチッタの中でめばえたこと、特にその中心人物のロッセリーニの生育環境と当時の文化環境の説明は、説得力が高いと思う。

2001年のイタリア映画大回顧で、多くの日本人ははじめて何本かのファシズム期の映画を見ることができた。おそらく、露骨な戦意高揚映画や体制翼賛的なものでなくて、もっとも上質なものを選んだせいであろうが、そういうことを考慮にいれても、驚くほど、質の高いものであった。

マリオ・カメリーニの『いつまでも君を愛す』(1933,題名通り恋愛もの)やアレッサンドロ・ブラゼッティの『サルヴァトール・ローザの冒険』(1940,時代活劇もの)そして、フランチェスコ・デ・ロベルティスの『アルファ・タウ!』(1942,海軍もの)という風に、ジャンルもカメラ・ワークもさまざまだが、それぞれに見ごたえがあった。

そういう作品の生まれくるインフラが、この本を読んで理解できた。

他にジュゼッペ・テラーニをはじめとする建築家たちもその作品とコンセプトが簡潔に述べられていて、ページ数の割には、もりだくさんである。

というわけで、一つ一つの項目については、それほどの情報量は載せきれないわけだが、逆に短時間で、ファシズム期の文化を俯瞰する、見取り図が得られるという点で、まことに得難い本だと思う。

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2005年11月13日 (日)

リータ・ボルセッリーノの立候補

リータ・ボルセッリーノのシチリア州知事の予備選への立候補をめぐり、中道左派のマルゲリータと左翼民主党が対立している(コリエレ・デッラ・セーラ、11月8日)。

リータ・ボルセッリーノは、あのマフィアに殺された判事パオロ・ボルセッリーノ(ジョヴァンニ・ファルコーネと並んで、マフィアとの闘いに倒れたもっとも有名な判事の一人)の妹である。

リータは、二人の判事の暗殺後、設立されたリベラという反マフィアの組織の副会長もつとめた。

リータの立候補に反対しているのは、マルゲリータのルテッリなのだが、ルテッリの言い分はこうだ。リータは立派な人で自分も尊敬しているが、シチリアというヨーロッパで最も大きく、もっとも複雑な州を統治していくのにふさわしい経歴の持ち主かどうかは確信がもてない。

ルテッリが推薦したかったのは、カターニャ大学の総長、フェルディナンド・ラッテリだったのである。

候補者を一人に絞るのって、むつかしいんですね。

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マリオ・モンティ、イタリア経済を語る

マリオ・モンティが、コリエレ・デッラ・セーラのインタビューに答えてイタリア経済について語った(コリエレ・デッラ・セーラ、11月7日)。

モンティは、1995年から2004年までEUの競争政策担当委員であり、ヨーロッパの企業同士の合併やアメリカ企業に対しても独占の行き過ぎの監視など、絶大な権限を有していた。

モンティがコリエレ紙のインタビューに応じて語っていることは次の通り。

イタリアは来春の選挙後、あれこれと実験をしている余裕はない。競争力をつけることは、待ったなしである。

現政府が、ラマルファ計画で、サービスや投資の自由化に手をつけたのは良い。それを実現化するための、具体的取組みがあればもっと良いということだ。

一方、野党のプローディも、取引、職業、サービス、民営化や自由化について思い切った改革をすると語っている。

(ボローニャでの移民の活動の合法性が問題となっていることについて問われて)イタリアは、他国と同様に、グローバル化の不都合な面とも向き合っており、福祉国家を廃止すべきというのではなくて、現代化されるべきなのだ。

イタリアは、国際社会にも目を向けねばならず、その際、重要なのは二つのインフラである。

一つは、物理的なもの。ヨーロッパとの物理的統合を加速させる必要がある。だから、現代的な高速輸送網(TAV)が必要だ。

もう一つは、合法性ということ。合法性が確保されなければ、企業はそこへ投資するのをやめてしまう。

高速輸送網や合法性が保障されなければ、働き口が減ってしまい、社会的コストを払うことになる。

ヨーロッパ経済で病んでいるのが、ドイツ、フランスとイタリアだと言われるが、注意すべきなのは、共通の課題もあるが、異なっている部分もあるということ。

イタリアの場合、特に、生産性と競争力が問題である。

1994年から2004年の間に、生産性がアメリカでは2%、ドイツでは、1,8%、ユーロ圏では1,6%上昇したが、イタリアでは1,2%の上昇だった。

また、2002年から2005年の間に、労働コストは、ドイツでは変化なしだったのに対し、フランスでは5%、イタリアでは12%上昇した。これは市場での競争力が落ちたことを意味する。だから、政治的な実験をしている暇はないのだ。

競争力の喪失は、近年生じたもので、ここで解決しなければ、イタリアは将来、より貧しくなる。

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2005年11月12日 (土)

トッティ、父になる

セリエA、ローマのカピターノ、フランチェスコ・トッティに第一子が誕生した(コリエレ・デッラ・セーラ、11月7日)。

母親イラリも赤ちゃんもともに無事で、自然分娩とのこと。男の子で、体重は3200グラム。

名前はまだトップ・シークレット。イラリはジョルダーノという名前にしたいのだが、フランチェスコが気に入らないのだとか。

トッティは王子様のような顔をしていながら、イタリア語が話せない(ローマ方言しか話せない)ことで有名で、これまでにジョーク集が二冊も出ています。

たとえば、シェイクスピアと題されたものは以下の通り。

婚約者(この本が出た時、イラリはまだ婚約者だった)は、みんながトッティの教養のなさについてあれこれ言うことに我慢できなくなった。「ねえ、これって重大よ。あなたのことさんざんからかってるわ。いいとこ見せてやりなさいよ。何か本でも読んでみたら?そうね・・・たとえば、シェイクスピア読んだことある?」

トッティ「もちろん!!!ただ、誰が書いたのか思い出せねえけどな・・・」

トッティの答えは、Certo!  Solo che nun me ricordo chi l'ha scritto... で、標準語なら Solo che non mi ricordo chi....となるところですね。

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イタリア社会党の分裂

イタリア社会党の分裂は決定的なものとなったようだ(コリエレ・デッラ・セーラ、11月6日)。

ベッティーのクラクシの息子ボボ・クラクシと、元外相ジャンニ・デ・ミケーリスは、どちらも自分こそが、新イタリア社会党の書記長(segretario)であると主張している。

ことの始まりは、10月23日の党大会である。ボボはこの大会の最後に、書記長に選ばれたといい、一方、デ・ミケーリスは、代表の選出を欠いているため、この集会は正式な党大会としての要件を満たしていないと考えている。

イタリア社会党は、2001年の選挙では、ベルルスコーニとともに中道右派に入っていたのだが、ボボは、来春の選挙で、ベルルスコーニと袂をわかち、中道左派に加わる見込みである。

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「ナポリのマラドーナ」

北村暁夫「ナポリのマラドーナ:イタリアにおける「南」とは何か」(山川出版社)を読んだ。

イタリアにおける南部の問題が、どう論じられてきたかが、200ページほどの本に、実に手際よくまとめられている。

しかも、学術書にともすればありがちな、文体の鈍重さがない。結構、重い話も、すらすらと頭に入ってくるのは、ありがたい。

構成としては、1990年のワールド・カップでのアルゼンチン対イタリア戦が、新聞でどう報じられたかをきっかけに、著者はイタリアにおける南が何を意味するのかを探っていく。この試合には、最終章でまた帰っていくというサンドイッチ構造をとっている。音楽的ともいえる構成である。

二章では、ゲーテやプロシアの歴史家ハインリヒ・レオがどうイタリア南部を捉えたかからはじまって、イタリア統一以降、中北部の人間が、南部をどう評価したりどんな言葉をもちいて記述してきたか、またそれは何故かが明らかにされていく。

この辺は、実に興味深い(著者は、より深い情報を知りたい人間には、参考文献を紹介している)。

また統一後、「遅れた」南部の抱える問題をどう解決するかがどう論じられてきたかも、たどることが出来る。僕は、これまで自分が、断片的に読んだり、聞いたりしたことのある情報が、イタリア史の中でどういう位置づけられるのかを知り、非常に目を開かれた。

南イタリアが統一後、なぜ工業発展が遅れたかも、通説と、それとは異なる見方(一言で言えば、南部は一様ではなくて、南部の中に多様性があることをとらえなければ、南部を理解することは出来ないということ)が紹介される。

さらに、イタリアの移民が特に南米にどう入っていったか、どんな階層を形成していったかなどが紹介される。これはまさに著者の専門領域であり、僕などは初めて知ることが多かった。

「マルティン・フィエロ」といった叙事詩のなかで、ガウチョ(パンパの牧童)と移民の接触がどう描かれているかとか、「グリンガ」という喜劇での、イタリア移民に対するネイティヴのまなざしといったものも解説されている。

ロンブローゾの犯罪人類学もトピックとしては興味深いし、それが南米でも応用?されていたことは驚きだった。移民集団をアングロサクソン系、ラテン系、ユダヤ系などに分別し、重大犯罪は「ラテン系」に、売春は「ユダヤ系」女性に多いなどということを調べていたのだ。

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2005年11月11日 (金)

イタリアの少子化、底をうったか?

イタリアの政府中央統計局(ISTAT)によると、イタリアの2004年は1,33となり、2003年の1,29から上昇した(コリエレ・デッラ・セーラ、11月5日)。

一方、結婚の数は減っている。2004年は25万764組で、前年より約1万組減っているという。特に減少の著しいのは、教会婚で、2000年には全体の75.3パーセントが教会婚であったのが、2004年には68,8パーセントになっている。この間、世俗婚(教会ではなくて市役所であげる)は、24,7パーセントから、31,2パーセントに上昇したわけだ。

イタリアの出生率は、4年来上がり続けている。ゆっくりと、少しずつではあるが。

その結果、EU諸国の中で、イタリアは出生率最低国から脱しつつある、イタリアのあとに、ギリシア、スロヴァキア、ポーランド、チェコ、ハンガリーが続くということだ。

ちなみに日本は、2004年1,29で、お隣の韓国が近年劇的に出生率が下がり、1,16となっている。

以下のホームページを参照してもらうと判るが、日本や韓国、イタリアやスペインは、家族・子供向けの公的支出がGDP比でみたとき、北欧やフランスなどに較べて小さい。

http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1582.html

http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1550.html

つまり、平たく言えば、男女共働きが増えてきたときに、社会が面倒を見る、育児を社会化するということがなければ、カップルは安心して子供を産み育てることがむつかしい、ということではないだろうか。

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2005年11月10日 (木)

ムッソリーニの最後

左翼民主党のダレーマのムッソリーニに関する発言が、党内に波紋を呼んでいる(コリエレ・デッラ・セーラ、11月5日)。

ブルーノ・ヴェスパの本の出版を記事にした週刊誌「パノラーマ」から議論は始った。ムッソリーニは、パルティジャーニによって殺され、その死体は、愛人ペタッチの死体とともに、ミラノのロレート広場に逆さづりにされた。

ダレーマは、その歴史的事実を踏まえたうえで、「裁判にかけた方が、より公正であったかもしれない。イタリアの歴史の一部分を再構成することに同意しただろうし。」と言ったのである。たしかに、ムッソリーニとともに、消え去ってしまったり、わからなくなってしまったことは少なくないだろう。

これに対し、左翼民主党内から異論が続出したのである。「これは修正主義(revisionismo)に窓を開くようなもので、そこではすべての牛は灰色なのだ」(白・黒の区別がないという意味でしょうね)と言ったのは、ファミアーノ・クルチャネッリ。

これに対して、より冷静な人たちは、「修正主義が絶対的に悪いわけではない、というのも歴史研究に終わりはないからだ。しかし、まさにそれゆえに、研究者にまかせるべきで、政治家が口をはさむべきではない。政治家はその時々の状況に合わせて適応してしまうことがままあるから」とロレンツォ・フォルチェーリ。

ジャーナリストのジョルジョ・ボッカは、「ニュルンベルグ裁判は、歴史に対する裁判は出来ない、ということの証明になっている。勝者が敗者を裁いたのだ。独裁者の死は必然であった。裁判をやりたがっていたのは、アメリカおよびイギリスで、それはイタリア全体を断罪することになったろう。それこそ、われわれパルティジャーニが避けたかったことだ」と語っている。

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2005年11月 9日 (水)

イタリア、年金支給年齢を引き上げか?

ベルルスコーニ首相は、ドイツにならって、年金支給開始年齢を68歳に引き上げてはどうか、と発言し、労働組合をはじめ、閣内からも、異論がでている(コリエレ・デッラ・セーラ、11月4日)。

イタリアの現在の年金支給開始年齢は、65歳である。これは、アマート政権以来、数度にわたって年金改革をへて到達したものであるので、これをさらに変更するという提案を、いきなり持ち出されては、関係者は当惑するであろう。

ドイツの場合、シュレーダー政権のもとで、年金開始を63歳に引き上げたが、さらに、2011年に67歳に引き上げようという提案がなされるだろうと見られている。

イギリスでは、トニー・ブレアーが、国家公務員の引退年齢を60歳から65歳に引き上げたがっている。

ちなみにベルルスコーニ自身は、69歳になったばかりで、この歳で、一日13,14時間働ける人もいるのだから・・・と言ったとか。

ベルルスコーニの政敵、ロマーノ・プローディ元EU委員長は、66歳。

年金支給開始年齢引き上げ論の背景には、平均寿命が伸びていること、少子化が続いていることなどがあろう。

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フィアット、健闘

イタリアの自動車マーケットが持ち直してきている。10月の統計にもそれは表れていて、新車登録は約18万5000台で、昨年同月に較べ5,47パーセントの増加(コリエレ・デッラ・セーラ、11月3日)。

フィアット社は7パーセント増で、市場占有率は、21,6パーセントで、昨年にくらべ1ポイントの増加。

11月、12月の見通しもよい。Grande Punto(新車の名前です、ジュージアーロのデザイン!)の投入の効果が期待出来るとのこと。

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2005年11月 8日 (火)

RAI のニュース当分休止

がーん! RAIのニュース、当分の間、休止いたします。(NHK衛星第一放送、11月6日)。

NHKの衛星第一放送では、日曜日の朝、だいたい8時10分頃から、約10分、RAI1のニュースを放送している。いや、していた、というべきか。

ところが、去る11月6日の朝、RAIのニュースは当分の間、休止します、という意味のテロップが流れたのだ。

何故か?という説明は何もない。

うーん。残念です。

出来るだけ早い再開を期待しています。

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2005年11月 7日 (月)

死者への敬意

アルベルティーニ・ミラノ市長の墓参りが抗議を受けた(コリエレ・デッラ・セーラ、11月2日)。

アルベルティーニ市長が、参ったのは、サロ共和国(Reppublica sociale italiana イタリア社会共和国)のもとで戦い、1945年4月29日にパルチザンに殺されたカルロ・ボルサーニの墓。サロ共和国は、ムッソリーニ政権が一度倒れ、ムッソリーニが逮捕されたあと、ナチスに救出されて出来た傀儡政権である。サロは地名で、ガルダ湖畔にある。

アルベルティーニ市長は、左翼や元パルチザンから抗議がくることを覚悟していたが、攻撃は右翼から、より激しくきた。

その理由はこうだ。アルベルティーニ市長が、イタリア解放(ナチスからの)のために戦った戦死者の記念式典にのぞんだときには、たすきのような飾り帯(色は三色旗と同じ)を付けていたのに対し、今回のサロ共和国の戦死者の墓参りは、飾り帯無しであった。

右派の抗議者は、われわれは、「セリエBの死者」ではない、と言って抗議したのである。

ちなみに、その墓参りには、かつてのパルチザン闘士二人が伴っており、市長はそのことを誇りにしている。すなわち、市長としては、左右の融和を図る方向で行動したつもりなのである。

死者への敬意を表するということ、その表し方は、日本であれ、イタリアであれ、想像以上にデリケートな問題なのですね。

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イタリアに民主党はできるか?

イタリアの中道左派は、一つにまとまるだろうか?来春の選挙を控えいくつかの動きがある(コリエレ・デッラ・セーラ、10月31日、11月2日)。

一つは、民主党創設論議である。中道左派が選挙で勝った場合、誰を首相にするかという予備選(primarie) が10月16日にあり、そこでプローディが大勝した。その直後に、マルゲリータのリーダー、フランチェスコ・ルテッリが民主党を創ろうと呼びかけたのだ。

かなり、唐突な感じはするが、それに対し、左翼民主党(DS)のピエロ・ファッシーノ書記長は、ウリーヴォは、社会党やケネディー主義者と一緒になれば、さらに強化されるだろうという、判りにくい返答をした。

ウリーヴォとは、もちろん、中道左派が1996年に総選挙で勝利したときのグループ名(そこに複数の政党が寄り集まっている)であり、現在は、l'unione という名前のグループとなっている。

ファッシーノの意図は僕には不明だし、もしかすると、わざといろんな解釈ができる謎めかした返答をしたのではないかとも思ったりするが、それをきっかけにコリエレ紙上ではいくつかの議論が展開されている。

たとえばフランスでは左派が一つにまとまる兆しはまったくないとのこと。

中道左派内では、しばしば紛争があるようだ。これは、中道右派も同じで、イタリアは1990年代に小選挙区中心となってからも、決して二大政党にはならなかった。

左派は民主党という形で、一つに結束するのだろうか?

もう一つの話題は、マルコ・パンネッラというRadicale(独立系)のリーダーがプローディとの共闘に向かっているということだ。党内の有名女性議員であるエンマ・ボニーノは外相をねらっているとの報道もある。

選挙は来年である。どうなることやら。

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イタリア人の身長

イタリア人の平均身長が伸び続けている。男女あわせて、平均身長が170cmになった(コリエレ・デッラ・セーラ、10月30日)。

2005年現在、青年男子の平均身長は176cm、女子の平均身長は165cmで、平均して170cmということだそうだ(日本では、男女合わせた平均身長はあまり聞きませんね)。

そういう男女合わせた平均身長がどう変化したのかが面白い。

5300年前は、175cmというのは、母数が少なすぎて信頼性がどれくらいあるか判らない。

カエサルの頃(紀元前1世紀)が148cm、カルロ・マーニョ(800年前後)が140-50cm、ルイ14世(17世紀)が155cm、1854年が163cm、2005年が170cmというわけだ。

ちなみに一番ヨーロッパで背が高いのは、男子の平均が180cmのオランダだという。

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ヴァティカン遷都の可能性

ピオ9世と言えば、イタリア統一の時の教皇で、カヴールやガリバルディの反教皇庁的態度に腹を立て、「ヴァティカンの囚人」として、閉じこもってしまったことは知られているが、実はケルンに遷都することを考えていた時期があるという(コリエレ・デッラ・セーラ、10月30日)。

イタリアがほぼ統一された後、ローマが残っていたのだがヴィットリオ・エマヌエーレ二世は、フランスのナポレオン三世がセダンで敗北したすきに、ローマを奪取した。

当時誕生したばかりのプロシアの宰相ビスマルクは、ピオ9世に対し、彼の庇護を期待してよいし、ケルンのような町を教皇庁のあらたな本拠地とすることも可能だと言ったという。

その後も19世紀の70年代、80年代、90年代と、ヴァティカンのみならず、ヨーロッパの宰相たちは、教皇庁のローマからの遷都を考えていたという。

候補地は、ケルン、マルタ島、オーシュ(フランス南西部)、コルシカ島、カントン・ティチーノ(スイス南部)など。

これは、デヴィッド・カーツァーというアメリカ人のリソルジメント研究者が、これまで軽視されていたかあるいはアクセスすることが不可能だった資料を得て、明らかにしたのである。

教皇庁は、ローマおよび教皇領支配を復活させたいと画策し続けたのである。

ピオ9世は、1870年にはイタリアの支配階級をまとめて破門したし、1873年には、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世その人を破門した。

ピオ9世の死後も、レオ13世のもと、ランポッラ枢機卿などが三国同盟をはじめとする国際関係の網の目のなかで、イタリアを窮地におとしいれようとしたそうです。

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2005年11月 6日 (日)

イタリア社会党の行方

イタリア社会党のリーダー、エンリーコ・ボゼッリの、コンコルダート見直し発言が波紋を呼んでいる(コリエレ・デッラ・セーラ、10月30日)。

イタリア社会党は、このところ、外相のデ・ミケーリスとボボ・クラクシの間に亀裂が入り、分裂状態であり、その行方が気になるところ。

現在の社会党は、与党である(だからデ・ミケーリスが外相をつとめているのだが)が、デ・ミケーリスは、来春に総選挙を控えた現時点で、ベルルスコーニとも、中道左派(L’Unioneという複数の政党があつまったグループ)とも組まないと述べている。

そこへ、今度はボゼッリがイタリア政府とヴァティカンの協約であるコンコルダートを見直すべきだと発言したが、L’Unioneのリーダー、プローディはわれわれの政治プログラムにそれはないし、入れられることもないだろう、と明言した。

最初のコンコルダートは、1929年にムッソリーニとピエトロ・ガスパッりの間で調印されたものだが、現在のコンコルダートは、1984年にベッティーノ・クラクシとアゴスティーノ・カサローリ枢機卿の間で調印されたものである。

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チェレンターノの政治番組RockPolitik

アドリアーノ・チェレンターノの始めたRAIのテレビ番組が政治風刺で話題になっている(コリエレ・デッラ・セーラ、10月29日)。

チェレンターノはロック歌手。RockPolitik という番組で、夜の9時台から11時台の番組だが、40パーセント台の視聴率で、瞬間的には、ラマッツォッティという歌手が出たときに69パーセントにも達したという。

第二回目の放送では、ベニーニやヴァレンティーノ・ロッシも出演。

この中で、現在の与党およびベルルスコーニの批判を展開したことが話題になっている。

こういう番組を見られる手段があれば、と思うのですが・・・

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アンジェラ・ゲオルギューのリサイタル

アンジェラ・ゲオルギューのリサイタルに行ってきた(11月5日、東京芸術劇場大ホール)。

芸術劇場は、数年前に、中島康晴(テノールでスカラ座等で活躍、今年はフェニーチェ座とともに来日、「真珠取り」を歌った)のリサイタルで来た。

その時は、ピアノ伴奏で、今回はオーケストラ伴奏である。今回、このホールが日本のホールとしては響きが芳醇で、残響が長いことに気がついた。

オーケストラピットを設定せず、舞台上にオケがいるため、序曲や間奏曲の演奏は、音が鳴り響いてよろしいのだが、ゲオルギューの伴奏の際には、時に、音が過剰となり、ゲオルギューの声がつぶされそうになることがあった。

指揮は、マルコ・グイダリーニ。オケはニース交響楽団。指揮者は、チェロ出身のせいか、弦楽器への目配りが行き届いていて、どちらかというと、管楽器の音色の変化への配慮は大まかなように聞こえた。

そのため、「コシ・ファン・トゥッテ」の序曲よりは、プッチーニの「マノン・レスコー」の間奏曲およびマスネの「タイスの瞑想曲」がよかった。とくに最後の曲は、ヴァイオリンが一丁であの有名なメロディーをかなでるが、チェロとコントラバスを厚く響かせているおかげで、センティメンタルな音楽に流れず、説得力の高い音楽を造形していた。

ゲオルギューは、ソプラノ歌手として、透明な高音と、薄くならずしっかり響く低音域を持ち、表情として叙情性を豊かに持っているので、今回メインであったプッチーニには向いていると思う。

僕は、以前に彼女の「椿姫」を観たがこれも美貌とあいまって素晴らしい出来だった。

この日の最初は、ジョルダーニの「カーロ・ミオ・ベン」で、次にヘンデルの「私を泣かせてください」。軽めの曲でスタートというところ。

間にプッチーニの間奏曲をはさみ、レオンカヴァッロの「道化師」の‘大空を晴れやかに’とプッチーニの「つばめ」の‘ドレッタの素晴らしい夢’。

休憩後は、カルメンの間奏曲の後、「カルメン」の‘ハバネラ’、プッチーニの「マノン・レスコー」の‘華やかに着飾っても’。後半は衣装が真っ赤なドレスに替わる。

マスネのタイスの瞑想曲のあと、プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」の‘私のお父さん’と「蝶々夫人」の‘ある晴れた日に’。どれも、女性の痛切な思いをせつせつと歌うという面が強く出ていた演奏であった。ジャンニ・スキッキやハバネラでは、軽みも出そうとしていたが、さらに軽やかな部分があってもよいかと思った。

アンコールが意外だった。まず、マイ・フェア・レディー。その後は、グレゴリューとかいう人の‘ムジカ’。最後は、‘グラナーダ’。‘グラナーダ’は楽譜を見ながらの歌唱だったので、自分の持ち歌というよりは、日本の観客へのサービスのつもりなのだろうか。ソプラノが‘グラナーダ’を歌うのははじめてきいたが、僕としてはヴェルディを一曲聴いてみたかった気もする。

ゲオルギューは、舞台姿の美しさもふくめて貴重なソプラノであると思う。良い仕事、良い舞台で、歌の熟成されんことを願うのみである。。

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2005年11月 5日 (土)

F1に女性ドライバー誕生か?

自動車レースF1に女性ドライバーが誕生するかもしれない(コリエレ・デッラ・セーラ、10月27日)。が、それに対して、ジェンソン・バトン(BARチームのパイロット)が暴言?を吐いた。

女性ドライバーは、キャサリン・レッジェでミナルディ・チーム(チームは来年からこの名前を変更するはずだが・・・)で検討中であり、一連のテストをする予定。

それに対し、バトンは、女性パイロットの可能性を否定している。女性は胸がおおきく、狭い運転席には入らないとか、メカニックが集中できないという理由をあげている。

過去には、ジョヴァンナ・アマーティという女性パイロットがいたそうです。頭ごなしに否定する必要は全然ないと思いますがね。

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F1の新ルール

自動車レースの最高峰F1の新ルールが決まった(コリエレ・デッラ・セーラ、10月25日)。

車体の後ろにあるスタビライザー(イタリア語ではalettone)を二つに分けることが可能になる。リアタイヤのそれぞれの後ろに小さな羽根のようなものが付く感じである。

このルール改変は何のためかというと、後方の空気の流れが安定化して、追い越しがしやすくなるのだという。

たしかにここ数年のF1の最大の問題点の一つは、コース上での追い越しがほとんどないことだった。燃料補給でピットに入るタイミングで抜けた、抜けないなどというのは、コンピュータ画面でみてても理解できることであって、モータースポーツの醍醐味とはいいがたい。

特に、実際にサーキットに行った場合など、ほとんどの席からピットは見えないのである。いつもまにか順位が入れ替わっていた、というのと、目の前である車が別の車を追い越すということの差は計り知れないほど大きい。

というわけで、このルール改定は大いに歓迎されると思われるが、実施は2007年からとのことである。

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シューマッハとロッシ

ミヒャエル・シューマッハがムジェッロ(フィレンツェ郊外)のサーキットでモトGP(バイクのレースの最高峰)に挑戦した(コリエレ・デッラ・セーラ、10月25日)。

今シーズンのF1も終わり、フェラーリは不本意な成績であった。フェラーリのパイロット、シューマッハは、ムジェッロでドゥカーティのバイクに乗り、42周した。

シューマッハの乗ったバイクは、ドゥカーティのデスモセディチで普段、カピロッシという選手が乗っているものと同じタイプ。この日のシューマッハの最高タイムは2’05’’98で悪くはない。しかし同地でモトGPのチャンピオン、ロッシの出したタイムは1’49’’223(ヤマハ)であり、カピロッシの出した同じドゥカーティでの1’49’’633には及ばない。

シューマッハはF1の仕事から解放されたばかりなのだが、ヘリコプターでやってきて11時にコースに到着、11時35分にはバイクにまたがり、午前中に24周、午後18周し、コースにライトが点灯するまで続けたという。

ちなみに、ヴァレンティーノ・ロッシも何回かF1のマシーン(フェラーリ)に試乗しているが、フェラーリの練習コース(フィオラノというフェラーリの工場のすぐそばにある)でのタイムは58’’3で、シューマッハのタイム、55’’9には及ばない。

しかし、ロッシは、モトGPで無敵なので、ヤマハとの契約が切れる2007年には、F1に移籍するのではないかといううわさが何度も流れている。

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2005年11月 3日 (木)

ポリーニ、ノーノ、シュトックハウゼン

ポリーニの企画によるノーノとシュトックハウゼン他のコンサートに行ってきた(11月3日、東京・初台のオペラシティー)。

最初はブーレーズの曲だった。あらかじめテープに録音されたクラリネットと生のクラリネットが二重奏をする。

しかも、スピーカーは、10本ほどあって、ステージの後ろに4本と、ステージに近い方や客席の中程、後方に二本ずつあって、テープのクラリネットは、不思議な方向から聞こえてくる、というか、聞こえる方向が動いたり、どこから聞こえてくるのかわからない感じになったりする。

理屈で考えれば、どことどこのスピーカから音を出すとか、あるいはその強弱を変えればそのような現象が起きることは想像がつくのだが、その場にいると、目の前の実演のクラリネットの音とも入り交じり、同じ音でありながら、肌合いの違う音が混在し、しかもその一方の音は方向が動くということで、妙な感覚を味わった。

いわゆるクラッシック音楽をレコードとコンサートで聴く場合よりも、はるかにこの曲では、コンサートの方が、曲の理解が十全なものとなるだろう。こういう曲は、再生も多チャンネルが望ましいだろうと思った(僕は、自分の装置は2チャンネルですが)。

次は、アルバン・ベルクのクラリネットとピアノのための4つの小品。ピアノはポリーニ。クラリネットはブーレーズの曲とともにアラン・ダミアンというアンサンブル・コンタンポランの人。二人は気前よく、アンコールで、もう一度、この四曲を演奏してくれた。聞き慣れない曲だけに、二度目のほうがずっとよくわかる。

三曲目は、シュトックハウゼンのピアノ曲VIIとピアノ曲IX。ポリーニの演奏。ピアノ曲IXはディミヌエンドする和音の連打が特徴的。シュトックハウゼンの曲は、現実を激しく切断するような強い音のかたまりがあるかと思うと、いつの間にか、宇宙の星への視線を思わせる高音の響きに収斂していく。イデアの世界を思わせる。

休憩のあとは、ノーノが二曲。

一曲目は、「苦悩に満ちながらも晴朗な波」(ピアノとCD,またはDATのための)で、スタジオ録音されたポリーニのピアノの音を加工した音がスピーカからながれ、眼前のポリーニがピアノを実演する。ブーレーズの曲と似た仕組みである。

ノーノの音楽は、激しいところはあるのだが、ブーレーズやシュトックハウゼンと較べ暖かい感じがする。音の響かせかたが、切断的でなく、音をある程度、漂わせているのだ。つまり響きを長めにとっておいて、それが消えぬうちに次の音が出ている。それがタイトルの波や、教会の鐘の音を思い起こさせる。

ノーノの二曲目は、「森は若々しく生命に満ちている」(ソプラノと3人の役者の声、クラリネット、金属板、テープのための)。これもあらかじめテープにさまざまな音、声が録音されているものがスピーカーから流れ、それと重なったり、重ならなかったりしながら、ソプラノ、3人の役者、クラリネット、金属板を金槌で叩く音が実演で聞こえてくる。

これは、歌手、および役者は、朗読とは言えないような叫び声や、息をたくさんふくんだ音声で、まるで、尺八がメロディーを奏でる時に、フルート的な音がから、息のはげしい呼吸音まで、その中間のグラデーションを聴かせてくれるが、人の声がそういった楽器のように扱われている。

だから、テクストは、カストロやイタリアの労働者、ヴェトナムのパルチザンなどの言葉から取られていることがプログラムで判明する。

この曲が作曲された1965-66年で、ベトナム戦争やアフリカ、キューバにおける民族解放戦線を意識して作ったものらしい。

ポリーニがこれを今、これを演奏するコンサートを企画するということもノーノとの友情、現代音楽を出来るだけ多くの人に知ってもらいたいという啓蒙的意図だけではなく、現在のイラクの状況に対する彼の批判的な視座があると僕は思った。

この曲も、激しく、展開がよみにくいのだが、声が主であるせいか、やはり暖かみが感じられる。悲痛さ、怒りやなにか途方もない力なども表現されてはいたと思うけれど、それが観念的というよりは、まことに人間的なのである。

現代音楽のコンサートというのは、なんとなく、現代文化において、宗教の代替物的なところがあるのかなあ、と思うことがある。僕の個人的感想です。

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ボローニャ市長と移民

ボローニャ市長、セルジョ・コッフェラーティの移民取り締まりが、問題となっている(10月23日、コリエレ・デッラ・セーラ)。

ボローニャ市長が取り締まりを強化したのは、信号待ちのところで、窓を拭いて、お金をもらう人たちである。

また10月19日には、ルーマニア人の郊外のキャンプを立ち退かせている。 

コッフェラーティはもと労働組合CISLの書記長であり、この社会的弱者への厳しい姿勢が、左派陣営(特に共産党再建党)の中で論争をまきおこしている。

コッフェラーティの立場では、まず、法律を守って、そののちに連帯がある、ということになる。

ちなみに、ボローニャの不法でない移民は5万6000人(2004年)で、2002年の3万8000人から上昇している。

また、ボローニャ市民の85パーセントは、市長の移民に対する方針を支持している。

背景には、ボローニャ市民の58,4パーセントが犯罪が増加していると感じていること(2004年の資料で、2003より6ポイント増加)がある。

そのため法と秩序の重要性を市民が強く認識する方向に動いているということだろう。

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カラーブリアの殺人事件(続)

レッジョ・カラーブリアで、州議会副議長のフランチェスコ・フォルトゥーニョ氏が殺された事件は、氏の電話相手が捜査の一つの焦点となっている(コリエレ・デッラ・セーラ、10月22日)。

フォルトゥーニョ氏が、病院の工事の入札に関して、犯罪組織ンドランゲタの要求を拒んだことが事件の背景と観られているが、彼はいかなる理由からか、1997年9月から2000年2月の間に、31回、ジュゼッペ・パンセーラという医師と電話をしている。

ジュゼッペ・パンセーラの夫人は、ジュゼッピーナ・モラビトというが、彼女はンドランゲタのボス、ジュゼッペ・モラビトの娘なのである。

ジュゼッペ・パンセーラは、舅の逃亡をかくまったかどで舅とともに2004年に逮捕されている。

殺されたフォルトゥーニョ氏とパンセーラがどのような関係であったかは、まだ不明。

ボス・ジュゼッペ・モラビトは、南アメリカ(チリ、ペルー、パラグアイ、ウルグアイ、ブラジル)からスペイン、オランダを経由してコカインを密輸していたという。

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2005年11月 2日 (水)

教皇庁と禁書

教皇庁の禁書目録(Indice)について、新刊がでた。Gigliola Fragnitoの≪Proibito capire. La Chiesa e il volgare nella prima eta' moderna≫である(コリエレ・デッラ・セーラ、10月21日)。

16世紀は激動の時代であった。日本も、戦国時代だが、ヨーロッパでも、マルチン・ルターの質問状に端を発した宗教改革運動と、それに対抗する対抗宗教改革(controriforma)の嵐が吹き荒れた。

フラニートの新著は、教皇庁の16世紀における戦略を読み解くものであるらしい。教皇庁の伝統的戦略は、ラテン語をはじめとする高度な知識は、聖職者および一部の貴族が独占する。そこから排除された民衆は、自分で信仰の内容についてあれこれ考えずに、教会の導きに従うというものであった。

それに対しルター派が、聖書を俗語に(ラテン語から)翻訳しようとすると、対抗宗教改革期の教皇たちはそれを妨げようとした。

彼らは、イタリア語に翻訳された聖書を、出来たての禁書目録に載せたばかりか、それを回収して、公衆の面前で、広場で、燃やしてしまったのだ。

UTETの百科事典によると、禁書目録は、1557年にパオロ6世の命令で出来、最後のものは、ピオ12世による1948年のものであるという。

禁書になったものは、多岐にわたり、Pietro Aretinoのエロティックな詩、マキャヴェッリの政治思想、ダンテの君主政体論、ボッカッチョの「デカメロン」、カスティリオーネの「宮廷人」、アリオストの「狂乱のオルランド」などなど。

ちなみに、16世紀には、三度、禁書目録が発行された。1558年のパオロ6世による厳しいもの、より穏やかになったトレント公会議のときのもの(1564年)、教皇クレメンス8世(イタリア語ではクレメンテ)による厳格なもの(1596年)がある。

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2005年11月 1日 (火)

小学生に語るイタリアの歴史(2)

続きです(コリエレ・デッラ・セーラ、10月21日)

15,16世紀になると、ロレンツォ豪華王、レオナルド、ミケランジェロを忘れることは出来ない。ロレンツォ豪華王は、とんでもなく醜い男だったが、知的で、統治や詩を書くこと、家政、自分の町を美しくすることにすばらしく長けていた。レオナルドが考案したものは、つづく何世紀ものあいだに様々な機械として実現されたことを(あなたの子供に)語ろう。ミケランジェロについては、システィーナ礼拝堂のフレスコ画がいかに壮大な快挙であったかを語ろう。

ガリレオについては、彼の天才的洞察の一つ、地動説が、ピサのドゥオーモの灯りの揺れの観察に基づいていることを語ろう。

サンクトペテルブルクのもっとも美しい宮殿をつくった建築家(ロッシ、ラストレッリ)について話そう。

ウィーンの宮廷で詩や劇を書いた詩人(メタスタージオら)、ヨーロッパ中の宮廷で絵を描いたヴェネツィアの画家たち、フランス王やスペイン王の宰相となった枢機卿(マザランくらいしか知らないが・・・)について話そう。

18世紀、19世紀について語る時には、ナポレオンが欠かせない。ナポレオンは、フランスの偉大な将軍、政治家であったが、ジェノヴァ共和国の支配下にあったコルシカ島で生まれた。イタリア語で罵ったり呪ったりした(これは子供には言わないでおこう)。イタリア王で、家族のかなりの部分は、イタリアとの結びつきを保った。

統一イタリアは、カミッロ・カヴールによってなされたが、彼は、ナポレオン三世とフランスの小都市プロンビエールを散歩した(密約を交わしたのである)ことを思い出そう。

ガリバルディについては、彼が1860年5月5日に、千人隊とともにクアルトをどう出発し、南イタリアを征服したかを語ろう。

ジュゼッペ・ヴェルディについては、イタリア人が彼の音楽を熱狂的に愛したこと、彼を祖国の父の一人と考えたことを無視してはならない。

マッツィーニが、もう年老いて意気消沈して、祖国へ帰り、ピサで死にたいと願ったことを忘れないでおこう。

以上がセルジョ・ロマーノが小学生に語ると想定した場合のイタリア史のあらましである。

彼はさらに、子供が中学生になったら、イタリア史はおそろしく複雑で、醜悪な面もあり、様々に解釈しうるエピソードもあり、最終的には、子供自身が学習したり経験するなかで、歴史を読み直すしかないのだと教えるべきだという。

自らが批評家となって、資料にあたり、必要なら意見を変えることを教える。おそらく、子供はどんな政治的意見を持つにしても、自分の国に誇りをもち、それをより良いものにする気持ちを失わないだろう、と。

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小学生に語るイタリアの歴史(1)

ジャーナリストで元外交官のセルジョ・ロマーノは、コリエレ・デッラ・セーラ紙で、読者の質問に答えているが、子供にどうイタリアの歴史を教えたらよいか、という質問に対する返答を紹介する(コリエレ・デッラ・セーラ10月21日)。

セルジョ・ロマーノはここで、教える相手を6-10歳、つまり小学生と想定している。

自分だったら、と断ったうえで、彼はカルロ・マーニョ(カール大帝)から始めるという。カルロ・マーニョは、フランク族の王で、神聖ローマ帝国を築こうとした。ローマへ行って、教皇に、サンピエトロ寺院で皇帝の冠をもとめた。

サン・フランチェスコの話。彼が動物や自然と会話をしたこと。

イタリアの中世は、勇敢な進取の気性にとんだ商人がいっぱいで、その中の一人が、マルコ・ポーロであった。そして、自分の中国帝国(元ですね)での滞在を語り、それは「東方見聞録」という本になった。

ダンテとその政治的闘争について。彼の亡命、そしてわれわれが一生使う言語(イタリア語)は、偉大な詩「神曲」に書かれていて、それは世界中の言語に翻訳されている。

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