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2005年10月27日 (木)

元女性市長、修道女になる

マリア・ヴィリアンティというシチリアの元女性市長が、正式に修道女となった(コリエレ・デッラ・セーラ、10月18日)。

彼女は、パレルモとメッシーナの間のカステル・ディ・ルーチョという町でかつては市長をつとめていた。旧共産党、左翼民主党の一員として、マフィアとの水闘争、職場確保など第一線で活躍した人のようだ。

現在は、未亡人で、4人の子供、孫もいる。 

しかも、彼女が入った修道院は出入り禁止のmonastero ci clausura という厳しいものだ。家族などとの面接こそ許されるものの、修道院から出ることは出来ない。

このタイプの修道院は、現在世界で、3529あって、4万7626人の修道女が暮らしている。世界といっても、半分以上はヨーロッパに存在している。

イタリアには、この出入り禁止の修道院は468あって、6672人の修道女と321人の修練者(novizie)が生活しているという。

修練者(novizie)という言葉は、耳慣れない言葉なので、この際、調べてみた。研究社の「新カトリック大辞典」によると、修道女(士)になる誓願を立てる目的で、修道会に正式に受け入れられ、修行中の人のことをいう。その修行を修練とカトリック教会では呼んでいるようだ。

もともとは古代ローマで、古参の奴隷ではなくて、比較的新参の奴隷のことを novicius(新参者、初心者)と呼んでいたことから来ているそうだ。

修練者は、自分に召命(自分が修道女・修道士になることが神のおぼしめしだと確信すること)がないと確認した場合、いつでも自由に修道会を去ることができる。

この修練者の様子がもっともよくわかる映画は、2002年イタリア映画祭で上映された「もうひとつの世界」(Fuori dal mondo) であろう。マルゲリータ・ブイ演じるところの修練者は、何度か修道院長から、もしかしたら、あなたは世俗に生きる方がよいのではないか、という意味の忠告を受けて、迷う。

この映画は、1998年のピッチョー二監督の作だが、イタリアとカトリックの関係を考えるときに、非常に示唆に富んでいると思う。

さて、イタリアの修道院にもどると、出入り禁止の修道院をもつ修道会は32ある。一番修道院の数が多いのはフランチェスコ会(クララ修道会:サンタ・キアーラが創設したフランチェスコ派女子修道会、カプチン修道士会をふくむ)で、次がベネディクト会である。

元市長は、マリア・ヴィリアンティという名だが、修道女としては、suor ジョヴァンナ・フランチェスカと呼ばれているそうだ。suor  は suora (修道女)につける敬称で、英語ならシスター○○ということだが、本名(マリア)と、修道女になっての名前(ジョヴァンナ・フランチェスカ)が異なっているのは、イタリア人の場合、普通のことなのだろうか?

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コメント

『尼僧物語』(フレッド・ジンネマン監督)のなかでオードリー・ヘップバーンが演じていた役もこの修練者でしたね。正式の修道女になる前にさまざまな経験を積む仕組みで、ヘップバーンはアフリカかどこかの病院で看護婦をやってました。

結局彼女は現実の社会のなかでの教会のあり方に疑問を抱いて修道女になるのを断念するというストーリーだったと記憶してます。

わりあいいい映画でした。

投稿: Shibano | 2005年10月27日 (木) 12時55分

コメントありがとうございました。
僕は、記憶力が抜群に悪いので、過去にみた映画を忘れていることもままありますが、ヘップバーンの「尼僧物語」は見ていない気がします。
今度、機会があったら見てみます。

そのタイトルで思い出しましたが、ヴェルガ原作でゼッフィレッリ監督の「尼僧の恋」も、誓願を立てる直前に、コレラの流行で、いったん修道院から実家にかえった修練者が恋におちてしまい....という映画でしたね。

投稿: panterino | 2005年10月27日 (木) 23時53分

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