2010年2月10日 (水)

プローディ:ボローニャ市長選には出ない

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ロマーノ・プローディ元首相は、ボローニャ市長選には立候補しないと言った(2月3日、Corriere della Sera).

プローディは2月中、中国にも赴く。3月28日がボローニャ市長選の場合には、立候補しないと言明した。

しかしながら、市長選が今秋あるは来年にずれた場合には、話が違ってくる。

3月28日に選挙をやるためには、暫定措置令が必要になるもようだ。


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2010年2月 9日 (火)

日曜農夫が増えている

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週末を農業で過ごす人が増えている(2月2日、Corriere della Sera).

農家自体は減っている。1990年から2000年にかけて、40万人以上農業従事者が減っている。

しかしその一方で、趣味で農業をやる人は増えている。こうした人を hobby farmer と呼んでいる。hobby farmer の職業は、つぎの通り。

年金生活者  47、7%
サラリーマン 12、2%
労働者    9、3%
公務員    5、3%
自由業    4、2%
自営業    3、8%
管理職    2、2%
教師     2、2%
医師     1、6%
企業家    1、4%
商人     1、4%
その他    8、7%

栽培しているものは次の通り
野菜   88、6%
果物   65、0%
葡萄   34、3%
オリーヴ 32、3%
穀物、飼料 16、1%


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2010年2月 8日 (月)

ホロコーストとピオ12世

Pioxii イギリスで教皇ピオ12世のホロコーストをめぐる発言を記した文書が発見された(2月1日、Corriere della Sera).

文書はロンドン郊外のキュー・ガーデンのナショナル・アーカイヴのもの。二つの文書があり、1つ目は、1943年10月19日に教皇庁で行われた教皇とアメリカのヴァティカン大使ハロルド・ティットマンの会談の記録である。ローマのゲットーで1000人以上のユダヤ人がナチスのSSにより連れ去られた事件の3日後のことだった。

短い報告書から、ピオ12世はこの悲劇的事件については言及しておらず、むしろ連合軍がローマを戦場にしないよう全力を尽くしてくれと述べている。さらに、ピオ12世は、ローマからのドイツ軍撤退と連合軍到着の間に、共産党の小部隊が暴力行為におよぶのではないかと懸念している。

2つ目の文書はより詳細なもので1944年11月のもの。ピオ12世とイギリスのヴァティカン大使フランシス・ダーシー・ゴドルフィン・オズボーンの会談の記録である。ローマは6月に解放されていたが、戦争は続いており、この時、ドイツ軍はハンガリーから大量のユダヤ人をアウシュビッツ(強制収容所)に送還していた。ハンガリーは、ソ連軍とドイツ軍の戦場となっていたのである。この間、ソ連軍は、バルト諸国を支配下におき、ポーランドで両軍は対峙していた。

ダーシー・オズボーン大使は、イーデン外相の言葉を伝え、ハンガリーのユダヤ人に味方する声明を発してはどうかと教皇にすすめた。教皇は、ここ数日、バルト諸国(エストニア、ラトビア、リトアニア)やポーランドでソ連軍が行った蛮行を非難するよう促されたところだと答えた。

ダーシー・オズボーンは、(当時イギリスの連合国であった)ソ連を非難しないようすすめた。世論にネガティヴな影響があるといけないという理由で。教皇は、具体的な名前はあげないだろうと請け合った。

ダーシー・オズボーンは、東ヨーロッパにおけるソ連軍の蛮行についての情報は得ていないがいずれにせよ、ナチスのなした行為に比較しうるものではありえないとして、ナチスのガス室でのユダヤ人大量殺戮に言及した。この点に関して、教皇は同意した。

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2010年2月 7日 (日)

教皇、フィアットとアルコアに職を守るよう呼びかけ

Alcoa教皇ベネデット16世は、夕べの祈りの後、フィアットやアルコアに、労働者の雇用を守るよう呼びかけた(2月1日、Corriere della Sera).

教皇は、あらゆる人に責任感が必要だと説いた。企業家、労働者、政治家すべてである。教皇は、具体的には、フィアット社のテルミニ・イメレーゼ工場、アルコア社のポルトヴェスメ工場の名をあげた。

労働組合はこのコメントを歓迎している。

フィアットのテルミニ・イメレーゼ工場では、1300人が働いているが、2011年までに自動車の製造をやめる計画である。

アルコアは、アルミニウムを製造する多国籍企業だ。アメリカのピッツバーグに本社があり、6万3000人の従業員がいる。昨年11月20日に、イタリア工場を閉鎖すると決定した。2000人の従業員が関わっている。

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2010年2月 6日 (土)

イタリア、寒気いすわる

Neve1 今年のイタリアは、春は4月までおあずけの模様だ(1月31日、Corriere della Sera).

北極の寒気が流れ込み、2月、3月はその寒気が北部、中部にはいすわるという見通しだ。

これまでの記録では1985年が寒い冬で、フィレンツェではマイナス23度まで下がった。ミラノではその年、1月14日から17日までの三日間に80cmから120cmの雪が降り、高速道路や空港の機能が麻痺した。

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2010年2月 5日 (金)

ベネデット16世:教皇庁控訴院での結婚解消が多すぎると批判

Papa_benedetto300x247 教皇ベネデット16世は、教皇庁控訴院(Sacra Rota)が結婚の解消を安易に認めすぎていると批判した(1月30日、Corriere della Sera).

カトリック教会では、結婚は解消し得ない(indissolubile)ものであり、「そうでないと証明されないかぎり、有効であると解釈されねばならない」としている。

この問題はデリケートで、離婚して再婚した人が聖体拝領できるかというやっかいな問題とからんでくる。

全世界では、結婚解消をもとめた4万8655例に対し、拒絶されたのは2984例にすぎない。

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《マッキアイオーリ》展

Photo 《マッキアイオーリ》展を観た(東京都庭園美術館、3月14日まで)。

副題には、イタリアの印象派とある。また、英語のタイトルには The Macchiaioli, Italian Masters of Realism とある。マッキアとは染みのことで、色の染みで絵を描いたようだという悪口だったのがあるグループの名前になったのは、フランスの印象派と同じである。

しかし、グループの活動時期はフランスの印象派よりも早く、1856年にフィレンツェのカフェ・ミケランジェロで結成されている。

そのためもあって、今から観ると画風はオーソドックスに見えるが、当時は、リソルジメントの時代で、彼らは、新しい美術、新たな国民美術様式の確立を目指していたらしい。

当時のイタリアはいくつかの国に分かれていたわけだが、それぞれの国のアカデミーは保守的であったのに対し、彼らは戸外の風景を描き、絵画の中に光りを取り入れたのである。

初期には歴史画もあるが、途中からトスカーナ地方の田園風景、牛がいたり、農婦がいたりといった絵画が増える。

ジョヴァンニ・ファットーリが中ではもっとも知られているかもしれない。

マッキアイオーリの展覧会は、1979年にも伊勢丹美術館で開かれていたのだが、まったく知らなかった。

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ミラノ、日曜は8時間自動車いれず

Stor_9842283_00430 ミラノは、31日の日曜日、10時から18時までの8時間、自動車の走行を禁止する(1月29日、Corriere della Sera).

ミラノは17日連続で、スモッグが制限値を越えたことをうけ、31日は環境への負荷の小さい電気、メタン、gpl車をのぞいては、走行することができない。

2010年に入ってpm10が基準値を超えた日数は各都市で次の通り。

ミラノ     21日
パドヴァ    19日
ヴィチェンツァ 19日
ヴェローナ   18日
トレヴィーゾ  18日
ヴェネツィア  16日
ロヴィーゴ   15日

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2010年2月 4日 (木)

倉科岳志『クローチェ 1866−1952』

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倉科岳志著『クローチェ 1866−1952』(藤原書店)を読んでいる。

クローチェはイタリアでは現在でもしばしば言及される基準点とも言うべき存在なのだが、そのことは日本ではきわめて見えにくい。何より、クローチェを紹介する書物が少ない。翻訳もあるが、クローチェの全体像を伝えるものとは言えない。

このたび、倉科岳志氏によるクローチェについての単著が出版されたことは、その意味で、大変有意義であろう。日本での忘却ぶりを考慮にいれて、本書は、もともとは博士論文がもとになっているのだが、新たに「小伝 ベネデット・クローチェ」という最終章を書き下ろしている。評者のような社会思想や哲学が専門でないものにとっては、これが最もとっつきやすくまた有意義な情報がつまっている。評者などは個人的には、評伝をもっと詳しくしてくれればと思ったほどである。

しかし、本書の眼目となる議論は、クローチェの思想が、ファシスト政権の独裁制樹立を機に転換を示したかどうかをめぐるものだ。倉科氏は、そもそもそういった問題の立て方そのものが、戦後のファシズム対反ファシズムという図式にとらわれたものだとしている。むしろ、クローチェは、「ファシズム期に入っても精神哲学体系における政治と道徳の関係を転覆させたわけではなく、むしろ体系を維持し、精緻化させながら、その上に自由主義を構築したのである」としている。

評者には、この主張がどれほどオリジナリティーを持つのか、またさらに、妥当性を持つのかを判定する能力がない。

個人的には、クローチェの著作のうち意外なほど多くを占める芸術、美学、文学関係の論考を読んでみたいと思った。しかし、こういったないものねだりも、本書のクローチェの作品リストを眺め、また、文献一覧があるから言えることだ。まずは、クローチェについて、日本語で読める単著が生まれた事を素直に喜びたい。

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アウグスティヌスのテレビ・ドラマ

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アウグスティヌス(Agostino)のテレビドラマがRai1で制作された(1月28日、Corriere della Sera). また、アウグスティヌスの著作の翻訳の刊行ー70巻で5万ページ以上におよぶーも完成した。80人以上の研究者の手になるものである。 テレビドラマには、アレッサンドロ・プレツィオージ、モニカ・グエッリトーレが出演した。 彼の著作は、www.augustinus.itで読むことができる。

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2010年2月 3日 (水)

ベルティノッティ夫妻の危機?

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ベルティノッティ夫妻の危機がささやかれていたが、本人たちはテレビカメラの前で否定した(1月27日,Corriere della Sera).

ファウスト(元下院議長、元共産主義再建党のリーダー)とレッラの夫妻は、彼らの関係が危機にあることを否定した。テレビ番組「イエナ」は、二人をローマのポポロ広場のレストランでつかまえ、彼らに鎌と金槌をプレゼントした。

彼らの結婚生活は、45年前にはじまった。

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フィアット、2010年に黒字の見通し

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フィアットは、2010年は黒字に転じる見通しであることをマルキオンネが明らかにした(1月26日、Corriere della Sera).

2009年は、8億4800万ユーロの赤字であったが、当初の見通しよりはましであった。

これに対し、2010年は、2億から3億ユーロの黒字になる見通しだ。

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