ヘンデル作曲オラトリオ《ヘラクレス》を観た(カールスルーエ、州立劇場大ホール)。
今のところ二度観たのであるが、後述の小さな相違を除き演出、演奏に大きな違いは認められなかったのでまとめて記す。
今回の上演も、このところヘンデルのオラトリオ上演でよく見られるように、舞台装置を作り、歌手が演技をしかつ歌うというオペラ仕立ての上演である。一方、先日のオラトリオ《復活》は、小ホールでの上演であり、演奏会形式の上演で、歌手は身振りや演技もなく、コスチュームも無し。
オラトリオのオペラ化は、作品を馴染みやすくするメリットは大きいと感じる。ただし、オペラほどリブレットが突き詰めて書かれていないので、演出家が暴走すると歯止めがきかない面もありそうだ。
今回のフローリス・ヴィッサーの演出では、序曲から登場人物たちが動くのは通例だが何か木材が落ちるような大きな音、ドアをバーンとしめる大きな音をさせる。第二部の開始部のシンフォニアでもドアを大きな音で開け閉めするので閉口だった。静かにして音楽を聴くという暗黙の制度自体への反逆なのかもしれないが、そういう説教は余所でやってもらいたいものだ。その他にも意味不明の裁判場面があって裁判官が大きな音で木槌をたたく場面が何度もある。音に対するセンスが受け入れがたいものが筆者にはあった。
最近の演出でままあるが、登場人物の着替えをそのまま見せるシーンが何回かあったが、ドラマティックなアリアの途中での着替えは全く無用に思えた。この演出家はダ・カーポ・アリアのドラマ性を信じることができず、やたらにその間に何かをさせたり服を着替えさせたりして埋めなくては気が済まないように見えた。
レジーテアターでお決まりの精神病も出てきて、ヘラクレスの妻デイアニーラはドレスを脱いで拘禁服を着せられたりする。
英雄のドラマをホームドラマに矮小化する。その小道具としてテレビ(1950年代、60年代とおぼしき古い型のテレビ)が出てきて、例えばヘラクレスが見ているテレビをデイアニーラが消すといった具合。
最後にモック(歌わない)の秘書がタップダンスをする(何故か1度目には欠如していた)のはご愛敬。
これでは何の話かちんぷんかんぷんだと思うが、このリブレットはトマス・ブロートンという人によって書かれた。ブロートンは牧師だが実に多方面な著作をものしている。この作品は、古代ギリシアのソポクレスの戯曲『トラキスの女たち』と古代ローマのオウィディウスの『変身物語』をもとにしたものだ。
一言で言えば、ヘラクレスの妻デイアニーラが大変嫉妬深い女性で、その嫉妬のために愛する夫を死に至らしめた、という話である。
第一幕ではデイアニーラがヘラクレスの不在を嘆いている。息子ヒュルスが父を探しに行くと宣言する。そこへヘラクレスがオエカリア征伐を終え帰国の知らせ。ヒュルスはオエカリアの王女イオレに心惹かれる。
第二幕では、イオレを目的にヘラクレスはオエカリアを征伐したという噂をデイアニーラが信じこみ、イオレを責める。ヒュルスやヘラクレスが否定してもデイアニーラは聞く耳を持たない。ヘラクレスの愛を取り戻そうとデイアニーラはネッススの血の染みこんだ衣を従者リカスにゆだねる(あらすじ上ではリカスは端役だが、歌の出番は案外多い)。この後、イオレとデイアニーラが和解する。
第三幕 ネッススの血は実際には毒でヘラクレスはもだえ苦しむ。息子ヒュルスにオエタ山で火葬にするよう息子ヒュルスに頼む。これを知ったデイアニーラは半狂乱に。神官がヘラクレスの魂はユピテル神により神々の世界に上げられ、ヒュルスとイオレの結婚の神託があったことを告げられめでたしめでたし。最後の神官が歌うはずの部分は今回の上演では、ヘラクレス自身が歌っていた。
リブレットに関して。
今回の上演では英語字幕とドイツ語字幕が舞台上方に上下に重ねて投影されていた(小劇場でのオラトリオ《復活》では字幕は無し)。英語がリブレットの原文である。ヘンデルはオペラではイタリア語のリブレットを使用していたのだが、オラトリオでは英語のリブレットを用いるようになったのは周知の通り。
リブレットは韻文で書かれており、最も使用頻度が高いのは8音節詩行のカプレットである。即ち、1行に8つ母音があり、行末がAA,BB,CCのように2行ずつ韻を踏んでいく。レチタティーヴォなどでは韻を踏んでいない箇所も多い。また、7音節や9音節のカプレットになっていたりするところもある。さらに、カプレットではなくABABやABBA のような4行単位での押韻もある。細かく分類すれば例外もあるが、圧倒的に多いのは8音節のカプレットである。だからリブレットの段階での様式性は極めて高い。この時代の文学者・詩人のリーダーはアレクサンダー・ポウプであり、彼の最も得意とする詩形がヒロイック・カプレットと呼ばれる詩形だった。ただしポウプの場合は10音節詩行のカプレットであるが、ヘラクレスという英雄を扱うリブレットを書くにあたって台本作者のトマス・ブロートンがヒロイック・カプレットを少し約めた形を採用したのだと考えてよいだろう。18世紀の英文学にふさわしく、エレガントな文体で様式美のかたまりと言ってよい。また、それを実にヘンデルが対位法を駆使した様式にマッチさせている快感がある。
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