2025年5月 5日 (月)

映画『ファミリア』

フランチェスコ・コスタービレ監督の映画『ファミリア』を観た(有楽町朝日ホール)。

これもイタリア映画祭での上演である。DVの話である。

フランコという父親と母リチアにはアレッサンドロとルイジという子供がいる。この子供が小学生の時から物語は始まる。母の訴えで警察が介入するが、暴力をふるう父からだけでなく、被害者の母からも子どもたちは数年引き離されて施設にいれられてしまう。ここはなんとも不条理。青年になったルイジ(ジジ)は、極右の団体に入っている。左翼団体との乱闘で相手をナイフで刺し刑務所へ。その後、再び父親が彼らのもとへ帰ってくる。最初は心を入れかえたかに見えるが再びDVが始まる。リチアが職場を変えてもかぎつけてやってくる。そして職場の男性と浮気をしていると決めつけ暴力をふるうのである。ジジは重大な決意をする。

この間にジジの恋愛も描かれる。

ほとんどユーモアのかけらもないのだが、極右団体にいることを知った父とジジの会話で、父がぼそっとお前のばあちゃんはパルティザン(ファシストに対する抵抗運動参加者)だったんだぞ、つぶやくのは運命の皮肉でおかしかった。

上映後、監督への質問で、なぜ子供と母親は引き離されたのかという質問に対し、監督は、当時(この映画は実話にもとづいているが1998年から2008年の話なのだという)は、親子が避難する施設がなく、母親に経済的自立がない場合、子供が施設に入れられてしまったのだとのことだった。現在は親子で避難できる施設があるとのこと。

ちなみに、母親役の俳優バルバラ・ロンキは、CS放送ミステリーチャネルの『マテーラの検察官インマ・タタランニ』で主人公の同僚として出演しているが、まったくキャラクターが異なる。俳優というものは、キャラクターをがらっと変えることができる見事な一例である。

 

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2025年5月 4日 (日)

映画『狂おしいマインド』

パオロ・ジェノヴェーゼ監督の映画『狂おしいマインド』を観た(有楽町朝日ホール)。

イタリア映画祭の季節である。僕個人は、ここ数年は、しばらく後の有料配信で観ていたが、久しぶりに朝日ホールへと足を運んだ。建物は同じなのであるが、数年の間に変わったこととして、プログラムが薄くなって安くなった。全作品の紹介があって千円は安いと思うが、映画の専門家の批評・論考はなくなってしまったのが少し残念なことだ。以前はいくつかの映画の主演俳優や監督へのインタビューが掲載されていた。

まあ、もっともこれはないものねだりの贅沢な話で、このイタリア映画祭が25年継続していることを言祝ぎたいし、関係者に深く感謝したい。何度かこの映画祭が打ち切りあるいは休止になるのではという噂も聞いたからだ。今年も11本の新作と1本の日本未公開作品がもたらされた。監督も数人来ており、僕はパオロ・ジェノヴェーゼ監督とフランチェスコ・コスタービレ監督の舞台挨拶および上映後のQ&Aを聴いた。

さて、『狂おしいマインド』はバツ1の高校教師(男)とララという女性のはじめてのデートの物語。男の側にも女の側にも脳内人物が4人ずついて、デートの場面ごとに、ここはこうすべきだ、いやいや、こうした方がいいと議論をはじめる。つまり内面の葛藤を4人の脳内人物によって描くわけだが、画面上では4人の男性俳優と4人の女性俳優にが一つの部屋でソファーにすわったり立って歩いたりしながら議論をしているのである。ララはフェミニズムの作家の影響が濃く彼女の台詞にもそれが出てくるが、男はカルヴィーノを引用してかわす、など洒落た趣向をこらしているし、よく見ると女性(家具の修復をしている)のアパートの美術品も神経が行き届いているようだ。

コミカルで楽しい映画である。ジェノヴェーゼの映画は脚本がこっていて、いくつもの糸が張り巡らされそれが途中ではこんがらがるのだが最後はきれいにおさまる。時間とともに展開していくストーリーと同時に、全体を一つの作品としてみた時に幾何学的な美しさを持っているのである。それはもしかすると、この世の人は一人一人はそれぞれの人生を歩んでいるが、全体としては無意識のうちにある秩序を形成しているという人生観、世界観を有しているからなのかもしれないと思った。コミカルな内容であれ、シリアスな内容であれ、構造としてはこの幾何学的な美しさをもった脚本というのは共通しているからだ。

監督と聴衆とのQ&Aではコメディの方が難しいし、どこで観客が本当に笑ってくれるかは、劇場に足を運ばないと自分でもわからないのだと言っていたのが印象的だった。

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2025年4月 5日 (土)

ヘンデル『時と悟りの勝利』

ヘンデルのオラトリオ『時と悟りの勝利』を観た(初台、オペラシティ)。

指揮ルネ・ヤーコプス、管弦楽ビーバロック。このオラトリオには4人の登場人物がいるが、美、快楽、時、悟りというすべてアレゴリー(寓意)が登場人物になっており、彼・彼女らの会話は、一種の哲学談義、人生論になっている。美が最初は快楽にそそのかされて?享楽的な生き方を良しとしているのだが、時や悟りが美にお説教をする。現世における美や快楽ははかないよ、あっという間に過ぎ去るよ、と。あの世にいってからの美、真実は永遠だよ、と。美はゆらいで、わたしは2つの心が欲しいと言うが、最後の最後には時と悟りの説得に応じ、快楽と手を切る。

というあらすじを読むと、キリスト教のお説教か、と鼻白むかもしれないが、音楽を聴くとリブレッティスタや作曲家の狙いがどこにあるのか、聴き手もまどわされる。なぜかというと、最も技巧的でドラマティックな曲は、第一部の第7曲「平和への敵意が(Un pensiero nemico di pace)」と第二部の最後から2つめのアリア「風に流される雨雲のように(come nembo che fugge col vento)」である。オケも劇的に細かいリズムを刻み躍動するメロディが縦横無尽にかけめぐる。快楽は一時にすぎない、はかないものだというのは、西洋人なら子供のころから聞かされていて耳たこに違いない。絵画でもメメントモリ(死を忘れるな)など同工異曲のテーマはいくらでもある。さはさりながら、快楽の魅力、誘惑は大きいということをこの音楽構成は示している。これがリブレットを書いたパンフィーリ枢機卿の意図だったのか、ヘンデルの創意工夫だったのかはわからない。

この当時のローマの枢機卿たちは、絵画や音楽のパトロンでもあり、芸術に通じているどころの話ではなく、芸術の潮流を動かしている人たちだったと言えよう。

さらに驚くべきはこれを書いたヘンデルは22歳の若さであるのだが、音楽のコントラストや歌詞との関係が巧みで、パンフレットの解説にもあるように、第一部の第10曲で美が Taci ! 静かに と突然言うのも効果的だ。もっとも意外なのは終曲で、オペラ・セリアや形式的にはそれに準じているオラトリオでは、通常、登場人物が全員集まっての合唱で、秩序が回復されたり、もつれた人間関係が解決したりを言祝ぐことが多い。それに対し、このオラトリオでは、縁切りを告げられた快楽の激しいアリアに対し、美が悟りを得たことを示すまことに静かなアリアを歌う。この曲が単にスローな曲では、直前の「風に流される雨雲のように」の激しさにかすんでしまうだろう。ところが実際には、終曲の「選ばれた天国の使者よ Tu del ciel ministro eletto」は、弦楽はきわめてシンプルに一音を奏でるだけで、コンサートマスターだけが歌によりそっていく。このシンプルな構成で、前曲に拮抗する内的な力を持つのは至難なことであるが、若きヘンデルは見事にこれをやってのけている。後のオペラでもヘンデルの場合、テンポの速い曲(激しい曲)とゆっくりした曲(叙情的な曲)のコントラストは常に見事なのだが、それを予見させるおそるべき才能である。

歌手は「美」がスンヘ・イム。癖はなく、相対的に浅い声である。「快楽」のカテリーナ・カスパーは、ソプラノと書かれているがメゾ的な声で、声質の美しさに聞き惚れる。この二人の声のコントラストは効果的である。「快楽」の歌う前述の激しい2曲では、アジリタと息継ぎが苦しそうなところが散見された。「悟り」のポール・フィギエはカウンターテナー(アルト)で、彼の問題か、オケあるいは指揮の問題かは不明だが、曲想からしてテンポがもう少し速いほうがよいと思う曲があった。「時」はトーマス・ウォーカーで彼のイタリア語がもっとも聞き取れた。子音がしっかり出ていたし、歌の表情にも説得力があった。指揮のヤーコプスはゆるい指揮だった。ゆるいというのは、オケを隅々まで細かくコントロールするのではなく、テンポを指示してあとは楽員の自発性にお任せする感じだ。良い点は、楽員がリラックスして自発的に音楽を奏でる点である。時々、音楽的に劇的な表情からしてここはもう少しテンポをあげて欲しいと思うところもあったが、贅沢な悩みというものか。

全体としては、やはり字幕があるのは良いということ。曲自体は聞きなじみがあるのだが、ストーリの展開、このアリアはこういうことを言っているのだと細部まで分かると音楽への理解も深まる。オラトリオ全体に対する評価も変わるというものだ。バロックのオペラ・セリアもオラトリオももっとCDのみならず、DVD,ブルーレイで字幕ありで出てほしいものだと思うが、そもそもディスクというメディアが後退しているので難しいのだろうか。あるいは Youtube なり spotify で正確な日本語字幕が出るようになるという風に進化していくだろうか。

この曲の解釈にかかわることなので記すが、三ヶ尻正氏が『ヘンデルが駆け抜けた時代』に書いていることだが、このオラトリオが書かれたのは1707年のローマであり、スペイン継承戦争(1701−1713)のまっただ中であった。イタリア半島の諸国は最初はフランス側についていた。しかし1703年にピエモンテがオーストリア側に寝返ると、イタリア中に動揺が走る。1706年にオーストリア側はトリノを防衛し、ミラノに入城し、オーストリア側が一気に勢いを増す。その時点で書かれたため、三ヶ尻氏は、美はカトリック教会、快楽はオーストリア、時はスペイン、悟りはフランスを表すと言う。つまり今はオーストリアに勢いがあるけれどそれに誘惑されてはいけないよ、最後にはフランスが勝つよ、というわけだ。そういう政治的メッセージ、プロパガンダを含んでいることはオラトリオにもオペラにもバロック時代にはよくあったことである。リブレットを書いたパンフィーリ枢機卿は親仏派だったのである。

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2025年2月 1日 (土)

ツァグロゼク指揮のシューマンと モーツァルト

ローター・ツァグロゼク指揮の読売日本交響楽団のコンサートを聴いた(東京オペラシティ、コンサートホール)。

曲目は、前半がシューマンの《マンフレッド》序曲と交響曲4番ニ短調で、後半がモーツァルトの交響曲第41番《ジュピター》。

ツァグロゼクはドイツ・オーストリア音楽で定評がある巨匠とのことなのだが、ぼくは初めて聴く。彼のブルックナーは大人気だそうだが、ここ20年ほど、バロックオペラに入れ込んでいて、ロマン派近辺のコンサートや指揮者にうとくなっている。

というわけで、ツァグロゼクに関しては白紙の状態でのぞんだのだが、ぼくにとっては意外な発見であった。《マンフレッド》序曲は、聞き込んだ記憶がなく、しかしながらところどころいかにもシューマンらしい節回しと思われるものが出てくる。ツァグロゼク+読響では、思いのほか、シューマンのオーケストレーションが豊かに響く。交響曲4番は、大昔にCDで聞き込んだ覚えがあるのだが、オケの音はもっと暗く、こんなにリッチな響きではなかった。おそらくモノラルの古い録音のせいもあったろうし、オケの音色もシューマンでは独特の陰影をもった響きをかなでていたのだろう。今日のコンサートでは、より明るくて、内部から充実した響きのオーケストラが聞こえてきた。しかもシューマンらしい屈曲したメロディや鬱屈した思いも伝わってくる。ツァグロゼクの指揮では、クレッシェンドやアッチェレランドが実に内発的かつ自然だ。ひさびさにドイツらしいドイツ音楽を聴いた思いがする。彼の指揮のブルックナーが人気というのも想像がつく。

休憩をはさんで後半のモーツァルトは、読響がピリオド奏法を駆使して、モダン楽器の豊かな響きとピリオド奏法の歯切れのよさを巧みに融合させたスタイリッシュなジュピターであった。特別客演コンサート・マスターの日下紗矢子のフレージングは優雅かつ歯切れがよく、ノンヴィヴラートで、フレーズの切れが良い。彼女がフレーズを奏で、切断するさまがヴァイオリンを奏でる姿と音楽的に一致していて観ていても美しいのだった。読響は、メンバーの中に気持ちよさそうに弾いたり、吹いたりしている人の割合が高く、こちらまでうれしくなる。

知人Kさんの好意に甘えて、ツァグロゼクとほんの数分話を聞かせてもらったのだが、彼は《マンフレッド》序曲がめったに演奏されないが、充実した曲であることと、この曲の革命とのつながり(初演は1848年である)を強調しておられた。めったに演奏されず埋もれてはいるが、もっと認識されて良い曲なのだと言う点に関しては、今回実際に聞いてみて納得がいった。

会場はほぼ埋まっていた。オペラの時と比べると、男女比が男の比率が高いように思った。

 

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2025年1月18日 (土)

『ピランデッロ戯曲集 III』

『ピランデッロ戯曲集 III』斎藤泰弘編訳(水声社)を読んだ。おさめられた作品は、「どうしてそうなったのか分からない」と「山の巨人たち」で晩年の作品と遺作である。

 「どうしてそうなったのか分からない」(1935年)は、これまで日本では紹介されなかった作という。ピランデッロの作品に共通することだが、登場人物たちの関係は、世俗的で、複数の夫婦が出てくるが、配偶者でない異性との間に微妙な感情を抱いている気配があり、しかしそこにある登場人物の狂気が絡んでいる。主人公は、幸せそうな生活を送っていたのだが、自分でも思ってもみない行動を起こし、意識が戻ってその責任をどう負うかで錯乱してしまったのだ。錯乱に、嫉妬が絡み、前衛的な部分はあるのだが、ゴシップ的興味にひきずられながら読むことも十分可能だ。

  「山の巨人たち」は未完の遺作だが、山の巨人たちファシスト政権を示唆するものとなっており風刺的要素が強い。第三幕が未完で、ここでは作者の息子ステファノ・ピランデッロが父から聞いた構想を記したものが記されているが、それとは少し異なるバージョンがジャーナリストのエンリーコ・ローマにより報告されており、それは本書にぬかりなく収められている。さらに、作品中で劇団の人々が一部を演じるオペラのリブレット「取り替えられた子供の話」も訳出されている。解説でもあらすじを含め訳者の解釈が開陳されており、読者は自分の読みを導いてもらえるし、あるいは自分の解釈とつきあわせることが出来る。

 ともすれば難解というイメージで語られることが多いピランデッロだが、この2作を読むと、読み応えはあるが決して難解ではなく、ゴシップ的な関心を持ってぐいぐいと引き込まれる作品でもあることがわかるだろう。

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2025年1月 9日 (木)

『全ての叡智はローマから始まった』

藤谷道夫著『全ての叡智はローマから始まった』(さくら舎)を読んだ。

本書は著者の思いがストレートに詰まった本であると思う。通常の学術書では、客観性を重んじて著者の思いは後景に退いて淡々と記述されることがほとんどである。この本は違う。著者は、古代ローマをどう捉え、ユリウス・カエサルはどこがどう偉大であったのかを雄弁に論じる。さらに後半では、ローマの建築技術や都市設計について、技術の深掘りを丁寧にしていく。

筆者は遅まきながら、カエサルの偉大さに、はじめて心底納得がいった。古代ローマについても共和制の部分から説明がされていて、元老院があるのは独裁をゆるさないという意味で優れたシステムなのだが、やがてそれが堕落し、既得権益を守る集団と化してしまう。政治家が、民衆派と元老院派に別れ、頂点についた側は、敵対する側を徹底的に粛正する。粛正の度合いは、まさに血まみれで恐怖のほかはない。しかし敵を粛正しなかった唯一の政治家がカエサルなのだ。彼の目的は、広大な領土を持つようになったローマが、属州の民をも統合する政治システムを作ることだったのだが、既得権を重視する人間から観れば、それは市民権の安売り、ばらまきと映ったであろう。

筆者は、バロック・オペラで何度もカエサル(チェーザレ)が出てくるのに出会ってきた。ヘンデルの『ジュリオ・チェーザレ』やヴィンチの『カトーネ・イン・ウティカ』、昨夏観たジャコメッリ作曲の『チェーザレ』(ヘンデルとはリブレットが異なる)。いずれの場合も、オペラなので、歴史的事実に脚色が加えられているが、チェーザレが敵を赦す、あるいはだまし討ちを良しとしないのは、一貫している。18世紀のリブレッティスタたちも、聴衆も、そこは理解していたのだろう。

カエサルは、自らを神格化することはなく、「はげの女たらし」などという批判にも甘んじていた。女たらし、の部分は筆者は気になるのだが、元老院議員の多数の妻と関係を持っていたのだが、誰一人カエサルを恨む女性はいなかったというのは驚きだ。その秘密・秘訣についてはほとんど書かれていない。

本書で、古代ローマの長い歴史を通じて書かれているのは、どういう既得権益(元老院議員は大土地所有者となっていく)が形成され、それを破壊してでも新たな統治システムを作ることが必要と考えるカエサルの統治システムに関する知見の先見性である。

以外な方向での発見は、イエスの教えを先取りしていたのが、カエサルの考え方だという点だ。筆者にその当否を判断する能力はないが、言われてみると、そういう観点から見れば、そうなのかもと思ったのだった。

キリスト教ついでに言えば、コンスタンティーヌス帝のようにキリスト教を国教化した皇帝は、教会側からはありがたい偉大な存在なわけだが、ローマ帝国側からみるとどんな体制変化をもたらしたか(ローマをローマらしからぬものにしたと著者は厳しく判定している)を論じている。

さらに、ローマの建築技術についても、ローマのコンクリートの強さの理由や巨大な石の運び出しと現代のクレーン車の比較なども興味深かった。

ローマの、ローマ帝国の理念が軸のように貫かれているので、一つのパースペクティブが開けてくる本である。著者は、こういう説もある、ああいう説もあるという形の叙述ではなく、自身の見解をすぱっと潔く論じているので、爽快である。

 

 

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2024年11月26日 (火)

ドニゼッティ《ピーア・デ・トロメイ》

ドニゼッティ作曲のオペラ《ピーア・デ・トロメイ》を観た(日生劇場、11月24日)。

ピーア・デ・トロメイというのは人名で、トロメイ家のピーアということなのだが、実は、ことはそう単純ではない。

ダンテの煉獄第5歌にピーアという人物(煉獄なのでその魂)が出てくるが、この人は「私はピーアです」とは名乗るのだが、名字は名乗っていない。ダンテが生きた時代に近い古註によれば、シエナのトロメイ家のピアだろうということになっていて、そこではピーアは夫(ネッロ・デイ・パンノッキエスキ)により殺された、理由は夫が別の有力家系の女性と再婚するため、もしくは、ピーアが不貞を働いていたため、あるいはその両方となる。実際、ネッロはマルゲリータ・アルドブランデスキという女性と再婚していることは書面で確認できるのだが、そこには前妻の名前がない。しかも、ネッロの時代には、トロメイ家にはピーアという女性が記録上存在していないのだ。

だからトロメイではなくてマラヴォルティ家のピーアではないか、という説もある。この人はややこしいことにネッロ・デ・パンノッキエスキを代理人としてトッロと結婚した。

19世紀になってこの『神曲』に登場するピーアはバルトロメオ・セスティーニによって物語詩に書かれる(1822)。この時、ギーノという人物がこの時付け加えられた。ネッロの従兄弟でピーアに横恋慕する人物である。彼は、煉獄篇の第6歌に登場している(ギーノ・ディ・タッコ)。しかし名前はギーノだが、ネッロの従兄弟ではない。セスティーニの物語詩においては、ギーノはネッロの友人で、ピーアに拒まれたのを逆恨みし、ピーアと弟があっている場面をネッロにみせピーアが不倫を働いていると思い込ませるという仕組みになっている。

細々とした点がわれわれが観るドニゼッティのオペラのピーアおよびその周辺の人物と異なりつつ重なっているわけである。しかしこういったことはそれを専門とする人間以外は大づかみに把握しておけばよいことだろう。

今回、上演の前に藤原歌劇団総監督折江氏の解説があった。《ピーア》がなじみのない作品ゆえあらすじ紹介に注力するとのことであった。そこでなるほどと思ったのは、トロメイ家とパンノッキエスキ家がそれぞれ教皇派と皇帝派に属しており、《ロメオとジュリエット》のような構造を持つとの指摘だった。それならば、ピーアが弟ロドリーゴと会うことを秘密にしていたのもうなずける。ロドリーゴは敵地に乗り込むことになるので、姉を訪れることが知られては危険なわけだ。先行作の観点からすれば、この教皇派(グエルフィ)と皇帝派(ギベリーニ)の要素を取り込んだのはセスティーニより後に彼の物語詩を踏まえつつ戯曲を書いたカルロ・マレンコだった(1830年代)。

ここまでの複雑な経緯を一層複雑にしているのは、ドニゼッティ、カンマラーノが改作・改版をしていることで、つづめて言えば、オペラ《ピーア・デ・トロメイ》にはヴェネツィア版、セネガリア版、ナポリ版があるのだ(これらの版の相違、製作の経緯については、プログラムで小畑恒夫氏による詳細な紹介がある)。

演奏は、期待以上のものだった。舞台の衣装が敵味方で色わけされているし、衣装自体も豪華とまでは言えないものの中世に想いを飛ばす助けとなるものだった。飯森範親(敬称略、以下同様)の指揮が納得のいくきびきびしたものだった。ともすれば、日本では、ロマンティックな要素があるとその情感を丁寧に描こうとしてテンポがずるずると遅くなっていく傾向が見られるのだが、この日の飯森の指揮ではそんなところはみじんも観られなかった。ピーアが独白するアリアで歌手のテンポに合わせるというようなことはあったが、すぐにレクーペロして、戦いや雄々しい歌詞ではヴェルディの《イル・トロヴァトーレ》を想起させる湧き上がる活力にみちた音楽を聴かせてくれた。《ピーア》と《イル・トロヴァトーレ》は、プロットの要素をひろっていくと類似点がいくつかある。主要な女性(ピーアとレオノーラ)が毒を飲んで死ぬ。女性が横恋慕する男に迫られる(ギーノとルーナ伯爵)。登場人物が二つの陣営に分かれていて戦闘がある、などなど。飯森は、勇ましいところから、3拍子や8分の6などに変わるとギアチェンジして、しかも楽しげな浮き立つ感じが良く出ていて、ドニゼッティ独特の高揚感を味あわせてくれた。

ロドリーゴがメゾ・ソプラノなのは、ドニゼッティの作では稀だと思うが、これはヴェネツィアのフェニーチェ劇場からの要請でメッゾのロジーナ・マッツァレッリに主要な役を与えなければならないという大人の事情があった。歴史をちょっと遡れば、ロッシーニのオペラ・セリアにはヒーロー的な役をメゾ・ソプラノが歌うことは、しばしば観られるわけで、そう驚くことではないのだが、ヴェルディの方向へ下っていくと、ズボン役は《仮面舞踏会》のオスカルのようにお小姓役などであって、軽い声の役になっていくのだが、ロッシーニや《ピーア》でのロドリーゴはヒロイックな強い声を音楽が求めていると言えよう。その点では公演での星由佳子はむしろ女性的な声だった。

ピーア役の伊藤晴は、情感をのせロマンティックに歌い上げるタイプで、子音の発音がより明確になれば一層よかった。男性陣は、かなり発音がよく聴き取れ、熱演であった。思えば、日生劇場が上野の文化会館や新国立劇場とくらべて小ぶりであるのも、良い効果をあげているのかもしれない。この劇場は、バロック・オペラの上演にも向いていると感じた。

バロック・オペラの時代であれば、ロドリーゴのようなヒロイックな役柄は、カストラートが歌う場合もあったし、女性歌手が歌う場合もあり、歌手の性別はその時の劇場の事情により柔軟に変えることができたわけだ。

上演機会のまれなオペラを、これだけのレベルの公演で味わえて、満足であった。聴きごたえのある曲がいくつもある放置しておくには惜しいオペラであると感じたし、上演を実現した方々に感謝したい。

 

 

 

 

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2024年9月11日 (水)

ヴィヴァルディ《オルランド・フリオーソ》その3(演奏評)

今回のバイロイトの辺境伯劇場での公演について。

前々項で記したように、オケはイル・ポモドーロ。今回のメンバーは20数人だった(歌手のソロコンサートなどでは数人の編成であることが多い。それはイル・ポモドーロに限ったことではないが)。

指揮は、フランチェスコ・コルティ。当夜、筆者の席は桟敷の一番低い階(日本風に言えば2階)で最も舞台に近い席だったので、オケおよび指揮と舞台が見通せた。観客席から見て舞台の左端が隠れてしまう。コルティは、オケも歌手もぐいぐい引っ張っていくタイプで、そのためアリアの途中でテンポがダレることは皆無なのだが、アルチーナ(ジュゼッピーナ・ブリデッリ)やアンジェリカ(アリアンナ・ヴェンディテッリ)が男を手玉に取って二股をする場面などでは、多少、テンポに自由があってもと思わないではなかった。

序曲などは衝撃的な速さであったが、これは、オルランドの被る運命の苛烈さを思えば相応しいテンポの選択かもしれないし、イル・ポモドーロだからこのテンポで音楽的に柔軟さを保って演奏できるのだとも思う。

歌手人はカウンタテナー(オルランドのミネンコ、ルッジェーロのティム・ミード)、上記のブリデッリ、ヴェンディテッリ、ブラダマンテのソーニャ・ルニェ、バスのホセ・コカ・ロサに至るまで、アジリタが綺麗で、コルティのテンポでも様式感が崩れないのは立派だった。

タイトル役のミネンコは音域も上から下まで、表出すべき感情も嫉妬、愛情から正気を失う状態までこの上ない広がりをダイナミックに、低声部では地声も混ぜて巧みに表現していた。

アンジェリカのヴェンディテッリおよびティム・ミードも見事なカント・バロッコで素晴らしい。

ヴィヴァルディのオペラが音楽的に充実しているのは第一幕、第二幕でこれは文句なく素晴らしいのだが、第三幕はややレチタティーヴォに頼って相対的に弱い面がある。もしかすると、楽譜の残存状況が第一幕、第二幕とは異なるのだろうか。

演出は舞台装置はかなり簡素で、現代の椅子がいくつか並べられたりする。ただし、衣装がよく出来ていて、人物の識別がしやすかった。衣装は現代服ではないが、かといって18世紀風でもない。第二幕では、メドーロとアンジェリカが木々に自分たちの名前を刻むところでは、文字が舞台に投影されそれが移動するという工夫を見せていた。木に刻んでも、客席からはほぼ見えないので何らかの工夫が必要なところだ。オルランドの狂乱の場は、像を倒したりという場面があるはずなのだが、そこはオルランドは舞台を彷徨う形に変形されていた。

このプロダクションはフェッラーラのテアトロ・コムナーレとモデナのパヴァロッティ劇場との共同制作なので、ひょっとすると劇場の装置で使用可能なものが、辺境伯劇場と前記2劇場では演出の細部は異なっているのかもしれない。そちらは見ていないので何とも言えないが。

ともあれ、ヴィヴァルディの音楽の悦びに満ち溢れた一夜であった。感謝。

 

 

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ヴィヴァルディ《オルランド・フリオーソ》その2(あらすじ)

《オルランド・フリオーソ》は前項で記したように登場人物が多い。

アリオストの原作が大長編の騎士物語(詩の形で書かれている)なので、リブレット作者がどのエピソードを取って、あとは全部捨てるという思い切りが必要となる。ヴィヴァルディの《オルランド・フリオーソ》は、ヘンデルの《アルチーナ》などとは異なり、アリオストの原作の主人公オルランドが登場し、彼の狂気が扱われるので、それがなぜ生じたか、どう解決したかが描かれているので、ストーリの複雑さが増している。

簡単にあらすじを紹介しよう。筆者の場合、フルストーリを細かく最初から説明されるとストーリが逆に頭に入らず、簡易版で幹の部分がわかって後から枝葉を付け加える方が理解しやすい。読者によって、最初からフルストーリが頭に入る方もいらっしゃるとは思うがここは簡易版で。

第一幕

メドーロという若者が難破を逃れてある島にやってくる。メドーロはアンジェリカの恋人なのでアンジェリカは喜ぶが、アンジェリカに恋しているオルランドが嫉妬をあらわにするので、アンジェリカはメドーロは兄弟だと嘘を言う。

魔女アルチーナは、騎士ルッジェーロを気に入り、魔術を使って彼の妻ブラダマンテを忘れさせ、アルチーナを愛するようにさせる。男装してやってきたブラダマンテはルッジェーロの「心変わり」を知る。ルッジェーロは妻を認識できない。

第二幕

森の中。アストルフォはアルチーナを愛しているのに、アルチーナはつれないと嘆く。アルチーナは一人の恋人では満足できないし、それをアストルフォは受け入れるべきだと言う。

ブラダマンテはルッジェーロに指輪を見せると、アルチーナによる愛の呪縛がとけ、ブラダマンテが誰かがわかり、今までの自分の行為を悔いる。ブラダマンテはすぐにはゆるさない。

アンジェリカは、オルランドを追い払うために洞窟に行ってある薬を取ってきてくれと言う。オルランドはそこで魔術にかかる。

アルチーナはメドーロとアンジェリカの結婚を取り計らう。二人は愛を誓う言葉をあちこちの木に刻む。苦労して洞窟から逃れでたオルランドはこの木に刻まれた言葉を読み、アンジェリカに騙されたことを悟る。怒りのあまり彼は正気を失う。鎧兜を脱ぎ捨て、彼は木を抜き始める。

第三幕

ルッジェーロ、ブラダマンテ、アストルフォは、オルランドが死んだものと思っている。彼らはヘカテの神殿の前で、復讐を誓う。神殿の中のメルリンの灰を奪ってアルチーナの魔力を奪おうとするのだ。彼らの会話を盗み聞いていたアルチーナは激怒する。アルチーナは魔力を増そうと思い神殿に入るが、そのすきに三人も入る。アルチーナは男装したブラマンテ(アルダリコ)に惚れている。そこへオルランドが現れるが正気を失ったままで、暴れまくり、結果的にメルリンの像を倒して、アルチーナの魔力を奪う(この場面は演出のため具象的に描かれてはいなかった)。

島は一瞬で荒野へと変わり、アルチーナを取り囲んでいた豪華な建物は全て消え失せる。

オルランドは眠りに落ちる。

アルチーナは醜い姿に変わっているが(今回の演出では特になし)、復讐のためオルランドを殺そうとする。ブラダマンテとルッジェーロが彼を守る。

目が覚めるとオルランドは正気に戻り、アンジェリカへの恋心も解消している。アルチーナは彼らを呪い、去っていく。アンジェリカは騙したことを悔いるが、オルランドは許し、アンジェリカとメドーロを祝福してめでたしめでたし。

原作を読むと、奇想天外なところがいっぱいあって、オルランドがアンジェリカを怪物から救う(西洋絵画にはオルランドやその他の登場人物を絵画化したものが多くある)のだが、アンジェリカはお礼を言うまもなく、他の男のところへ行ってしまうし、オルランドの狂気は、モノとして存在し、そのありかは月なのである。まあ、この辺りは、ヴィヴァルディでは出てこないのであるが。

アリオストの『オルランド・フリオーソ』はイタリアでは、日本で言えば『平家物語』くらい有名で、平家と異なり作者は一人であるが、それを元にいくつものオペラや絵画作品が作られたのである。つまりかつてはヨーロッパ中でよく知られた物語であった。

近代の演奏ではクラウディオ・シモーネが1978年に蘇演したわけで、その功績は実に大きいと思うが、彼はかなりカットや順序の入れ替えをしているので注意が必要である。CDやDVDを聴き比べ、見比べるとすぐに気づく。今から見れば、楽器や奏法が古楽でないことが気になる面もあるものの、マリリン・ホーン、ヴァレンティーナ・テッラーニ、ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスの歌唱は素晴らしい。テンポはやや遅め。

 

 

 

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ヴィヴァルディ《オルランド・フリオーソ》

ヴィヴァルディのオペラ《オルランド・フリオーソ》を観た(辺境伯劇場、バイロイト)。

イタリア語で歌われ、字幕はドイツ語と英語。

指揮はフランチェスコ・コルティでオケはイル・ポモドーロである。演出はマルコ・ベッルッシ。このプロダクションはフェッラーラのテアトロ・コムナーレおよびモデナのテアトロ・パヴァロッティとの共同制作。

配役は、

オルランド・・・ユーリ・ミネンコ

アルチーナ・・・ジュゼッピーナ・ブリデッリ

アンジェリカ・・・アリアンナ・ヴェンディテッリ

ブラダマンテ・・・ソーニャ・ルニェ

ルッジェーロ・・・ティム・ミード

メドーロ・・・キアラ・ブルネッロ

アストルフォ・・・ホセ・コカ・ロサ

合唱・・・アッカデーミア・デル・サント・スピリト合唱団(フェッラーラの合唱団で、名前は1598年に創設されたフェッラーラのアッカデーミアに由来。作曲家のフレスコバルディやレグレンツィもメンバーだった)

ヴィヴァルディとアリオストの『オルランド・フリオーソ』の関係はちょっとややこしいので整理しておこう。

簡単に言えば、ヴィヴァルディのオルランド関係は3作品ある。

1713年11月にジョヴァンニ・アルベルト・リストーリ作曲、グラツィオ・ブラッチョーリ台本で《オルランド・フリオーソ》(RV.anh.74)が初演される。これは純粋なヴィヴァルディ作品ではないが、リストーリの曲に加えて彼の曲が加わっている。彼は劇場支配人としてこの作品を上演したのだ。好評であった。
翌1714年に、ヴィヴァルディはヴェネツィアでのデビュー作として《オルランド・フィント・パッツォ》(RV727)を初演する。これはオルランドものではあるが原作はボイアルドの『恋するオルランド』。しかしこれが大失敗だった(というのが通説で、そうではなかったという異説もある。資料が十分でないため決定的なことが言えないようだ)。

大失敗説を一応採っておくと、そのシーズンの穴埋めをするために、大急ぎで、前年の《オルランド・フリオーソ》を元に彼の曲を加え、台本にも手を入れて彼とリストーリの曲が混在した《オルランド・フリオーソ》を作った。これにはさらにヴィヴァルディの曲が加わっている(RV819ー近年になって作品番号がついた)。

そこから10年以上が経過して1727年にサンタンジェロ劇場のオペラ監督だったヴィヴァルディが作曲したのが《オルランド》(RV.728)である(通常、《オルランド・フリオーソ》と呼ばれるのはアリオストの原作によるものか)。これは以前のリブレットに手が加わり(それが誰かは不明なのだが、ヴィヴァルディ自身ではないかという説もある)、今度はすっかりヴィヴァルディによって作曲された。これが今回バイロイトで上演された《オルランド・フリオーソ》である。ちなみにフリオーソでもフリオーゾでも同じ(どちらの発音も正しい)。

 

 

 

 

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2024年9月10日 (火)

クリストフ・ルセのランチ・コンサート

ルセのランチ・コンサートを聴いた(エルミタージュ、バイロイト)。

バイロイトのはずれに離宮があって、そこでのランチ・コンサート。実はディナー・コンサートもある。

ルセもオペラ、カンタータ、独奏と3日連続でご苦労様である。

この離宮でのランチ・コンサートは毎年開催されている。離宮のカーブした長い回廊(ウィング)で食事をし、その後、礼拝堂に移ってミニコンサートがある。

演奏者は数人のこともあれば、今回のように一人(チェンバロ独奏)のこともある。

ルセのプログラムは、クープラン(1668−1733)、ラモー(1683−1764)、Antoine Forqueray (1672-1745) でフランス・バロックを短い時間だが堪能した。

クープラン、ラモーはともかく、Forqueray は初めてだったが、彼の音楽は二人に比べて、少し優美さ、華麗さを落とし、むしろドイツ的というかオスティナートで押してきたりして異なる味わいがあり、たいへん面白かった。ほぼ同世代で、埋もれた作曲家の中に未来を予見させる要素があったのかもしれない。今、wikiを調べてみると、彼の音楽は激しい表現の衝動から「悪魔のフォルクレ」と言われたという。なるほど。ひたすらにエレガンスを追求するという意図は本人にそもそもなかったということなのだろう。

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2024年9月 9日 (月)

サンドリーヌ・ピオのリサイタル

フランスのソプラノ歌手サンドリーヌ・ピオのリサイタルを聴いた(バイロイト、オルデン教会)。

オルデン教会はバイロイトのややはずれにある。18世紀にはこの裏手に大きな池というか湖が広がっていて、バイロイトの領主は船を浮かべて模擬戦争をやったという。今は埋め立てられてその池・湖はない。

カンタータがメインなのでプログラムを参照しつつカンタータについての整理を。

筆者自身も数年前までカンタータといえばバッハの宗教カンタータが思い浮かぶ状態だったので、それはある意味で極端なパースペクティヴだということが最近は実感できている。

カンタータは大まかにいえば1630年代くらいにイタリアで出てきた。初期のカンタータは、歌の旋律と通奏低音だけが記されている楽譜も多いそうで、貴族の館などで演奏されることが多かった。せいぜいそこに一丁か二丁のヴァイオリンが加わる程度だった。

バッハのようなフルオーケストラのカンタータ(宗教カンタータ)はドイツのプロテスタンティズムに特有の現象なのである。

イタリアでは、貴族の当主やその妻の誕生日や聖名祝日、子供の結婚など、お祝いに際してカンタータを作って祝うというジャンルであった。18世紀に入る頃から、レチタティーヴォとアリアの連なる曲であるという形式が固まってきた。カンタータの生産地としては、ヴェネツィア、フェッラーラ、ボローニャ、ナポリそしてローマが挙げられる。

ローマの名家、オットボーニ、ボルゲーゼ、パンフィリなどは、カリッシミ、チェスティ、ストラデッラ、ヘンデルらにカンタータを書かせてきたのだ。とりわけ、ローマでは、時の教皇がオペラ上演を禁ずることがあったので、世俗カンタータが栄えた。要するに小型のオペラ、ミニチュア版オペラとしてもてはやされたのだ。

1699年シャルル・アンリ・ド・ロレーヌがミラノに入城する。この人ロレーヌ公国の貴族なのだが、スペイン・ハプスブルク家に軍人として仕えていた。1701年にスペイン継承戦争が起こるので、このあたりのヨーロッパの領主は単に世代交代だけでなく、入れ替わりや移動が激しく、またそれに音楽家も間接的な影響を受けていることが多々ある。シャルル・アンリは、音楽家として、ミシェル・ピニョレ・ド・モンテクレールを連れてきた。結論からいえばミシェル・ピニョレはこのミラノ滞在により、イタリア風カンタータの影響を受け、オケにコントラバスを持ち込むことになった。リュリとラモーの間の人である。ただし、1706年にジャン・バティスト・モランのカンタータ集が出版されている。

モンテクレールは1667年生まれで、1686年にパリに出てきた。ミラノ滞在を経て1702年か03年にはパリに戻ったのだが、作曲家としては遅咲きだった。彼の書いたカンタータの一つが当日演奏された《ルクレツィアの死》である。

続いて演奏されたのはコレッリのコンチェルト・グロッソ第一番。

ドメニコ・スカルラッティの 《Tinte a note di sangue》

アレッサンドロ・スカルラッティの4声のソナタ。

ヘンデルの 《Agrippina condotta a morire》

世俗カンタータの本場イタリアを中心にしつつ、フランスのカンタータ(ただし歌詞はイタリア語)、作曲されたのはスペインのD.スカルラッティのカンタータとよく考えられたプログラムである。

オケは、クリストフ・ルセ指揮のレ・タラン・リリック。このオケは2024年はバイロイト・バロック・フェスティヴァルのレジデンス・オーケストラなのである。

サンドリーヌ・ピオの歌唱は文句なく素晴らしかった。ここで演奏されたカンタータはどれも生きる、死ぬ、別れなど激しい主題なのだが、彼女は一声で音楽に緊張感が走るのだ。決して大声をあげるわけではない。ピアノでもフォルテでも必要なテンションが音楽に表出するのだ。しかも情熱的になったときに、様式感が崩れないのが素晴らしい。フレーズのおさまりがきれいなのだ。古楽器の演奏がフレーズをパッと切り上げるのと平仄が合う。迸るパッションとカント・バロッコの様式感は両立するのである。勢いにまかせて歌ってしまうところは皆無であり、アジリタもきれいだった。

アンコールはヘンデルのオペラ《ジュリオ・チェーザレ》から 'Se pieta di me non senti'  ともう一曲(詳細は不明)ヘンデルだった。

ちなみに会場のオルデン教会は、沢山の蝋燭が灯されていて独特の雰囲気だった。蝋燭型の電球ではなく、本物の蝋燭である。2台テレビカメラが入っていたので、後日なんらかの形でネットでも見られるようになるかもしれない。

 

 

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