アレッサンドロ・スカルラッティ作曲オラトリオ《カインまたは最初の殺人》
アレッサンドロ・スカルラッティ作曲のオラトリオ《カインまたは最初の殺人》を聴いた(浦安音楽ホール コンサートホール)。
このホールは初めてだった。JR新浦安駅の駅前で、ビルの5Fでエレベータを降りると入場を待つ人がらせん状の階段に大勢並んでいた。しかし入ってしまえばゆったりと座れた。
主催はエクス・ノーヴォで、実に充実した演奏であった。指揮は、福島康晴(敬称略・以下同様)。第一ヴァイオリンかつコンサート・ミストレス的役割を果たすのが池田梨枝子(前項のIl porta fortuna のモンテヴェルディの演奏会でも彼女がヴァイオリンを担当していた)。演奏の要としてチェロの懸田貴嗣も要所、要所で大活躍。オケの構成は第1ヴァイオリンが2人、第2ヴァイオリンが2人、ヴィオラ1人、チェロ1人、コントラバス1人、テオルボ1人、チェンバロ1人の計9人であり、こういった小規模編成の場合、肝心な箇所での個人の技量は重要性を増す。しかしヴァイオリンの池田もチェロの懸田も、表情といいリズムといい実に適切で音楽的に強い共感を感じた。
素材は聖書のカインとアベルの話で、農業に従事するカインの捧げ物を神は喜ばず、牧畜業に従事するアベルの捧げ物は歓迎される。カインが激しく嫉妬してアベルを殺してしまうというあの話である。三ヶ尻正氏の解説にあるように、オラトリオはもともとは対抗宗教改革の中でフィリッポ・ネーリが創設したオラトリオ会から出てきた。オラトリオ会の信者の集会で前後にラウダと呼ばれる信仰歌が歌われていたのだが、それが複雑化してプロが歌うようになり集会の前と後でストーリーがつながる二部構成の劇音楽が生まれた。こうして17世紀後半には、前後2部構成からなる劇音楽として確立していった。ここにオペラの隆盛が重なる。季節的にオペラが上演できない時期、四旬節に、オペラの代わりにオラトリオが上演されたのである。というわけで、テーマは宗教的な題材である。レチタティーヴォとダ・カーポ・アリアで進行するという音楽的構成はオペラと同じと言ってよい。
アレッサンドロ・スカルラッティは、オペラは120曲以上、オラトリオも38曲書いてそのうち21曲が現存するという。彼の作風を三ヶ尻
氏は「バロック・ヴェリズモ」と呼んでいる。心理描写の深さ、音楽の暗さを考えてのことだろうが、筆者にとっては意外な見立てである。ヴェリズモは自然主義、写実主義が極端に進んでいるわけだが、スカルラッティの扱っている題材は、聖書のエピソードであり、寓意的な要素、牧歌的な要素がリブレットにあり、彼の音楽もそれにそって表情を変化させていく。スカルラッティは、川のせせらぎを描写しても、悪魔の声のレチタティーヴォでも、それにふさわしいと感じられる音楽的表情をこれほどシンプルなオーケストレーションの中で実に見事に描きわける。第一部の後半で悪魔がカインを誘惑し、第二部でカインとアベルが表面的には楽しげな会話のあと、殺人が実行される前後まで、音楽の力に圧倒される。カインの村松、アベルの佐藤、悪魔の藪内、神の新田、アダムの山中、イヴの阿部、それぞれに素晴らしかった。指揮の福島も奇をてらうことなく、スカルラッティの音楽に内在する美点を引き出すことに注力しており、オケはそれに敏感に応えていた。
深い感銘を受ける演奏だった。演出的には最小限で、服装は背広やドレスであるが、神と死後のアベルは二階席というか上方にいて声が降ってくる位置から歌った。字幕が6行単位で、かつ字の大きさが大きいので見やすかった。字幕への入念な配慮のおかげでストーリー展開がきちんと追えると、その時、その時に音楽が表現しようとしているドラマも理解できるし、スカルラッティがその要請にいかに高いレベルで応えているかもわかるのだった。
古楽アンサンブル エクス・ノーヴォの近年の快挙、活躍は、目覚ましいものがある。
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