2026年9月 7日 (月)

二期会《運命の力》

ヴェルディの《運命の力》を観た(初台、新国立劇場)

二期会の公演で配役は

  • カラトラーヴァ侯爵/グァルディアーノ神父:後藤春馬
  • レオノーラ:イ・スンジェ
  • ドン・カルロ:小林啓倫
  • ドン・アルヴァーロ:大原啓楼
  • プレツィオジッラ/クッラ:花房英里子
  • フラ・メリトーネ:室岡大起
  • 村長(Un Alcade):鹿野由之

指揮は八嶋恵里奈で東京フィルハーモニー交響楽団。八嶋(敬称略、以下同様)の指揮は、単にきびきびとしているだけでなく、歌手がたっぷりと歌いところは歌わせ、要所要所でレク—ペロ(テンポを元に戻す)しているのでだれない。また、このオペラは激情がほとばしる瞬間がままある激しいオペラだが、そういう場面ではアッチェレランド(テンポをあげていく)する。これはオーケストラや合唱にとっては、それについていくのが厳しいところもあるかと想像するが、オケも合唱も実に立派に応じていた。演奏者にとっては無理難題の面があるかもしれないが、これはそもそもストーリーが常軌を逸しているので、その激情を表現するにはアッチェレランドが必要、適切である場面がある。そこを果敢に攻めた指揮をしていた若きマエストラを称賛したいし、それに応じたオーケストラ、合唱、そして独唱者たちを褒め称えたい。

 それでこそ、音楽劇として弛緩しない、だれないのである。むろん、テンポの遅めなところでの叙情的な聴かせどころはいくらでもある。そういうところでは、先述の激情的な場面とのコントラストが生きてくる。
 

歌手陣では、まずドン・カルロの小林啓倫がとても安定しており、作品全体を引き締める存在だった。声の充実に加え、ヴェルディらしい力強さと端正さのバランスがよく、今回もっとも印象に残った歌手の一人である。

ドン・アルヴァーロの小原啓楼も概して好演で、役に対する真摯な取り組みが伝わってきた。感情を丁寧に表現しようとするあまり、ところどころテンポがやや緩やかに感じられる場面もあったが、全体としては十分に説得力のある歌唱だった。

レオノーラのイ・スンジェは、比較的明るく軽やかな声質をもつ歌手であり、その美点が生きる箇所も多かった。一方、この役にはかなり劇的な厚みを求められる部分もあるため、強い表現の場面ではやや力んで歌っているように感じられることもあった。もう少し声の自然な持ち味を生かした表現になれば、さらに魅力が増すように思う。また、イタリア語の発音がより明晰になると、言葉の表情がいっそう伝わりやすくなるだろう。

プレツィオジッラも役の華やかさをよく表現しており、舞台に活気を与えていた。

メリトーネもユーモラスな場面を、歌の様式感が崩れないぎりぎりのところで、十二分に表情豊かに歌っていた。

グァルディアーノ神父の後藤春馬は、落ち着いた歌唱で役を堅実にまとめていた。特に個性的なタイプの歌唱ではなかったが、作品の宗教的な場面に安定感を与えていたと思う。

演出は、パウントニーのもので、大きな扉に十字架の形の出入り口と普通の出入り口があるその壁が本の1ページのようになっており、それをめくると別の場面になる。レオノーラが出てくる最初の場面でのベッドが病院のベッドのように見えてしまうのが不思議だったが、あとはそれほど気にならなかった。一つ特徴的なのは、運命の女神を思わせるモック役が度々出てくることだ。運命をこのように可視化するのは一つの手ではあるが、好みは分かれるだろう。

全体としては非常にレベルの高い上演だったと思う。

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2026年8月23日 (日)

1589年フィレンツェの婚礼音楽が、スウェーリンクへ――宮廷教会のオルガン・コンサート

昼、インスブルックの宮廷教会(Hofkirche)でオルガン・コンサート《Sonare organo》を聴いた。

演奏は若いオルガニスト、Josef Laming。

そして楽器は、この教会に残る有名な Ebert-Orgel。ラーフェンスブルクのオルガン製作者 Jörg Ebert が製作し、1561年に完成した歴史的オルガンである。

今回のプログラムは、この古いオルガンそのものを祝うと同時に、16世紀から17世紀初頭にかけての鍵盤音楽を、ドイツ語圏、ネーデルラント、イングランド、イタリア、スペインと、ヨーロッパ各地から集めたものだった。

最初の曲から面白かった。

Jan Pieterszoon Sweelinck(1562–1621)の《Ballo del Granduca》。

スウェーリンクという名前には、個人的に少し懐かしいものがある。

今日演奏された曲とは別だが、昔、グレン・グールドの1959年のザルツブルク・リサイタルのCDを聴いたとき、コンサートの冒頭にスウェーリンクの《Fantasia in D》が置かれていた。シェーンベルク、モーツァルト、そして最後にはバッハの《ゴルトベルク変奏曲》というプログラムなのだが、その最初がスウェーリンクだったのである。

その後、グスタフ・レオンハルトによるスウェーリンクの録音も聴いた記憶がある。

だからスウェーリンクは、私にとって、グールドの現代ピアノで知り、その後レオンハルトらの古楽演奏へと戻っていった作曲家の一人でもある。

そして今回は、インスブルックに残る1561年のオルガンで聴くことになった。

その《Ballo del Granduca》の背景がまた興味深い。

題名だけを見ると、スウェーリンク自身が作った舞曲のように思うが、この曲のもとになった旋律をたどると、1589年のフィレンツェへ行き着く。

この年、トスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチとクリスティーヌ・ド・ロレーヌの結婚を祝って、喜劇《La pellegrina》が上演された。そこで幕間に演奏された大規模なインテルメディオの音楽の一部を担当したのが Emilio de’ Cavalieri である。

スウェーリンクの《Ballo del Granduca》は、そのカヴァリエーリの音楽に由来する。

つまり、

1589年、フィレンツェのメディチ家の婚礼祝典
→ カヴァリエーリ
→ スウェーリンク

という道筋があるのである。

しかも、この旋律を取り上げたのはスウェーリンクだけではない。Kapsberger や Peter Philips など、各地の作曲家によって繰り返し取り上げられたという。

これはとても興味深い。

一つの王家の婚礼のために作られた音楽が、その祝典とともに消えてしまうのではなく、旋律だけが国境を越えて歩き始め、別の作曲家の作品の中で新しい生命を得ていく。

今日さらに調べていて、1616年にはインスブルックにもカヴァリエーリの楽譜があったという記述に出会った。

そうなると、フィレンツェで生まれた音楽が、アムステルダムやロンドンだけでなく、アルプスを越えてインスブルックにも届いていたという、ヨーロッパの音楽のネットワークが見えてくる。

プログラム冊子でも、フェルディナンド2世時代のインスブルック宮廷を、16世紀後半にイタリアの音楽や祝祭文化を積極的に受け入れた宮廷の一例として挙げていた。

この夏、チェスティと17世紀のインスブルック宮廷について調べてきたが、それより何十年も前から、ここにはイタリア音楽を受け入れる土壌があったということになる。

今回のプログラム全体も、そうした「音楽の移動」を感じさせるものだった。

Leonhard Kleber の《Fantasia in re, trium vocum》に続いて、匿名作品と Arnolt Schlick の二つの《Maria zart》が演奏された。

《Maria zart》というのは、15世紀末から16世紀初頭にかけて広く知られていたドイツ語の聖母マリア賛歌である。題名は歌い出しの「Maria zart, von edler Art」、おおよそ「やさしきマリアよ、高貴なる方よ」という意味の言葉から来ている。

この旋律は当時非常に人気があったらしく、さまざまな作曲家が取り上げている。なかでも有名なのが Jacob Obrecht の大規模な《Missa Maria zart》で、同じ賛歌の旋律をもとに巨大なミサ曲を作り上げている。

この日の演奏では、まず Kleber-Tabulatur に収められた作者不詳の四声の《Maria zart》、続いて Arnolt Schlick の《Maria zart》が演奏された。

同じ有名な旋律が、二つの異なる鍵盤作品へと姿を変える。その違いを続けて耳で確かめることができるわけで、このプログラムの考え方をよく示す組み合わせだったと思う。

1521年から1524年にかけて成立した、いわゆる Kleber-Tabulatur は、16世紀初頭のオルガン音楽を知るうえで重要な史料で、Ludwig Senfl、Antoine Brumel、Jacob Obrecht、Heinrich Isaac などの作品をオルガン用に移したものが多数含まれているという。

さらに Paul Hofhaimer によるとされる《Ain frewlich wesen》、Carl Luython の《Fuga suavissima》へと続く。

現在なら「声楽曲」と「オルガン曲」は別のジャンルとして考えがちだが、この時代には、声楽曲を鍵盤に移し、舞曲を鍵盤に移しながら、少しずつ鍵盤楽器独自の語法が育っていったらしい。

William Byrd の《Pavan》《The Galliard Jig》《The Maiden's Song》、Orlando Gibbons の《Prelude》と、イングランドの鍵盤音楽も演奏された。

プログラムの解説によれば、当時のイングランドの教会オルガンは Ebert-Orgel よりも一般に簡素で、大きなミクスチュアを持たず、「sweet sound」を特徴としていたという。いわゆるヴァージナル楽派の音楽も、ヴァージナルだけでなく、小型オルガンやレガールで演奏された可能性があるらしい。

レガール(Regal)というのは、ルネサンスから初期バロックにかけて使われた小型のリード・オルガンである。金属の舌を風で振動させて音を出すため、普通のオルガンとは少し違った、鼻にかかったような独特の響きを持つ。箱型で持ち運べるものも多く、宮廷や家庭での演奏、歌の伴奏などにも用いられた。つまり、当時の鍵盤音楽は、私たちが現在思い浮かべる「チェンバロ曲」「オルガン曲」という区分ほど、特定の楽器に固定されていたわけではなかったのである。

Tielman Susato の《La Danserye》から二つの Basse danse も、もともとは鍵盤楽器のための作品ではない。四つの楽器によるコンソートのための舞曲を、一台の鍵盤楽器へと移したものである。

ここでも「原曲」と「編曲」の境界は、私たちが考えるほど固くない。

Bartolomeo Tromboncino の三つのフロットラも面白かった。

これは Andrea Antico が1517年にローマで出版した《Frottole intabulate da sonare organi, libro primo》からのもの。歌だったフロットラが鍵盤楽器へと移されている。

しかもプログラム解説によれば、この曲集は、今日につながる右手用と左手用の二段の五線譜を用いた、ごく初期の鍵盤音楽印刷物の一つだという。

歌だったものがオルガンの音楽になる。

そして、そうした「移された音楽」を聴いているうちに、やがて鍵盤楽器そのものの語法が生まれてくる。

後半の Antonio de Cabezón の《Tiento del quinto tono》では、まだモテットを思わせる均衡のとれたポリフォニーが中心にある。その一方で、ときおり明らかに鍵盤楽器的なパッセージが現れる。

Christian Erbach の《Canzon noni toni》になると、Andrea Gabrieli や Claudio Merulo などヴェネツィア楽派の影響が強くなってくる。

そして最後が Samuel Scheidt の《Toccata super “In te Domine speravi”》。

Scheidt はスウェーリンクの弟子である。

曲の最初はモテットのような模倣的・対位法的な書法なのだが、しだいに鍵盤楽器ならではの細かな音型が増え、17世紀の新しいヴィルトゥオーゾ的な世界へ入っていく。

考えてみれば、一時間ほどの間に、

声楽曲や舞曲の鍵盤編曲
→ 声楽的なポリフォニー
→ 鍵盤楽器独自の語法
→ 17世紀的なヴィルトゥオジティ

という長い変化を聴いたことになる。

しかも、それを1561年に完成したオルガンで聴いている。

それでも私がいちばん興味を持ったのは、やはり冒頭の《Ballo del Granduca》だった。

最近、王家の婚姻と音楽との関係に関心を持っていることもある。

1589年の《La pellegrina》はメディチ家の婚礼。

この夏インスブルックで聴いたチェスティの《Il pomo d’oro》も、皇帝レオポルト1世とマルガリータ・テレーサの結婚を祝う巨大な祝祭オペラだった。

そしてヘンデルの《Atalanta》も、イギリス王太子フレデリックとオーガスタの結婚を祝うために作られた作品である。

王家の結婚は、単なる私的な慶事ではない。

大規模な祝典が催され、そのために新しい音楽が作られ、新しい舞台芸術が試みられる。いわば、新しい音楽を生み出す巨大な装置でもあった。

さらに《Ballo del Granduca》が教えてくれるのは、そこで生まれた音楽が婚礼の一夜だけで終わるとは限らないということだ。

フィレンツェで鳴った一つの旋律が、スウェーリンクに渡り、Kapsberger に渡り、Peter Philips に渡り、

ヨーロッパの各地で姿を変えていく。

考えてみれば、《Maria zart》にも、よく似たことが起きている。

一つのよく知られた旋律が、オブレヒトのミサになり、鍵盤用のタブラチュアになり、Schlick のオルガン曲になる。

音楽は、作品という完成された箱に閉じ込められていたのではなく、旋律そのものが人から人へ、都市から都市へ、声から楽器へと移動していたのである。

そして、その音楽の旅の途中にはインスブルックもあった。

古いオルガンを聴きながら、思いがけず、ヨーロッパの宮廷や都市を結んでいた音楽のネットワークを考える一時間になった。

 

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2026年8月22日 (土)

めったに出会えないヘンデル《アタランタ》――若い演奏家たちの勢い

ヘンデルの《Atalanta(アタランタ)》を聴いた(インスブルック、Haus der Musik、Kammerspiele)。Kammerspieleというのは地下の小さなホールである。

《Atalanta》は、ヘンデルのオペラのなかでも上演頻度の高い作品ではない。私自身、実演で聴く機会はこれまでなかったので、今回の上演は貴重な機会だった。

1736年、イギリス王太子フレデリックとオーガスタ・オブ・サクス=ゴータの結婚を祝って作曲された作品で、基本的には明るい牧歌劇である。にも関わらず、初演の時も、続く上演でも新婚カップルはこのヘンデルの上演に立ち会わなかったのだという。

オペラに登場するのは二組のカップル。

一組は羊飼いのアミンタとイレーネ。こちらは本物の羊飼いたちである。

もう一組が少々ややこしい。アルカディアの王女アタランタは「アマリッリ」という羊飼い娘に、エトリア王メレアグロは「ティルシ」という羊飼いに、それぞれ身をやつしている。

そして二人は恋に落ちる。

ところが、お互いに相手を本当の羊飼いだと思っているので、高貴な身分の自分が身分の低い相手と結ばれてよいものか、と悩むのである。

見ている方からすると、

「いや、二人とも王族なのだから大丈夫だよ」

と言いたくなるのだが、もちろん本人たちは知らない。このすれ違いに、もう一組のアミンタとイレーネの嫉妬や恋の駆け引きが絡んで話が進んでいく。

大事件が次々に起こるタイプのオペラではない。むしろ、恋をしているのになかなか本心を口にできない若者たちの気持ちを、田園的な世界の中で眺める作品である。

今回、ピットに入ったのは Orchester der Schola Cantorum Basiliensis。若い演奏家を中心としたオーケストラで、今年できたばかりだという。もちろんまだアンサンブルとして磨かれていく余地はあるだろうが、それだけに、これからどう成長していくのか大いに期待したくなるオーケストラだった。

指揮は Andrea Buccarella。

私はこの人の指揮がかなり気に入った。

曲の勘所をよく押さえていて、とくにアリア・ディ・ブラヴーラになると面白い。オーケストラの縦の線を何が何でもきっちり揃えることよりも、多少それを緩めてでも音楽の推進力を優先するタイプの指揮に聞こえた。

そのため、速いアリアになると音楽が急に前へ走り出す。

バロック・オペラでは、細かな音符を整然と並べることに気を取られると、技巧的には立派でも音楽の推進力が減じることがある。Buccarella の場合は逆で、音楽がどこへ向かっているのかをはっきり示し、歌手とオーケストラをそこへ一気に運んでいく。

こちらも自然にその勢いに乗ることができた。

そして今回、とくに印象に残った歌手が、メレアグロを歌った Sarah Hayashi である。

メレアグロはエトリア王なのだが、「ティルシ」という羊飼いに身をやつしている。したがって舞台上では、王でありながら羊飼いとしてアタランタを追いかけることになる。

この役には、派手なアジリタを要求されるアリアが何度も出てくる。

Hayashi は昨年もインスブルックで聴いたが、それと較べると長足の進歩だった。

まず、アジリタがぐんとうまくなった。

速いパッセージを単に音符として処理するのではなく、それが音楽の勢いそのものになっている。そして、それ以上に印象的だったのが、声のダイナミックな振幅に表情がきちんとのるようになっていたことだった。

声を強くしたり弱くしたりする。それだけなら技術の問題である。

しかし今回の Hayashi には、その振幅がそのままメレアグロの感情の動きになっているところがあった。勢いよく前へ出る声、ふっと力を抜く声、その変化に表情が伴っている。

若い歌手が一年ほどの間にこれほど変わるのか、と少し驚いた。

もちろん、まだ完成した歌手というわけではない。むしろ、だからこそ面白い。これからさらにどこまで伸びていくのか、追いかけて聴いてみたくなる若手歌手である。

《Atalanta》そのものも、聴いてみるとなかなか魅力的な作品だった。

有名な《Care selve》のような静かな歌がある一方で、華麗なアジリタを駆使するアリアもある。狩りの場面があり、恋のすれ違いがあり、最後には登場人物たちの正体も明らかになる。

そして最後には、それまでの牧歌的な恋愛喜劇が一転して、作品が作曲された現実の王室結婚を祝う大掛かりな祝祭音楽へと広がっていく。

ヘンデルの有名オペラだけを聴いているとなかなか出会えない、少し変わった作品である。

珍しい作品を、これから伸びていく若い歌手と若いオーケストラで聴く。

演出も、簡素ではあるのだが、上手く舞台奥の壁に映像を投射して、それが夜の森やイノシシの顔になったりするのだった。

音楽的には、licenzaという祝婚オペラでその祝われるカップルに向けての台詞や音楽が最後に出てくるところがあるのだが、案外ここが長いので驚いた。以前にコルセッリ作曲の《シーロのアキッレ》を聴いた時の何倍もあった。

インスブルック古楽音楽祭の Barockoper という企画には、完成された名演を聴くのとはまた違った楽しさがある。若手の挑戦を聴く上演なのだ。

今回の《Atalanta》は、そのことをよく感じさせる公演だった。

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若い古楽アンサンブル colorparte を聴く――恋と孤独をめぐる小さな音楽劇

昼のランチ・コンサートで、Ensemble colorparte を聴いた(インスブルック、王宮庭園の東屋)。

この夏、何度か足を運んでいる Hofgarten の Pavillon で行われる無料のコンサートである。今回出演した colorparte は、ウィーンを中心に活動する若い古楽アンサンブル。ソプラノの Katharina Wegscheider、バロック・チェロの Hannah Pichler、チェンバロの Daniel Freistetter を中心とするグループで、17、18世紀の声楽作品を得意としている。

プログラムは次のようなものだった。

ヴィヴァルディのカンタータ《Amor hai vinto》RV 651、ヘンデルの《Armida abbandonata》から《Ah, crudele!》、バルバラ・ストロッツィの《L'amante segreto》、サルヴァトーレ・ランゼッティのチェロ・ソナタ、再びヘンデルの《Aminta e Fillide》から《Forse che un giorno》、ヨハン・フィリップ・クリーガーの《Procris》から《An die Einsamkeit》、バッハの世俗カンタータ BWV 201 から《Patron, das macht der Wind!》、カプスベルガーの《Ninna Nanna》、そして最後がヨハン・ヨーゼフ・フックスの《Orfeo ed Euridice》からエウリディーチェのアリア《Rondinella》。

こうして作曲家を並べてみると、ヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハという有名どころだけでなく、ストロッツィ、ランゼッティ、クリーガー、カプスベルガー、フックスが入っている。いわゆる「バロック名曲集」とはかなり違う。

そして実際に曲目を眺め直してみると、プログラムには一つの筋が通っているように思える。

最初のヴィヴァルディ《Amor hai vinto》は、題名からして「愛よ、お前の勝ちだ」。人間が愛に屈服する歌である。

続くヘンデルの《Ah, crudele!》では、アルミーダが自分を捨てて去ろうとする恋人に「ああ、つれない人」と訴える。

さらにストロッツィの《L'amante segreto(秘密の恋人)》では、今度は愛していることそのものを口にできない。

つまり、

愛に負ける。
捨てられる。
愛しているのに言えない。

最初の三曲だけでも、ちょっとした恋愛劇になっているのである。

ここにランゼッティのチェロ・ソナタが挟まるのも面白い。しかも一曲をまとめて演奏するのではなく、まず Adagio、しばらく声楽曲を挟んでから Allegro を演奏する。歌の合間に器楽曲を置くというより、歌手が言葉で語っていた感情を、今度はチェロが言葉なしに受け継いでいるようにも聞こえる構成である。この日のアンサンブルでは特にチェロが曲想の表情を雄弁に伝えるところがしばしばあった。わたしは、チェロの積極的なアンサンブルが好きである。

なかでも、今日の夜にヘンデルのオペラ《Atalanta》を聴くことを考えると、《Aminta e Fillide》が入っていたのが面白かった。

これはヘンデルの若いローマ時代の作品で、羊飼いアミンタとフィッリデの恋を扱った牧歌的カンタータである。

《Atalanta》もまた、王や王女が羊飼いに身をやつし、田園世界の中で恋をする作品である。しかも《Atalanta》にもアミンタという名の羊飼いが登場する。

もちろん二つの作品は同じ物語ではない。しかし、若いヘンデルがイタリアで身につけた「羊飼いの世界を舞台に、人間の恋の駆け引きを描く」という趣向が、何十年も後の《Atalanta》にも続いていることが感じられる。昼に《Aminta e Fillide》を聴き、夜に《Atalanta》を聴くというのは、思いがけずよい組み合わせになった。

ヨハン・フィリップ・クリーガーの《An die Einsamkeit(孤独に寄せて)》が入っているのも、このアンサンブルらしい選曲なのだろう。

ここではイタリア語の世界からドイツ語へ移る。ヘンデルやヴィヴァルディだけを聴いていると、「バロック音楽」というものがイタリア音楽を中心にできているような錯覚を起こすことがあるが、実際には同じ時代にドイツ語圏にも独自の声楽文化があった。当然のことながら、こういうプログラムを聴くとそのことをあらためて思い出させられる。

そのあとバッハでは少し雰囲気が変わる。《Geschwinde, ihr wirbelnden Winde》BWV 201 は、アポロとパンの音楽競争を題材とした世俗カンタータで、《Patron, das macht der Wind!》にはかなりコミカルな味がある。歌手もうまくコミカルな味わいを出していた。

それまで恋だ、失恋だ、孤独だと続いていたところへ、突然少し風通しのよい?音楽が入ってくる。

そしてカプスベルガーの《Ninna Nanna》。

ここではさらに時代を遡り、17世紀初頭の音楽になる。ヘンデルやヴィヴァルディの完成されたダ・カーポ・アリアを聴いたあとだけに、言葉の反復と単純な旋律から音楽が立ち上がってくるようなこの作品は、ずいぶん違った世界に感じられる。歌手も歩いてチェロの隣に座って歌っていた。

最後はフックスの《Orfeo ed Euridice》から《Rondinella》。

フックスといえば、どうしても対位法の教科書《Gradus ad Parnassum》を書いた理論家というイメージが先に立つが、もちろんウィーン宮廷を代表するオペラ作曲家でもあった。この曲も格調が高かった。

ここでエウリディーチェは、自分を燕や流れる水に重ね合わせる。

最初のヴィヴァルディでは「愛に負けた」と歌っていたのに、最後には小鳥が飛び、水が流れていく。

そう考えると、この一時間ほどのプログラムは、単に17、18世紀の珍しい声楽曲を集めたものではなく、恋、失恋、孤独、諧謔、眠り、そして解放へと、少しずつ感情の色を変えていく小さな音楽劇だったのかもしれない。

colorparte という名前には「色」という言葉が見える。

その名の通り、一つ一つの曲は小さいけれど、並べ方によってさまざまな「色」を見せていく。

こういう若いアンサンブルに出会えるのも、インスブルック古楽音楽祭のランチ・コンサートの楽しみの一つである。

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2026年8月21日 (金)

四人のクラヴサン曲を、一つの音楽にしてしまう——ジャン・ロンドー《Encore》

昨日はジャン・ロンドーのチェンバロ独奏《Encore》を聴いた(インスブルック、ハウス・デア・ムジーク)。

プログラムに並んでいたのは、ラモー、ルイ・クープラン、フランソワ・クープラン、ロワイエ。いずれもフランスのクラヴサン音楽である。ここではチェンバロというより、フランス語で clavecin(クラヴサン)と呼びたくなる。

面白かったのは、その四人の曲を「次はクープラン、次はラモー」と区切って弾かなかったことだ。

ある曲が終わったのか、まだ続いているのか分からない。前の曲の最後の響きが残っているうちに次の曲が始まり、いつの間にか別の作曲家の世界へ移っている。聴いている方も、一曲ごとに拍手をするきっかけを失う。

しかし、それが実に心地よかった。

ロンドーは四人の作曲家の作品を、別々の作品を並べた「名曲集」としてではなく、あたかも一つの長い作品のように聴かせようとしていたのではないか。

それは曲と曲との間だけではなかった。

同じ旋律やフレーズが繰り返されるときにも、前の響きが完全に消えてから次を始めるのではなく、まだ残っている響きの上に次の音を重ねていく。すると、同じフレーズがもう一度繰り返されているはずなのに、まったく同じには聞こえない。

前の音がかすかな影のように残り、その上に新しい音が重なる。

その一瞬の重なりによって和声がにじみ、響きの色が変わる。いわば、前の音の記憶をまとって次の旋律が現れるのである。

これが何とも気持ちよい。

科学的にどうなのかは知らないが、聴いているうちに、こちらの脳からアルファ波でも出ているのではないかと思うほど、意識がゆるやかにほどけていく。眠くなるというのとも違う。むしろ音には集中しているのだが、時間の輪郭だけが少しずつ曖昧になっていく感じである。

考えてみれば、これは曲と曲のつなぎ方と同じなのだろう。

一つのフレーズでも、一つの曲でも、前のものを完全に終わらせてから次へ進むのではない。前のものがまだ消え切らないうちに次のものが始まる。

そのため音楽全体が、記憶を少しずつ引きずりながら前へ進んでいく。

ルイ・クープランの内省的な世界があり、ラモーでは音楽がより身体的になり、フランソワ・クープランの繊細さがあり、ロワイエになると、ときにはチェンバロ一台とは思えないほど劇的になる。

もちろん四人の個性は違う。

しかしロンドーは、その違いを際立たせるよりも、むしろ境界を溶かしてしまう。

そうして聴いているうちに、作曲者が誰であるかよりも、17世紀から18世紀にかけてのフランスのクラヴサンという一つの巨大な音の世界を旅しているような気分になってくる。

チェンバロは、ピアノのように鍵盤を打つ強さによって大きく強弱を変えられる楽器ではない。音を出したあとにクレッシェンドすることもできない。

それなのにロンドーの演奏では、音が遠ざかったり近づいたりする。ささやきのような響きがあったかと思えば、オペラの舞台を思わせるような華麗な響きになる。

その秘密の一つが、もしかすると、音を「どう出すか」だけではなく、音をどのくらい残し、その残響の中へ次の音をどう入れていくかにあるのかもしれない。

聴き終えてみると、「ラモーを聴いた」「クープランを聴いた」というより、

一時間半ほど、途切れることのない一つの音の中にいた

という感じが残った。

そして、チェンバロという楽器は、こんなにも人の時間感覚を変えてしまう楽器だったのか、と少し驚いた。

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カルダーラのオラトリオ《ジョゼッフォ》

カルダーラのオラトリオ《ジョゼッフォ》を聴いた(インスブルック、ヴィルテン修道院)。

例によって街の外れの壮麗な修道院付属教会である。

正式な曲名は、アントニオ・カルダーラのオラトリオ《Gioseffo che interpreta i sogni(夢を解くヨセフ)》である。

題名の「Gioseffo」は旧約聖書『創世記』に登場するヨセフのことである。ヤコブの息子で、兄たちの嫉妬によってエジプトへ売られ、やがて牢獄に入れられる。しかし、夢を解釈する特別な能力によって運命を切り開き、最後にはファラオの側近にまで上り詰める。

このオラトリオが扱っているのは、その物語の中でも、とりわけ「夢の解釈」をめぐる部分である。

牢獄のヨセフ

第1部の舞台は牢獄である。

ヨセフと同じ牢に、ファラオに仕えていた二人の人物が入れられている。

一人は献酌官(Coppiere)、もう一人はパン職人長(Panattiere)である。二人はそれぞれ不思議な夢を見て、その意味をヨセフに尋ねる。

ヨセフは献酌官の夢について、三日後に元の職へ復帰すると予言する。一方、パン職人長については、三日後に処刑されると告げる。

そして、その予言はそのまま実現する。

ヨセフは釈放される献酌官に、自分のことをファラオに話してほしいと頼む。しかし献酌官は、自由になるとヨセフのことを忘れてしまう。

聖書では比較的簡潔に語られる場面だが、オラトリオになると、牢獄に置かれたヨセフの孤独や内省が大きく膨らまされている。ヨセフは単なる「夢占いのできる人物」ではなく、苦難の中にあっても神の摂理を信じ続ける人物として描かれるのである。

ファラオの夢

第2部になると、今度はファラオ自身が奇妙な夢を見る。

よく知られた、

七頭の肥えた牛が、七頭の痩せた牛に食べられる夢、

そして、

七つの豊かな穂が、七つの痩せた穂に呑み込まれる夢、

である。

誰もその意味を説明することができない。

ここで、かつて牢獄にいた献酌官がようやくヨセフの存在を思い出す。

ヨセフはファラオの前に呼び出され、夢の意味を、

「七年間の大豊作の後に、七年間の飢饉が訪れる」

と解釈する。

さらに、豊作の間に穀物を蓄えておくよう進言する。

この知恵に感服したファラオは、ヨセフを高い地位に取り立てる。

つまり、この作品の劇的な核は、

牢獄の囚人 → 夢の解釈者 → 王に認められた賢者

という大きな逆転にある。

1726年、ウィーン宮廷のオラトリオ

この作品は1726年、ウィーンのハプスブルク宮廷で演奏された。

カルダーラは当時、皇帝カール6世の宮廷で副楽長を務めていた。

カール6世は音楽に非常に造詣が深く、とりわけ対位法を好んだ君主として知られる。カルダーラは、イタリア的な美しい旋律と、ウィーン宮廷が好んだ厳格な対位法の双方を高い水準で組み合わせることのできる作曲家であった。

《夢を解くヨセフ》は、1726年3月28日、四旬節の時期にウィーン宮廷礼拝堂で演奏された。

したがって、これはオペラのような世俗的娯楽作品ではない。

たとえばチェスティの《黄金の林檎》が皇帝レオポルト1世の結婚を祝う巨大な祝祭オペラであったのに対し、《夢を解くヨセフ》は、宮廷の宗教生活と密接に結びついた作品なのである。

なぜ「ヨセフ」だったのか

ヨセフ物語は、宮廷で演奏される宗教作品の題材としても興味深い。

ヨセフは、最初は不当に苦しめられる。しかし最終的にはその知恵と徳が君主によって認められ、国を救う人物となる。

そこには、

苦難に耐える正しい人間が、最後には君主によって認められる

という物語がある。

これは君主制社会の宮廷で上演するには、非常に意味深い題材だったはずである。

実際、18世紀前半のウィーン宮廷ではヨセフを扱った宗教劇が繰り返し作られている。

カルダーラ自身も1722年に、アポストロ・ゼーノの台本による別の《Giuseppe》を作曲している。その後、1733年にはポルジーレが、メタスタージオの《Giuseppe riconosciuto》を作曲する。

ヨセフは、当時のハプスブルク宮廷にとってかなり重要な宗教的・政治的象徴だったのかもしれない。

30年以上前の台本

さらに面白いのは、この《Gioseffo che interpreta i sogni》の台本が、1726年にカルダーラのために新しく書かれたものではないことである。

台本作者はジョヴァンニ・バッティスタ・ネーリ。

この台本は少なくとも1692年にはすでにモデナで使われており、その時にはベネデット・ヴィナチェージが作曲していた。

つまりカルダーラは、30年以上前にイタリアで使われたオラトリオ台本を、改めてウィーン宮廷のために作曲したことになる。

17世紀末のイタリアのオラトリオ文化が、18世紀のハプスブルク宮廷にどのように受け継がれていたかを考える上でも興味深い。

音楽――声だけではない面白さ

音楽を聴いていて印象的なのは、単に

レチタティーヴォ

ダ・カーポ・アリア

という繰り返しだけではないことである。

対位法的な書法がかなり目立つし、オーケストラの音色も多彩である。

特に珍しいのが、シャリュモーやプサルテリウムといった楽器の使用である。

シャリュモーはクラリネットの祖先にあたる楽器で、柔らかく少しくぐもった音色を持つ。一方、サルテリオは弦を張った楽器で、独特の透明感を持っている。サルテリオの音を聴いて、昨年この音楽祭で聴いたヴィヴァルディのオペラ《ジュスティーノ》を思い出した。あの作品でも、第2幕末のジュスティーノのアリア《Ho nel petto un cor sì forte》で、サルテリオが独奏楽器として印象的に用いられていた。奇しくも《ジュスティーノ》は1724年、《夢を解くヨセフ》は1726年。ほぼ同時期のイタリア系オペラとウィーン宮廷オラトリオに、この珍しい楽器が現れることになる。

こうした音色の使い分けも、この作品を単なる宗教的な物語以上のものにしている。

また合唱の役割も大きい。

最後にはヨセフをキリストの「予型」として解釈する方向へ進んでいく。

つまり、

ヨセフの苦難

無実の人間の受難

救済

多くの人々を飢餓から救う

という物語が、

キリストの受難と救済

へと重ね合わされているのである。

旧約聖書の人物を、後に現れるキリストの姿を先取りする存在として読む。これはキリスト教の伝統的な「予型論」の考え方である。

約300年後の復活

この作品は長い間ほとんど忘れられていた。

近年になって再び楽譜が研究され、2024年にはアレッサンドロ・デ・マルキの指揮によって全曲が蘇演された。その成果は録音にもつながっている。歌手もその時と同じで、ジョセッフォ(ヨセフ)がマルゲリータ・マリア・サーラ、エジプトのファラオーネ(ファラオ)がルイジ・デ・ドナート。セデーチャがアリアンナ・ヴェンディテッリ。献酌官がエレオノーラ・ベロッチ。パン職人長がロッリエ・ガルシア。テスト(語り手)がマルコ・ボルジョーニ。サーラとデ・ドナート、ボルジョーニの歌唱は、カルダーラ特有のフレーズが伸びたときに不思議な旋回をみせるメロディの歌いにくさをものともせず、音楽世界にわれわれを惹きつけた。

今回インスブルックで聴いた公演も、その再発見の流れの中にある。

つまり、われわれが今聴いているのは、バロック時代には確かに存在したものの、その後約300年にわたってほとんど演奏されなくなっていた音楽なのである。

こういう作品を実際の演奏として聴くことができるのは、インスブルック古楽音楽祭ならではの楽しみの一つだろう。

そして今回チェスティと17世紀インスブルック宮廷を調べている自分にとっては、別の意味でも興味深かった。

チェスティの時代から約70年後、ハプスブルク宮廷と音楽家との関係はどう変わっていたのか。

チェスティとフェルディナント・カール、そしてカルダーラとカール6世。

作品そのものを楽しむ一方で、その背後にある「宮廷と音楽家」という関係まで考えてみると、この《夢を解くヨセフ》はさらに面白く聞こえてくるのである。

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2026年8月20日 (木)

Un giro d'Italia という名の音楽会

giro d'Italia と言えば、トゥール・ドゥ・フランスとならぶ、自転車レースが思い浮かぶが、これはれっきとした音楽会である(インスブルック、アンブラス城、スペインの間)。

ここでいうイタリア周遊は、チャールズ・バーニーの旅路を意味しているのだ。コンサート前に指揮者兼チェンバロのキアラ・カッターニ(敬称略以下同様)が語ったところによると、今年がインスブルック古楽音楽祭50周年なので、コンサート自体も何かの記念になるようにしたかったとのこと。チャールズ・バーニーは今年生誕300年なのだそうだ。チャールズ・バーニーは1770年代にヨーロッパ諸国をめぐり、行った先で、作曲家にあったり、コンサートやオペラを観たりして、それを旅行記のように何冊もの本として記録にとどめた人である(日本語訳もある)。

当夜のコンサートはその中でイタリアの諸都市とそれにちなんだ音楽を紹介するという形のプログラムだった。音楽は、pre-classical とか early classical と呼ばれる時代で、バロックからウィーン古典派への移行期、さまざまな作曲家がさまざまな試行錯誤をしていた時期で、今回まとまって聴いてみると、実に豊かな音楽世界が広がっていて、それはいまだ十分に古楽の世界でも、いわゆるクラシックの世界でも復権を遂げていないことがわかる。

最初に取り上げられたのは、トリノ。作曲家はガエターノ・プニャーニ(1731−1798)。シンフォニーが演奏されたが、作曲家も筆者には初めてで新鮮な響きだった。
次はナポリ(1)でニッコロ・ヨンメッリ(1714−1774)。オペラ《デモフォオンテ》から 'Sperai vicino il lido' をこの日の独唱者アリアンナ・ヴェンディテッリが歌った。
そしてボローニャ(1)で、マルティーニ神父のチェンバロとホルンのためのコンチェルト。マルティーニ神父は名前は有名だが、彼の作曲したものを聴く機会は初めてかもしれない。他の同時代の作曲家に比して、極めてドライで、感情移入を誘われない。ところどころに一風変わったフレーズがあったりはするのだが、良くも悪くもセッコなのである。淡々としたハイドンの曲を思わせなくもない。
ヴェネツィア(1)のバルダッサーレ・ガルッピ(1706−1785)。オペラ《Amor lunatico》から 'Quante cosette belle'.
ナポリ(2)はジョヴァンニ・パイジェッロ(1740−1816)で《Le trame per amore》から 'Soffro per or quel duolo'
ここで休憩になったが、ここまでのところでも、耳に馴染んでいる曲は一つもなかったが、それぞれ実に異なる魅力を発揮していて、これが埋もれた状態なのは実にもったいないという気がした。
ミラノはヨハン・クリスティアン・バッハ(1735−1782)のシンフォニー。これはこの日一番暗い情熱をたたえた曲で、調べてみると疾風怒濤期に書かれたものだった。
ヴェネツィア・ボローニャ(2)ヨハン・アドルフ・ハッセ(1699-1783)の《アルタセルセ》から 'Per questo dolce amplesso'と'Parto, qual pastorella' およびW.A.モーツァルト(1756-1791)のディヴェルティメント。
最後はナポリ(2)ニッコロ・ピッチンニ(1728−1800)の《Gelosia per gelosia》から 'Numi, perche quel giorno' と'Qual parlare e mai questo!...Ah, se morir degg'io'
鳴り止まぬ拍手にこたえて、アンコールの1曲目はグルックのオペラ・セリアからのアリア。
2曲目は、ヴィヴァルディの《勝利のユーディト》からバガオスが歌う復讐の歌。これは2年前に全曲が上演された。
そしてもう1曲ヴィヴァルディの《ウティカのカトーネ》からスローなアリアでこの夕べを締めくくった。
アンコールはともかく、プログラムの本体は、バロックから次の時代にかけての、多様な可能性を探りつつあった豊穣さを垣間見せてくれた。これらの作曲家のオペラ全体をぜひ観てみたいと思った。

 

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2026年8月19日 (水)

ビュッフェ方式のような音楽会

不思議な音楽会を聴いた、というか経験した(インスブルック、州立劇場)。

場所は、いつもオペラを上演する劇場である。ここでヨーデルを歌うグループと、ナポリの民謡(いわゆるカンツォーネではない)を歌うグループと古楽を演奏するグループが交互に出てくる。ヨーデルを聴いたかと思うと、レオナルド・ヴィンチがあり、ナポリの民謡を聴いたかと思うと、ペルゴレージの歌を聴くと言った具合だ。
ヨーデルと古楽は、マイクは使用しない。ナポリの民謡を歌う人はマイクあり。マイクなしのカウンターテナーのバルドッチとマイクありの歌手が一緒に歌うと違和感があった。しかもナポリの民謡を歌うおじさんが声を張り上げること。

ヨーデルを歌う人たちは全員が歌も歌うが、曲によって、ヴァイオリンやチェロ、コントラバス、アコーディオン、ギター、ハープを奏でるのだった。しかも一人の人が複数の楽器を曲によって弾き分ける。
バルドッチは、ヴィンチやペルゴレージがぴたっと決まっているのはもちろんだが、ナポリ民謡を歌うときに、一層、ノリが良く、ステップを踏んだり、跳ねたり、身振りをまじえながら、リズミカルに生き生きとした表現で、聴衆の喝采を浴びていた。意外なほど本人も楽しそうに歌っている。これらの歌に、時にチロルの民俗衣装をきた6人の男女がチロルの踊りを踊ったり、ナポリの民謡のときは一人の女性がイタリア南部の踊りを踊るのだった。
楽器もヨーデルの人たちの上述の楽器のほかに、古楽器があり、さらに中世というか民謡のためのさまざまな打楽器があるのだった。
会場の人々は熱い思いを共有して聴いていた。チロルが心に訴えかけているのか、ナポリもよかったのか、その両方なのかはわからないが。

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2026年8月15日 (土)

王宮公園の「青い時間」――中世の夜から暁へ

再再度、東屋コンサート(インスブルック、王宮庭園)。

これは前項と同日ながら、夜9時半からのコンサート。夏時間とはいえ、さすがに真っ暗で、足下に設置された灯りを頼りに、公園の入り口から東屋までを探るように歩く。

このコンサートは1300年代や1400年代の音楽を紹介するもので、楽器自体がリコーダーの仲間を除けば、普段、古楽の音楽会でも見かけぬものばかりだった。音楽祭の公式プログラムでも、リコーダー、Doppelflöte、ハープ、Douçaine、Drehleier、Organetto、Dulcimer、Salterio、歌、打楽器という、なんとも珍しい編成が並んでいる。(altemusik.at)

笛で珍しいのは Doppelflöte(ドッペルフレーテ、二重フルート)

二本の管を一本の奏者が同時に吹く楽器で、この日使われた中世型のものは、二本のリコーダーを横に並べて一体化したような姿をしている。奏者は一つの口で二本に同時に息を送り、左右の管を別々に指で操作する。したがって一人で二声を鳴らすことができる。Anne-Suse Enßle が実際に演奏している復元楽器では、左右それぞれの管に指孔があり、片方だけを単なる持続音にするのではなく、二本とも旋律的に動かすことができる。(flute-a-bec.com)

もう一つ目を引くのが Drehleier(ドレーライアー)、英語でいうハーディ・ガーディ。

これは弓で弦を擦るかわりに、横についたハンドルをくるくる回す。すると内部の木製の円盤が弦を擦り続ける仕組みになっている。さらに一定の音を持続させるドローン弦があるため、「ブーン」という低い音の上に旋律が乗る。いかにも中世らしい、少しざらついた独特の響きがする。

Organetto(オルガネット) は小さな携帯オルガン。

膝の上に載せられるほどの大きさで、片手でふいごを動かしながら、もう一方の手で鍵盤を弾く。中世や初期ルネサンスの絵画で、天使が抱えている小さなオルガンを見たことがある人もいるかもしれない。まさにあれである。

Dulcimer(ダルシマー) は、箱に何本もの弦を張り、小さな撥で叩いて音を出す楽器。遠い意味ではピアノの祖先の一つともいえる。細かな音がキラキラと飛び散るように響く。

一方、Salterio(サルテリオ) も箱型の多弦楽器だが、こちらは指や撥で弦をはじく。もっとも、中世の楽器名は現代のようにきっちり分類されているわけではないので、ダルシマーとサルテリオの境界もそれほど単純ではない。

そして Douçaine(ドゥセーヌ)

これはダブルリードの管楽器で、ショームの仲間と考えればよい。ただしショームのような強烈な音ではなく、名前の通り、より柔らかな音を出す楽器である。

こうした楽器を二人の奏者が次々に持ち替えていく。

Anne-Suse Enßle がリコーダー、二重フルート、ハープ、ドゥセーヌ。Philipp Lamprecht がハーディ・ガーディ、オルガネット、ダルシマー、サルテリオ、歌、打楽器を担当する。

たった二人なのだが、目の前に現れる音色は驚くほど多彩である。(altemusik.at)

コンサートのタイトルは 《Die blaue Stunde》――「青い時間」

「青い時間」とは、日が沈んでから完全な夜になるまでの、空が深い青色に染まる時間のことだが、プログラム全体にはさらに 《Nox et alba》――「夜と暁」 という題がつけられていた。

つまり、夕暮れの青い時間から始まり、夜が深まり、最後には朝の光が訪れるまでを音楽でたどっていく。

中心になるのは、中世の Alba(アルバ)、ドイツ語で Tagelied(夜明けの歌) と呼ばれる歌である。

一夜をともに過ごした恋人たち。

しかし朝が近づいてくる。

朝が来れば、二人は別れなければならない。

私たちには「夜明け」は希望や新しい始まりの象徴に思えるけれども、この種の恋愛歌ではむしろ逆である。夜こそ恋人たちが一緒にいられる時間で、朝の光はその幸福な時間の終わりを告げる。

このあたりが、いかにも中世らしくて面白いし、日本の後朝の別れを想起させる。

演奏されたのは、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ、ジラウト・デ・ボルネーユ、オズヴァルト・フォン・ヴォルケンシュタイン、それに「ザルツブルクの修道士(Mönch von Salzburg)」と呼ばれる作者などの作品。

中世の音楽だからといって、すべてが荘重で静かなわけではない。

ハーディ・ガーディや打楽器が鳴れば、かなり土臭く、踊りたくなるような音楽にもなる。一方で、リコーダーやハープだけになると、一転して夜の空気の中に音が吸い込まれていくような静けさが生まれる。

プログラムの最後には、ザルツブルクの修道士による《Gar leis in senfter weis》が置かれていた。

これも夜明けの歌で、愛する女性をやさしく目覚めさせる歌である。公式の解説によれば、この曲で、長い夜をたどってきたプログラムに最初の朝の光が差す、という仕掛けになっている。(altemusik.at)

昼の1時には、まったく同じ東屋で、18世紀ドイツのリコーダー・ソナタを聴いた。

それから八時間半。

今度は真っ暗な公園の中で、ハーディ・ガーディや小さなオルガン、二重フルートを聴きながら、さらに三百年、四百年も昔へと遡っていく。

同じ場所なのに、昼とはまるで別世界であった。

こういう音楽は、立派なコンサートホールの中で聴くよりも、暗い木立に囲まれた東屋で聴くほうが、ずっと似合っているような気がした。



 

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東屋のコンサート(2)

再び王宮公園の東屋のコンサートへ。
もちろん、演奏団体も異なるし、曲目も、以前のとは異なる。

13時からのコンサートは無料で市民に開かれているのだが、ぎりぎりに行ったら、空席がなく、一時間立ち見(立ち聴き)とあいなった。ちょいと疲れた。しかし立ち見の人は結構いて、座席は満席だったのだからめでたい。観客は老若男女とりまぜているが、ややシニア層が多い。

演奏団体は Acanthus Baroque. 2021年設立とのこと。フラウト(縦笛)がMagdalena Spielman. ヴァイオリンが Christophe Mouralt. チェロが Szczepan Dembinski. チェンバロがSobin Jo.

曲目は、
Johann Jakob Kress:《6つのソナタ》より ソナタ第5番 ト長調
  Siciliana – Allegro – Sarabande – Gigue
作者不詳:《トリオ・ソナタ ヘ長調》
  Adagio – Vivace – Adagio – Chaconne

Johann Casper Ferdinand Fischer 
     Chaconne 《Euterpe》fur Cembalo solo

J.S.Bach
  《トリオ・ソナタ ハ長調 BWV 1032》

もう一度 Johann Jakob Kress:《ソナタ第6番 》

Georg Philipp Telemann:《ソナタ ハ長調》TWV 41:C5

Jacob Scheiffelhut:《Partie VI 変ロ長調 Op.5》

つまり、昨日の東屋コンサートは、リコーダーのマグダレーナ・シュピールマンを中心に、18世紀前半のドイツ語圏のリコーダー音楽を集めたプログラムだった。最初に演奏されたのは、ヨハン・ヤーコプ・クレス(1685頃–1728)のソナタ。クレスはダルムシュタット宮廷でコンサートマスターを務めた音楽家だが、今日ではほとんど忘れられている。そのリコーダー作品は近年あらためて掘り起こされつつあり、この日演奏されたソナタ第5番も、Acanthus Baroque が今年2026年に世界初録音したばかりの作品だった。

 




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スウェーデン女王クリスティーナと題された音楽会

スウェーデン女王クリスティーナと題する音楽会を聴いた(インスブルック、大聖堂)。 この大聖堂にはクラナッハの聖母子像が安置されていて、往時は、巡礼の対象でもあったようだ。 クラナッハは不思議な人で、ルターの友人で、彼の活動を様々に助けた人でもあるのだが、その聖母子像はカトリックの側から珍重され、インスブルックやインスブルックの周辺の村でもクラナッハの聖母子像あるいはそのコピーがありがたがられ、それが巡礼の対象となっていたりしたのだ。 インスブルックは、ハプスブルク家が支配していたからカトリックの牙城の一つであるわけだが、そこにスウェーデン女王クリスティーナがやってきたのは1655年11月のことだった。 プロテスタント国の国王だったクリスティーナは改宗のために王位を自ら譲り、ローマに向かうのだが、その途中でインスブルックに立ち寄り、公にカトリックであることを宣言した。それを記念した儀式がいくつも模様されたが、その一つがチェスティ作曲のオペラ《アルジーア》の上演だった。その後、クリスティーナはローマに行き大歓迎され、正式には退位した女王なのだが女王となのりつづけ、小さな宮廷というかサロンを開き、そこにローマの貴族や芸術家が通うことになるのだった。

さてこの日のプログラムは、クリスティーナの波瀾に富んだ生涯を、いくつかの場面に分けて音楽でたどるという趣向になっていた。

最初はまだスウェーデン女王であった時代、すなわち戴冠から退位までである。アンドレ・ダニカン・フィリドールに伝えられる《ラ・スエドワーズ(スウェーデン女)》に続いて、グスタフ・デューベンの《来たり給え、聖霊よ(Veni Sancte Spiritus)》、そしてジャコモ・カリッシミの《来たれ、キリストの花嫁よ(Veni Sponsa Christi)》が演奏された。クリスティーナの戴冠式で実際にどのような音楽が演奏されたのかはよく分かっていないので、ここは彼女を取り巻いていた音楽世界を再構成したものということになる。その華やかな世界が、1654年の退位に結びつけられた《Fader War》によって一転する。王冠を自ら手放し、祖国を離れていくところから、クリスティーナの第二の人生が始まるのである。

そして次の舞台が、まさにこのインスブルックだった。

アントニオ・ベルターリの《ミサ・アルキドゥカリス(Missa Archiducalis)》から、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイが演奏された。ベルターリはウィーンのハプスブルク宮廷を代表する作曲家である。クリスティーナの改宗が個人的な信仰の問題であるだけでなく、ハプスブルク家にとって大きな宗教的・政治的祝祭でもあったことが浮かび上がってくる。

しかし旅はここでは終わらない。クリスティーナはアルプスを越えてローマへ向かい、その後1657年にはフランスを訪れてルイ14世の宮廷にも姿を現す。そこでプログラムはフランス音楽へと転じ、アンリ・デュ・モンの《Pulsate tympana》などが演奏された。北欧からハプスブルクのインスブルックへ、さらにフランスへ――クリスティーナの移動とともに、音楽の様式そのものも変わっていくのである。

そして最後に到着するのがローマだった。

王国を持たない「女王」となったクリスティーナは、ここで詩人や画家、音楽家を集め、自らの周囲に一種の宮廷ともサロンともいうべき文化的な空間を作り出した。ストラデッラ、パスクィーニ、コレッリなど、17世紀後半のローマ音楽を代表する人々とも深く関わっていく。そのローマ時代を象徴するものとして置かれていたのが、クリスティーナが庇護した作曲家の一人、アレッサンドロ・メラーニの《レクイエム》だった。プログラムではそのイントロイトゥスとセクエンツィアが取り上げられた。メラーニのこの作品は現在、ミュンスターのサンティーニ・コレクションに伝えられている。

こうして見ると、この日の曲目は単なる「クリスティーナゆかりのバロック音楽集」ではない。スウェーデンの女王から、王冠を捨てた旅人へ、そして最後にはローマの芸術世界を動かすパトロンへ――一人の女性の人生そのものを、土地と音楽様式を次々に変えながら追っていくプログラムなのである。

演奏したのは、ジャン=バティスト・ニコラ指揮のヴェルサイユ王立歌劇場管弦楽団を中心とするアンサンブル。独唱には、クリスティーナと同じスウェーデン出身のメゾソプラノ、マレーナ・エルンマンが加わった。この人選もまた、この音楽会にはなかなか似つかわしかった。

アンコールも、この音楽会の旅をもう一度たどり直すようで面白かった。最初はスウェーデンの民謡を、エルンマンが伴奏なしのア・カペラで歌った。そこから一転して、チェスティのオペラ《アルジーア》から一曲。クリスティーナがカトリックへの改宗を公にした1655年のインスブルックで上演された、まさにそのオペラである。そして最後はラモーの《優雅なインドの国々》の一曲。ここまで来るとオーケストラのメンバーも実に楽しそうで、荘重な宗教音楽から始まった演奏会が、最後には舞曲の軽やかさの中で解き放たれていくようだった。

それにしても、こうしてポリフォニー音楽をまとまって聴いていると、いつも不思議な感じがする。

もちろんこれは私の個人的な感覚なのだが、ルネサンスのポリフォニーには、個々の作品や作曲家の個性を越えて、何かひとつの高貴な響きがあるように思える。パレストリーナであれ、ヴィクトリアであれ、あるいはもう少し前の世代であれ、何本もの声部が互いに支え合いながら進んでいく音楽を聴いていると、誰か一人が前面に出て「私」を語っているという感じがしない。それぞれの声は独立しているのに、そのどれもが全体の中に溶け込んでいる。音楽がどこかへ向かって劇的に進んでいくというより、その場にひとつの音響空間が立ち現れるようでもある。

それに較べると、17世紀、18世紀、そして19世紀の音楽は、はるかに人間臭い。旋律が前面に出て、喜び、悲しみ、怒り、恋、嫉妬といった感情を直接こちらに訴えかけてくる。もちろんバッハやモーツァルトやベートーヴェンの音楽を「通俗的」と呼んでしまえば乱暴なのだが、それでもルネサンスのポリフォニーと並べて聴くと、後の音楽には聴き手を喜ばせ、驚かせ、感動させようとする身振りがずっと強く感じられる。

では、あれほど精妙で完成されたポリフォニーの世界から、なぜ人々は1600年前後を境に、まるで雪崩を打ったように離れていったのだろう。

おそらく、ポリフォニーが行き詰まったからではない。むしろ逆で、あまりにも高度に完成してしまったからなのかもしれない。

十六世紀末になると、複数の声部を対等に組み合わせる技法は驚くほど洗練されていた。しかし、その完璧さと引き換えに、音楽は一人の人間の言葉や感情を直接表現するには不向きでもあった。何人もの声が同時に別々の旋律を歌えば、言葉そのものはどうしても聞き取りにくくなる。ましてオペラのように、「この人物が、いま、この瞬間に、こう感じている」と示そうとすれば、ひとつの声が前面に立つほうがはるかに都合がよい。

そこで十六世紀末から十七世紀初めにかけて、独唱と通奏低音を中心とするモノディーが現れる。声はもはや複雑な網の目の一部ではなく、一人の人物の声になった。旋律を支える低音があり、その間を和音が満たす。ここからレチタティーヴォが生まれ、オペラが生まれ、やがて調性音楽の巨大な世界が育っていく。

つまりこれは、単なる音楽技法の交代ではなかったのだと思う。

音楽の中心が、「世界の秩序を響かせること」から、「一人の人間が何を感じ、何を語るか」へ移っていった、と考えることもできる。

そう考えると、1600年前後という時期がいっそう興味深く見えてくる。ルネサンスのポリフォニーが、人間を越えた秩序を思わせる音楽だったとすれば、その後に登場したオペラは、これ以上ないほど人間中心の芸術だった。そこでは人間が愛し、怒り、嫉妬し、嘆き、時には神々さえ人間と同じように欲望する。

だから人々がポリフォニーを「捨てた」というよりも、音楽によって表したいものそのものが変わったのではないだろうか。

もちろんポリフォニーそのものが消滅したわけではない。教会音楽の中では生き続けたし、バッハに至れば、古い対位法の世界と新しい調性の世界が驚くべき形で再び結びつく。しかし音楽史の大きな流れとしては、十七世紀以後、聴き手の耳は次第に「幾つもの声が共存する世界」よりも、「ひとつの声が何かを語る世界」に惹きつけられていった。

それが進歩だったのかどうかは、私にはよく分からない。

ポリフォニーを長く聴いたあとでバロックの華やかな音楽を聴くと、後者のほうがずっと身近で、楽しく、劇的である一方で、何か大切なものを失ったようにも感じるのである。



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2026年8月11日 (火)

ボニタティブスのリサイタル

インスブルック郊外のアンブラス城のスペインの間でアンナ・ボニタティブスのリサイタルを聴いた。
音楽会自体のタイトルは  A Tribute to Alan となっているのだが、アランは指揮者のアラン・カーティスのことだ。
ボニタティブスは、ある劇場で端役を歌っているときに、観客の中にいたアラン・カーティスが彼女の資質・才能を見抜き、その場でコンタクトをとって抜擢したのだという。ボニタティブスは、そうしてアラン・カーティスのもとでバロック・オペラに関して薫陶を受けたということなのだろう。
伴奏は、オッタヴィオ・ダントーネの指揮・チェンバロで、アッカデーミア・ビザンティーナ。フルメンバーではなく、10人か11人ほど。このホールだとこの人数でちょうどよい。フォルテでは十分音が鳴り渡る。また、彼らの表現力の幅が広く、表現のパレットの色数が多いので、むしろ少人数でテクスチャーが見える長所が活かされていたと言ってよいだろう。
最初はヘンデルのコンチェルト・グロッソ2番だったが、普段聴いているのと違う曲に聞こえるほど、楽曲の細部がニュアンスに富み、活力にみちたリズムを生みだしていた。単に切れ味がいいだけでなく、ヴァイオリンは高らかに歌うかと思えば、ソフトな弱音で、ささやくようにも歌う。かと思えば力強い全奏がざっざっと刻まれたりもする。だれるところがまったくなかった。
次はヘンデルの《ロドリーゴ》から'Siete assai superbe, o stelle' 《ロドリーゴ》は初演(1707年)がフィレンツェのココーメロ劇場なのであった。ココーメロ劇場はメディチ家の庇護も受けてはいるがアッカデーミア・インフオカーティが運営している劇場で、なかなか劇場の性格が複雑である。
次はヘンデルのロンドン時代のオペラの最後《デイダミア》(初演1741年)からウリッセのアリア’No, quella belta non amo'.この2曲でボニタティブスは、アジリタの妙技を開陳し満場の喝采をさらっていたが、彼女らしい知的なプログラムで、ヘンデルのイタリア留学時代つまり初期のオペラからオペラとしては最後のオペラまでを見渡せる構成となっている。
ついで、Alessandoro Scarlatti 。スカルラッティがローマのルスポリ侯のために書いたオラトリオ《Il giardino di rose》から序の部分の器楽と希望が歌うアリア’Mertr'io godo in dolce oblio'. このオラトリオは1707年でさっきの《ロドリーゴ》と同じ年だが、この時チェンバロを弾いていたのは若きヘンデルで、歌っていたのはこの時代の名歌手でルスポリ侯おかかえのマルゲリータ・ドゥラスタンティであったと言ってほぼ間違いない。このオラトリオは表面的には慈愛、宗教、北風といった寓意的な登場人物が出てくるのだが、実はそれがスペイン継承戦争時の政治情勢を反映したプロパガンダ的作品でもあるのだ。ヘンデルとの関係一つとっても考え抜かれたプログラム!

ここで休憩。
指揮・チェンバロのダントーネは聴衆がいる前庭にやってきて、気軽にわれわれとも話してくれるのだった。演奏会の休憩でこちらにやってくる人は珍しい。そもそもこの日のコンサートも翌日・翌々日は《黄金の林檎》上演が控えているのだから、エネルギッシュというかタフなことに驚かされる。しかも演奏はすみずみまで音楽的な配慮、表現意欲に満ちていて、流しているというようなものでは全くないのだ。

後半
パーセルの《ダイドーとエネアス》(1689)の 'Thy hand, Bellinda--When I am laid in earth'. 死を覚悟したダイドーの私を忘れないで、という歌。下降音型にのって、せつせつと歌われる。愛するエネアスを諦めざるをえない、ならば死を、という誇り高きカルタゴの女王。こちらはアジリタとはまったく異なる叙情的歌を格調高く歌うボニタティブスがいた。
そしてグルック。《パリデとエレナ》(1770)から’Le belle immagini'. これは素材が《黄金の林檎》と同じだからということもあるのだろうし、パーセルとグルックでヘンデルの前と後のパースペクティヴを示しているとも言えるし、カーティスのレパートリーの広さをしめしてもいよう。
ジェミニアーニのコンチェルト・グロッソ第6番。これも意欲的な演奏で、立体的表現と言えばよいのか、柔らかい表情から、研ぎ澄まされた表現まで自由自在に繰り広げられ、こんなに魅力的な曲だったのか、と。
ヴィヴァルディから2曲。《ジュスティーノ》から'Sento in seno ch'in pioggia di lagrime'. これまた叙情的な曲なのだが、ボニタティブスとダントーネは十二分に叙情的でありながら、様式感が崩れることはまったくない。
《忠実なるニンフ》から'Alma oppressa sorte crudele' これは、アジリタも驚異的であり、かつ、どんどん盛り上がって、歌もオケもスイングしていた。ヴィヴァルディの音楽にはそういう音楽的快感を内側から引き出すように書かれているのである。
満場の轟く拍手に応えてアンコールが数曲あったが、ヘンデルの《アグリッピーナ》(1709)は先述の歌手ドゥラスタンティがタイトルロールでヘンデルがヴェネツィアで大成功をおさめたオペラである。歌も見事だが、プログラムもアンコールまで含めて実に見事。最後はヴィヴァルディのオペラから眠りの歌(これでアンコールはおしまいという意味だろう)で、歌い終わったあとに ’grazie, Alan' と言って終わったのだった。
ボニタティブスはありあまる実力がありながら、納得のいかない演出には出ないようなので、知る人ぞ知る歌手になってしまっているかもしれないが、実に充実したコンサートだった。歌の曲芸的なスリルから叙情性、様式感、歌の品格、すべてを思う存分味わえた。ダントーネとの信頼関係も厚いものがあるのだろう、この音楽祭の若手コンクールの前段階のマスタークラスはボニタティブスに委ねられているのだ。

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