2023年1月31日 (火)

佐藤唯行『英国のユダヤ人』

佐藤唯行著『英国ユダヤ人』(講談社選書メチエ)を読んでいて、興味深いことがいくつもあったので、記していく。

1.まず儀式殺人告発という耳慣れない言葉が出てくるが、これはユダヤ人がキリストの受難を冒瀆する儀式を行うために、キリスト教徒の幼子を誘拐し磔刑にして殺害するという、いわれなき虚偽の告発であった。この手のユダヤ人に対する告発の最初期の例として1144年のノリッジの事件が詳しく紹介されている。

 そこから判明するのは、告発した者のほとんどすべてがノリッジ修道院関係者だということで、筆者によれば、中世においては聖者や聖遺物が修道院の運営・経営面で重要で、この犠牲になった子どもは聖人となり、奇跡が起こるのをもとめてノリッジ修道院を訪れる巡礼者が爆発的に増加したという。

 また、12世紀英国の修道院のなかにはユダヤ人の金融に多額の債務を負うところも少なくなく、この債権を一掃する手段として儀式殺人告発を行ったところもある(ベリ・セント・エドモンズ修道院)。

2.この話を読んで、イタリアでもユダヤ教徒が、キリスト教徒の幼子を誘拐して殺してしまうという都市伝説?がが昔からあったというのは Corriere della Sera 誌などで何度も目にして不思議だと思っていたのだが、これで納得がいった。ユダヤ教徒は、どこの国でもほんの数パーセントの住民にすぎないので、ある国の通史のなかでは、こぼれ落ちてしまいがちで、たまたま有名な音楽家なり文学者なり哲学者なりがユダヤ人あるいはユダヤ系あるいは改宗ユダヤ人だったりするとそのことは言及されるわけだが、中世からの通史として捉えることがなかなか出来ていなかったことに思い至った。

3.英国に最初に渡ってきたユダヤ人はノルマン・コンクウェストの際に渡来したのだという。特にルーアンからが多かった。史料的に実証できるのはヘンリー1世時代(1100−35)からだという。その人口は決して多くはなく、ロンドンでさえ最盛期の推定人口は450人ほど。

4.ユダヤ人の金融活動は、国王が臣民に対して間接的な搾取を行う手段なので、常に国王の強力な保護のもとにある。彼らは地方では国王の代理人である州長官(シェリフ)の本拠、州都に住んだ。だからこの時期にはゲットーはなく、ユダヤ人とキリスト教徒が混じりあって住んでいた。ユダヤ人の職業として目立つのは金融業者と医師である。彼らは当時最高水準のアラビア医学の文献が12世紀にスペインのユダヤ人によりヘブライ語に翻訳されていたのでその知識を得ることが出来た。ラテン語訳が出来るより前だったのだ。

5.ユダヤ人に課される税には四種類があった。(1)相続上納金(リリーフ)。(2)財産没収(エスチート)(3)冥加金(ファイン)(4)恣意税(タレッジ)である。特に恣意税は王権にとって重要な財源であったので、ユダヤ人コミュニティーの連帯責任で支払い責任を負った。恣意税は、ユダヤ人社会が所有する債権の額に応じて賦課されたので、国王は債権の金額を正確に把握する必要があった。そのため英国ではユダヤ人財務府というものを創設した。この組織は同時代のヨーロッパ大陸には見られないものである。13世紀には27の都市にユダヤ人財務府の地方支部としてユダヤ人債権登録庫(アルカ)が存在していた。各債権登録庫にはキリスト教徒、ユダヤ人各2人の書記がいて、証書の作成に立ち会い、完全に同一の証書を二通作成し、1通は債権者(ユダヤ人)が保管し、もう1つは債権登録庫に納められた。こうしてユダヤ人の金融業務は国王政府が把握し、搾取の源泉となったかわりに、国王は彼らの保護者となった。

6.ユダヤ人金融業者から借金をするのは騎士・小諸侯であったが、彼らがその借金を払えなくなると貸方のユダヤ人は土地抵当を現金化したが、その買い手は大諸侯・修道院だったので、ユダヤ人金融は結果的に、大諸侯・修道院への土地集積の媒介となった。

長くなったので以下、次項へ続く。



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2023年1月 4日 (水)

ブッツァーティ著長野徹訳『ババウ』

ディーノ・ブッツァーティ著長野徹訳『ババウ』(東宣出版)を読んだ。

帯にあるように、今年はブッツァーティ没後50周年で、その50周年を記念した出版の第二弾である。ブッツァーティは1906年生まれで1972年に亡くなってるから、英文学で言うとW.H.オーデンやルイ・マクニース(いずれも1907年生まれ)でオーデンは73年没なので、生没年がちょうど一年違いということになる。

本書の原著は1971年に出版され、その前半の26篇を訳出したものとのこと。7,8ページから12ページ程度の短編が連ねられている。短くはあるが、星新一のショートショートがそうであるように、時空を越えた設定がアレゴリ−として作用し、いつ読んでも興味深い。ただし、ブッツァーティは、星新一より、時代の風潮についている印象を受ける。これらの短編の初出が日刊紙コリエーレ・デッラ・セーラであったことも影響しているかもしれない。

 自動車が庶民に身近になったのもこの頃らしく自動車をめぐるいくつもの短編がある。ブッツァーティらしくそれが死やカタストロフィーから逆照射されているようなストーリーが多い。
 「セソストリ通りでは別の名で」は、アイデンティティのすり替え、入れ替えが鮮やかで、あの時代ならではであると同時に、自分もあるアイデンティティを演じているだけではないかと刺さってくる。
 「ブーメラン」は風が吹けば桶屋が儲かる、みたいな話だけど、それで核戦争が始まるというところが大仰でもある。が、今のわれわれにとっては笑い飛ばせる話ではない。
「名声」も、医者の大先生の名声のために、誤信を真実に化けさせるために人が殺されねばならないという不条理ですが、不思議の国のアリスのトランプの女王を想起させられる。判決が先でというあれ。
 「書記たち」は締め切りに追われて人が仕事が終わってもひたすら書かねばならないという身の嘆きかと思った。小説自体では、書記たちが大勢いて、ある人のタイプライターがカチっと音をたて、キーボードに赤いランプが点いたら、それはわれらが主に召集されたことになり、休みなく書き続けねばならないのだ。
 「隠者」の逆説と逆転は痛快・痛烈。悪魔にまんまとだまされたかと思いきや、悪魔も思い通りにはいかず。
 死を話の枠組みにしっかり組み込んだストーリが多いのだが、こちらもこれを書いた時のブッツァーティと年齢が近いせいかピンとくる。
 それと、ブッツァーティの登場人物は、大学の教師とか、弁護士、医師とか結構インテリ層が多いのが日本の小説と違っているが親しみがもてる点でした。漱石の時代は別として、ある時から日本の小説やドラマ、映画からインテリが排除されている傾向が大きいように思えるが、それは小説なりドラマなり映画なりの世界を狭くしているように思う。ブッツァーティはインテリを礼賛しているわけではない。むしろ逆である。そこに諧謔味があり、笑えるのである。

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2022年12月 8日 (木)

ドナテッラ・ヅィリオット著 長野徹訳『トロリーナとペルラ』

ドナテッラ・ヅィリオット著、長野徹訳『トロリーナとペルラ』(岩波書店)を読んだ。

ヅィリオットは、イタリアのトリエステ生まれの児童文学作家、児童書編集者、批評家でトーベ・ヤンソンやロアルド・ダールなどを翻訳してイタリアに紹介した翻訳家でもある、というのは訳者の後書きで知った。

『トロリーナとペルラ』は二人の少女の名前で、トロリーナは「野暮らし族」のお姫様。一方のペルラは、都会生まれの赤ん坊。その二人が密かに取り替えられるという「取り替え子」の枠組みを持った話である。「野暮らし族」は妖精的でもあり、ロマのようでもある存在あるのだが、美化はされておらず、空き缶をたんつぼとして使えることを発見して喜ぶところから話が始まっているのだ。

二人の少女が入れ替えられたことで、少女の人生も一変するが、彼女らが住む家族、コミュニティも大小の変化を蒙る様子が描かれる。

たとえ「取り替え子」が元にもどっても、コミュニティにもたらされた変化は元に戻らないほど不可逆的なものであることが、ある意味で味わい深い。

 

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2022年12月 7日 (水)

『ピランデッロ戯曲集II』

斎藤泰弘編訳『ピランデッロ戯曲集IIーエンリーコ四世/裸体に衣服を』(水声社)を読んだ。

訳者のまえがきにあるように、『エンリーコ四世』と『裸体に衣服を』は、前年の『作者を探す六人の登場人物』に続いて、作者ピランデッロの創造力が高まりをみせた1922年の作品である。つまり今年が100周年なわけだ。英米文学で言えば、T.S.エリオットの長編詩「荒れ地」やジェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』が出版された年であるが、こうした当時の文学界に衝撃を与えた新しい戯曲、詩、小説が非常に近接した時期に出現したのは単なる偶然ではないと思う。

彼らの活動以前に、イタリアでは未来派、英米文学ではイマジズムのような19世紀までの伝統をぶち壊せというスローガンをかかげた運動があり、それが前述三作品が出現するための地ならしの役割を果たしていたとは言えるだろう。そこに第一次大戦が勃発し、4年間続き、1918年に終結する。それまでの数十年間のヨーロッパが関与した戦争と異なり、ヨーロッパが戦場となり、ヨーロッパの国同士が戦う総力戦であったから、そのインパクトは人々の生活、世界観、そして芸術表現のすべてに及んだ。19世紀的な世界観が粉砕された中から新たな世界観を構築すべく誕生したのがピランデッロ作品であり、エリオットの詩であり、ジョイスの小説であっただろう。

『エンリーコ4世』は、仮装パレードを楽しんでいた主人公が皇帝エンリーコ4世に扮し、彼が思いを寄せるマティルデがトスカーナ女伯マティルデに扮していた。ところが主人公はパレードのさなかに落馬し、意識を失う。意識が戻った時には、彼は自分がエンリーコ4世だと信じるようになっていた。その事故を哀れに思った主人公の姉は、別荘に11世紀の宮廷をしつらえ廷臣に扮する人を雇った。それから20年後が劇の中身だ。読み進めると、実はかなり前から主人公は自分がエンリーコ4世でないことを自覚するようになっており、狂気に憑かれたフリをしていたのだということが判る。演じるということが複雑に入れ子になった劇だ。訳者が指摘しているように、この作品には小林勝氏の訳注による対訳本『エンリーコ4世』(大学書房)がある。

 『裸体に衣服を』は本邦初訳で、筆者はその存在自体を初めて知った。トルコのスミルナ駐在のグロッティ領事のもとで働いていたベビーシッターと領事の間のスキャンダラスな関係と、領事の子どもがテラスから転落したという不幸な事件が幕が上がる前の前史である。エルシリアというベビーシッターは、自殺するつもりで、その前に新聞記者に事件の顛末を多少ドラマチックにして語る。しかし彼女の自殺は未遂に終わり。。。

 ピランデッロは、抽象的な劇の複雑な構造のなかに、意外なほど世俗的ななまなましい事件を落とし込むのが巧みだ。だから、通俗的になりすぎず、また、難解あるいは抽象的すぎて興味が持続しないということもなく最後まで読み通してしまう。

 読み通すことができるのには、訳者の明快な解説や、訳注によるところも小さくないと思う。

 

 

 

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2022年11月13日 (日)

《魂と肉体の劇》のリブレット

前項で書いたように《魂と肉体の劇》をシアターXで観たのだが、そのリブレットの特徴について書いておこう。

リブレットはアゴスティーノ・マンニによるもので、この人は1547年にローマでフィリッポ・ネーリ(オラトリオ会の創設者)を知り、弟子となって後にはオラトリオ会の長(prefetto) となっている。説教が上手で評判だった。

このリブレットは序(Proemio) と3幕から成っている。序の部分はAvveduto とPrudenzio という二人の若者の散文による会話。現世の様々な誘惑や欲望をどう考えるべきか、といった内容。

第一幕になると Tempo (時)が出てきて、現世の物事の空しさを説く。合唱や知性も出てくる。第四場になってCorpo (肉体)とAnima (

魂)が登場する。第一幕は冒頭からずっと rima baciata (カプレット)で書かれている。行末が2行ずつ韻を踏んでいて、aabbcc...

という形をとっている。一行の音節数はわずかな例外を除き7音節である。

第一幕第四場で肉体と魂が出てくるところは、それぞれが3行ずつの台詞を交わすのだが、そのうち2行目と3行目が rima baciata になっている。ここもやはり1行は7音節である。続く第5場は合唱だが、1行11音節と7音節が交錯し、韻もabab のような交差韻となっている。11音節と7音節が使用されるのは、16世紀の牧歌(劇)によく見られるパターンである。

第3幕になると今度は1行8音節で rima baciata が頻出する。1行8音節の二行連句を連ねてこのオペラは終わる。

8音節の部分ではリトルネッロ付きのダンスを踊りながらの進行となっている。明らかに音楽的性格にあわせて詩の音節数も選ばれているものと思われる。

 

 

 

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2022年11月 9日 (水)

デ・カヴァリエーリ作曲《魂と肉体の劇》

デ・カヴァリエーリ作曲のオラトリオ(あるいはオペラ)《魂と肉体の劇》を観た(両国、シアターX)。

シアターXと書いてシアターカイと読む。両国は相撲の国技館のある両国であるが、シアターXがあるのは、総武線を挟んで国技館とは反対側だ。入り口が大通りから少し入るので初めての時には注意が必要かも知れない。

劇場は、こぢんまりとしていてバロック・オペラにはふさわしい。収容人数は100−300人程度に可変のようだ。11月6日(日)は満員であった。《肉体と魂の劇》は、1600年の聖年に、宗教劇として作曲された音楽劇であり、一般のクラシックファンにとって有名とは言いがたい作品だが、これが満員になったのはまことに喜ばしい。

作曲家のカヴァリエーリは、フィレンツェのオペラ揺籃期にフィレンツェにいてオペラ上演にも深く関わった人物である。1600年はカトリック教会の定めた聖年であり、それを記念して、当時フィリッポ・ネーリが創設したオラトリオ会で宗教音楽劇を上演したのがこの《魂と肉体の劇》である。だから、音楽と演劇の関係からすれば、フィレンツェのオペラとまったく同様で、モノディー様式でかつ通奏低音も用いられ、この作品をオペラと分類することが可能で近年の研究者はそう捉える人が多い。従来は、内容が宗教的であり、教会で初演されたことなどからオラトリオと分類されていたのだ。しかし分類というものはそもそも便宜的なものであり、基準次第でその境界線がずれることは十分ありうるわけでこれもその一例と言えよう。

この作品では登場人物は、魂や肉体、快楽、時、現世といった概念だ。つまりアレゴリーが登場人物の寓意劇である。魂と肉体がカップルになっていてこのカップルは、現世の空しさを聞かされたり、逆に現世の魅惑に惑わされたりし、最後には天国に行くためには現世的な魅惑ではなくて、もっと大事にすべきものがあるという教訓がある、そういった劇だ。この音楽劇が上演された場所と時代からわかるように、これは極めて対抗宗教改革(カトリック改革)の中で、その方向性を反映させて作られた作品で、リブレットはアゴスチーノ・マンニの文から取られたのだが、マンニはフィリッポ・ネーリの弟子であり司祭になった人である。

作曲家のカヴァリエーリは先述のように、フィレンツェでオペラができかかっている時期にあのバルディのカメラータに出入りをしていた。メディチ家の当主フェルディナンドが、もともとローマで枢機卿であったのだが、兄の死去によって、還俗して当主となりフィレンツェに帰った。カヴァリエーリはフェルディナンドのおぼえがめでたく、フィレンツェに招かれメディチ家の芸術活動の責任者に任命されたのである。という事情から想像されるように、もともとフィレンツェにいた音楽家・詩人連中からすると面白くない存在であったらしい。

今回の上演は古楽アンサンブル・エクス・ノーヴォによるものだが、彼らは今年5月には1589年にカヴァリエーリが総監督をつとめた《ラ・ペッレグリーナ》のインテルメディオを演奏している。カヴァリエーリはこの頃からレチタール・カンタンド(歌いながら語る)の可能性をさぐっていたわけで、《魂と肉体の劇》(1600年上演)には約10年の隔たりがあるわけで、その間にモノディー様式や通奏低音の使用法に習熟していったのだろう。

エックス・ノーヴォの上演では前回もプログラムが充実していたが、今回も萩原里香氏、長岡英氏による解説は大変充実したものだ。

オケはヴァイオリン、リラ・ダ・ブラッチョ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、テオルボ、コルネット、トロンボーン、チャンバロ、オルガンによるもので、一人二役の人も4人いた。やはりこういう作品はピリオド楽器の響きが似つかわしい。

演出は井田邦明で、この日の演出は素晴らしかった。長年イタリアで活躍し、オペラの演出もてがけてこられた井田氏の薫陶をうけ、この日の歌手たちは一つ一つの動きに血が通い、動きの意味、表情も明確だった。舞台装置は簡素だが、衣装も洗練され、身振りや動きとあいまって、この宗教的な内容を雄弁に語っていた。

音楽的にも演劇的にも大いに充実した舞台だった。肝心の劇のメッセージに関しては、言いたいことは判るのだが、現世的な欲望に囚われている自分を認識するものの、それではそういった欲望を捨て去ろうという気になれないのであった。こうして悟ることはできないにしても、自分の愚かさを鏡で映し出すのは悪いことではないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

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2022年11月 3日 (木)

ヘンデル作曲《シッラ》

ヘンデル作曲のオペラ《シッラ》を観た(桜木町、神奈川県立音楽堂)。

実に素晴らしい上演だった。歌手よし、オケよし、演出よし、何も言うことはない。指揮のビオンディもすみずみまで心を行き渡らせながら、かといってエッジがなまることのない心地よく生き生きとしたテンポ、リズムで音楽を運んでいた。

このオペラの上演は、2020年3月に上演が予定されておりながら、しかも3日前の2月26日まで練習が進められておりながら、コロナ禍のため直前に中止となった(この点では新国立劇場の《ジュリオ・チェーザレ》と酷似している)。

そのキャンセルされた公演の前には、日本ヘンデル協会によるレクチャーがあり、諏訪羚子氏の対訳、三ヶ尻正氏の解説のついたリブレットが販売されていた。今回の上演の二週間ほど前に、ネット上でもミン吉さんのサイト「オペラ御殿」(オペラ・ファンにはつとに知られたサイトである)でも《シッラ》についての解説と、要所要所に文法的、語法的解説のついた対訳がアップされた。さらには、今回の上演はNHK・BSで来年の1月に放送されるとのことで、三種類目の日本語字幕が参照できることになる。これはバロック・オペラとしては、モンテヴェルディなど一部を除いて希有なことだと思う。

今回の上演では何といっても声の競演が素晴らしかった。解説にもあるように《シッラ》はおそらくは興業用ではなく、オケージョナルな上演を目指していて、社会情勢が変わったためそのオケージョナルな上演がおそらくは中止になってしまったとのこと。これは以前に当ブログで紹介したマッテゾンの《ボリス・ゴドノフ》でも生じたケースである。そのせいかアリアの配置・数が均等に近い感じがした。どの歌手にもそこそこアリアの数が割り振られていて見せ場、聴かせどころがある。

今回の歌手は粒ぞろいでレベルが極めて高いことは言うまでもないのだが、声質のヴァラエティにも富んでいる。ソニア・プリーナとヴィヴィカ・ジュノーはヴェテランだし知名度も高いが、自分のスタイルを持っていてそれで聴かせる。二人とも叙情的な部分とアジリタ(早い敏捷的な動きを見せるパッセージ)の使いわけも見事。それに対し、ロベルタ・インヴェルニッツィとフランチェスカ・ロンバルディ・マッズーリは模範的に端正かつ上品な歌い方で、これはこれで見事なものだった。かつての名歌手で言えば、デル・モナコやディ・ステーファノのような個性的名歌手と、ベルゴンツィのような模範的に端正な名歌手といったところである。そういう2つのタイプの名歌手たちが勢揃いして入れ替わり立ち替わりヘンデルの様々なタイプのアリアを歌ってくれ、時には二重唱まであるのだから、贅沢の極みである。クラウディオを歌ったヒラリー・サマーズという人はアルトなのだが、不思議な声質の人で、ファルセットのような響きがするのだったが、とても体格がよく上背のある人で舞台映えがした。メテッラ役のスンヘ・イムは、軽めの声であるが、劇的な場面での声の表情づけが巧みだった。

ビオンディは指揮兼ヴァイオリンの弾き振りで、手兵とも言うべきエウローパ・ガランテのメンバーとは目線を交わすだけで以心伝心、しかも楽員の自発性が感じられる実に好ましい演奏。オケは19人で、編成も弦楽器以外は、チェンバロ、小ぶりなテオルボ、リコーダーとオーボエの持ち替え、トランペット、ファゴットといったシンプルな編成だが、たとえばオーボエからリコーダーに変わると、やはり曲想にぴったりの変化でその巧みさに舌を巻く。オケの表情は劇的になったり叙情的になったり自由自在で、生き生きしたテンポ、リズムで実に音楽的に心地よく納得のいくものだった。

演出および舞台衣装は、歌舞伎にインスピレーションを得たものであることは、上演前のビオンディ・弥勒対談で弥勒氏が述べていた通り。ソニア・プリーナやヴィヴィカ・ジュノーの男役は実に決まっていて愉快だった。むしろ女性役の方がスンヘ・イムを除いては、気の毒な気がした。異性装の方が舞台映えがしたのである。ひょっとするとそれは観客であるわれわれは、日本に暮らしているので、専門家でなくてもある程度、着物を見慣れていることにも原因があるのかもしれない。主人公のシッラは悪役(つぎつぎに人妻にも、婚約者のいる女性にも権力をかさにきて迫る)なのだが、それにふさわしくソニア・プリーナは歌舞伎の悪役風の藍隈取りをしていてそれが決まっていたのだ。ヴィヴィカ・ジュノーは善良な人物の役で、それにふさわしくエレガントな立ち居振る舞いで、アジリタの超絶技巧だけでなく、演技でもおおいに感心した。最後のエクス・デウス・マキナは、天井から布を伝って女性がサーカスのように空中で舞う趣向で表現されていて、スペクタクルな要素がやや乏しい舞台に花を添えた。

神奈川県立音楽堂は、舞台は狭いのであるが、舞台中央に鳥居を抽象化したような赤い門が左右に複数あり、その間から神が登場した。また客席からみて左手にやや張りだした部分があって、そこでアリアや二重唱を歌わせるのも巧みな工夫であった。

悪役のシッラは、最後海で遭難し妻に助けられて突然改心する。その突然さの前後の練り具合がやや弱いのだが、おそらくこれは、急いで作曲されたのであろうし、また、リブレットにも原作がないことにも起因しているかと思う。ヘンデルのオペラではしばしばヨーロッパ大陸で上演されたものを、黙って改作してそれを上演台本にしていることがあるのだが、《シッラ》の場合は、それがないのだ。

バロック・オペラならではの歌の競演、超絶技巧の披露、敏捷なオケの変わり身の見事さを堪能した。これほどの音楽性の高みを味わえるオペラ上演は、ヨーロッパでもそう多くはないと思う。会場の神奈川県立音楽堂も、バロック・オペラ上演にちょうどよい大きさだ。観客にも大いに受けていた。

幾多の艱難を乗り越えてこの上演を実現してくれた関係者の皆さんに心から感謝。

 

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2022年10月29日 (土)

ヘンデル《ジュリオ・チェーザレ》

ヘンデル作曲のオペラ《ジュリオ・チェーザレ》を観た(初台、新国立劇場)。

新国立劇場のシーズンにおいてバロック・オペラを上演するのは初めてのことであり快挙であり慶賀すべきことであると思う。

今後も、こうした上演が毎年継続する(今のところ1年おきの予定という人もいる)ことを切望する。

しかもこの《ジュリオ・チェーザレ》は、2020年4月に上演予定で、指揮者アレッサンドリーニも来日して舞台稽古を進めていて上演間近でコロナ禍のために上演中止となった経緯は、新国立劇場の提供する Youtube で今も見ることが出来る。その苦難を乗り越え、チェーザレ役の歌手は交代しているが、しっかりとした舞台装置つきで、上演にこぎつけた関係者に敬意を表したい。

ここ20年ほど、ヨーロッパでは特に夏の音楽祭などではバロック・オペラを上演することが珍しくなくなっている。ここ数年ではパリのオペラ座やミラノのスカラ座でもバロック・オペラ上演を開始していたので、新国立劇場がそこに加わり、上演演目の幅が広がり、観客の楽しみが多様になることは意義深いと思う。

演出および舞台装置は、古代エジプト美術を所蔵する博物館が舞台で、そこにチェーザレ(カエサル)やクレオパトラの霊が現れるという設定となっている(この設定はもともとのリブレットにはないが、近年のオペラ演出でそれは珍しいことではない)。博物館員としてモック役(黒子)が活躍する。

少し驚いたのは、コントラバス奏者が4人いて、オケが重々しかったことだ。重厚な響きになるし、軽やかに舞うという感じは乏しくなる。このオーケストラ編成は、常設の歌劇場でそこに付属オーケストラがある場合、ヨーロッパでも対処に苦労している問題の1つのようだ。音楽祭の場合は、バロック専門の小規模な管弦楽団を指揮者が連れてくるのが普通である。その場合、実に様式的には好ましい響きがするのだが、音量的には大音量とはいかない。歌劇場付きの管弦楽団が存在している場合、どういう編成のオケで演奏するのかはケースバイケースである。

1.  歌劇場付属のオケがピリオド奏法(古楽器風にヴィヴラート少なめ、フレーズの終わりを短めに演奏する)で演奏する。

2.歌劇場付属のオケと古楽器演奏者の混成

今回の上演では歌劇場専属ではないがレギュラー的な存在となっている東京フィルハーモニー交響楽団に、古楽器を専門とする通奏低音奏者が加わっていたので2の形に近いと言えるだろう。そのため、通常の古楽専門のグループではありえないほどコントラバスやチェロの数が多く、重厚な響きとなっていたわけだ。このことから推測出来るように、第一幕ではリズムもやや歯切れが悪かったのだが、これは第二幕以降随分改善された。

歌手はチェーザレ役のマリアンネ・ベアーテ・キーランドは、古楽にふさわしい清らかな歌唱法であったが、ドラマティックな曲想のところでは声量が十二分とまでは言えず、迫力に欠けるうらみがあった。その一方、クレオパトラ役の森谷真理は、声量豊かに響いていたが、歌唱のスタイルとしてはバロック歌唱とは言いがたい。というわけで、歌唱の様式の統一感はなかったがそれは無いものねだりというものだろう。ヨーロッパで聞いていても、やはりふだん19世紀以降のオペラを歌っている人は声量は大きいのである。楽器でも同様で、一番判りやすいのは鍵盤楽器のチェンバロとピアノの相違だろうか。チェンバロの方が繊細なニュアンスが出しやすいのだが、絶対的な音量はピアノの方がはるかに大きい。イタリアの音大では、すでに学部段階からオペラの声楽科と古楽の声楽科は別れているという。

オーケストラの人数が多くて音量が大きいと、バロック歌唱でそれに対抗するのはつらいかと思う。古楽のオケは大抵20人から30人程度である。ということもあって、ヨーロッパでも音楽祭では小さめのホールが選択され、オケの人数も少ないのだ。だから、パリのオペラ座やミラノ・スカラ座でバロック・オペラを上演する場合、オケをどうするかということと、歌手の声量をどう考えるかという二つの問題に対処しなければならないわけである。

以上のような課題があるにせよ、新国立劇場でバロック・オペラが上演されることの意義は大きいと思う。実際、今まで19世紀以降あるいはモーツァルト以降のオペラにのみ親しんできた人が、今回の上演ではじめてヘンデルのオペラに接したという人も少なくなかったようだ。バロック・オペラの面白さ、愉しさ、音楽的な豊かさに気づく人が多くなり、日本でのバロック・オペラ上演が盛んになることを期待したい。

 

 

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2022年9月19日 (月)

バイロイトの天気と食事

9月6日から9月18日までバイロイト・バロック・オペラ・フェスティヴァルに参加したわけだが、その間に天気は激変したので簡単に記す。

こちらに着いた時には、夏といってよく皆、半袖を着ていた。最高気温は26,7度あった。エアコンもつけた。

それが、15日くらいから急激に寒くなり、最高気温が12度や13度、最低は10度を切るようになって、長袖、セーターあるいは上着が当たり前となり、町ゆくひとの大半がダウンジャケットを着ている。よく言われることだが、北国では夏からいきなり冬がやってくるのだ。もちろん本格的な冬になればもっと寒いに違いないが、東京の感覚からすれば冬といってよい気温だ。また、毎日、雨が降るようになった。すぐに上がるのだが、一日に何度も小雨が降る。

食事についての特徴は塩味にあるかもしれない。ビールを飲んでちょうどよい加減なのか、少し塩辛目なのだ。ジェラートやケーキは、砂糖が多いということはなく、ケーキは果物がたっぷりで甘さ控えめであった。ケーキ屋の数自体は少ない。

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ジョヴァンニ・ボノンチーニ作曲《グリゼルダ》(4)

ジョヴァンニ・ボノンチーニ作曲のオペラ《グリゼルダ》の楽譜復元について、それを担当したDragan Karolic が書いている報告のあらましを記す。

彼が《グリゼルダ》の一部を聴いたのは1985年のことで、レチタティーボなしのアリアがいくつかの抜粋のレコードで1967年録音のものだった。その経験が心に残りつづけ、2005年にロンドンのブリティッシュ・ライブラリーからデジタル・コピーを作成した。音楽学者兼出版者として、忘れられたオペラを聴衆に近づきやすい形で提供したいと願う気持ちが強まった。昨年(2021年)の9月にツェンチッチから電話で申し出をうけ喜んで承諾した。

《グリゼルダ》の総譜は、有名なチャールズ・バーニーが所持していたのだが、1814年に彼が亡くなって売りに出され、その後行方不明となってしまった。

最初、 Dragan Karolic のもとにあったのは1722年と1733年のリブレット、ジョン・ウォルシュの出版したスコア、いくつかのアリアの手稿譜であった。これらのソースにはレチタティーボと管楽器およびヴィオラのパートが欠けていた。それを再構築、復元する必要があったわけだ。幸い、いくつかのアリアなどは印刷されたスコアに全体が保存されていた。即ち、序曲、いくつかのアリアと最後のコーラス(登場人物の全員合唱)、そして強弱などの指示、通奏低音の記号が書き込まれていた。アリアにオーケストレイションを付け終わったところで、ベルギーのDenee で知られていなかった手稿を発見した。それには12のアリアが含まれ、ヴィオラのパートが完全に書かれていた。そこでスコアを書き直して新たな情報を統合した。

レチタティーボ・セッコとレチタティーボ・アコンパニャートを作成するのは時間がかかった。1733年版のリブレットは短縮版でおよそ3分の1がカットされていた。 Dragan Karolic は1722年版にもとづいて復元をした。彼はツェンチッチとボノンチーニ研究者のローウェル・リンドグレンに感謝の言葉を捧げている。

 

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ジョヴァンニ・ボノンチーニ作曲《グリゼルダ》(3)

《グリゼルダ》については、前に記したように、もともとはボッカッチョの『デカメロン』の中のエピソードがあり、それをもとにアポストロ・ゼーノがリブレットを書いた。ゼーノは、ヴィーンの宮廷詩人として、メタスタジオの前任者だった人。ゼーノの《グリゼルダ》にはトマーゾ・アルビノーニ、ルーカ・アントニオ・プレディエーリ、アレッサンドロ・スカルラッティが曲を付し、1735年にはヴィヴァルディが作曲している。ジョヴァンニの兄、アントニオ・マリア・ボノンチーニもジョヴァンニの4年前にゼーノのリブレットに曲を付しているのだ。

ボノンチーニの場合、スタンピリアとの共作を通じて、こういう牧歌的な話はお手の物だった。ロンドンで、リブレッティスタをつとめたのはパオロ・アントニオ・ロッリ。彼は登場人物をカットしたり、名前を変えたりしている。オペラはすぐに大成功だった。初演は1722年2月22日、ロンドンのキングス・シアター。4ヶ月の間に15回再演された。グリゼルダを歌ったのはアナスタジア・ロビンソンで、グァルティエーロを歌ったのがカストラート歌手のフランチェスコ・ベルナルディ、通称セネジーノである。二人は劇場の外でも様々なスキャンダルを巻き起こした。周知のようにセネジーノはヘンデルのオペラのいくつかの役も創唱(初演)している。

こういった事情で作品は後世に伝わったのだが、レチタティーボの部分とオーケストレイションの大半は消失している。その復元について記す。

その復元を担当したのは Dragan Karolic だ。彼によって全作の1733年以来の蘇演(復活上演)が可能となった。

次項にプログラムに記された Dragan Karolic の 'Report from the Workshop' と題された記事のあらましを翻訳する。

 

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ジョヴァンニ・ボノンチーニ作曲《グリゼルダ》(2)

ボノンチーニのオペラ・セリア《グリゼルダ》の続き。演奏とボノンチーニその人について記す。

《グリゼルダ》のリブレットを書いたのはパオロ・ロッリだが、そのリブレットはもともとゼーノが書いたリブレットに基づいている。そしてゼーノはボッカッチョの《デカメロン》を参照しているのだ。

演奏は

グリゼルダがメゾのソーニャ・ルニェ

グァルティエーロがツェンチッチ

アルミレーナがヨハンナ・ローザ・ファルキンガー

エルネストがデニス・オレラーナ

ランバルドがスレーテン・マノイロヴィッチ

ソーニャ・ルニェは素直な発声で、メゾやアルトらしい深い声で落ち着いた歌を聴かせる。

ツェンチッチはいつもながら、スローな曲に山をつくるのが巧み。

ファルキンガーは若い歌手のように見えた。

エルネストのデニス・オレラーナは実際若い(21歳!)のであるが、歌いまわしは既にして巧みだ。

ランバルドのマノイロヴィッチは、バス。

ボノンチーニの曲は、聴きごたえがあり、チャーミングな曲も多いのだが、オーケストレーションについては大幅な補筆があったようで後述する。

オーケストラは、Wroclaw Baroque Orchestra というポーランドの楽団で、指揮はBenjamin Bayl. 

作曲家ジョヴァンニ・ボノンチーニは、まだ知る人ぞ知る作曲家なので、プログラムに研究史を含め比較的詳しい説明があるので紹介する。

ボノンチーニに完全に忘れられてしまったことはなかったが、音楽史の教科書でヘンデルとの比較で出てくる存在だった。彼のイメージを長年規定していたのはドイツの音楽史家フリードリッヒ・クリザンダーで、1858年から1867年にかけて、最初のヘンデルの本格的伝記(未完だが)を著した。その中でクリザンダーはボノンチーニの音楽はメロディーは美しいが生き生きとした推進力やエネルギーに欠けるとか眠くなるといった主観的な評価を下している。クリザンダーはヘンデルを賞揚したいあまり、他のライバルを皆くさしたわけである。

しかし、それではボノンチーニがなぜ1720年にローマからロンドンに招かれ、1727年までに6つのオペラを書き、ヘンデルのオペラと競い合い、ヘンデル作品よりも人気を博したものもあったのかは説明できていない。ボノンチーニの音楽は、ヘルムート・クリスティアン・ヴォルフやハーヴァード大学教授のローウェル・リンドグレンにより再評価が進んできた。

ボノンチーニは1670年に音楽家の一家に生まれた父から音楽教育を受けた。父が亡くなると8歳のボノンチーニはボローニャに赴き、そこでジョヴァンニ・パオロ・コロンナから教育を受けた。1686年には楽譜を出版し、やがて教会音楽家として身を立てる。ボローニャでリブレッティスタのシルヴィオ・スタンピリアと知り合い、5つのオペラを共作する。

スタンピリアは後にヴィーンの宮廷詩人となるのだが、牧歌が得意で、田園牧歌の羊飼いやニンフや風景を汚れなき一種の理想郷としてーーこういう様式は古代から存在するわけだがーー描くのだった。スタンピリアとの関係は、生涯ボノンチーニに影響を及ぼす。

1691年に、おそらくはスタンピリアの影響で、ボノンチーニはローマにやってきて、スタンピリアと同様、有力家系のコロンナ家にお仕えする。ここで作曲スタイルを洗練させ、5つのオペラを書き、特に《カミッラの勝利》の成功により名声を確立する。同時代の作曲家フランチェスコ・ジェミニアーニはこのオペラが音楽界に与えた衝撃を伝えており、それまでの浅薄なメロディーを拒否したものと高く評価している。このオペラは1710年までにローマ以外の19のイタリアの町とロンドンで上演された。1697年にパトロンのロレンツァ・コロンナが亡くなると、ボノンチーニはヴィーンのレオポルト1世に雇われ、5000ギルダーという破格の年俸を得る。レオポルトの後継者ヨーゼフは1698年にさらに2000ギルダー昇給させる。1706年にはスタンピリアがヴィーンに合流する。

しかしスペイン継承戦争のためヴィーンの音楽活動が低調となり、ボノンチーニはまずベルリンに行き、イタリアに戻る。彼の名声はオペラと世俗カンタータで高まっていた(今回の音楽祭ではボノンチーニのカンタータの演奏会もあったのはすでに紹介した通り)。ヴィーンのポストは1711年まであったが、その後はイタリア中を旅し、ローマにもやってくる。1719年にイタリアを旅していたイギリスのバーリントン伯爵に出会い、ロンドンのロイヤル・アカデミーとの関係がつく。ボノンチーニはロンドンにやってくるとオペラ関係者の闘争に巻き込まれる。関係者もオペラファンも、作曲者同士のライバル関係や花形歌手同士のライバル関係に加わるからだ。そこに政治的な党派制も加味されてくる。ヘンデルはウィグ派で、ボノンチーニはトーリー派というわけだ。

長くなったので、《グリゼルダ》の製作事情は次の項に。

 

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