長々しいタイトルだが、要するにシンポジウムが開催され、筆者はスピーカーとして参加した。
2025年はアレッサンドロ・スカルラッティの没後300周年だったのである。アレッサンドロ・スカルラッティは、いわゆるナポリ楽派の成立に大きな影響を与え、オペラ・セリアの確立にも大いに力のあった人で、単にドメニコ・スカルラッティの父というだけではない。
僕個人としては、アレッサンドロ・スカルラッティというのは、ヨハン・セバスティアン・バッハくらい偉大な音楽家なのではないか、と考えているのだが、なかなか日本ではそういう評価、あるいはそういう頻度で演奏されることがない。
だからこそ、今回のシンポジウムの意義は単純で、しかし大きい。日本での演奏頻度や認知の「薄さ」と、作品そのものがもつ厚み(と、そこにぶら下がる研究課題の多さ)のギャップを、まずは言葉と実演で埋めていこう、という試みだった。
しかも、今回のプログラムが面白いのは、単に「偉人の記念年だから集まった」というだけではなく、焦点の当て方がきわめて具体的だった点だ。第1部で研究状況の俯瞰を置き、第2部でイタリア本国の“現場”を掘り、第3部で各国受容にひらく。つまり、作曲家を「点」で讃えるのではなく、作品が動いた“回路”を「線」として示そうとしている。スカルラッティのオペラは、まさにその線の束でできている。
第1部:特別講演(収録)——「現在」の地点確認
ディンコ・ファブリス氏の講演(収録)は、研究史の整理というよりも、「いま何が問われているのか」を確認する時間だった。スカルラッティ研究の“いま”を語るには、作品の価値判断だけでなく、資料(楽譜・台本・上演記録)と上演実践(演奏様式、劇場環境、歌手)をどう往復するかが要になる。こうした大枠が提示されることで、続く各発表が単なる個別研究の列ではなく、ひとつの地図として見えてくる。
第2部:「イタリア」——上演の具体性に降りていく
第2部は、イタリアでの上演・再演・創作背景・劇場コンテクストといった、いわば「現場の温度」に降りていくパートで、ここがこの日の核だったと思う。
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私の発表「《Gli equivoci nel sembiante》ローマ初演をめぐるスキャンダル」は、作品を“音楽史の名作”として扱うより、初演という出来事がどのような政治性・社会性・噂の回路のなかで立ち上がったのか、という観点からの話である。スカルラッティのオペラを理解するうえで、上演は「結果」ではなく、しばしば「事件」なのだ、という感触を共有したかった。
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萩原里香さんの発表は、《ピッロとデメートリオ》のシエーナ上演という一点から、再演をめぐる条件(場所、担い手、需要、そして作品側の“可塑性”)を浮かび上がらせる。ある作品が「どこで」「誰によって」「どういう形で」生き延びるのか、という問いは、受容史へ直結する。
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佐々木なおみさんは《ミトリダーテ・エウパトーレ》を創作背景から捉え、作品の成立を「作曲家の内面」だけに閉じない。委嘱・環境・時代の要請といった外圧のなかで、作品はどう設計されるのか。ここでも、スカルラッティが“劇場の人”であることが強調される。
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山田高誌さんの《貞節の勝利》(1718、フィオレンティーニ劇場)論は、劇場とジャンルのコンテクストから、作品を読み替える視点を与えてくれた。上演空間とジャンルの規範が変われば、同じ作曲家でも作品の顔つきが変わる。これが「ナポリ」という場の強度でもある。
そして、この第2部のあとに置かれた演奏(《Gli equivoci nel sembiante》《La Griselda》からの抜粋)が、単なる“余興”ではなく、議論の回路の一部として機能していたのがよかった。論点が抽象化しそうなところで、実際の音が入ると、こちらの理解が一段階、具体物に引き戻される。研究会/シンポジウムにおける演奏の意味を、久しぶりに正面から感じた。
第3部:「各国受容」——スカルラッティが“外へ”出る瞬間
第3部は、作品がイタリアを離れたときに何が起きるか、という話が並ぶ。ここで見えてくるのは、作曲家の威光というより、作品が「翻訳される」プロセスだ。
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森本頼子さんの「18世紀ロシアとナポリ楽派」は、ナポリ楽派という枠組みが、イタリア内部の歴史用語にとどまらず、外部でどう接続され得たかを考えさせる。
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田中伸明さんの「ドイツにおける受容とサンティーニ・コレクション」は、受容史が「聴かれた歴史」だけでなく、「集められ、保存され、参照される歴史」でもあることを思い出させる。作品は演奏されなくても、資料として生き延びる。
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吉江秀和さんの「ロンドン上演」は、《ピッロとデメートリオ》がロンドンで《Pyrrhus and Demetrius》として現れる、そのズレと変形の面白さを示す。外に出た瞬間、作品は同一性を保つのではなく、別の制度・別の嗜好・別の劇場慣行に合わせて姿を変える。その変形こそが受容の実体だ。
このパートの後に置かれた演奏2(ナポリ版1694/ロンドン版1709の聴き比べを意識した構成)が、まさにその「変形」を耳で確認させる仕掛けになっていた。言葉で説明される“差異”が、音のレベルで立ち上がる瞬間があると、聴衆の理解の速度が一気に上がる。
まとめ:記念年の「祝祭」ではなく、次の上演へ
全体を通して思ったのは、このシンポジウムが「300周年だから偉い人を讃える」という祝祭ではなく、むしろ次の上演・次の研究へ向けて、論点を交通整理する場になっていたということだ。スカルラッティは、確かに“ナポリ楽派の成立”や“オペラ・セリアの確立”といった大きい言葉で語られる作曲家だが、実際には、上演という現場の細部、再演の事情、各地での変形、資料の伝播——そういう具体の束として存在している。
日本で演奏頻度が高くないのは事実だし、だからこそ「評価」も育ちにくい。しかし、研究と実演の両輪が回りはじめると、状況はわりと早く変わりうる。今回のように、議論のそばに実際の音があり、国内外の視点が交差する場が継続すれば、スカルラッティは“知っている人だけが知っている巨人”ではなくなるはずだ。
——などと書きつつ、結局のところ、私はこう思っている。
スカルラッティは、もっと上演されていい。
そして、上演されればされるほど、「研究すべきこと」も増える。厄介で、しかし幸福な循環である。
(※末尾に、当日のプログラムを備忘として掲げておく——)
プログラム
開会挨拶 石井道子(早稲田大学教授・オペラ/音楽劇研究所長)
趣旨説明 大河内文恵(東京藝術大学附属高校非常勤講師・オペラ/音楽劇研究所招聘研究員・WG代表)
ディンコ・ファブリス Dinko Fabris(バジリカータ大学教授・国際音楽学会元会長)
「アレッサンドロ・スカルラッティ研究の現在」
発表①辻昌宏(明治大学教授・オペラ/音楽劇研究所招聘研究員)
《Gli equivoci nel sembiante》 ローマ初演をめぐるスキャンダル
発表②萩原里香(武蔵野音楽大学非常勤講師・オペラ/音楽劇研究所招聘研究員)
A.スカルラッティのオペラの再演をめぐる状況:《ピッロとデメートリオ》 のシエーナ上演を対象に
発表③ 佐々木なおみ(ディスコルシ・ムジカーリ主宰、在シチリア)
創作の背景から見るオペラ 《ミトリダーテ・エウパトーレ》
発表④ 山田高誌(熊本大学准教授)
《貞節の勝利》 (ナポリ、フィオレンティーニ劇場、1718) :初演劇場とジャンルに関わる“コンテクスト”からみて
★演奏1
《顔立ちで取り違え Gli equivoci nel sembiante》 (1679)より
《グリゼルダLa Griselda》 (1721)より
森川 郁子(S)、森 有美子(S)、阪永 珠水(Vn.)、髙橋 弘治(Vc.)、上羽 剛史(Cem.)
質疑応答 コメンテーター:野田農(早稲田大学准教授・オペラ/音楽劇研究所員)
発表⑤ 森本頼子(名古屋音楽大学非常勤講師・オペラ/音楽劇研究所招聘研究員)
18世紀ロシアとナポリ楽派のつながり
発表⑥ 田中伸明(北里大学専任講師・オペラ/音楽劇研究所招聘研究員)
ドイツにおけるA.スカルラッティ受容とサンティーニ・コレクション
発表⑦ 吉江秀和(杏林大学非常勤講師・オペラ/音楽劇研究所招聘研究員)
《ピッロとデメートリオ (ピュロスとデメトリオス)》 のロンドン上演について
★演奏2
《ピッロとデメートリオ Il Pirro e Demetrio》 (ナポリ版1694)より
《ピュロスとデメトリオス Pyrrhus and Demetrius》 (ロンドン版1709)より
森川 郁子(S)、森 有美子(S)、阪永 珠水(Vn.)、髙橋 弘治(Vc.)、上羽 剛史(Cem.)
質疑応答 コメンテーター:野田農(早稲田大学准教授・オペラ/音楽劇研究所員)
閉会挨拶 大河内文恵
司会:石井道子
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